共産主義が平等なしくみに思えるのはリテラシーの欠如です。よく考えれば平等とは真逆のシステムなのがわかるはずです。
では、共産主義の本質がよくわかるエピソードをひとつ。
「伝説の再建王」と呼ばれた坪内寿夫は終戦時、シベリアに抑留されました。彼はそこで共産主義を象徴する光景を目の当たりにしました。
坪内が抑留されていたラーゲリ(収容所)の近所にはソビエトの集団農場があり、そこでジャガイモが栽培されていたそうです。
彼がジャガイモの収穫が終わった畑を見ると、形の良い芋が無数に転がっていました。なぜか不出来な芋だけ収穫され、良品は放棄されていたのです!
この「良品が捨てられる」という状況が共産主義を象徴しています。
不良品ならともかく、何故良品が捨てられていたのかわかりますか?
豊作なら良品を収穫するのが当たり前ですよね。でもそれは資本主義の考え方なんです。共産主義は「計画経済」です。共産主義の社会において豊作や良品は「自分の首を絞める」存在なんですよ。
ここまで書いて「ははーん、そういうことか」と、わかった人は、人間の本質に対するリテラシーがあります。わからない人は共産主義に騙されて辛酸を舐めるおそれがあります(笑)。
さて、では何故豊作や良品は共産主義社会において問題とされるのか、わからない人のために解説しますね。
共産主義すなわち「計画経済」では豊作で沢山の収穫があると、次の年も同じ成果があげられるねぇ
共産主義が平等なしくみに思えるのはリテラシーの欠如です。よく考えれば平等とは真逆のシステムなのがわかるはずです。
では、共産主義の本質がよくわかるエピソードをひとつ。
「伝説の再建王」と呼ばれた坪内寿夫は終戦時、シベリアに抑留されました。彼はそこで共産主義を象徴する光景を目の当たりにしました。
坪内が抑留されていたラーゲリ(収容所)の近所にはソビエトの集団農場があり、そこでジャガイモが栽培されていたそうです。
彼がジャガイモの収穫が終わった畑を見ると、形の良い芋が無数に転がっていました。なぜか不出来な芋だけ収穫され、良品は放棄されていたのです!
この「良品が捨てられる」という状況が共産主義を象徴しています。
不良品ならともかく、何故良品が捨てられていたのかわかりますか?
豊作なら良品を収穫するのが当たり前ですよね。でもそれは資本主義の考え方なんです。共産主義は「計画経済」です。共産主義の社会において豊作や良品は「自分の首を絞める」存在なんですよ。
ここまで書いて「ははーん、そういうことか」と、わかった人は、人間の本質に対するリテラシーがあります。わからない人は共産主義に騙されて辛酸を舐めるおそれがあります(笑)。
さて、では何故豊作や良品は共産主義社会において問題とされるのか、わからない人のために解説しますね。
共産主義すなわち「計画経済」では豊作で沢山の収穫があると、次の年も同じ成果があげられるねぇ、と「計画」されます。今年良品が収められると次の年も良品が収められるよね、と「計画」されてしまうんですよ。
つまり平たく言うと、豊作や良品は「ノルマをアップさせる原因」なんです。ノルマがアップすると次の年頑張らないといけません。来年不作だったり不良品が多かったりするとノルマが達成できなくて怒られるんですよ。
だから坪内が見た集団農場の労働者達は、ノルマが増えないよう、計画された以上のものを収穫せず廃棄したのです。この光景を見た坪内は、ソ連(共産主義)は絶対に崩壊すると確信し、人間がどうすれば一生懸命真面目に働くのかを悟りました。そして後に「再建王」と呼ばれる経営者になります。
・・・要するに資本主義は頑張ったら頑張ったぶん成果を得られるんですが、頑張ったら頑張っただけノルマが増えるのが共産主義なんですよ。そんなの誰が真面目に働くと思います?働いたら損でしょ?
