ザ・ビートルズ「最後の新曲」は4人の友情の証 関係者が明かす「Now and Then」制作秘話

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ザ・ビートルズ(The Beatles)「最後の新曲」こと「Now and Then」が本日11月2日23時(日本時間)に配信開始。11月10日には曲数を追加したベスト・アルバム『赤盤』『青盤』が2023エディションとして世界同時発売。ファブ・フォーからの永遠に色褪せることのないプレゼント、その制作背景を関係者の証言とともに掘り下げる。

デビューシングルの「Love Me Do」のリリースから60年、文字通り満を持して発表されるザ・ビートルズ最後の曲は、世界で最も愛されるバンドの物語の最終章を新たに書き換えるだろう。11月2日、ビートルズは最後の曲「Now and Then」を公開する。ジョン・レノンが作曲し、ピアノとボーカルを担当した同曲は、1977年に彼の自宅でレコーディングされた。ジョン以外の3人で臨んだ『Anthology』(1995年)のセッションで、ジョージ・ハリスンはギターパートをレコーディングしている。そして今、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは友人たちから託された最後のタスクをやり遂げた。それはビートルズの長く複雑な歴史を締めくくるにふさわしい、メンバーたちの友情の結晶というべきだろう。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、それぞれが自身のパートをレコーディングした時期は大きく隔たれているものの、そこからは最後のセッションで心を通わせようとするバンドの姿が浮かび上がる。

「Now and Then」はそれぞれ『赤盤』『青盤』の名前で親しまれている『The Beatles 1962-1966』『The Beatles 1967-1970』の新装版(2023エディション)の最終曲となる。ポップス史上最もアイコニックなベスト盤のひとつに数えられる本作は、時代を超えて大勢のリスナーをバンドの虜にしてきた。プロデューサーのジャイルズ・マーティンは本誌にこう語っている。「この2枚が僕にとってのビートルズ入門書だった」。



新装版の『赤盤』『青盤』は、「Now and Then」の公開から1週間後の11月10日にリリースされる。2枚の総収録曲数は75曲に増え、『赤盤』にはジョージの手による「Taxman」「If I Needed Someone」も収録されている。これまでもそうだったように、本作が様々な議論を呼ぶことは間違いない(「You Really Got a Hold on Me」「Tomorrow Never Knows」が『赤盤』に、「Blackbird」「Hey Bulldog」が『青盤』に入ってる!というふうに)。1973年の発表以来、時代を超えて無数のファンを獲得してきた両作は、今年の春に発売50周年を迎えた。だが装いを新たに発売される『赤盤』と『青盤』は、ビートルズ・コレクションの決定版というポジションを改めて確立するはずだ。

何をおいても強調しておくべきことは、「Now and Then」が正真正銘のビートルズの曲だという事実だ。ジョンとポールが最初のコーラスで「時々君のことが恋しくなる」と一緒に歌うところは、パワフルという表現ではとても足りない。大人の憧憬を滲ませるソウルフルな2人の歌声、ジョージのギター、そしてリンゴのドラム。映像作品『ザ・ビートルズ:Get Back』がそうだったように、同曲は感傷的にはなることなく、それでいて聴き手の心を激しく揺さぶる。AIの脅威と狂気が懸念される時代において、ダコタにあった自宅のピアノを弾きながら歌ったジョンの明瞭な声は、一切の加工も編集も必要としなかった。リンゴはこう語っている。「ジョンがこの世を去って以来、彼をこんなにも身近に感じたことは一度もなかった」

90年代にリリースされた『Anthology』シリーズのシングル曲「Free As a Bird」と「Real Love」のクオリティがデモの域を出なかったのに対し、「Now and Then」は紛れもない正規の音源という印象を与える。ジェフ・リンがプロデュースし、ポールとジョージ、リンゴの3人が手を加えた上記の2曲は、ドキュメンタリー作品『Anthology』の脚注というべきものだった。ジョンの歌声はくぐもって聞こえにくく(それが物悲しさを煽っているのだが)、リスナーは彼の声のエコーを聴いているに過ぎなかった。

「Now and Then」は、ジョンの死後にヨーコ・オノがポールとジョージ、リンゴの3人に譲った自宅録音のテープに収録されていた。そのテープには先述の2曲も含まれていたが、「Now and Then」は楽曲としての完成度がより高く、また最新のオーディオテクノロジーのおかげで、ジョンの歌声とピアノがはるかに明瞭に響く。ピーター・ジャクソンのサウンドチームは、『Get Back』と昨年リリースされた『Revolver』のボックスセットでも用いた「ミックス解体」プロセスを採用した。エミール・デ・ラ・レイが率いる同チームは、『Get Back』に出てくる(花瓶に隠されたマイクが拾った)ポールとジョンのカフェテリアでの会話を抽出したように、オーディオテクノロジーのWingNut Films MALによってジョンのボーカルを音源から分離させた。

Translated by Masaaki Yoshida

ビートルズの薬物事情:LSDが作ったアルバム『リボルバー』

(Photo by Mark and Colleen Hayward/Redferns)

