閑話・アリス~新たなる希望の光~
アリスと想いが通じ合ってから、アリスを膝の上に抱えるような体勢でしばらく雑談をした。
俺の膝の上に座っているアリスの腰に片手を回し、もう片方の手はアリスと指を絡めた状態で繋ぎ合う。
そのまましばらく他愛のない話をしていると、いつの間にかアリスは眠ってしまったらしく、穏やかな寝息が聞こえてきた。
色々張り詰めていたものが解けて、ドッと疲れがきて眠ったんだろう。
少し前に見た涙を流しながらの辛そうな寝顔では無く、今のアリスは安心しきった様子で、口元には小さく笑みが浮かんでいるようにも見えた。
甘えるようにもたれかかってくるアリス……今までは煽るような事は言っても、こうして少女のように甘える事は無かったアリス。
表面がどんなに明るくても、アリスの心はきっと、張り詰めていて全く余裕が無かったんじゃないかって思う。
だからアリスが他者を求めても、心の奥にその相手が入る事の出来るスペースが無くて、結果としてそれが最後の最後で大きな壁になっていたのかもしれない。
たぶん俺は、タイミングという意味も良かったんじゃないかって思う。エデンさんの出現で、張り詰め続けていた壁に亀裂が入り、そこからアリスの心の奥に辿り着けた……そんな気がする。
そして俺に全てを打ち明け、恋人へと変わった事で、過去の自分にしっかりと折り合いをつける事が出来て、アリスの心には余裕というものが生まれたんだろう。
だから今、こうして安心しきった状態で俺に身を預けてきている。それは本当に嬉しい事だと思うし、なによりアリスが愛おしくてたまらない。
あんな辛そうな涙はもう絶対にながさせないと、穏やかに眠るアリスの顔を見ながら改めて誓った。
それにしても、気持ち良さそうな寝顔だ……良い夢を見ているのかもしれない。
それは人気の無い木造りの建物の中だった。
今ではもう記憶の片隅にしか残っていない、見覚えのあるその場所を見て、アリスはこれが夢である事を理解する。
「……懐かしいな」
そこは彼女にとって大切な思い出が残る場所……親友とコンビで冒険者をしていた頃、よく利用していた冒険者ギルドだった。
酒場と受付が一体化したようなその場所は、言いようのない懐かしさと共に、アリスの心を穏やかな気持ちにさせる。
やけに意識がハッキリとした夢ではあったが、こうして昔の景色を懐かしいと思いながら見られるのは、快人が自分の心を受け止めてくれたから……
そんな風に考えながら、室内を見渡していたアリスの思考は、とあるテーブルを見て停止する。
「……え?」
誰もいないと思っていた広い室内。その一番奥のテーブルには、アリスに背を向けて一人の人物が座っている。
灰色と黒色のツートンカラーのセミショートヘア、アリスと変わらない身長に見えるその人物の横には、身長の倍以上あろうかという、巨大な漆黒の杖が立てかけられていた。
後姿だけで顔は見えないが、アリスがその姿を見間違う筈はなかった。
何故なら、その後姿は……彼女が元居た世界で、最も長く共に居た存在のものだったから。
「……久しいな『アリシア』……いや、今はアリスであったか?」
「……イリ……ス?」
聞き覚えのある声と共に少女はアリスの方へ振り返り、微かに笑みを浮かべる。
薄緑色の美しい瞳が、昔と変わらない鋭さと優しさを混ぜ合わせたような光を宿し、静かにアリスを見つめる。
「……イリス……イリス!!」
「……ふっ」
ああ、これは夢だ。夢でなければありえない……だが、アリスにとっては夢でも構わなかった。
死んだ筈の親友との再会。その喜びに突き動かされるように、アリスはイリスに向かって走り出し、ソレを見たイリスは、微笑みを浮かべたまま椅子から立ち上がり……漆黒の杖を手に持ち『振りかぶる』。
「この……たわけがっ!!」
「ふぎゃっ!?」
そして走り寄ってくるアリスの顔面に、カウンター気味に杖を叩き込んだ。
打ち返されるように吹き飛ばされたアリスは、近くのテーブルを倒しながら倒れ、殴られた顔を押さえながら上半身を起こす。
すると、倒れたアリスに向かって、イリスがツカツカと強い足取りで近付いてくる。
「い、イリス? いきなりなにを……」
「時間はかかるだろうと、思ってはおったが……かかり過ぎだ! この馬鹿者が!!」
「ぐぇっ!? ちょっ、い、イリス?」
「何万年もウジウジと悩みおって! 全く心に隙が無いではないか!! お陰でずっと『出てこれなんだ』であろうが!!」
「え? えぇ、ちょ、ど、どういう事……これ、夢なんじゃ……」
襟首を掴まれ、大きく揺らされながら……昔のように叱られていたアリスは、イリスの告げた言葉に違和感を感じて聞き返す。
するとイリスは大きく溜息を吐き、アリスから手を離してから、近くに転がっていた椅子を拾い上げて、それに座りながら口を開いた。
