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そして動く。


「ランスが…?」


小さく篭るような声で、ヨアン国王が聞き返した。その声はまだ信じられないという疑いと、ほんの僅かな希望が見え隠れしていた。私やステイル達もヨアン国王の答えを待つように息を潜め、二人のやり取りを見守った。


「ああ、兄貴は目を覚ました。今はいつも通りだ。疑うなら…いや、そうでなくてもどうか我が城に来てくれ、兄貴も目を覚ましてからはずっと兄さんのことを心配している。」


セドリックの言葉にヨアン国王の金色の瞳が再び揺れた。ランス、とその唇が小さく動いた。…きっと、ずっと心配をしていたのだろう。彼が最後に見たランス国王は発狂し、まともに会話すらできない状態だったのだから。

暫く待ち、不意にヨアン国王から息を吐く音が漏れた。薄く、そして長い息の音だ。自分の中の蟠りを全て吐き切るようにすると、最後に初めて彼の顔から柔らかい笑みが溢れた。



「……良かった。」



心からの、安堵の言葉だった。

口元が解れ、目元が柔らかく緩んだ。セドリックも見慣れた表情なのか、ヨアン国王の笑みに息を吐き「兄さん」と彼に更に歩み寄ろうとした瞬間。


「今すぐサーシス王国に帰るんだ、セドリック。」


はっきりと、切り捨てるかのような冷たさでヨアン国王が言い放った。低い声色も交えたそれは、彼の〝兄〟ではなく〝国王〟としての威厳に満ちていた。予想外の兄からの切り替えしに、セドリックの口が開いたまま動きを止めた。何故、とその赤い瞳だけがヨアン国王に訴えている。


「この国は明日、戦場になる。…いや、もしかしたら今日にでも日を早めて攻め込んで来るかもしれない。そうなる前に逃げるんだ。」

「兄さん‼︎聞いてくれ!俺はっ…サーシス王国には戦う意思がある‼︎例えチャイネンシス王国がこのまま拒もうと俺達は立ち上がるぞ‼︎絶対にチャイネンシス王国を奴隷生産国などには」


「ッ負ければサーシス王国までもが全てを失う‼︎」


ヨアン国王の、張り裂けるような声が響いた。

セドリックから目を逸らし、己が足元に向けて放たれた。突然の大声にセドリックは身を反らし、家臣達も口元を覆った。そして


私も、驚きのあまり目を見張った。


…まさか、セドリックの言葉が跳ね返されるとは思わなかった。

ゲームでは、セドリックはフリージア王国の援軍と共にサーシス王国に帰って二人を説得し、すぐに二国は共にコペランディ王国に立ち向かう決意を固めたとあったのに。驚きが隠せず、セドリックとヨアン国王をただただ見比べてしまう。

突然声を張り上げたせいか肩で必死に息を整えるヨアン国王から、ギリッと歯を食い縛るような硬い音が鳴った。「兄さん…?」とセドリックが見開いた目のままヨアン国王に声を掛ける。

するとそれに応じるように、再びヨアン国王が口を開いた。


「ッ…、…ランスが、倒れた時。ファーガス摂政とダリオ宰相は本当によくやってくれていたよ。」


君も国を出ていたし、更にはランスの乱心はハナズオ連合王国のどの医者すら手の付けどころがなかった、あの中で。と、そう続けるヨアン国王は何処か思い出すように声を潜ませた。


「でも、気付いたんだ。我がチャイネンシス王国は、完全に君達を巻き添えにしようとしていることに。」

はっきりと言い放つその言葉で、ヨアンは悲しく笑った。その言葉にセドリックは見開いた目の焔を酷く揺らす。


「ランスを、…城から消えた君を。城の人達は皆とても心配していたよ。そして、……自国の行く先に誰もが怯え、憂いていた。」

国王が倒れては我が国はどうすれば、セドリック様は何処に、もし御身に何かあれば、国王無くしてどうやってチャイネンシス王国を救えば、と。ヨアン国王の言葉に、そう語り合う城の人達の姿が誰の頭にも容易に浮かんだ。

王族二人が一人も民の前に立てない状態。不安に思わない訳がない。


「……怖くなったよ。」


ぽつん、と一言で語られたその言葉にセドリックが息を飲むのが後ろからでもわかった。ヨアン国王を兄と慕うセドリックにとって、彼の弱音など信じられないものだったのかもしれない。

それを理解した上でか、ヨアン国王はセドリックの方を向いて静かに笑った。無理をして作るその笑みは、眼差しも口元も至る所が歪だった。


「……サーシス王国の民にまで、全てを失わせるかもしれないことに。…きっと、その時の民の絶望はランスが倒れた時の比ではないだろう。」


…そこまで聞いて、やっと私は理解した。

ゲームではランス国王が発狂するのはコペランディ王国との戦が始まった直後。でも、今回はその前に彼は乱心してしまった。

ランス国王が倒れ、揺らぎ、絶望と焦燥に染まるサーシス王国の人々の姿を彼はその目で見てしまったのだ。

きっと、ヨアン国王はその光景と敗戦後の民の姿を被せてしまったのだろう。

〝自分達は彼らをもっと恐ろしいものに巻き込もうとしている〟と、ヨアン国王が思ってしまってもおかしくはない。

更には、サーシス王国とチャイネンシス王国だけでは戦に勝てないことは誰の目にも明らかだったのだから。

ランス国王の乱心で、恐れ、怯え、苦しむ城の人々に。そして乱心してしまった親友でもあるランス国王の姿に心を痛めない訳がない。


コペランディ王国に刃を向ければ、今度はチャイネンシス王国だけでなくサーシス王国さえもが文化も国の名も歴史も全てを奪われることになるのだから。


「狙われたのはチャイネンシス王国だ。ならば、それを負うべきもチャイネンシス王国。…君達は関係ない。」

金色の瞳が光り、強い視線がセドリックを正面から突き刺した。そこにはもう自分は覚悟を決めていると言わんばかりの意思が込められていた。そのままヨアン国王が再びセドリックへ今すぐサーシス王国に帰るように言葉を放ち始めた時だった。


