XTCのアンディ・パートリッジが語るコロナ感染、バンド末期の記憶、災難続きの屈折した人生

バンドの最後のアルバムについて語る、XTCのアンディ・パートリッジ(Photo by Michael Putland/Getty Images)

XTCのアンディ・パートリッジがCOVID-19、バリウム中毒、20周年を迎えたバンドのラストアルバム『Wasp Star』について語る。「アンディとの会話は彼の音楽を聴いているようだ。一見するとハチャメチャ大騒動、だがその根底にはつねに暗い影が流れている」

ここのところ、アンディ・パートリッジはとくに悪運ばかり続いている。数カ月前にはコロナウイルスに感染したと本人は確信している――加えて、冬に雨が続いたせいでスタジオのドアがイカれてしまった。パンデミックのせいで近隣にはいつもより人が多いため、レコーディングすればもちろん近所迷惑になる。他のアーティストのために書いてボツになった楽曲を集めたニューアルバム『My Failed Songwriting Career』(僕の失敗した作曲家人生)の制作も、事実上停まっている状態だ。

●【動画】XTCの名曲を振り返る

アンディとの会話は、彼の音楽を聴いているようだ。一見するとハチャメチャだが、その根底にはつねに何か暗いもの、少しばかり邪悪なものが流れている。XTCのラストアルバム『Wasp Star (Apple Venus Volume 2)』の20周年にちなんで最近電話インタビューを行ったところ、バリウムを止めた後あまりにもボロボロで自分の名前も思い出せなかった時期のことから、べろんべろんに酔っぱらって、どこぞの家の玄関から牛乳瓶を1本拝借した一生に一度の窃盗まで(ずっと気にかかって、数週間後に返却しに行ったそうだ)、様々な話を次から次へと語ってくれた。

『Wasp Star』は、アンディの人柄にたがわず多面的だ。冒頭から、快活な「プレイグラウンド」で意表を突かれる。キレのいい心地よいスネアドラムをちりばめた、日差しがさんさんと降り注ぐかのようなギターリフに誘われて、賑やかなパートリッジの遊び場へ一目散に駆けていくと、いじめっ子が今にも獲物に飛びかからんと待ち構えている。「学校を卒業しても、学校生活は一生ついて回る」とパートリッジが告げる。その不吉な警告をかみしめる間もなく、別の騒々しいギターサウンドが次の曲へといざなう。タイトルもずばり「ストゥーピッドリー・ハッピー(知らぬが花)」。

そこからは混乱状態。作曲担当でリードシンガーのコリン・モールディングの控え目な曲が時折入るほかは、狂喜乱舞から逃れることはできない。「イン・アナザー・ライフ」「ボーデッド・アップ」「スタンディング・イン・フォー・ジョー」。心地よくたゆたう「ウーンデッド・ホース」でいったん沼に堕ちたあと、半狂乱なラブソング「ユー・アンド・ザ・クラウズ・ウィル・スティル・ビー・ビューティフル」でまたもや弾け飛び、締めくくりは「ザ・ホィール・アンド・ザ・メイポール」。神話的な中世のリズムの中核には、重々しいメッセージが見え隠れする。すべては終わる、すべては崩れ落ちる――人類も例外ではない、と。「僕はそこまで無知だったのか?/その通り、すべてがほどけていく」と、アンディは感慨深げに歌う。

ローリングストーン誌はアンディにインタビューし、アルバムについて、XTC解散について、そして学校生活をそこまで引きずっている理由について話を聞いた。

※編注:XTCは2006年のコリン脱退から活動休止が続いているが、アンディは2014年に「XTCは解散していない。法的にはコリンと僕のバンドとしてまだ存在している」とツイートしている。

Translated by Akiko Kato

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ザ・キュアーのロバート・スミス、自身のアルバム14作を振り返る

2001年撮影のロバート・スミス(Photo by Tim Roney/Getty Images)

フジロック’19でヘッドライナーを務めるザ・キュアーの歩みを総括した、14000字の決定版インタビュー。各アルバムに対する評価とエピソードを、フロントマンのロバート・スミスが包み隠さず語る。

ザ・キュアーの11枚目のアルバム『Bloodflowers』の発売を目前に控えた2000年のある日、写真撮影を終えたばかりだったロバート・スミスは、トレードマークのヘアスタイルと口紅はそのままに、ニューヨークのとあるホテルにあるバーでザ・キュアーのCDの山を前にしていた。彼は1枚ずつ手に取り、笑顔を浮かべたり、時には思い切り顔をしかめたりしながら、各アルバムについて語ってくれた。

過去にもそうだったように、スミスは最新作がバンドの最後のアルバムになると確信していた。しかしその予想は外れ、2004年に本誌(米ローリングストーン)は同記事をアップデートしている。それから4年後、彼は再び本誌の取材に応じ、同記事には2008年作『4:13 Dreamについての内容が加筆されることになった。


1.
『Three Imaginary Boys / Boys Don’t Cry』
1979年 / 1980年
Three Imaginary Boys

送りつけたデモテープがほぼすべてのメジャーレーベルから却下された後、ロンドン郊外の町クローリー出身の幼馴染3人は、ポリドールの傘下にあるフィクション・レコーズと契約を交わした。レーベルオーナーでプロデューサーのクリス・パーリー(ザ・ジャムとスージー・アンド・ザ・バンシーズをポリドールと契約させた仕掛け人)の指揮のもと、ザ・キュアーはデビューアルバム『スリー・イマジナリー・ボーイズ』を、ロンドンのMorgan Studiosでわずか3日間のうちにレコーディングした。その翌年、Fictionは同作にバンドの初期シングルを追加した改訂盤『ボーイズ・ドント・クライ』をリリースしている。



スミス:デビューアルバムに収録されてる曲群は、僕が2〜3年かけて書いたものだ。「10:15 Saturday Night」や「Killing An Arab」を書いたのは16歳の頃で、アルバムをレコーディングしたのは18歳の時だったんだけど、中には完全には納得のいってない曲もあった。「Boys Don’t Cry」とか、ポップな曲群はどうかしてるってくらいナイーブだよね(笑)。でも毎日学校に通うだけで、実体験じゃなくて本で読んだ内容を歌にするしかなかったティーンエイジャーにしては、なかなか良い出来のものもあると思う。

同じスタジオでザ・ジャムが昼間にレコーディングしてたんだけど、僕らは夜にこっそり彼らの機材を拝借してアルバムをレコーディングしたんだ。その管理を任されてた顔見知りのやつに頼んで、テープマシンとかそういうのを使わせてもらった。

キュアーのディスコグラフィーの中で、1枚目は最も好きになれないアルバムなんだ。自分で書いた曲だし、歌っているのは紛れもなく僕自身だけど、それ以外のことには一切口出しできなかったからね。プロダクション、収録曲の選択と曲順、それにアートワーク、そういうのは全部僕じゃなくてパーリーが決めたんだ。僕は若いなりに、そのことをすごく理不尽だと感じてた。アルバムを作ることをずっと夢見ていたけど、いざその時が来たら自分の意見はまるで無視されてしまった。その時に決めたんだよ、今後は制作費は自分たちで負担して、作品に関するすべてのことを自分たちで管理しようってね。


※Spotifyはこちら

Translated by Masaaki Yoshida

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