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「野党共闘」の研究15
ー首都圏反原発連合と日本共産党、資金の流れとその所在地ー
2024年10月7日14時に「れいわ新選組」の総選挙に向けた記者会見が行われ、反原発活動家で首都圏反原発連合のコアメンバーの1人、「ミサオ・レッドウルフ」氏の立候補が発表されました。偶然、その記者会見が行われる30分前の13時34分、「活動休止」となっている首都圏反原発連合に以下のメールを送付していました。
首都圏反原発連合ご担当者様
突然のご連絡失礼いたします、私、蒲生諒太と申します立命館大学で教育学の研究を行っており、コロナ禍の学生運動・社会運動を端緒に野党共闘と市民運動の関係について調査を進めております
現在、野党や市民運動の政治資金に関する調査を行っている中で以下の点についてお伺いしたいことがございます。
• 日本共産党中央委員会の政治資金収支報告書において、平成25(2013)年4月1日に「首都圏反原発連合」へ20万円の「会費・拠出金等」が支出された記録を確認いたしました。この資金提供は共産党本部から反原連へのもので、これが唯一の記録のようです。この件について資金提供があったことは事実でしょうか、またその経緯について何かご存じのことがありましたらお教えいただけますでしょうか。
• 同報告書に記載されている「首都圏反原発連合」の住所が「文京区湯島2-4-4-4F」となっておりました。当時の「首都圏反原発連合」はこの住所で間違いないでしょうか。
お忙しいところ恐れ入りますが、ご回答いただけますと大変助かります。なお、ご回答内容については報告書等に記載させていただければと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
蒲生
このメールのもとになったのは日本共産党の平成25年度の政治資金収支報告書における以下の記載です(「会費・拠出金等」の最後の項目に注目)。
「首都圏反原発連合」は3.11以降の日本の社会運動の鏑矢のような団体です。同団体から「レイシストをしばき隊」(現「対レイシスト行動集団=C.R.A.C.」)とその中核人物である「野間易通」氏や「神原元」氏、「菅野完」氏など有名活動家を世に出してきました。また、野党共闘の発端となった取り組みを牽引したとミサオ氏は以下のように述懐しています。
(略)そもそも、2012年に私が平和フォーラム(連合・総評系)のさようなら原発と、全労連や民医連が事務局をしていた共産党系の原発をなくす会、長年敵対していたこの2者の労組に声をかけ、脱原発の共闘を実現。くっつけるのは大変でしたが、この2者と反原連で数回大行動を主催。その後、憲法改正問題が言われるようになり、反原連除く2者が立ち上げたのが総がかり。反原連はそれとは別に複数団体に声をかけ、安倍政権No実行委を立ち上げ。脱原発では脱原発運動が土台を築いた野党共闘を引き続き主張。そうするうちに、市民連合が発足。事務局は当初、脱原発運動で反原連が繋いだ2者が担っていました。が、2者を繋いだ私達には声がけもありませんでしたが。
このような日本の社会運動・政治史において重要な市民団体に日本共産党から資金が流れていた・・・となると既存政党が市民運動を背後から操っていたのかと勘ぐりたくもなるでしょう。「首都圏反原発連合」の収支報告では2013年4月の寄付金総額が「628,794」であり、20万円の送金と矛盾はありません。
しかし、その金額は確認できる分で20万円1回きりと大したものではありません。
より重要なのは同団体の住所「文京区湯島2-4-4-4F」です。
この住所は日本共産党系の労働組合「全労連」の入っているビル「平和と労働センター・全労連会館」です。全労連会館には運営委員に日本共産党が入る「原発をなくす全国連絡会」が入居しており、2013年5月5日のWebアーカイブに記録されている同団体のウェブサイトには「TEL:03-5842-5611」と現在の全労連事務局の電話番号が書かれています。
また、2013年7月1日に「文京区湯島2-4-4-4F」に居住する「原発をなくす全国連絡会」に30万円の「会費・拠出金等」が日本共産党中央委員会からあり、 2024年現在、「平和と労働センター・全労連会館」4階には全労連のみが入居しているようであり、2013年もそうであったなら、同団体が「平和と労働センター・全労連会館」4階の全労連に当時存在したことになるでしょう(以下、平成25年度の政治資金収支報告書、最上段に注目)。
そのため、単純に「原発をなくす全国連絡会」と「首都圏反原発連合」を取り違えたのかとも思ったのですが、会計処理の際、入金実績のない、日本共産党とは完全に独立した「首都圏反原発連合」と自分たちが運営委員の「原発をなくす全国連絡会」を取り違えるとも思えません。こうなると、2013年、「原発をなくす全国連絡会」と「首都圏反原発連合」は同じビルの同じフロアに入居していたことになりますし、4階に入居していたのが全労連だけであったなら、同団体が「原発をなくす全国連絡会」と「会費・拠出金等」両方の事務局をしていたことになります。
20万円の「会費・拠出金等」なら、共闘団体間の儀礼的なものなのかと思ったのですが、もし事務局が同一組織内にあったなら「首都圏反原発連合」は2013年段階で日本共産党系組織となってしまうでしょう。確かに心当たりはあります。
「首都圏反原発連合」主催のデモに参加し、同団体にも(いわゆる末端ですが)関与していた「千葉麗子」氏は著書『さよならパヨク : チバレイが見た左翼の実態』(2016、青林堂)において、以下のように回想しています(電子書籍版より引用)。
