228.非道王女は訪れ、
チャイネンシス王国。
白を基調とした建物が多く並び、至る所に小さな教会や噴水広場など美しい建造物がひしめき合っている。王都ともなれば地面も土より煉瓦造りの場所が多い。
日常であれば多くの民が行き交うのであろう大通りには、今は殆ど人影がない。代わりに各教会や広場のクロスを象った像へ多くの民がひしめき合い、祈っている姿が見られた。
そして、その最たる場所がチャイネンシス王国の城だ。サーシス王国と同じく国の最南に位置された城、そこに併設された大教会は国でも最大最古の鐘が備え付けられている。そして今、多くの国民が集まり、明日の来たる時を受け、祈りを捧げていた。
「…国王陛下。今夜、そのお身体でまた民の前にお立ちになられるのでしょうか。」
兵によって部屋の扉が開かれ、そっと中に入ってきた摂政が国王に声を掛けた。部屋の窓から民の様子を眺め続ける国王を気遣うように声色を抑える。ここ何日も国王はまともに眠れない夜を過ごしていることは摂政だけでなく、城中の人間誰もが知っている。目の下のクマだけでなく、持ち前のその白髪が余計に線の細い身体の儚さを際立たせていた。
「ああ、…今の僕にはそれしかできないから。すまないけど宜しく頼むよ。」
何処か物悲しげに笑む国王に、摂政は辛そうに顔を歪めた。彼が今どのような心中なのか、その断片を知るだけでも城の人間は誰もがその心を痛めた。
無言で再び窓の外を眺め出す国王は、静かに首に下げたクロスのペンダントを握り締めた。眼差しの先も城下から更に向こうの国境へと向ける。
ハナズオ連合王国の歴史が始まってから一度撤去された筈の国同士を隔てた壁が、いま再び築かれてしまった。…何者でもない、自分の手で。
信心深い民の為に、多くの教会やクロスの象徴、祈りの場所が置かれたこの国が、明日のコペランディ王国からの侵攻後には奴隷置場を建設することになるだろう。
植民地となれば、文化は残る。変わらず民は神へ祈り続ける事はできるだろう。ただし。
〝神の下に人は平等である〟
〝我等は等しく家族であり友人〟
〝友を信じ、愛せ。家族を信じ、愛せ。弱きを信じ、愛せ。隣人を信じ、愛せ。〟
それを信条とする我が国が、奴隷を産出するなど矛盾以外の何者でもない。
きっとすぐにこの信仰も終わりが来るだろう。その時、民の怒りは何処へ矛先が向かうのか。
コペランディ王国か、ラジヤ帝国か、無力な我が国や己自身にか、……この結果を生み出した国王に対してか。
自分に全ての矛先が向けられ、そして自分のこの首をもって民の心が少しでも保たれるというのならばそれも良いと、ヨアンは思う。例え、本当の意味で彼らが救われる訳ではないとしても。
「…僕が最後に見る光景は、断頭台の上からかな。」
歴史ある自国を台無しにした愚王として。
ヨアンが小さく自分自身へと向けるように言葉を漏らした、その時だった。
「そんなことは絶対にさせません。」
突然、凛とした女性の声が響いた。
この場には女性など、誰もいない筈なのに。
まさか幻聴でもとうとう聞こえてしまったのか、それとも神の声かと考えながらヨアンや摂政達が周囲を見回し始める。すると、再び声が放たれた。
「無礼を承知の上とはいえ、突然の勝手な訪問大変申し訳ありません。国王陛下。」
同時に、突然その場に鎧姿の女性が現れた。揺らめく赤い髪を流した、鋭い眼差しの女性だ。更には殆ど同時に女性の背後に複数の人間が姿を現した。「貴方はっ…⁈」と驚きのあまり声を詰まらせたがその直後、すぐに女性の背後に佇む青年の姿に目が止まり、女性の返事よりも先に声を上げた。
「セドリック⁈何故っここに…⁈」
壁は、衛兵は、どうやってここまで、と言葉が纏まらないかのようだった。目の前の存在自体、夢か現実か判断できないように指先を震わせる。扉から声を上げた摂政により部屋に駆けつけてきた衛兵も銃を構えたが、セドリックの姿を確認した途端に惑いが生じた。
「兄さん、どうか話を聞いてくれ。」
静かに語りかける彼の声に、ヨアンは口を噤む。細縁の眼鏡を押さえ、もう片手で周囲の衛兵達に武器を下ろすようにと指示を送った。
「…援軍だ。フリージア王国が我がサーシス王国の、…ハナズオ連合王国と同盟を結んでくれた。今、サーシス王国には多くのフリージア騎士団がいる。ここまで来れたのも彼らのお陰だ。」
少し惑うように言うセドリックの言葉を、ヨアンや周囲の家臣達も一字一句聞き逃さずに耳を傾けていた。更には〝援軍〟〝フリージア〟という言葉に家臣達はざわつき、信じられないというように互いの顔を見合わせた。
その中で、国王のヨアンだけが腕を組み、唇を強く結び続けたまま射るような真っ直ぐな視線をセドリックに向けていた。
セドリックの言いたい事を理解しながらその上で、まだ享受できないようにも感じられた。
「…あと。」
ヨアンから反応が無いことに、セドリックは気まずそうに目線を泳がせる。そして、一度言葉を切った。数秒の沈黙後、その燃える瞳を真っ直ぐにヨアンへ向けた。
「兄貴は、もう大丈夫だ。」
今までで一番強く、その言葉が放たれた途端。先程まで膠着していたヨアンの瞳が見開かれ、酷く…揺れ出した。