「ああ、夢で相違ない……尤も、こうして貴様と会話している我は、一応『本物』という事になるがな……」
「……え? う、うそ……」
「嘘なものか。言ったであろうが、お前のような大馬鹿を一人に出来るかと……まぁ、結果としてこうして話せるまで、あまりにも長い時間がかかったがな」
「……な、なんで、ど、どうやって……」
イリスは自分が本物であると告げ、その言葉に驚愕したアリスは、どういう事かと聞き返す。
イリスは間違いなく死んだ筈。それは最期を看取ったアリスが、誰よりも分かっている筈だった。
しかしそんな言葉を聞いたイリスは、不敵な笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「ふっ、お前の行動なぞ、我には容易に予想が出来る。長年を研究に費やしたが、ついぞお前と同じ不老になる方法はみつからなんだ」
「そ、そうだよ。それでイリスは……」
「だが、その過程で一つの仮説を立てた」
「……え?」
「心具にならば、己の魂とでも言うべきものを、宿す事が出来るのではないか……とな」
「っ!?」
イリスが告げた言葉に、アリスは何度目か分からない驚愕の表情を浮かべる。
「お前が我の遺体と共に、我が心具をヘカトンケイルへ取り込むのは予想できた故、死に際にソレを施してみた」
「……な、なな……なんでそれを!?」
「なぜ言わなかったか? それは単純だ。可能性はあるだろうと踏んではいたが、確証はなかった……魂ごと己を心具に移す、失敗すれば間違いなく死ぬであろうしな……下手な期待を抱かせる事程、残酷な話も無かろう」
「……」
「そもそも我も賭けだったのだ。チャンスは一度しかない上、他者の心具を取り込める心具は、我の知る限りお前のヘカトンケイルしかない……机上の空論だった。だがまぁ、こうして無事に成功した訳だがな……」
「……じゃ、じゃあ……本当に……本物のイリスなの?」
イリスの言葉を聞いて、アリスはようやく目の前の存在が本物の親友……その魂であると理解し、震える声で確認の為に尋ねる。
「……ああ、本当に……久しぶりだな」
「イリスッ!!」
「ぬぉっ!? こ、こら、ひっつくな!?」
「イリス! イリスなんだね……う、あぁぁ……会いたかった! 会いたかったよぉぉぉぉ!!」
「……はぁ、やれやれ、本当に……しょうの無いやつだ」
弾かれるようにイリスに飛びつき、大粒の涙を流すアリスに対し、イリスは呆れたように呟きながらも……その目はとても優しかった。
そのまましばらく……いや、かなり長い時間泣き続けていたアリスは、ゆっくりと顔をあげてイリスに尋ねる。
「……うぅ……なんで、今まで……話しかけてくれなかったの? 私、私……」
「なぜか? ……それは、貴様の心がいっぱいいっぱいで、我が出られる隙間が無かったからであろうが!?」「うぇっ!?」
「貴様がさっさと我の死を割り切っておれば、もっと早くに出てこれたものを……ウジウジと、よくもまぁ……」
「あっ、うぅ……」
現在のイリスは心具に宿る存在。アリスの心に直接語りかける事は出来ても、それ以外は殆ど出来ない。
だが、今までアリスの心は一切外部を受け付けない壁を作っており、イリスもアリスに話しかける事が出来なかった。
しかし今回、快人のお陰でアリスはイリスの死をしっかりと割り切り、心に余裕が生まれた……そのおかげで、こうしてイリスは夢という形で、アリスに再会する事が出来た。
「……あの男に感謝する事だ。おかげで、こうしてお前の意識が薄い時であれば、会話が出来るようになった」
「……うぅ……カイトさん……」
「礼の言葉は直接言ってやれ……そら、夢とは短い……そろそろ目覚める時間だ」
「……え? あっ!?」
穏やかな口調でイリスが告げると、アリスは自分の体が透け始めている事に気がつく。
夢とは眠っている間ずっと見ているものではない。アリスとイリスが会話できる時間は、それほど長い時間とは言えない。
しかし、これが最後では無い……不安げな表情を浮かべるアリスに、イリスは穏やかな微笑みを浮かべる。
「案ずるな……また、いくらでも話は出来る。お前が生き続けている限りな……」
「あっ……う、うん!」
「……またこうして、夢の中で話相手ぐらいにはなってやる。また下らぬ事で悩んでおったら、叱りつけてやるから、覚悟しておけ」
「……うん……うん」
また会える。なによりの希望に満ち溢れたその言葉を聞き、アリスは涙を流しながら何度も頷く。
そして目覚めていくアリスを見送りながら……イリスは優しい声で告げた。
「……おめでとう、アリス。どうか、幸せになってくれ……それが、こうして再会できた我の、新しい願いだ」
【祝・300話】
シリアス先輩「どういうことだ! 閑話はシリアスって約束じゃないのか!?」
【そんな約束は無い】
シリアス先輩「……もうやだ……」