そして約束する。
「我が国の者です。国王陛下が乱心と聞き、この者の力を借りました。この者の特殊能力は我が母上すら知り得ません。どうか、この事はご内密に願います。」
なんと、と驚くランス国王が改めて今度はアーサーに御礼を言ってくれた。特殊能力者とは凄まじいものだ、と呟きながら思い出すように一人首を捻る。
「だが、…何故私は乱心など……?」
聞けば、本人も記憶は無いらしい。コペランディ王国に期限の短縮を言い渡された後にどうすべきか悩み、そこから記憶はプッツリと途切れていると。まぁ既にストレスの渦中にいたのだし突然発狂っていうのも、ないことは無いのだろうけれど。
でも、アーサーの能力で正気に戻すことはできても、ここまですっきり元通りになっているのは少し不思議だ。一度正気に戻ってセドリックと話ができるくらいにまでなって、フリージアの援軍を知ればきっと。…と思っていたのだけれど。
それどころか目を覚ましてから戸惑うことはあっても再び発狂する素振りすら見せない。むしろ状況の理解も早いし、そこから見事にどっしり構えていらっしゃる。
まさかアーサーの特殊能力はそういうストレスや一部の記憶すら取り除いて安定させてくれるとか。…いや、それなら四年前、叙任式後の祝会でアーサーと握手を交わしたであろうジルベール宰相があんな暴挙に出ることもなかった筈だ。〝病〟の詳しい定義は前世でも詳しくなかったし、この世界では細かい分類分けすらされてないからよくわからないけれど、一度正気を取り戻してしまえばここまで完璧に復活できちゃうものなのだろうか。根本的原因が解決しなければまたすぐ同じように正気を失ってもおかしくないと思ったのだけれど。
それにゲームでは今の状況プラス、フリージアに裏切られたことで発狂した筈なのに何故その前にこんな事態になったのか。フリージアに裏切られる以上の衝撃的な出来事でもあったのか。それとも単にセドリックが帰ったことを確認しただけで安定したとか?いやでも今の様子だとそんな感じでも…。
それに、ゲームとタイミングが違うのも違和感がある。今までだって騎士団の襲撃やマリアの死ぬ日、レオンが陥れられる日だってずれたことはなかったのに。
「知らん、俺様が聞きたいくらいだ。」
ランス国王の手からやっと解放されたセドリックが自分の髪を整えながら兄を睨む。そのまま腕を組み「ファーガスやダリオや皆にも心配を掛けたんだ、ちゃんと後で詫びろ」とランス国王に言ったら「お前にだけは言われたくないわ、放浪王子が。」と言い返されていた。
「とにかく、フリージア王国の力を借りれるのならば心強い。明日の早朝にでも私から直接チャイネンシス王国に話を通す。一方的な同盟破棄などで許すものか。…ハナズオ連合王国を終わらせはしない。」
ゆっくりと告げられたランス国王の言葉に、私も強く頷く。その通りだ。私だってそんなの絶対に許さない。
「ええ、私もそう願っております。四日後には我が騎士団と共に援軍に向かいます。どうぞ、それまでにお備え下さい。」
御体調も含めて。そう私が付け足すと、国王が深々とまた頭を下げた。頬や腕が窶れてはいるけれど、身体中から迸る覇気からしても心配はなさそうだと感じさせる。それにしても…
国王の状態が〝この程度〟で本当に良かった。
ゲームではランス国王の絵は無く、声だけの演出だった。一年後であるゲーム開始時にはセドリックの口から「もはや骨と皮だけの状態」と語られていた。セドリックルートではお決まりのご都合展開でラストにはランス国王が目を覚ます演出があったけれど。
今のランス国王は少し窶れてはいるけど、身体も健康そのものだし身体つきもガッシリして、何よりセドリックを片腕で捩じ伏せる程には力も有り余っている。これなら充分四日後には全回復してくれていそうだ。
「プライド、ステイル第一王子殿下。」
名を呼ばれ、振り返るとセドリックが少し目を萎らせて私の方を見ていた。なに?と尋ねると少し言いにくそうに私から目を逸らし、そして再び真っ直ぐと向き直った。
「…礼を言う。何から何まで、頭が上がらない。」
静かに潜めた声の後、セドリックが自分から私達に深々と頭を下げた。ジャラッとまた彼の装飾品が音を立てる。
