ルナマリアさんの母親が来るらしいよ
土の月18日目の朝、俺が朝食を食べに食堂へ向かおうとした時、アリスが現れた。
「カイトさん、すみません……私、今日は六王の集まりがありまして、ちょっと出かけます」
「え? ああ、やっぱそういう会議みたいなのがあるんだな」
「あ~いえ、不定期なんすけどね……時々招集かかるんですよ。流石に分体向かわせるのもアレなので、本体で行ってきます」
「分かった」
コレでもアリスは魔界の頂点である六王の一角。普段からは想像もできないが、やっぱり色々忙しいんだろう。
なんだかんだで、いつでもアリスが護衛についてくれているというのは、非常に大きな安心感があるわけだし、いざ一時的に護衛から外れる事を宣言されると、少しだけ不安にもなる。
「あっ、大丈夫ですよ。私が居ない間は代わりが護衛につきますので」
「……代わりっていうと、前についてくれた伯爵級の?」
「ああ、いえ、初めはそうしようと思ってたんすけど……意外な方が護衛を引き受けてくれたので、そっちに任せる事にしました」
「……意外な方?」
「ええ、一応試しに、リグフォレシアに行ってた時の三日目についてもらいましたが……全く問題なさそうなので、その方に任せますよ」
「ふむ……で、誰?」
「内緒です」
「なんでっ!?」
以前アリスが外していた時のように、伯爵級の高位魔族が護衛についてくれるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
誰かが気になって尋ねてみるが、アリスはどこか楽しそうに内緒だと返してきた。
「いや、それは気付いてからのお楽しみって事で……じゃ、行ってきますよ~」
「あっ、アリス! ちょっと待った!」
「ふぇ? どうしました?」
「あ、いや……ほら」
ビシッとわざとらしい敬礼をして去っていこうとしたアリスを呼び止め、マジックボックスからフルーツスティックを取り出して渡す。
「どうせまたロクに食べて無いんだろ……」
「カイトさん……くぅ~、やっぱりなんだかんだいって優しいすから! このこの、実は結構私の事愛してますね――ふぎゃっ!?」
「さっさと持っていけ」
「は~い……では、行ってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
相変わらずの様子だったが、何ともアリスらしいと言えばアリスらしい……そんな事を考え、苦笑しながらアリスを見送った。
奇妙な事に、普段と違う事態というのは連続するもので、朝食を食べ終えた後……一人様子のおかしい人物がいた。
「……」
「あの、リリアさん……ルナマリアさんは、さっきから何をしてるんですか?」
食堂に集まっている俺、葵ちゃん、陽菜ちゃん、リリアさんの四人の前で……先程からルナマリアさんが食堂の中を行ったり来たりしていて、どうにも落ち着きが無い感じだった。
その事をリリアさんに尋ねてみるが、リリアさんも不思議そうに首を傾げる。
「さぁ? ルナ……どうしたんですか?」
「あっ、お嬢様……い、いえ、実は……つい先ほど、母からこちらに来ると連絡がありまして……」
「そうなんですか? 珍しいですね」
「え、ええ……何か、大事な用事があると……」
普段の飄々とした雰囲気では無く、ルナマリアさんは心配そうな表情でオロオロとしている。
ルナマリアさんがお母さんの事を大切にしているのは、俺だけでなく葵ちゃんや陽菜ちゃんも知っている。
毎日昼食はお母さんが作ったという弁当を食べてるし、仲の良い親子なんだと思う。
「ルナさんの、お母様ですか?」
「噂は聞いてましたけど、興味ありますね!」
葵ちゃんと陽菜ちゃんも詳しくは知らないルナマリアさんの母親に興味があるみたいで、落ち着きなく視線を動かしているルナマリアさんに声をかける。
「え、ええ……私も皆様には、いずれご紹介しようとは思っていたのですが……少し、重大な懸念があって、迷っていました」
「重大な懸念? なんですか? ルナ?」
「……ミヤマ様に紹介したら……母が『手篭め』にされるんじゃないかと……」
「……ちょっと、ルナマリアさんの中で、俺がどういう人物評価を受けてるのか、小一時間ぐらい問い詰めたいんですけど……」
言うに事かいて、何言ってるんだルナマリアさんは……というか、本当にこの人の中で、俺はどういう存在だと思われてるんだ?
