飛騨の口碑が、いままで公にならなかったのは不思議だと思われるかもしれないが、そうなったあとの混乱を思うと黙ってしまいたくなるだろう。
それでは、いままでの「古事記」「日本書記」がなんであったのか。
これまでどおり、「言い伝え」「伝説」「神話」の領域でおとなしくしているのなら、学者連中はいいたいことをいって生活は安泰で、人々は夢を見続けていられたのである。
夢と現実とどっちが大切なのかいうまでも無いことだが、どうも現実に目を向けたくないという心理状況がはたらくらしい。
「暴かれた古代史」は、ちまたにあるような暴露本の激しさはないが、それに匹敵するような意識改革をもたらすものを持ち合せている。
その激しさがないゆえに、縄文日本人は、ひっそりと暮らしてきたのかもしれない。
飛騨の口碑の最初の事件は、別のところでも書いたとおり、出雲族による巻き返しである。
どのように巻き返したのかといえば、宗教洗脳支配である。
国をひらいた飛騨の先祖を祀った社に出雲ゆかりの先祖にすり替えてゆくのである。
出雲地方というのは、日本海に面し朝鮮半島から近距離にあるため、大陸からの侵入者があとを絶たなかったところである。
それとは別に大陸文明の恩恵を早くから受けていたところなので、ひなびた飛騨族の暮らしぶりと比べて、自分たちの方が勝っていると思っていた。
高価なもの、金目のものを持っているひとが優れていると見るのは今も同じである。
地球の波動も弱まってきたところなので、精神文明よりも、物質文明へと転落してゆくのである。
しかも、オオクニヌシが海を渡って半島の女との間に生まれた子孫が後日上陸し、父親であるオオクニヌシが幽閉されている有様をみて、復讐を誓うのであった。
飛騨の口碑がそのまま歴史になるのは、その様な国の一大事に関わる異文化による権力闘争があったことををいい伝えているからである。
古代史研究者の多くが日本人は、渡来人であると思いこむのも、この飛騨の口碑を知らないからである。
縄文日本人の性格がいかようなものか。
大陸からきた民族とはいかなる性格のものか。
日本だけでなく全世界に生き残っている地球原住民の生き方や考え方はさほど変わりがない。
6000年前シュメールにとりついたモノ、又は文明をもたらしたある種族が、自分たちを神、選民、貴族に位置づけ寡頭権力支配をくりひろげていたとしたら、陸続きにくらす人々はその影響を必ず受けるものだ。
縄文日本人が自分たちとは別の民族、部族の人々に出会ったとき、親戚関係をむすび受け容れていったのが、古事記にでてくる以前の状況であった。
出雲に対しても同じようにしたところ、考え方が違っていたので、逆に乗っ取られそうになったいきさつが、飛騨の口碑にまざまざと伝えられている。
では、日本民族はどんな民族だったのか。
いまでもそうなのか?
現代、飛騨の口碑を理解しなければならない時期、瀬戸際にきている。◆
暴かれた古代史
二千年の涙
山本健造原著、山本貴美子著
福来出版、423頁、平成22(2010)年8月7日
福来出版(財団法人飛騨福来心理学研究所)
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