老いた私 | tokaiama20のブログ

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 「高齢者」の定義は、65歳以上である。75歳を超えると「後期高齢者」と呼び名が変わる。この定義は、健康保険の適用条件で問題になってくる。
 65~75歳までは従来どおりだが、75歳になると「後期高齢者医療制度」の適用を受けて負担条件が変わる
 https://www.kddikenpo.or.jp/shikumi/yakuwari/koureisha/

 国民健康保険で診療を受けた時の自己負担割合は、就学前2割、就学時から70歳未満3割、70歳以上75歳未満2割又は3割。
 同一世帯に課税所得が一定所得(145万円)以上の70歳以上の国保被保険者がいる方は3割負担。ただし、その該当者の収入の合計が2人以上の場合は520万円未満、一人の場合は383万円未満であると申請し、認められた場合には、1割又は2割負担。
 申請しなければ軽減はないが、この申請と承認がかなり厄介だ。
 私は、年収が100万円以下なのだが、3割負担になっている。
 
 75歳(寝たきり等の場合は65歳)になると、それまで加入していた医療保険から外れ、各都道府県の広域連合が運営する後期高齢者医療制度に加入させられる。後期高齢者医療制度の財源は公費5割、現役世代の健康保険料からの支援4割、高齢者の支払う保険料1割で運営されることになっている。

 とまあ、ややこしい健保制度だが、私の場合は、基本的に医療を信用していないので、よほどの大事故でもないかぎり、自分から医療機関に出向くことはないので申請も放置している。
 自民党政権は、現在、老人関連予算削減のため「高齢者」の規定を75歳以上にすると言っているらしい。森永卓郎の言う「狂信的宗教集団=財務真理教」の信者団体である財務省の意向らしい。

 法律上のややこしい規定など興味はないのだが、「高齢者=老化現象」は、70歳を超えた私にしっかりのしかかってきている。
 何よりも、脳の老化現象に絶望しか感じられない。記憶力の凄まじい減退を自覚するしかないのだ。

 「老人」になると何が起きるのか?
 私の場合は、若いときのバイク脳挫傷事故の影響で、大脳萎縮と診断されていて、とりわけ海馬の劣化が著しい。
 このブログを書いた後、アップして数時間もすると、自分が何を書いたのか思い出せないのだ。

 脳の基本機能が「連想ゲーム」によることを私は知っているので、無数の連想を重ねることで、やっと思い出すこともあるし、再確認するまで思い出せないこともある。
 日常生活で、ほぼすべての単語を思い出すのを苦労するようになっている。それでもブログを書いていられるのは、まさにネットの情報網のおかげで、関連用語を検索し連想ゲームのなかで、やっと思い出すのだ。
 ネット情報バンクがなければ、私は、「タダのアホ」である。

 私は若い頃からクラシックギターを練習していたが、人前で演奏できなくなった事情も、楽譜が記憶できないためだ。ただ、今でも20代の頃覚えた少ない曲だけは、アンドレス・セゴビアのメロディとともに覚えている。最近、覚えようとした楽譜は全滅だ。
 この記憶力劣化のせいで、いろいろ辛い記憶もある。
 
 今では、何かを買おうと思い立って、店に行くと、何を買うつもりだったのか、ほぼ思い出せないので、私にとってスマホのメモ機能は絶対的な必需品である。
 それどころか、帰宅して鍵を置いても、数秒後に置いた場所を思い出せなくなるのだ。
 やろうとしたことの、ほぼすべてを直後に忘れてしまうのだから、確か落語の「大山詣」に、そんな人物が出てきたと思うが、私のことである。
 (古い記憶だけは残っている)

 私ほどでないにせよ、私と同世代の老人たちの、全員が記憶障害に苦しんでいるということが身に染みてわかる。
 数年前に登美ヶ丘高校で女生徒たちが、1970年代のディスコを再現したダンスを踊っていたが、今の70歳代の老人たちは、ジョントラボルタのサタデーナイトフィーバーやグリースに夢中になって興奮して、ジュリアナのようなディスコに駆けつけて、踊り狂っていた世代だ。