結局、共産主義国では誰もが計画以上には働かず、ノルマが下がるように成果を減らすようになるんです。どんな産業でもこんな調子ですから、GDPが増えるはずがありません。右肩下がりに経済が衰退するんですよ。
さて話を戻しましょう。共産主義理論をざっくりいうと生産手段とプロダクト(成果)を平等に分配するのが共産主義制度です。
ちょっと考えたらわかりますが、成果は平等なので、サボったほうが得、がんばったら損、ですね。これは、共産主義理論には書かれてませんので読み取る必要があります。共産主義理論の信奉者は「人間は人参をぶら下げていないとき怠惰になる生き物」であることを忘れているのです。
つまり、手段と成果を平等にすると、プロセスが不平等になるのです(=なるべく働かないほうが得)。
共産主義を信じた人たちは、その部分を共産主義理論から読み取れなかったのです。
共産主義を何度試したって人間は怠け者であることに変わりはありませんから、共産主義は絶対に平等を達成できず、「ノルマを減らす=GDPを減らす」ことに一生懸命になるのですよ。
そうした「縮小再生産」に加えて官僚主義や権力の集中という不平等によって更に状況は悪化します。そして仲良く国を壊します。これが共産主義なのです。
YESです。
これをマヂにやったのがポル・ポト。
紙幣を無効。
エリートを虐殺。
都市を破壊、放棄。
全員で畑で働く。
完璧な平等です。
全員貧乏になれば、全員平等です。
僕が常々言ってる平等の悪い面です。
平等はある程度達成したら、それ以上ポジティブには機能しないんです。
YESです。
これをマヂにやったのがポル・ポト。
紙幣を無効。
エリートを虐殺。
都市を破壊、放棄。
全員で畑で働く。
完璧な平等です。
全員貧乏になれば、全員平等です。
僕が常々言ってる平等の悪い面です。
平等はある程度達成したら、それ以上ポジティブには機能しないんです。
いまだにこういう質問をされる方がいることに、驚きを禁じ得ません。共産主義は20世紀の末、80年代の終わりまでに「失敗」の烙印を押されています。共産主義下で実現したのは人民の抑圧と、一部の党幹部(とくに上級)の奢侈的生活でした。彼らすなわち共産党の上級幹部たちは、自分たちがすべてを制するに至るまで、容赦ないヘゲモニー争いを繰り返し、政敵たちに対して凄惨かつ過酷な制裁(場合によっては物理的抹殺も)を加えました。まして、「人民」なんてのは物の数に入りません。殺してナンボ、ってところですね。「平等」が聞いてあきれる世界だと思います。
元々の共産主義は「資本家」「労働者」と分かれており、資本家はお金の力で何時までも労働者を搾取出来るという前提でした。
そして、平等になる「べき」という啓蒙はありますが、当初から「平等とは?」、あるいはその実施方法は「労働者が立ち上がるべき」以外のなんの手法も書いてません。
当時から、
・資本家と労働者の区分けは何?農民が農機具買って儲けると資本家なの?
・むしろ資本主義こそ価格競争や技術発展で価格の平準化や資本の分配が成されてるように見えるけど?
と批判されてマルクスさんは「お答えします!次巻は乞うご期待!」として、次巻はなかなか出さず、お亡くなりになりました。
平等の要である「分配」について答えておらず、後に続く全体主義者はそれを勝手に解釈します。
「ぼくの正義が基準だよ!」
「神のごとし金様が決めるのが一番の平等だよ!」
「学者や知識層やブルジョアは社会の敵!全員殺せば平等になるよ!」
「僕の正義が理解できない?だったら友愛だね!教育してあげなさい!」
尤も、従業員に給料払えずピストル自殺する資本家を全力で無視し、あるいは倒産やバブル崩壊の悲劇は単なる経営失敗や価値の上下が原因なのに全力で無視する人は、自分が成功してない不満屋には「今の不幸は資本家のせい」と縋れる思想なのでそれなり支持ありました。
また、そういう悲劇の総量は減らすべきで、発展したイギリスのような資本主義は、社会主義が大きく取り入れられ
元々の共産主義は「資本家」「労働者」と分かれており、資本家はお金の力で何時までも労働者を搾取出来るという前提でした。
そして、平等になる「べき」という啓蒙はありますが、当初から「平等とは?」、あるいはその実施方法は「労働者が立ち上がるべき」以外のなんの手法も書いてません。
当時から、
・資本家と労働者の区分けは何?農民が農機具買って儲けると資本家なの?
