↑のつづき。

さて、熊本市の北岡神社を参拝した後、
少しだけ時間があった為
近くの神社に参拝しようと思った。

向かった先は北岡神社から徒歩で15分。

同じく熊本市西区。

西区一帯の歴史はとても古い。

およそ2万年前の
旧石器時代後期の遺跡や石器や、
縄文時代の遺跡や貝塚等が
多く見つかっている。


熊本市西区にある標高138mの『万日山』。


万日山の由来は、
江戸時代にこの周辺に如意庵という
浄土宗のお寺があり、
そこで1万日に渡って経を唱え続け、
それを記念した万日塔が建てられたことから。

万日山の中腹には、
明治時代に廃寺となった
浄土宗阿弥陀寺如意庵の跡があり、
万日塔という三基の大石柱が残っている。

万日山の山頂から東側の尾根にあった
古墳群は、残念ながら
明治以来の開発で消滅してしまった。


そんな万日山の南麓に
その神社は鎮座していた。





拝殿。

『萬日神社』

鎮座地 熊本県熊本市西区春日
創健 不詳
祭神 健速須佐之男命
   天児屋根之命
   倉稲魂之命
   應神天皇
   菅原道真


由緒書き↓
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このお社の勧請年月日
(神様をお迎えした日は不明であるが、
明治十二年十一月八日、
教部省 (明治初期の中央官庁)から
村社として認められた神社である。

現在は北岡神社の末社として、
地域に住む人々をお守りいただいている
氏神様てあり、例年十月十四日が
例大祭日である。

なお境内には、道路の悪霊から人々を守る
道祖神、猿田彦大神の石碑もある。
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先ほど参拝した北岡神社の末社だった。



横から本殿。




この西区春日については
熊本市のホームページによると↓
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日本書紀によれば、西暦535年に
春日部屯倉(かすがべのみやけ)が
火国(現在の西区春日)に置かれました。

春日部屯倉は西暦527年に
筑紫国造(つくしのくにのみやっこ)
磐井(いわい)が大和朝廷に対して
反乱を起こしたことがきっかけとなり、
大和朝廷の中・北部九州への
支配強化のために筑・火・豊の
三国に置かれた8つの屯倉の一つです。
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とのことである。



鳥居の前に堂々と建つ
『猿田彦大神』の石碑。

道路の悪霊から人々を守ってくださる。


さてさて、
今回は時間が足りなすぎたが、
もっと熊本のことを知りたくなった。

市内は都会だったが、商店街が賑わい、
自然も残されており、
とても良い町だと感じた。

また来たい。

次回は九州・山口編最終章です。

つづく。

ではまた❗





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