 老人施設デーサービスなんかで、70代女性を集めて、トラボルタ映画を見せてみな、フロアで、みんな踊り狂って、いっぺんに20歳くらい若返るはずだから。
 70代のバーちゃんたちが突然発狂して、めちゃめちゃキレキレのダンスを踊り始めたりするのだ。
 パルプフィクションなんて見せたら、狂喜して泣き始めるんじゃないか?
 もう老人施設ではない。そこはジュリアナなんだ。

 私は、花見会で老女たちがツイストを踊り始めたのに度肝を抜かれたことがある。
 先入観念で、浪花節や美空ひばりを流してる場合じゃないっての、トラボルタだ、ビージーズだ。せめて ビートルズやローリングストーンズなんだよ。
 私も、自分自身の恐ろしい老化現象に絶望しながらも、半世紀以上前に感動したコンテンツを視聴すると、昔のことを思い出して体が熱くなって興奮することがある。

 若い頃に興奮したことは、70歳、80歳になっても熱い思い出が蘇り、老化現象の防止に大きな効果があると私は確信している。
 あのトラボルタも、すでに70歳代だが、まだ当時の感動は死んではいない。
 もう一度、トラボルタと一緒に踊り狂えば、人生が何倍も楽しくなるはずだ。

 私の脳は、新しいことへの適応順応力を明らかに失っているのだが、その分、古いことがしっかり蘇ってくる。
 数寄屋橋で白髪を振り乱して演説していた赤尾敏や、代々木公園のタケノコ族、私が初めて参加した新宿闘争や西口フォークなんか、まるで昨日のように思い出される。

 もう半世紀以上も前のことだが、当時、自分の何が良かったのか? 何が間違っていたのか? という思い出が、「今何をすべきなのか」という問題想起につながっている。 最近では、過去の失敗ばかり思い浮かんで、やりきれない毎日だ。自分が、どれほど馬鹿だったのか、無理矢理見せつけられているようだ。

 老いるということは、もう目前に死が迫っているということで、すでに来世に向かう準備を無意識に始めている。
 生きているときに積み重ねた様々のカルマは、それを自覚した瞬間に作用が始まる。悪いことをしても、それを悪いと自覚しないかぎり、カルマは始まらない。

 だが、私の場合は、人生に良い思い出が存在しない。思い出されるのは、恥ずかしい愚かな思い出だけだ。これもカルマが作用しはじめたからと考えている。
 次の人生で、積み重ねたカルマを少しずつ還してゆくために、人生の最後で、それが意識に上っていると思うしかない。

 私が、良い思い出を作ろうとして、数千回の登山重ねたのだが、そのどれも良い思い出とはいえない。楽しさが蘇ってこないのだ。
 それは、たぶん一人で登っていたせいだろう。私は山で時間つぶしをしたにすぎなかった。

 今は、せめて来生には楽しい良い思い出を作ってみたいと思う。たぶん、それは災害や救援のボランティアのようなものかなと思う。
 今の若い人たちは、震災のボランティアに参加することで、たぶん私のように死を前にして、誇れるものが何一つないという苦悩を避けることができるかもしれない。

 私は間質性肺炎から肺線維症を発症していて、家の片付けもろくにできない。土地は広いが、ゴミ屋敷そのものだ。しゃがんで起き上がっただけで激しく息切れを起こすので、畑のプランターを移動させるだけで一大事業なのだ。

 なんで、私が命にしがみついているかというと、それは私が近所の泥棒Aや、中津川警察に受けた不愉快極まる仕打ちに、おとしまえをつけていないせいだ。
 とりわけ、私の被害申告をウソと決めつけ、私を精神異常者に仕立て上げようとした中津川警察に対しては、絶対許せないという強烈な気分があり、おとしまえをつけるまで死ねないという決意が、私の命を辛うじて支えてくれている。

 これは日弁連や警察監査機関までグルになっているので、私としては一連の事実を出版して世間に知らせる以外に手段がないのだが、なんとしても実名出版したいのだが、200万円の自費出版であっても、さまざまな障害が立ちはだかっている。
 実名出版を希望すると出版社に訴訟リスクが生じるので断られるのだ。だが、私はなんとしても実名出版でなければ、私の受けた仕打ちが癒やされることはないと考えている。