・むしろ資本主義こそ価格競争や技術発展で価格の平準化や資本の分配が成されてるように見えるけど?
と批判されてマルクスさんは「お答えします!次巻は乞うご期待!」として、次巻はなかなか出さず、お亡くなりになりました。
平等の要である「分配」について答えておらず、後に続く全体主義者はそれを勝手に解釈します。
「ぼくの正義が基準だよ!」
「神のごとし金様が決めるのが一番の平等だよ!」
「学者や知識層やブルジョアは社会の敵!全員殺せば平等になるよ!」
「僕の正義が理解できない?だったら友愛だね!教育してあげなさい!」
尤も、従業員に給料払えずピストル自殺する資本家を全力で無視し、あるいは倒産やバブル崩壊の悲劇は単なる経営失敗や価値の上下が原因なのに全力で無視する人は、自分が成功してない不満屋には「今の不幸は資本家のせい」と縋れる思想なのでそれなり支持ありました。
また、そういう悲劇の総量は減らすべきで、発展したイギリスのような資本主義は、社会主義が大きく取り入れられるはずとする人もある程度支持してました。(そして現代がそうなのであながち間違っていない)
そういう思想の人がロシアで出世できるチャンスを掴みます。
元々「ブルジョワジー」という言葉はフランス革命で中産階級を現す「市民」を現す言葉でしたが、なぜかそれが「資本家」となるとんでも理論で羨ましい連中を殺しまくりました。
まあ革命が成されたら今度はノーメンクラトゥーラやら太子党やら富裕層が生まれたので、あんま思想に関係ないと思って良いです。
お金が汚いと言いつつ、権力や席次で結局は身分が生ずるわけですね。
資本家と党幹部のどちらが汚れているかは知らない。
あとなぜかこの地は、領主に反抗したら支配階級とユダヤ人をぶっ殺し、領民が反抗したら反乱分子とユダヤ人をぶっ殺すという殺伐としたカルトの地でした。
こんな感じなので「そもそも共産主義は平等にする方法は答えていない」が答えです。
実は啓蒙しかしてなくて、、
君は不公平だよ!世の中は不平等だよ!君の不満は世の中のせいなんだ!大企業のせいなんだ!
国のせいなんだ!
