2020年 08月 03日
万葉集 現代語訳 巻十八4106
※「史生」公文書の書写などをつかさどった役。
「七出例(しちしゅつれい。夫が妻を離縁できる妻の七つの欠点についての条例。①子がない、②浮気した、③夫の父母に仕えない、④他人の悪口を言う、⑤窃盗、⑥嫉妬、⑦悪疾(癩))」に、「このうちただ一か条でも犯せば、妻を離縁してよい。七出のどれにもあたらないのに自分勝手に捨てた者は、禁固一年半」と言っている。
「三不去(さんふきょ。夫が妻を離縁できない三つの条件。①夫の父母の三年間の喪事を助けた、②結婚したときは卑しかったがその後貴くなった、③結婚したときは帰る家があったが今はない)」に、「たとえ七出を犯しても、これらの場合は捨ててはならない。違反した者は杖で百たたき。ただし、浮気した妻、悪疾の妻は捨ててよい」と言っている。
「両妻例(りょうさいれい。重婚に関する条例)」に、「妻がいてさらに結婚した者は、禁固一年。女は杖で百たたきのうえ、離縁させよ」と言っている。
詔書(しょうしょ。天皇の文書)に、「正しい行いをする夫や貞節な妻を大切に思う」と仰せられている。
謹んで私は思うのだが、ここに挙げた数か条は立法の基礎であり、教化の根源である。だから、夫の正しい行いとは、妻に愛情を持ち、差別することなく財産を共有することである。古女房を忘れて新しい女を愛する心などあってよいはずがない。そこで、数行の歌を作って、古女房を捨てる心の迷いを悔い改めさせようと思う。その歌は、
4106 大汝(おおなむち) 少彦名(すくなびこな)の 神代(かみよ)より 言(い)ひ継(つ)ぎけらく 父母(ちちはは)を 見れば尊く 妻子(めこ)見れば かなしくめぐし うつせみの 世の理(ことわり)と かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛(さか)りに はしきよし その妻の児(こ)と 朝夕(あさよい)に 笑(え)みみ笑まずも うち嘆(なげ)き 語(かた)りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神言寄(ことよ)せて 春花の 盛(さか)りもあらむと 待たしけむ 時の盛(さか)りそ 離れ居(い)て 嘆(なげ)かす妹(いも)が いつしかも 使ひの来(こ)むと 待たすらむ 心さぶしく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いみずかわ) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児(こ)に 紐の緒(お)の いつがりあひて にほ鳥(どり)の 二人(ふたり)並び居(い) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ〈左夫流(さぶる)と言ふは遊行女婦(ゆうこうじょふ)の字(あざな)なり〉
※枕詞:うつせみの、紐の緒の、にほ鳥の、奈呉の海の
※「大汝」大国主神。
※「少彦名」大国主神の国造りに協力した神。
※「かなしくめぐし」切なくいとおしい。
※「言立て」はっきりと言葉に表すこと。誓いの言葉。
※「ちさ」落葉高木の名。エゴノキ。初夏に白い花が咲く。
※「はしきよし」ああ愛しい。
※「笑みみ笑まずも」あるときは微笑み、あるときは真顔で。
※「語りけまくは」語ったであろうことは。〈けまく〉過去推量の〈けむ〉のク語法。
※「とこしへに」いつまでも。
※「かくしもあらめや」〈しも〉強意。〈や〉反語。
※「言寄す」助力する。はからう。
※「待たしけむ」〈し〉尊敬・連用形。〈けむ〉過去推量。
※「嘆かす」〈す〉尊敬・連体形。
※「いつしか」早く。
※「待たすらむ」〈す〉尊敬・終止形。〈らむ〉現在推量。
※「南風吹き~水沫の」〈寄るへなみ〉を導く序詞。
※「雪消溢りて」雪解けの水があふれて。
※「射水川」現在の小矢部川。富山県・石川県・岐阜県の県境付近に発し、小矢部市と高岡市を通過して富山湾にそそぐ。
※「水沫」水の泡。
※「寄るへなみ」頼りとするところがないので。配偶者がいないので。
※「左夫流」〈さぶ(荒れる)〉に掛ける。
※「いつがりあひて」くっつき合って。
※「おきを深めて」(〈沖は深いので〉の意から)心の底から。
※「さどはせる」〈さどふ〉愛に溺れる。惑う。〈せ〉尊敬・已然形。〈る〉存続・連体形。
※「字」通称。
大国主や少彦名の
神さまたちの時代から
語り伝えられてきたこと
「父や母を見れば尊い
妻子を見ると切なくいとしい
それがこの世の道理だ」と
こういう言葉で言ってきたのに
チサの花咲く盛りのころに
愛する妻と朝な夕なに
あるいは笑顔でまた真顔でも
ため息ついて話しただろう
「ずっとこのまま貧乏暮らしを
していようとは思わない
天地の神のお助けにより
春の花が咲いたみたいに
栄えるときも来るであろう」と
お待ちになっていただろう その
今こそ栄えのときなのに
離れて住んで泣いておられる
あなたの妻は早く使いが
来てくれないかとお待ちになって
いることだろう 寂しくて
南風が吹き雪解け水が
あふれる射水(いみず)の川に流れる
あぶくのように身寄りがないので
荒(すさ)んでいるという名を持った
左夫流(さぶる)という娘(こ)とくっつき合って
ふたり並んで心の底から
愛に溺れるあなたの心
手のほどこしようもない