 ちょっと老化の主題から逸脱してしまったが、何せ、老化すると、自分が書いていることを次々に忘れてしまうので、思いつくままに飛んでいってしまい、支離滅裂の内容になってしまう。
 自分でも、何を書いているのか分からなくなってしまう。

 私は、この数年、臭いが分からなくなっていて、コーヒーもカレーライスも、全然臭いを感じられない。帰宅すると数秒間だけ臭うときもある。
 調べてみると、アルツハイマー認知症の初期症状だという。もう10年以上なので、初期を通り越しているはずだが、とりあえず、まだ日常生活を自分の力だけで送れる条件があるので、それほど心配はしていない。
 実父も死ぬ前にアルツハイマーの症状が現れていたので、遺伝的に私はアルツハイマーになりやすいことが分かっていた。

 私が毎日歩行による呼吸トレーニングを欠かさないのも、実は、間質性肺炎の克服よりもアルツハイマー進行の恐怖の方が大きいかもしれない。
 それに、ブログを書きながら、視力減退を強烈に自覚するのだが、山の中を1時間以上も歩行していると治癒するのだ。

 まあ、どちらにせよ、私が、あと一年以上生き延びることはないと思うが、今は、「終活」だけが問題だ。
 なんとかして、自分の土地と家、そして工具類をまだ若い人に譲りたいのだが、自分の死期を判定できないと、譲るタイミングが定まらないのが悩みだ。

 私には配偶者も同居者もいないし、友人もいない。自分の死が進行性の間質性肺炎によって確定的になったときに、あえて避けたのだ。
 だが、法的相続権利者はいるのだが、もし、私の土地を相続したなら、家屋の解体費、始末費などで最低400万円くらいはかかるので、相続放棄で対応するしかない。
 この土地の売却価格は、せいぜい200万円程度しかないからだ。

  終活 孤独死 2024年04月14日
  https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6126429.html

だが、あの世に持って行けるものを何一つ持たない私でも、誰かに人生の始末をお願いしようとすると、そこにいるのは詐欺師のオンパレードなのだ。

  2024.05.30 高齢者が詐欺の標的に…監督官庁もメチャクチャ「ヤバい制度」の悪用に「反社会的集団」が乗り出す日
 https://gendai.media/articles/-/130845

  増加する「身元保証サービス」
 全国の65歳以上の1人暮らし世帯が急増し、2001年の318万世帯が22年には873万世帯となり、1000万世帯超えが目前だ。
 血縁、地縁が薄くなっているなかでの1人暮らしの老人には、深刻な悩みがある。老人施設はもちろん賃貸住宅への入居、病院への入院の際、保証人を求められるのだが、用意できずに断られるケースが少なくない。

 そこで増えているのが高齢者の身元保証サービスで、内容は契約を結んで保証人になるだけでなく、日常生活の支援、現金や財産管理、葬儀を含む終活サービスなど多岐にわたる。
 同時にトラブルも少なくない。監督官庁があるわけではなく、免許も届け出も不要で誰でも参入できる。そこで情報弱者の老人につけ込むような価格設定や余分なサービスを付け加えて高額請求。解約を申し出ても返金されないといった苦情が全国の消費生活センターなどに寄せられるようになった。

 そのため内閣府の孤独・孤立対策室が中心となって4月19日、「高齢者等終身サポート事業者ガイドライン(案)」をまとめ、5月18日までパブリック・コメントを求めた。今後、早急に策定することになっている。

 契約締結にあたっては、「民法や消費者契約法に定められた民事ルールに従いつつ、契約の適正な説明(重要事項説明書の交付)を行うこと」とし、「寄付や遺贈を契約条件にすることは避け、遺贈を受ける場合も公正証書遺言によることが望ましい」と書かれている。

 また契約の履行にあたっては、「提供したサービスの時期や内容、費用等の提供記録を作成し、保存のうえ定期的に利用者に報告すること」や「利用者から前払い金(預託金)を預かる場合、運営資金とは明確に区分して管理することが望ましい」としている。