「……一つ、良いかしら。」
頭を下げたままのセドリックにそっと尋ねる。少し驚いたように顔を上げ、なんだと短く返事が返ってきた。
「四日後、我が騎士団がサーシス王国に訪れる迄の間。…貴方には課題を与えます。」
静かに伝える自分の声が、僅かに低くなっているのを感じる。それに応えるようにセドリックが顔を上げ、整った顔を引き締めながら「何でも言ってくれ」と答えた。私達を横で見守っていたステイルも硬い表情でじっとその視線を刺すように向けている。
私は少し溜めを作った後、ひと思いにセドリックの肩を両手で掴む。ガシッと指先に力を入れてしっかりと彼の燃える瞳を睨んだ。これから私が言うことが冗談だと思われないように。
セドリックの肩が大きく上下し、顔が一気に強張った。今までも同じような風に私に怒鳴られたり倒されたりしているから当然だ。私は部屋から声が漏れないように細心の注意を払いながら息を吸い、そしてはっきりと言い放つ。
「勉強なさい…‼︎」
「………?…。…なん…だと…⁇」
私の言葉に意味がわからないといった様子でセドリックが眉をひそめる。強張った表情のまま、顔が固まっていた。理解しない彼に、私は言葉を重ねる。
「防衛戦に関して、ありとあらゆる知識を今から死にもの狂いで学びなさい。戦術でも武器でも罠でもとにかく何でも良いから学びなさい。第二王子の貴方の力が必要になる可能性は決してゼロではないのだから‼︎」
殆ど息継ぎの時間が惜しい程にセドリックへ捲したてる。顔の力が次第に抜けて、訝しむような表情で「それは…予知か⁇」と尋ねられたから「それ以前の常識よ‼︎」と叱り付ける。今の彼ではまた戦場でどんな暴挙に出るかわからない。本来ならばたかだか三、四日の勉強でどうにかなる訳が無いし「何もするな」と怒鳴りつけられても仕方ないレベルだ。ただ、彼ならと。確信をもってそう言えるから。
私が「あとちゃんとお兄様のっ…国王陛下の言う事を聞いて!良いわね⁈」と言い聞かせると未だに訳がわからない様子ではあったけれど「わかった…」と頷いてくれた。
目の前で第二王子を叱り付けてしまい、ランス国王が気を悪くしていないかと目を向けると、すごく驚いたように目を丸くしたままパチクリさせていた。…怒ってはいないようだけど、若干引かれたかもしれない。第一王女がこんな乱暴だったら引くに決まっている。急いで国王に謝ったけれど「いえ、こちらこそ…」と言ったままそれでも目が丸い。…段々恥ずかしくなってきた。
「それでは、そろそろ僕達は失礼致します。どうぞ、重ね重ね今夜のことは御内密に。」
ステイルが私の危機に気づいてか、気を利かせて話を切ってくれた。そのまま私と、そして私達から一歩離れたところで待っていてくれたアーサーに手を差し出す。その時だった。
「!待ってくれ。」
セドリックが少し慌てたように足を踏み出してアーサーの方へと駆け寄った。視界が狭い上にセドリックに突然飛び出されてアーサーが半歩ほど後退る。それでもセドリックは構わずアーサーの目の前まで近づくと、慌てた様子のアーサーの両手を自分の両手で握った。
「この度は本当に感謝する。何者かは知らんが…ん、この手はやはり男のものか?背丈も随分高いと思ったがまぁ何でも良い。貴方のお陰で兄貴が助かった。今後何かあれば遠慮なく俺を尋ねると良い。望むならば俺の直属の臣下にしてやる。」
早口でつらつらとロープ越しのアーサーに語るセドリックに途中から頭が痛くなる。いやその人は私の近衛騎士なんだけれど。
正体を知らないとはいえ、どうして第一王女の前であっさりとスカウトしちゃっているのか。アーサーの特殊能力を知ればどの国だって欲しがるに決まってる。それを防止する為に正体を隠しているというのにこの人は。
私の横でステイルが少し可笑しそうに苦笑いしている。更にはそのまま背後を振り返って「大丈夫です、これは未だ良い方ですので」と言うから何かと思えば国王が頭を抱えて肩を震わせていた。完全に怒っている。噛み締めた歯から「本当にっ…申し訳ない…‼︎」と謝罪が溢れてきた。多分、声を出しても良い状況だったら完全に怒鳴っていただろう。
