ごぶさたです。
SNSでこんなのを見ましてね。
ちなみに、Rayの現代貨幣理論入門でFiscal Spaceに触れられている部分は「財政上の制約」と訳出されている部分と思われます。 pic.twitter.com/UnJXAhH3BZ
— GiGi (@gigir) January 18, 2022
まあRayって誰?というのは置いておいて(Wray)、財政スペース(fiscal space)という言葉について少々。
あとこの画像の箇所、原書で「財政上の制約」と訳出されている部分って、 financial constraints (財政制約)って書いてあるんですよね。。。
いったいどうしてそれを「Fiscal Spaceに触れられている部分」と考えてしまう人がいるのか?
日本語の日常会話でときどき思うのですが、スペースという日本語ってしばしば space と真逆のニュアンスになっている。
これはちょうど、「コップに半分だけ水が入ってる状態を見て、楽観的な人は『まだこれだけ入っている』と感じ、悲観的な人は『もうこれしかない』と感じる」という話と似ています。間違いではない。
上の人は、てっきり「スペースの話なんだから『限定される』という話に違いない」と、金ぴか本からそれっぽい日本語を探して「Rayの現代貨幣理論入門でFiscal Spaceに触れられている部分は「財政上の制約」と訳出されている部分と思」うに至ったわけですよね。
(そうじゃないのに)
ところが space は普通はむしろ「制約されていない白紙の部分」の方をまイメージするものなんですよ。スペース・オデッセイ、とかね。
ガクモンの世界なら「空間」で、ベクトル空間、函数空間、三次元空間、ユークリッド空間。
文系用語だったら、言語空間、ですかね。
言語空間は文字通り「言葉で表現できるすべてのこと」という意味です。
ヴィトゲンシュタインの有名な言葉を引用するまでもなく、言葉で語ることができないものを言葉で語ることはできない。
そこにはもちろん言葉という制約はあるけれども、言葉は自由なわけですね。
さて、では「財政スペース」は?
円という通貨限定の話であれば「円で売られているものすべて」がそれに当たるでしょう。円で売られないものを円で買うことはできないから。
「デカルト空間で考えて云々」というときに、念頭に浮かぶのは「よーし、これから自由に考えるぞ!」の方であって、「座標の制約の範囲でしか考えられないのね!」ではないんですよ。
その通貨で買うことができるあらゆる商品を、ぜんぶ財政支出の対象として考える。
これが「財政スペースを考える」という言葉の意味なんですってば。
ふつうはね。。。
けれど日本語だとスペースは「スペースがない...」とか「限られたスペースで...」という文脈で出てくることが多い。
上の人も、だからついつい「財政が制約される話」が書かれている部分こそが「fiscal space について触れられている部分に違いなかろう!」と思った。
ま、よくある話です。
ご参考→