は新興宗教に近い。
多分「じゃあ何が平等なのか?」というのを詳しく聞くと、突き詰めたら
「偉い教祖様が決めるのが平等だよ!」
と言うと思います。
実際、某国は金さんが正義を決め、某国は共産党幹部の政争と力関係で決まります。
社会主義国及び共産党等が政権を握った国の現状をみるとよくわかると思います。
共産主義とは生産手段の私的所有を禁止して公有にし、計画経済で、生産力の上昇させて平等を実現を図るとの考え方です。しかしそれは失敗しています。結果的に公有にした生産手段は共産党幹部が支配し、資本主義的な運営となります。結果、格差が拡大し、不平等になってくているのが現状かと思います。
そういう理論を立てたのはギリシャ時代のプラトンからで、現代にそれを実現しようとしたのがマルクスたちです。そういう歴史や時代背景を抜きに「共産主義=悪」という半知半解(無知無能)の言説を唱える人間を信用しないようにしましょう。
ただ、実際に「共産主義社会」を「実現」したロシアが、実質的にツアリズムに回帰したのは事実です。これは一言で言うとロシア人がそれを望んだのです。長い支配体形を急に変えることは民族的・精神的に無理があったと言えるでしょう。これは日本が明治維新で「四民平等」の「民主国家」にはなれなかったことと同様です。
現代欧米の社会主義者・共産主義者たちは「ロシアの実験失敗」を教訓に、「まず民主社会を確立してから社会主義へ進む」ことを主張しています。これって言うは易し、日本でも「民主社会の確立」なんか出来ていないのだから、かなり先が長い話になりそうです。
社会主義に関しては、社会主義を掲げる政党が民主政治で政権を握ったり、現在も選挙で有力な政党は世界中にあります。
共産主義に関しては、カール・マルクスは民主主義体制に懐疑的であり、労働者が政治力を握る「共産主義」を形容する時に「労働者の独裁」と言う言葉を使った為、民主主義に否定的な立場を取る思想家が多い。
社会主義を掲げる有名な民主主義国家の政党として:
英国の労働党(Labour)
ドイツSPD(社会民主党)等は代表的ですね。
例えば、英国ではゴードン・ブラウン氏が2007年~2010年英国の首相を務めました。ブラウン氏は労働党です。英国は独裁政権にはなりませんでした。
アンジェラ・マーケルの後にドイツ首相2021年12月よりなった現首相のオーラフ・ショルツ氏はドイツSPD、社会主義を掲げる政党です。当然、ドイツは独裁主義になっていません。
対して、共産主義者には民主主義を否定する人物が多い。それはマルクスが民主主義に否定的な視点を持っていたからである。
マルクスの共産主義論は主にどの様に労働者が歴史の必然として政治力を手にして行くのか、如何にそれが歴史の必然であるかを論じますが、ほとんど「政治力を手にした後」の社会について書きませんでした。
僅かに書いた部分に「労働者の独裁」と言う言葉があり、なお民主主義体勢に関してブルジョアの政府の様な否定的な言葉を残した事により、多くの共産主義者はマルクスは民
社会主義に関しては、社会主義を掲げる政党が民主政治で政権を握ったり、現在も選挙で有力な政党は世界中にあります。
共産主義に関しては、カール・マルクスは民主主義体制に懐疑的であり、労働者が政治力を握る「共産主義」を形容する時に「労働者の独裁」と言う言葉を使った為、民主主義に否定的な立場を取る思想家が多い。
社会主義を掲げる有名な民主主義国家の政党として:
英国の労働党(Labour)
ドイツSPD(社会民主党)等は代表的ですね。
例えば、英国ではゴードン・ブラウン氏が2007年~2010年英国の首相を務めました。ブラウン氏は労働党です。英国は独裁政権にはなりませんでした。
アンジェラ・マーケルの後にドイツ首相2021年12月よりなった現首相のオーラフ・ショルツ氏はドイツSPD、社会主義を掲げる政党です。当然、ドイツは独裁主義になっていません。
対して、共産主義者には民主主義を否定する人物が多い。それはマルクスが民主主義に否定的な視点を持っていたからである。
マルクスの共産主義論は主にどの様に労働者が歴史の必然として政治力を手にして行くのか、如何にそれが歴史の必然であるかを論じますが、ほとんど「政治力を手にした後」の社会について書きませんでした。
