小学生のとき、「将来の夢」を発表させられた。
「夢はこれといってありませんが、お酒をたくさん飲んで大声で騒いでその辺にゲロを吐くような大人にはなりたくないです」
そんなようなことを言った記憶がある。先生の反応は冷ややかだった。
だか幸いなことに、数十年経った私は騒ぐこともゲロを吐きちらすこともなく、お酒を楽しめている。
「なりたい自分」「理想の自分」を目指すことは尊いが、ともすれば具体性が乏しいただの願望で終わってしまう。
その点「こうはなりたくない」は、大きな進歩は生まないかもしれないが、具体的でモデリングしやすく、実行も比較的容易だ。
いまの自分が子どもの頃に思った「なりたい自分」かといえば、強くイエスとは言えない。でも「なりたくない大人」ではなさそうだ。ならば及第点。ぼちぼちな年の取り方をしてると思いたい。