大飯再稼働、あじさい革命を経て、「0602反原発国会大包囲」に至る間に、首都圏反原発連合が、「レイシストをしばき隊」に流れるなど、動きがおかしくなったというか迷走を始めたと思います。私は中心メンバーによるコア会議には出席していませんでしたが、共産党関係者の姿ばかり目立つようになったことに対する疑問を率直にぶつけました。(「パイプづまり」)
*「0602反原発国会大包囲」は2013年6月2日実施
共産党やその関係者の比率が上がってきたせいか、抗議集会も共産党らしくなっていった気がします。もっとも当初私が気づかなかっただけで、すでに共産党が幅を利かせていたのかもしれません。 知人らから聞いたのですが、デモに音楽や踊りを取り入れるのは、日本共産党が昔から得意とすることらしいです。ラップミュージシャンが多数参加していたのも、共産党のスタイルに合っているからだと考えるとなるほどと思います。(略)あげくに吉良よし子氏のフォトブックとやらも売り始めたのです。なぜ吉良よし子氏だけ? もうわけがわからないというか我慢の限界でした。(「沖縄民謡、サンバ、そしてフォトブック」章)昨年(平成27年)、ツイッターで「反原発の現場は9割以上共産党員」とつぶやいたことがあります。実際、地方議員の家族始め、コアメンバーも共産党関係者。一般参加者がどんどん減っていく中で、気がつけば周りは共産党員だらけ、赤旗購読者だらけになっていきました。政治色がないとか言いながら、吉良よし子氏のフォトブックみたいなもの等を売ったりするわけですから、どこがという感じです。(「そして共産党だらけになった」) そうこうしている間にも、デモ参加者は減る一方で、進退窮まったのか、なんと赤旗に首都圏反原発連合のチラシを挟んで配布し始めたのです。いくら人が足りないからといって、これではまるで共産党の運動そのものになってしまいます。私はそんなこととうてい受け入れることはできませんでしたので、「やめてほしい」と言ったのですが、やめてくれません。(「さよならパヨク」)
2013年ごろから日本共産党が「首都圏反原発連合」に急接近していたことがわかります。
2012年に起きた日本共産党系全学連の影響下から東京大学教養学部自治会が脱した「東大自治会全学連脱退事件」当事者であるX氏の手記に気になる記述があります。
2011年11月、X氏は日本共産党東京都委員会のT氏=田川豊氏に次のように言われたといいます。
T氏から、東大から原発ゼロの運動を巻き起こさなければならない、そのトップを務めてくれないか
2011年下旬には日本共産党は本格的に反原発運動への関与を計画していたようです。
一方でT氏の「日本共産党に対する事実上の離党文書」(2011年12月19日作成)に以下のような記載があります。
政党による指導は一致点を明らかに曲げています。それが端的に表れているのが、最近の「原発ゼロ」です。一般社会では、原発をなくす運動において、「脱原発」という言葉がもっと一般的に使われています。しかし、日本共産党に系列化された団体は、一部の例外を除いて、そろって、ほぼ同趣旨なのに「原発ゼロ」という別の単語を用いています。なぜ脱原発という言葉を使わないのでしょうか。そこには、党派的な理由しか見えません。また、このこと自体、これらの団体に、党の指導が入っていることをはからずも証明してしまっています。言葉が違っても内容が同じならいいではないか、ということにはなりません。むしろ、原発をなくす運動は「脱原発―一般市民運動」「原発ゼロ一共産党系」という分裂を持ち込んでいます。原発をなくす運動に何のプラスがあるのでしょうか。日本共産党自身と、その周辺の民主団体が「原発ゼロ」という言葉を使うたびに、私は心の底から「原発を、真に撤去し国民の力で、本気でなくす気があるのか!」と悲しみ混じりの怒りが湧いてくるのです。
「原発ゼロ」という言葉は「日本共産党に系列化された団体」が用いているというのです。
「首都圏反原発連合」のウェブサイト「活動の軌跡-Ⅰ-【大規模抗議行動etc.】」と見ると、デモ活動に「原発ゼロ」を冠する取り組みが複数確認できます。それらは2013年の「0310原発ゼロ☆大行動」から始まっています。
*この点はそこまで関係があるかは微妙です。2012年に「原発ゼロの会」という超党派の議員連盟が立ち上がっているからです。ただし、この連盟に日本共産党の議員もかなりの数参加しています「首都圏反原発連合」と「日本共産党」の関係は、いかなるものだったのか。政治資金収支報告書の通り、その所在地が日本共産党系労組「全労連」の建物にあり、全労連が事務局を担当していたとすれば、これまで一部で噂されたように、311以降の市民・社会運動へ日本共産党が関係団体を通じ、組織的に関与していたということが見えてきそうです。
当該メールを送付後、2024年10月9日現在、返信はありません。しばらく待っておこうかと思ったのですが、現在も事務局を日本共産党系の組織が押さえていたなら選挙を前に返信を行うとも思えず、また、「首都圏反原発連合」の中心メンバーの1人ミサオ氏が、れいわ新選組から立候補、さらにれいわ新選組が日本共産党唯一の小選挙区当選を果たしている沖縄1区での候補擁立による両党の関係悪化など、目まぐるしい変化が起きる中で、この事実の公表を先に行いました。
ミサオ氏は立候補に際して次のようなメッセージを出しています。
私は脱原発活動で民主系、共産系の労組を結びつけ野党共闘の礎を作ってしまいましたが、これらの責任についての始末もつけたいと思っています。
311以降、市民・社会運動と既存政党の間で一体何が起きていたのか、選挙戦を通じて明らかにしていただきたいです。
公開日:2024年10月9日