「〝関係ない〟だと…⁈ふざけるな。」


震えた彼の声が、今度はヨアン国王の言葉を遮るように放たれた。セドリックの肩が、拳が震え、チャラチャラと小さく装飾品が音を立てた。

突然言葉を遮られたからか、ヨアン国王の目が今度は開かれる。パチリ、パチリと大きく瞬きをしながらセドリックから目を離さない。

そして、次の瞬間にはセドリックの怒号が部屋中の人の鼓膜を振動させた。


「俺達はッ一つの国だろう⁈‼︎‼︎」


ビリビリと響き、肌の表面が震わされた。

激情とも呼べるセドリックの感情が振動となって私達にも直接ぶつかってくるかのようだった。その間もセドリックは、感情を剥き出しのままにヨアン国王に詰め寄り続ける。

一度に叫んで息が切れたのか、それとも熱を発せたからか、先程よりも幾分落ち着いた声のトーンだ。それでも彼の内側の熱は未だにふつふつと熱を帯びているのが背後にいる私達にもよくわかった。


「ッいくら文化やその名が違おうとそれは変わらん。どちらも兄貴と兄さんが守ると約束し合った自国だろう?もしサーシスが標的にされていれば兄さんは今の俺達と同じ事を望んだのではないのか。」


タンタンタンと早足で靴がぶつかりそうな程にヨアン国王に詰め寄るセドリックは、怒りを抑えるように次の言葉もまた、息継ぎの間もなく続けていった。


「巻き添えだと?それは侮辱だ。我らがハナズオ連合王国は一つ。紙の上での同盟破棄など意味を成すものか。〝自国〟の民を守ることに何の隔たりがある。」


ヨアン国王がセドリックの覇気に圧されるように目を丸くしたまま二歩後退りした。そして最後にセドリックはその強い眼差しをそのままに一度深く息を吸い上げ、言い放つ。


「兄さん。…俺も兄貴も、そしてサーシス王国の民も怒っている。〝自国〟の民を脅かし、追い詰め、傷つけようとする侵略者共に。」


断言したその口をセドリックは一度強く引き結ぶ。今にも揺らぎそうな瞳を顰め、ゆっくりとその手でヨアン国王の手を掴み、握り締めた。




「…離すものか。兄さん達を犠牲にした安息など意味がない。」




俺も、兄貴もと。そう続けるセドリックの言葉に、見開かれたヨアン国王の金色の瞳がまた酷く揺れた。歪みそうな口元を必死に強め、逃げるように顔ごとセドリックから目を逸らした。自身の白い髪の色に被さるように、その肌の色までもが次第に蒼白へ染まっていく。セドリックに握られたその手が指の先まで微弱に震えて見えた。


…迷っている。


覚悟を決めた筈なのに。

民と共に全ての気持ちを整理し終えた筈なのに。それでも、セドリックの言葉に彼は迷ってくれている。


大事な親友の代弁と、そして大事な弟の訴えに。


周囲の家臣達も皆、その惑いが伝染するかのように息を飲んだ。「国王陛下…」と小さく呟き、ヨアン国王の判断を待っている。

国民達にも方針を伝え、とうとう明日に迫ったこの時に降伏から戦線布告になど、簡単に決断できる訳がない。

彼の決断には、自国の民の全てが掛かっているのだから。

再び訪れた長い沈黙の後、ヨアン国王は震える身体を抑えるように拳を、そしてセドリックの握る手が今度はヨアン国王によって握り返された。セドリックの肩が大きく揺れる。

ヨアン国王は瞼を一度強く閉じ、顔を俯かせ、次の瞬間




強い眼差しと共に顔を上げた。




「っ、……エスモンド摂政。急ぎ司祭と、〝血の誓い〟の準備を。」

覇気の篭ったその声に摂政が肩を強く揺らし、「直ちに」と慌てた様子で声を上げた。

「兄さん…?」

セドリックが、ヨアン国王の言葉に微妙に顔を歪めながら問い掛けた。握ったその手をそのままに、願うようにヨアン国王を見つめている。

ヨアン国王は摂政が衛兵達に指示しながら駆けていくのを確認してから、静かにセドリックの方へと向き直った。


「…セドリック、他ならない君だ。その判断を信じよう。」


ヨアン国王のその言葉にセドリックの紅い瞳が、強い光を放った。息を飲み、「兄さん」と再び彼を呼ぶ。僅かな喜びと信頼を含みながら。


「ただし、…僕の意思が変わろうとも、国民の意思がそれを許さなければどうにもならない。…それだけは覚悟しておいてくれ。」


眉を寄せ、険しい表情で唇を結ぶヨアン国王の言葉に、セドリックの顔が強張った。

…そう、国王の命令だけではどうにもならないことだってある。

ゲームではセドリックが連れてきてしまった女王プライドが傍若無人に振る舞い、脅し、命令して戸惑う彼らを無理矢理動かしたけれど、今回もそうする訳にはいかない。

できることならば国民全員の承諾と協力を得ないと、守れる命も守れなくなってしまうかもしれない。…だから。


「大丈夫です。」


はっきりと、私は宣言する。惑い、再び暗い影を落とそうとする彼らに。

彼らがしようとしていることは間違っていないのだと示す、その為に。




「万が一の時は、この私が身を以て貴方と共にありましょう。」




既に、私の覚悟は決まっていた。


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