NHK理事からKADOKAWA・ジャニーズへ 異例の移籍の背景
大河ドラマ「風林火山」(2007年)や連続テレビ小説「ほんまもん」(01年)、「てるてる家族」(03年)……。NHKで数々のドラマを手がけ、理事も務めた放送人が今年、出版大手KADOKAWA、芸能大手ジャニーズ事務所に仕事場を移した。異例の移籍の理由、NHKへの思いを聞いた。
「現場に近い場所に戻った今、本当に楽しいんです」
そう言って若泉久朗(ひさあき)さん(61)は笑う。ドラマのプロデューサーや制作統括、制作局長などを経て、民間企業の役員にあたる理事を2年間務め、今年4月に退職。6月からKADOKAWAの執行役員、ジャニーズの顧問を務めている。NHK本体で理事に上り詰めた人物が、関連会社などを経ずに民間に移籍した例は少ない。
東京都新宿区出身。映画好きの父親の影響で幼い頃から黒澤明とジョン・フォード、小津安二郎の作品に親しんで育った。
「中学生の頃は『燃えよドラゴン』『エクソシスト』。日本映画がダメだった時代だけど、高校に入ると角川の『犬神家の一族』が発表され、ある意味の革新が起きました」
都立青山高校を経て東大に進学しても映画熱は冷めず、映画研究会に所属。「六法全書なんかとは付き合ってられませんから」と、三脚を持って撮影の日々を過ごした。大島渚監督らが傑作を生んだ日本アート・シアター・ギルド(ATG、のちに東宝に吸収合併)の作品などを熱心に研究した。
当然、映画監督になりたくなる。学部は法学部。「(京大の)大島監督、(東大の)山田洋次監督など、意外と法学部出身の監督は多いんですよ」
しかし1980年代前半、日本の主な映画会社で採用をしていたのは東映だけだった。しかも募集していたのは演出ではなくプロデューサー職で、「最初の2、3年は全国の百貨店に行って怪獣のおもちゃを売る仕事から始めなきゃいけないと聞き、それはちょっと……と」。
東大法学部から「ピンク映画の監督に」その時父は
そこで目を付けたのが、助監…
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