その間もセドリックの猛攻が続く。
「貴方が女性でないのが残念だ。もし女性であれば俺の妻にしてもっと良い思いをさせてやれたものを。だが、本当に感謝している。直接目を見て名を呼べないのが心残りだがー…!そうだ。」
ローブ越しでも分かる程にドン引いたアーサーの手を強く握ったままだったセドリックが、突然思いついたようにその手を緩めた。やっと解放されたアーサーが更に一歩後退りする間にも、セドリックは全く気にしない様子で自分の右手中指に嵌められていた金色の指輪を一度に二つ一気に引き抜いた。
そのまま狼狽えるアーサーの手を無理矢理掴むとその手に指輪を強引に握らせた。
「礼としては少ないが、貰って欲しい。必要ならばこの戦が終わった後にいくらでも用意させよう。この恩を返す為ならば貴方の望みを何でも叶える。是非また我が国に」
ボスッ!と。
突然セドリックの後頭部に枕が衝突した。振り返ればランス国王が自分の背もたれになっていた枕を放った直後だった。
「いい加減にしろ、セドリック。これ以上余計な恥を晒すな。」
怒鳴りたい気持ちを必死に抑えながら国王が顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せる。更には私とステイルに改めて謝ってくれた。こんなに重ね重ね謝らせてしまい、国王が少し不憫だ。
「何を言う⁈誠心誠意これ以上なく礼を尽くしているだろう⁉︎」
セドリックは頭を押さえながら「心配せずとも背丈からしてフリージアの王族の者ではない!」と言い放った。どうしよう、色々つっこみたい。
それでも国王に言われるままにアーサーに御礼を言って引こうとした途端、今度は逆にアーサーに腕を掴まれた。指輪を手に必死にセドリックへ返そうとしている。身振り手振りや何より全身から「こんなもん貰えません!」と意思表示している。でも、それで引いてくれるセドリックでもない。
「いや、貰ってくれ。本当はこれでも…俺の両指を捧げても足りんくらいだ。もしこれが無礼だったのならば謝ろう。だが、……今の俺にはこれくらいしかできん。」
指輪を返そうとするアーサーの手に片手を添え、静かに降ろさせた。少し複雑そうな笑みを浮かべ、ローブ越しのアーサーには見えていないだろうけど、その静まった声色で十分に伝わったようだった。
「…セドリック・シルバ・ローウェルの名において心より感謝致します。名もなき救世主殿。」
小さく、今日一番の潜める声でセドリックは確かにそう囁いた。
茫然とするアーサーに今度こそ背を向けると、今度は私とステイルに向かって頭を下げた。
「プライド、ステイル第一王子殿下。貴方方にも心から感謝を。…全てが終わった時に必ず正式に御礼をさせて頂きたい。」
心から感謝を示してくれるセドリックに、少し喉の奥がつっかえた。
本当は、彼に書状が届いた昨日の時点でステイルとアーサーにお願いすれば国王の部屋まで駆けつけられたかもしれない。
そうでなくても、ステイルや病を癒す特殊能力。そして騎士団の先行部隊の話をしてあげればもう少し心落ち着くことができたかもしれない。…でも、私は言わなかった。
同盟が決まるまでは、我が国の特殊能力者については無暗に話せない。万が一にも罠やスパイの可能性を鑑みての決まりだ。…私は彼の国の真実をちゃんと知っていたのに。
だから、昨晩は彼と居た。
何も知らされず、この後の見通しも何もわからずただ時間が過ぎていく彼は、きっと生きた心地がしなかっただろう。
〝ごめんなさい〟の言葉を飲み込んで、彼からの感謝に黙って頷いた。今、この場で私がそれを言うのは卑怯だ。どう見ても彼が許さなきゃいけない場面でそれを言っても本当の意味での謝罪にはならない。
だから、私は代わりに行動で示す。
「…四日後、必ず来ます。我が同盟国を…〝ハナズオ連合王国〟を守り通す為に。」
私の言葉に、今度はランス国王も目を見開き頭を下げてくれた。
私達からも一礼すると、ステイルが私とアーサーの手を取った。
視界が一瞬で切り替わり、瞬間移動する。
視界が切り替わる直前、セドリックの燃える瞳が真っ直ぐと私に向けられていた。