解説3 オードリーの軌跡とケアとしての民主主義
デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム
- プロジェクト「混沌に愛/遭い!」(企画:マリノス・クツォミハリス+四方幸子)のロゴに、5/30開催のDOMMUNEでのライブ「混沌に遭う!」の出演アーティスト名が加えられた図形楽譜(スコア)。左から右へと90分のタイムラインが記されたこのスコアに沿って、即興的なコラボレーションが展開された。©「混沌に愛/遭い!」実行委員会
協調的多様性とデジタル民主主義
第2回「民主主義のコンピテンシー」では、台湾におけるコンピテンシーを取り入れた教育カリキュラム、資本主義でありながら充実した社会保障に加え、ゼロ知識テクノロジーを活用する組織への投資、およそ150人の規模を境にデジタルに移行することで可能になる民主主義、コミュニティ規模のテクノロジーによる地域の経済の再構築などが述べられた。
それに続く今回分は、「多様性を認め合いながら協力すること」の重要性から、対面とデジタルを併用した民主主義のあり方から始まる。たとえば総統杯ハッカソンで優勝したアイデア「CircuPlus」——台湾の「奉茶」の精神に基づく——から、水が提供される共有マップが作られ広がったという。対面とデジタルをつなげた利他的な場が、信頼を基盤に生み出された例である。
続いてオードリーは、より個人から発される民主主義として、現在の活動や思想に至る心身にまつわる原体験や近年の経験を開示した。誕生以来12年間心臓に問題を抱え、翌日目が覚めるかわからないため眠る前に知識を公開してきたこと、パリの精神分析家にカウンセリングを受けた経験などである。オードリーの「まともな先人でありたい」「共同創造」という言葉とその実践が、死に向き合う日々から生まれたことを記憶に留めたい。カウンセリングについては、対面とオンラインのハイブリッドを推奨、民主主義を進めるためには、アナログとデジタルの併用が、個人のコミュニケーションにおいても有効としている。
そのうえでオードリーは、自らが依拠するものを直接民主主義と道教、初期のアナーキズムと関連づけ、新旧を超えたものが共存し二項対立を超えるものだと述べている。加えて自身の性別や政治的立場も二項対立ではないと表明する(私の解釈だが、「二項」とは実は、相互に包摂しつつ循環しているのではないだろうか)。
オードリーが、民主主義を「協調的な多様性」と見なし実践していることは重要である。「イデオロギーの融合は可能だと信じている」という言葉は、楽観的に聞こえるかもしれない。しかし多様な存在が排除し合うのではなく(二項対立的でなく)、差異を認めながらサステナブルで創造的な生態系を形成していく可能性を、あきらめてはいけないと思う。
ケアとしての民主主義
オードリーの思想や活動から、今回「ケア」という言葉が感じられた。社会のケア、人々のケア、自身のケア……最新のテクノロジーを駆使しながら、アナログ/デジタルや新/旧の叡智など、さまざまな要素を二項対立から解き放つこと、それはまさしくケアの実践ではないだろうか。それはまた、民主主義という概念やシステム自体のケアでもあるのではないか。
リベラリズム、ビッグ・テック、金融資本主義……テクノロジーがごく少数の企業や個人に支配されているなか、精神、社会、自然における非対称性がかつてないほど強まっている。そもそも人間は、生まれた時からケアされる存在であり、生涯を通じてさまざまなレベルでのケアを必要とする。ケアは一方的や非対称的なものではなく、相互のケアやケアのケアという循環が本来のあり方といえる。そして民主主義も、ケアと密接に関係している。
ジョアン・C・トロントは、民主主義の再定義として「ケアリング・デモクラシー(ケアに満ちた民主主義)」と述べている[★01]★01。この言葉にはまた、民主主義をケアする意味も含まれるのではないだろうか。民主主義とは、「人間がより人間らしく、よりケアに満ちた生活を送ることを支援するシステム」(トロント)[★02]★02であるという。ケアとしての民主主義、そして民主主義のケア……それは、オードリーの言う、多様な各人が差異を認めながら共存しケアしあうことで、サステナブルな生態系を形成することにつながるのではないだろうか。
アートとケアの交差点
2024年5月30日、6月1日−3日に東京で実施したプロジェクト「混沌に愛/遭い!」[★03]★03では、ヨーロッパ——ギリシアやキプロスをはじめ、いわゆる「周縁」地域を拠点にする12人——と東京のサウンド&メディアアーティストが展示、対話、ライブなどを展開したが、その根幹のテーマが「ケア」である。「「混沌」を創造的な循環の可能態と見なし、アートを通して未来のケアを挑発し、そしてケアするささやかな実践」[★04]★04として、多様な実践や知見を共有しながらケアを広範に掘り下げたが、そこには精神、社会におけるケアとともに、動植物や環境、地球へのケアが含まれている。対話では、周縁的な場所の個人やコレクティブから発信され形成されるネットワーク、それぞれがインディペンデントでありながら相互依存的(インターディペンデント)であること、DIY/DIWOなどオルターナティブな創造から生まれるケアの生態系が、グローバルそして各地域の諸問題を基盤に話された。そこでは、本質的には商品化できないものとして、アート、愛、そしてケアが挙げられた[★05]★05。傷つき抑圧されたもの(自覚的でない場合もあるだろう)に対して、気付きケアを実践すること。そこからこそ、愛のある民主主義が育ちうるのではないか。そこに「アート」は、なくてはならないものだろう。
★01 岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書、2024) ★02 ジョアン・C・トロント「ケアするのは誰か?——いかに、民主主義を再編するか」(訳:岡野八代)、『ケアをするのは誰か?』(白澤社、2020) ★03 「混沌に愛/遭い!——ヨーロッパと東京をつなぐサウンド、メディアアート、ケアの探求」 2024年5月30日(木)・6月1日(土)・2日(日)シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT] https://distance.media/files/article/20240619000237.pdf ★04 四方による「混沌に愛/遭い!」概要テキストより。 ★05 参加者の1人、サラ・キム(看護師・キュレーター/スウェーデン)の6月1日ラウンドテーブルでの発言。
オードリーとの対話【全4回】/解説 四方幸子
#1 対話の経緯について
#2 デジタル民主主義の新たな地平へ
#3 オードリーの軌跡と「PLURALITY」の未来
#4 〈ダイバース・デモクラシー〉の可能性
- 四方幸子しかた・ゆきこ
- キュレーター・批評家。美術評論家連盟会長。「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・京都芸術大学非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1980年代よりアートについて執筆を開始、1990年代よりキヤノン・アートラボ、森美術館、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸員を歴任。並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。近年のプロジェクトにトークシリーズ「諏訪・八ヶ岳を掘り下げる」(2023)、大小島真木、辻陽介映像作品『千鹿頭 CHIKATO』(2023)、「エナジー・イン・ルーラル(EIR)」(リミナリア+国際芸術センター青森、2021-2023)など。国内外の審査員を歴任。著書『エコゾフィック・アート——自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023、フィルムアート社)。共著多数。 写真:新津保建秀