 どれも当たり前すぎる内容で、これがガイドラインなら事業者のモラルに期待するしかなく、確信犯的な悪徳業者ならなんなく抜け穴を見いだして突破しそうだ。
 日本弁護士連合会は5月17日、「サービス内容が多様・複雑で費用体系が明確でないためにトラブルが多く消費者保護の必要性が高い」と問題点を指摘したうえで、次のように指摘している。

 <適正化を図るためには、一般的な現行法上の制度を前提とするガイドラインを示すだけでは足りず、事業の特性を十分に考慮した法制度の整備を速やかに検討する必要がある>
 法規制しなければダメだというわけだ。確かに悪徳業者も存在する現状を考えれば、「望ましい」「重要である」といった書き方のガイドラインで防げるものではなく、刑事罰を伴うような法整備が必要だろう。

 司法書士が中心となった公益社団法人「成年後見センター・リーガルサポート」の5月17日付意見も厳しい。
 <「義務」や「禁止事項」にはほとんどふれられていないため、ガイドラインに沿った確実な運用が期待できるのか不透明である。チェックリストにチェックが入っているなら問題ないという認識であれば、現場において数多くのトラブルが発生する可能性も否定できない>

 これもガイドラインでは防げないという意見だ。何より同様の意見を身元保証サービス事業に参加している業者自身から聞けた。葬儀事業からこの分野に進出して1年目の業者である。

 「中小の業者が多く、しかも監督官庁がなく縛りもないから、みんな好き勝手にやっている印象です。利用者から通帳と印鑑(キャッシュカード)を預かっているよう業者もいて『それは止めましょう』というガイドラインで対応できるものじゃない。認知度が高く信用のあるリーディングカンパニーがビジネスをリードすればいいのですが、そうした企業もいない以上、法整備をしっかりするしかないと思います」

 監督官庁がないというのは、この種の役所仕事では致命的だ。公表された「ガイドライン(案)」には取りまとめ役として「内閣官房(身元保証等高齢者サポート調整チーム)」の名が上げられ、窓口は内閣府孤独・孤立対策室で以下に次のような省庁の名前が書かれている。
 金融庁、消費者庁、総務省、法務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省ーー。

  それだけ事業内容が多岐にわたるわけだが「ガイドラインの策定時期はいつか」という筆者のごく基本的な問い合わせに応える部署がない。結局、わかったのは厚生労働省老健局が内容のとりまとめは行うものの、今後のスケジュールを把握しているのは内閣官房副長官補室で、それも「今のところいつになるとはハッキリ言えない」という心許ないものだった。

 老人相手の犯罪といえば「振り込め詐欺」が思い浮かぶ。警告が繰り返され、何度報道がなされても被害者が減らないのは、他人との縁が薄れて孤独に沈み、あらゆる騙しのパターンを持つ連中に引っかかってしまうからだろう。そして老人にはカネがある。
 海外を拠点とした振り込め詐欺グループの摘発が相次ぎ、担当する警視庁捜査員などによると「そろそろ(振り込め詐欺も)限界に近づいた」と思う連中もいるという。

 そうした反社会的集団が、身元保証サービスに確信犯として乗り出せばどうなるか。ガイドラインの段階でもたもたしている状況ではない。
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 引用以上

 これを読むと、全世帯の半数以上を占める65歳以上の世帯、約3000万世帯に対して、反社会組織や詐欺師の魔手が迫っていることがよく分かる。
 取り締まるべき総本山の内閣府自身が、例えば、安倍政権時代、現警察庁長官の中村格が、山口敬之による伊藤詩織さんへの強姦事件を権力を使ってもみ消すという悪質な権力犯罪を行っている。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081118.html

 そんな警察が、果たして全国の老人世帯を詐欺師から守ることができるのだろうか? そもそも、マイナカード=健康保険証自体が、ハッキング詐欺師の標的になっていながら、河野太郎は責任逃れしながらマイナカードの強要を指示し続けている。
 こんな腐った日本で、老人たちの資産が守れるのだろうか?

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