幻覚剤からビートルズの傑作が生まれた──しかしその副作用も大きかった。

『リボルバー』の物語は、修羅場とイルミネーションが交錯したある夜から始まった。

「俺たち、LSDを盛られちまった」とジョン・レノンはジョージ・ハリスンに言った。

1965年の春のことだった。レノンと妻のシンシア、そしてハリスンと妻のパティ・ボイドの4人は、歯科医師ジョン・ライリーとガールフレンドのシンディ・ベリーと共にロンドンにあるライリーの家へディナーに招待された。食事を終えて帰ろうとする4人をライリーが引き留め、食後のコーヒーをしきりにすすめた。彼らがカップを空けて間もなくライリーは、角砂糖にLSDが仕込んであったことをレノンに告げた。「俺たちに何てことをしてくれたんだ!?」とレノンは怒り狂った。レノンも多少は薬物に対する知識があった。それはサイケデリックと呼ばれる幻覚剤で、思考、感情、視覚を狂わせ、周囲の人間に恐怖を与える。心理学者のティモシー・リアリーが、幻覚剤による実験的治療を実施したことで1963年にハーバード大学を解雇された話は有名である。

「私たちの部屋がみるみるうちに大きくなっていって、まるで私たち全員が突然ホラー映画の中に入り込んだ感じだったわ」とシンシア・レノンは語った。ザ・ビートルズのレノン、ハリスンと彼らの妻たちは、ハリスンの運転するミニクーパーでライリーの家を飛び出した(ベリーによるとジョンとジョージは、自分たちが知らなかったことにして薬物を投与して欲しいようなことを事前にほのめかしていたという)。レノン夫妻とハリスン夫妻はレスタースクエアのアド・リブ・クラブへ辿り着いた。エレベーターに乗り込むと、全員がパニックに陥った。「エレベーターの中で火事が起こっていると錯覚したんだ。実はそれはエレベーターの小さな赤いランプだったんだけどね。俺たちみんな叫びだして大騒ぎだった」と、レノンは1971年のローリングストーン誌のインタビューに答えている。クラブでテーブルに着くとまた別の幻覚が始まった。「何だか神様に見守られているようなとても幸せな気分だった。草の葉一枚一枚に神様が見えたんだ。12時間のうちに何百年分も経験した感じだった」と、ハリスンはローリングストーン誌に語った。

4人はその後、ロンドン郊外のイーシャーにあるハリスンの家に帰り着いた。ジョンは後に語っている。「怖かったけど気持ちよかった。ジョージの家がまるで大きな潜水艦のように思えた。宙に5mも浮かんでさ、それを俺が操縦しているんだ。その時俺は何枚かの絵を描いた。"お前が正しい"って言っている4つの顔の絵をね。それから1ヶ月か2ヶ月はぶっ飛んでた」。この時の予期せぬLSD体験が、翌年誕生するビートルズの最も挑戦的で革新的なアルバム『リボルバー(原題:Revolver)』を生むきっかけとなった。


このアニメの中で、ジョン・レノンは初めてのLSD体験について言及している。

それからしばらく、その夜の出来事は伏せられていた。1964年2月、ニューヨークでエド・サリヴァン・ショーに出演して以降、バンドは世界で最も有名なセレブとなった。しかし、多くの若者を長髪にさせるほどの影響力を持ちながら、それまでのところ論争に巻き込まれるのをかろうじて避けてきた。1964年8月にホテルの一室でボブ・ディランにすすめられたのをきっかけに、ビートルズのメンバーたちは常習的に大麻を吸っていた。1965年にリリースされたアルバム『ラバー・ソウル(原題:Rubber Soul)』は、レノンが"pot album(大麻のアルバム)"と呼ぶほど大麻の影響が色濃く、より内向的で幻想的な作品となった。一方で幻覚剤は、バンドのサウンド、方向性や立ち位置、歴史的に見た影響力など、ビートルズのすべてを変えてしまった。

幻覚剤の初体験では懲りず、レノンとハリスンはまた幻覚剤をやろうと決めた。しかも今度はバンドのメンバーも誘うことにした。1965年の夏、北米ツアーの合間に5日間のオフをもらうことができ、ビバリーヒルズにある女優ザ・ザ・ガボールの家を借りた。「ジョンと俺の間では"ポールとリンゴにもやらせなきゃな"ってことになったんだ。幻覚剤が俺たちをまるっきり変えちまったせいで、彼らとしっくり行かなくなってたんだ。あらゆる面でね。とにかく説明できないものすごい体験だった。どんな感じでどう思うかは実際に経験してみないとわからないから。ジョンと俺には影響が大きかった」とハリスンは言った。リンゴ・スターがまず彼らに加わった。「俺は何でも試してみるつもりだった。素晴らしい日だった。その晩は本当にすごかった。(薬が)そのまま冷めないんじゃないかと思ったよ。まる半日経っても"もういい加減にしてくれよ"って感じさ」と、スターは後に語っている。

Translation by Smokva Tokyo

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