渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

江ノ島なのに観光客がいない…「謎の埋め立てエリア」でも必要不可欠な理由があった

2024年10月31日 | open

江ノ島なのに観光客がいない…
「謎の埋め立てエリア」でも
必要不可欠な理由があった


鎌倉時代の1213年、三千騎
を率いて我が一門が駆け付
けた浜。
稲村ヶ崎が難所だったが海
を渡って由比ヶ浜に攻め込
み、幕府の喉元で鎌倉市街
戦まで展開した。

しかし敗北。
ある者は海上を房総まで逃
れ、ある者は西行して落ち
た。
捕えられた将兵たちの首は
無数に境川の川岸に並べら
れた。私の入学した小学校
の横を今も流れる川だ。
鎌倉御家人だったが叛乱に

呼応して決起した。理不尽
な扱いを受けたが故の謀反
だったが、それに応じるの
は「義」である。武士の存
在の根幹。一命を賭して義
を全うせんとするは武士の
道理だ。武士以外にはそれ
は無い。

その120年後の1333年、新田
義貞は鎌倉攻めをして幕府を
滅ぼした。

やはり稲村ヶ崎が難所となり、
潮が引くのを見計らって進軍
した。

私が幼い時に東京から湘南に
転住したのはたまたまの偶然
だが、それも何かの縁だろう。

武州に生まれ相州で育つ。
そしてまた武州に戻った。
江ノ島から鎌倉までの海岸線
は思い出深い土地でもあるが、
私にとっては目に見えぬエニ
シがある。

高校時代には、私の演出で自
主製作映画のロケをこの海岸
一帯で敢行した。実存主義作
品だった。

高校の文化祭上映で作品を観
た東大生がフィルム貸し出し
を希望し、翌年の東大本郷五
月祭の期間中東大で上映され
ていた。

東大生たちにはなかなか好評
だったようだ。

上掲の本動画は、地質学的見
地からも当該海岸域の歴史的
変遷にもメスを入れており、
なかなか良動画。

ただ、相州伝の刀剣が浜砂鉄
から作られたかというのは、
学術的には確定されていない。
五郎正宗に代表される鎌倉の
刀剣は、全くそれらとは異な
る鉄原料からの製作かも知れ
ない。非常に炭素の偏在が見
られる仕上がりの刀剣である
のは、意図的に美観から現出
させたものではないだろう。
また、単に硬軟の鉄を合わせ
鍛えたというだけではない要
素も垣間見せているのが相州
伝の特徴だ。
国宝クラスの刀剣を切断分解
解析する訳にはいかないので、
今もって不明な点は多い。
そもそも、その時期の古刀の
製作方法は現在のところ一切
解明されていないのが現実だ。
現行、日本刀の製作方法は
江戸幕末期に復元された想定
想像仮定の手法による日本刀
製作であり、材料からして古
刀期、ましてや平安鎌倉期と
は全く別物であるのは確かな
事である。
今の現代日本刀は、一部の刀工
を除いて、全て全員幕末想像
復元製法に依るものだ。
日本刀は鎌倉の前に備前あり。
備前の前に山城あり。山城の
前に大和あり、だ。
原料の磁鉄に関しては遠隔地
ではなく生産地地元付近の物
を使っただろう事は想像に難
くない。
だが、相州物が浜砂鉄を原料
としたとは限らない。






 

 

 

 


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