「いやいや、娘の私が言うのもなんですが……うちの母親はチョロいですよ。昔から病弱で、若干世間知らずな所がありますし、父が死去して50年あまり……私がしっかりと職について、寂しさを感じている筈です。それがミヤマ様に遭遇なんてしたら、親子共々容易に籠絡されますよ……考えるだけでも恐ろしい」
「……おい」
なんとなくだが、ルナマリアさんの中では……俺はどこかの色欲大魔王みたいに思われているらしい。
「……ルナは本当にお母様の事を大切に思ってますからね」
「よく、話してますよね。世界で一番大切な存在だって」
ルナマリアさんの反応に俺が呆れていると、リリアさんがどこか微笑ましげに告げ、葵ちゃんがその言葉に反応する。
そしてその言葉を聞いたルナマリアさんは、少しだけ落ち着いた様子で……普段は中々見る事が無い、心から大切な存在を思い浮かべるような、そんな優しい微笑みを浮かべる。
「……ええ、母は昔から体が弱くて……それなのに私を育てる為に、身入りの良い冒険者をしたりしながら、女手一つで私を育ててくれました。生活も大変なのに、苦しそうな顔なんて一度も見せず、私を魔法学校にも通わせてくれて……」
「……良いお母さんなんですね」
「はい。私の自慢の母です……ちょっと抜けてる所もありますが、本当に世界で一番大切な存在です……少しでも楽をさせてあげたいんですよ」
ルナマリアさんにとって母親は、何物にも代えがたい大切な存在……それは、今のルナマリアさんの表情と優しい声から伝わってきた。
ルナマリアさんがここまで尊敬して、大切に想っている母親……どんな人なのかと、興味が湧いた。
そして少ししんみりした空気になっていると、陽菜ちゃんがどこか重々しい口調で口を開く。
「……けど、ここに来るって事は……快人先輩とも会いますよね」
「会わせたくないっ!!」
「ちょっと……落ち着いて下さいルナ。別にカイトさんと会ったからといって、お母様がカイトさんをどう思うかなんて分からないんですから……」
「そ、そうですよね……別に、ミヤマ様と会ったからといって、母が恋に落ちるなんて事は……」
頭を抱えて俺に母親を会わせたくないと叫ぶマザコンに、リリアさんが穏やかにフォローを入れる。
俺としては非常に釈然としない気持ちだったが、とりあえずコレでルナマリアさんが落ち着いてくれるなら……
「……でも、快人さんですよ?」
「……快人先輩ですよ?」
「絶望的なまでの説得力!?」
「ルナっ!? し、しっかりして下さい……大丈夫です。私はルナの味方ですよ」
「う、うぅ……お嬢様ぁ……」
釈然としない……物凄く釈然としない。ルナマリアさんだけじゃなく、葵ちゃんに陽菜ちゃんも、一体俺をなんだと思っているのか……
床に膝をついて絶望的な表情を浮かべていたルナマリアさんの背中を、リリアさんが優しく撫でながらフォローを入れる。
するとルナマリアさんは追い込まれた様子で、目に涙を浮かべながらリリアさんの方を振り返る。
「じゃ、じゃあ……もし、仮に私が母はミヤマ様には渡さないって、ミヤマ様と敵対する事になったら、お嬢様は私の味方を……」
「……」
「何で目を逸らすんですか!? 女の友情より、惚れた男が――むぐっ!?」
「い、いい、いいかげんに少し落ち着きなさい!!」
何かを叫びかけたルナマリアさんの口を抑え、リリアさんは何故か顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
そして少しして、僅かに落ち着きを取り戻したルナマリアさんは、葵ちゃんと陽菜ちゃんの方に視線を向ける。
「く、クスノキ様とユズキ様は……」
「ごめんなさい。どっちかというと、私は快人さんの味方です」
「右に同じです」
「味方なんていなかったっ!!」
ルナマリアさんは両手で頭を抱えてうずくまってしまう。
そもそもの大前提……俺がルナマリアさんの母親をどうこうするというのがおかしい気もしたが、呆れ過ぎて突っ込む気力も湧いてこない。
なんて言うか、朝っぱらから慌ただしいというか何と言うか……お茶飲みたいな。
「どうぞ」
「ありがとうござい……ま……す?」
「こちらは、クッキーになります」
「……あの……」
「はい?」
「……何で居るんですか? アインさん?」
「今日一日、シャルティアに代わり、カイト様の護衛をしております。御用の際はなんなりとお申し付けを……」
「そ、ソウデスカ……」
ごく自然な動作で俺の前に紅茶とクッキーを置き、一礼して姿を消すアインさん。
え? なにこれ? アリスの言ってた代わりの方って……アインさんなの!? いやいや、ちょっと待って、お願い本当に待って……色々あり過ぎて頭が追いつかない!?
なんていうか、今日一日……大変な事になりそうな気がする。
拝啓、母さん、父さん――本当に次から次へと想定外の事態が舞い込んでくる。まだ朝なのにコレとは、本当に今日がどうなるか不安でいっぱいだ。と、ともかく、今日リリアさんの屋敷に――ルナマリアさんの母親が来るらしいよ。
【悲報】既に会ってる。
しかし、親子共々容易に籠絡……親子共々籠絡……親子共々……あれ? 何か本心が垣間見えたような……ルナマリア、実は結構快人の事好きなんじゃ……