彌彦神社
いやひこじんじゃ

新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898

主祭神:伊夜彦神
いやひこのかみ

延喜式:越後國蒲原郡 伊夜比古神社 名神大

社格:越後国一宮旧国幣中社

新潟市内から国道116を南下。春日町交差点を右折して西へ。そのまま直進して、弥彦交差点を右へ。一つ目の交差点を左折すると、右手に鎮座。神社周辺は弥彦温泉という温泉街になっていて、観光地として新潟県では有名。ちなみに、“弥彦”は、神社名は“いやひこ”と読み、それ以外の場合は“やひこ”と読むようだ。さらに、地元では神社を“おやひこさん”と呼ぶらしい。ややこしい。

一の鳥居をくぐるとすぐ左手に、玉の橋が見える。参道には、菊祭りの準備がなされている最中だった。参道を左折すると二の鳥居。鳥居脇に御神木があるが撮り忘れた。随神門の手前右手に摂末社が並ぶ。本社の拝殿・本殿は大正に造営された立派な建物。境内東側の第一駐車場近くに境外社の下諏訪神社があった。さすが一宮だけあって、境内が広く、参拝者も多い。

本社の脇から、弥彦山やひこやまロープウェイへの無料シャトルバスが出ている。山頂へは車でも行けるが、景色を眺めるために、今回はロープウェイで登頂。10月半ばの参拝だったが、もう少し遅ければ紅葉が綺麗だっただろう。山頂からの眺めは実に素晴らしい。越後平野や日本海・佐渡島等が一望できるが、残念ながら佐渡島は写真には写らなかった。山頂には展望台や食堂などが整備されていて、観光客やハイキング客が多い。ロープウェイの山頂駅から奥宮の御神廟までは、尾根伝いに10分ほど歩く。御神廟の鳥居の前に社務所があって、神職さんがいた。参拝者が多いんだろうか?ちょっとびっくり。御神廟は石垣に囲まれた小さな塚で、社殿等はない。御神廟からの景色も最高。

祭神の伊夜彦神は別名を天香山あまのかやま・あまのかごやま命・高倉下たかくらじ命等ともいい、尾張氏・津守氏などの祖先とされている。物部氏の祖・ニギハヤヒと同一視されることもある天火明あめのほあかり命の子とされ、尾張を平定した後、越後を平定し開拓たと伝えられている。

万葉集に弥彦を歌った歌があることから、当時すでに祭祀されていたことが分かっている、かなりの古社。越後国一宮だけのことはある。平安時代中期には、最高位の正一位を授けられ、延喜式でも名神大社に列せられているので、朝廷の信仰も篤かったのだろう。


境内案内図(クリックすると拡大します)


弥彦山全景


日本一の大鳥居と背後の弥彦山


一の鳥居

玉の橋

二の鳥居

菊祭りの準備がなされている参道


随神門


拝殿


拝殿内部

本殿

摂末社

東側の駐車場にある下諏訪神社

ロープウェイ乗り場

ロープウェイからの景色

弥彦山山頂

山頂からの眺め

御神廟への参道

鳥居

御神廟の裏側に出る

御神廟正面

御神廟全景

御神廟からの景色も最高

 御祭神は天照大御神の御曽孫(ひまご)にあたる天香山命(アマノカゴヤマノミコト)です。
 高天原より神々が天降り賜いし折にご一緒に降り、紀州熊野に住み、神武天皇ご東征の時、霊(フツノミタマ)の剣を奉って大功を立てられました。
 神武天皇が国家統一を終え、大和の橿原の宮でご即位になられた4年後に今度は越後地方の開拓経営の詔を受け、日本海の荒波を船で渡られ、はるばる越の国の野積浜にご上陸になられました。
そこで早速、漁民に海水を焚いて塩を作ることや網、釣針を用いて魚を獲る術を教えられた。さらに弥彦に宮居を定められてから蛮族を平定され、住民に稲作や酒造の術をご指導になられました。
 また、6代の御子孫も協力、継承して、越後地方の産業文化の基礎を作られました。つまり越後開拓の神と仰ぎ、この地に奉祀したのがはじまりで、その年代は詳らかではありませんが、万葉歌から推定して、今から1,300年以前であることが明らかです。社記によれば和銅4年(711)の詔により神域を拡げ、社殿を造営したと有り、この時すでに神社が創建されております。

由緒書きより抜粋

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