菊池誠による「福島安全論」の誤謬 (その2)
はじめに
先日「福島安全論」に欠けている原状復帰に関する観点を指摘する記事を書いたが、付け加える形で続きを書いていく。
放射線防護の原則
放射線防護の観点から前回とりあげた「原状復帰」の必要性の根拠となる話を書いていく。
正当化
放射線防護の原則として最初にあげられているのが「正当化」である。
放射線防護の原則の1つ目は正当化です。放射線を使う行為は、もたらされる便益(ベネフィット、メリット)が放射線のリスクを上回る場合のみ認められるという大原則です。
正当化は「放射線を扱う行為」に対してのみ適用されるものではなく、被ばくの変化をもたらす活動全てが対象となります。別の言い方をすれば、計画被ばく状況だけではなく、緊急時被ばく状況及び現存被ばく状況にも適用されます。例えば、汚染地域の除染を検討する場合にも、正当化が求められます。
「正当化」と言っても難しいことではなく自分の意に沿わないもの、自分の利益にならないものについては不当なものとされる。社会に生きていれば理解できるはずの当たり前のことである。
放射線として引き合いに出されるのが医療被曝であるが、医療被曝はリスクがゼロというわけでなく被曝を伴う検査でそれ以上の便益を得られるから正当性のある行為だと見做されている。
福島の原発事故で汚染が起こった地域で事故前より線量が高くなって増えた被曝についてはこの「正当化」の原則からすれば住民にとって何の便益もないものなので、この増加分については正当化されない不当な被曝であるというが原則的な結論である。これが火山の噴火のような純粋な自然現象で振り撒かれたものでなく原発内で管理されていたはずの核生成物であるという視点も重要である。その不当な被曝であることを前提に解決策を議論しないといけない。「福島安全論」のように大した汚染でないから飲み込んで妥協しろという主張はこの原則に沿わないものでまさに不当な抑圧そのものである。
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