↑のつづき。

さて、
山口県防府市の旅最後の神社へ。


やってきたのは「車塚(くるまづか)町」。

町名の由来は、この後わかることになる。

鳥居をくぐる。





拝殿。

『天御中主(あめのみなかぬし)神社』

鎮座地 山口県防府市車塚町
創健 推古天皇二十四年(625年)
通称 車塚妙見社
祭神 天御中主神
配神 大已貴命 猿田彦命


由緒書き↓
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当社は推古天皇二十四年
(六二五年)の創建と伝えられ
藩主毛利元就公も篤く崇敬され
永禄四年(一五六一年)三月五日の大祭に
神社料を奉納するとの書状を納めておられる
由緒ある神社であります。
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『力石』。

昔から相撲が盛んな神社だったのだそうな。



横から本殿。



そして、本殿の左側にあるのが古墳。



こりゃ面白い❗



防府市指定史跡『車塚古墳』。

墳丘長約58mの前方後円墳である。

この神社の神宝でもある。


説明書き↓
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車塚古墳は古墳時代後期(六世紀中頃)に
築造されたと考えられる前方後円墳で、
上から見ると、円形と台形が合体した
鍵穴の形をしている。

昔の車の形にも似ているので、
『車塚』と呼ばれる古墳が全国に
数多く存在している。

この古墳は、神社社殿建設時に
後円部からくびれ部にかけて大きく削平され
また外周部も一部削られている。

築造当初は、長さ約60メートルの規模
であったと考えられる。

後円部と前方部のそれぞれに
横穴式石室がある。

いずれも玄室と羨道との間に
前室を設ける構造で、
四国や九州との関係が指摘されている。

佐波川流域では現存する
最も大きな前方後円墳であり、
その規模や構造などから、
下流域を統率した首長の墓であると
考えられる。
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車塚町の由来は、この古墳からだった。

説明書きや創建年代から察するに、
神社創建以前からあった古墳であることは
間違いない。



本殿の裏側はこんもりしていて
ぐるっとまわることができた。







境内社『稲荷神社』。





大きな古墳をフトコロに入れた
個性溢れる神社だった。


防府市、とても面白い。



「防府(ほうふ)の町は見所豊富(ほうふ)」🤣




レンタサイクルも楽しかった。


山口県はこれにて終了。

翌日は、
初めましての熊本市でのお仕事だった。

つづく。

ではまた❗



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