菊池誠による「福島安全論」の誤謬(その1)
はじめに
福島第一原発事故から13年以上を経過した。原発から放出された放射性物質が広範囲に拡散し汚染された。除染作業は続けられていて避難指示が解除される地域がある一方で、いまだに放射線量が高いままの帰還困難区域が残っている。その中で菊池誠や林智裕らにより「福島は安全だ」と繰り返し、それに反するような発言を「放射能デマ」と断じて非難することを継続しており、一部ではネットリンチとも言えるような状態になることもある。しかも原発の是非という国や東電の責任と放射能汚染を切り離すようなことまで書いている。
https://x.com/kikumaco/status/1822912452209811743
結局、原発の是非と放射線影響問題とを切り分けられない人々が風評加害者・放射能デマ発信者になるんだよなあ。
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) August 12, 2024
また菊池は自主避難者について以下のように発言するなど福島県内の放射性物質による汚染を矮小化しているがこれが正しくないことを以下に述べる。
自主避難は東電原発事故が残した大きな問題のひとつで、たぶん今でも3万人くらいが自主避難中ではないかと記憶します(数字は違うかもしれません)。…
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) August 14, 2024
東京電力は原状回復義務を負っている。
原発事故は明らかに人災であり原発から放射性物質を拡散させて周囲の土壌を汚染させたのは国と東京電力による明確な不法行為である。国と東電により除染作業は進められているがまだ十分に除染がされず線量が事故前の水準に戻っていないところは多くある。線量が事故前の水準に戻っていない場合に、被災者(被害者)が取りうる対応は以下の二つとなる。
原状回復を希望しないなら
事故前の水準まで放射線量が下がっていないにも関わらず原状回復を希望しないというは事故前より高い線量を受け続けることをリスクとして捉えずに将来にわたって受容するということである。あるいは追加の除染作業をするだけのメリットがあると考えられないということもありうる。いずれにしても自分の所有する土地への放射性物質による汚染について国や東電に対してこれ以上の責任を問わないということになる。
原状回復を希望するなら
放射性物質による汚染は不法行為によるものであるから原状回復を要求することは被害者の当然の権利である。これは汚染をリスクと考えてる場合もあれば不動産価値の低下を損失と考える場合もあるが、いずれにしても何らかの形で原状回復を要求することになる。もし東電からこれ以上の除染が困難であると言われたらどうするだろうか。その場合には国や東電からの補償をもとめることになる。放射性物質による汚染を損失もしくはリスクとして捉えるかどうかで被災者が個々に選択するものである。
まとめ
菊池らによる「福島安全論」は他の地域とは何も変わらないということを述べているが、それはもはや除染作業をして原状回復をする必要はないしそれを求めていけないということを意味する。逆に国と東電の責任を追及することは何よりも原状回復を要求することである。菊池らは原発の是非と切り分けていると主張しているようであるが、結局は「福島安全論」は原発からの放射性物質による汚染については自然放射線と同化させることで事故を風化することにつながり、国と東電の責任を免ずるだけの切断処理でしかない。こんなことをわざわざ言語化する必要もなく多くの人は理解しているわけだけど、敢えて書いておく。
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