僅かに書いた部分に「労働者の独裁」と言う言葉があり、なお民主主義体勢に関してブルジョアの政府の様な否定的な言葉を残した事により、多くの共産主義者はマルクスは民主主義を否定したと考えますが、全てではありません。
例えば、ロシア革命で有名な対立したロシア共産主義の2つの政党:メンシェヴィキ党とボルシェビキ党。思想的にかなり主張が近い部分がありましたが、徹底的に二つの政党を分けたのは「民主主義を否定するか」にありました。
レーニン率いるボルシェビキは民主政府を支持する事を否定し、民主選挙に否定的な立場をとりました。
対して、1917年2月革命の後、メンシェヴィキは社会革命党(SR)と合同政権を組み、アレクサンドル・ケレンスキーの政府に参加しました。
1917年10月でレーニンとボルシェビキがクーデターでロシア政府を掌握し、ソ連連邦を最終的に設立する事に成功した事もあり、レーニンは以後の共産主義思想への影響が多大にありました。
レーニンは民主政治に否定的であった事もあり、マルクス・レーニニズムと言われる「共産主義思想」やその影響を受けた共産主義者等は民主主義に否定的な立場を取る場合が多い。
20世紀の共産主義革命家の多くはレーニニズムを掲げた為、共産主義独裁政権を建てる事を目標とした場合が多かった。
また、もう一つの大きな影響力を及ぼした共産主義思想の一つとして、毛沢東主義がありますが、当初レーニンの影響を強く受けた毛沢東も民主政治に否定的な共産主義を掲げました。
なので、マルクスの提唱した共産主義は必ずしも民主主義の否定を必然とする物では無く、民主政治の中で共産主義を掲げられるとする政党は現在もそれなりに多く存在する。
しかし、多くの共産主義政権が設立された20世紀中、そのほとんどはレーニン、スターリンや毛沢東等の独裁政権を模範とした為、民主主義に否定的なイメージが強く、それは妥当だと私は思う。
もしこの様な歴史回答に興味のある方には私は自分の歴史回答だけを集めたスペースを運営しています。興味があったらフォローを検討していただけたらありがたいです!
まあ無理だと思いますが、
カダフィーさんは一番それに近いものをやろうとしてて、列強に殺されました。
日本でやるのはもっと難しいですね
おそらく不可能でしょうねえ。
まあ無理だと思いますが、
カダフィーさんは一番それに近いものをやろうとしてて、列強に殺されました。
日本でやるのはもっと難しいですね
おそらく不可能でしょうねえ。
「社会主義」と「共産主義」と言う言葉は様々な使われ方をし過ぎて、いろいろな意味を抱え込みすぎており、用語として混乱しています。ですから、ご質問にあるようなことに端的な答え方はできません。
混乱の例を挙げると、日本共産党が掲げているのは共産主義ではなく「科学的社会主義」です。崩壊前のソ連共産党の主義は、通常「マルクス=レーニン主義」と呼ばれます。中国共産党の公式思想は「中国特色社会主义」だそうです。各国の共産党にとって政治・経済体制としての「共産主義」とは、プロレタリアート独裁を経て「財産の一部または全部を共同所有する平等な社会」が達成できたときに初めて使える言葉のようで、「共産党」とは「共産主義の党」ではなく「共産主義の達成を目指す党」と言うくらいの意味のようです。が、一般には「共産党」は「共産主義」、ソ連が行っていたのは「共産主義」と捉えられています。
「社会主義」と言う言葉にも、「平等で公正な社会を目指す」という意味合いは含まれていますので、「共産主義は社会主義に含まれる」「社会主義を厳格にしたものが共産主義である」とも言えます。
昔の日本社会党員は、マルクス主義者であることは認めてもレーニン主義者とは言いませんでした(左派の人はわかりません)。日本共産党はある時期まで「マルクス=レーニン主義」を掲げていましたので、レーニン主義者であったことでしょう。現在の社会民主党員がマルクス主義
「社会主義」と「共産主義」と言う言葉は様々な使われ方をし過ぎて、いろいろな意味を抱え込みすぎており、用語として混乱しています。ですから、ご質問にあるようなことに端的な答え方はできません。
混乱の例を挙げると、日本共産党が掲げているのは共産主義ではなく「科学的社会主義」です。崩壊前のソ連共産党の主義は、通常「マルクス=レーニン主義」と呼ばれます。中国共産党の公式思想は「中国特色社会主义」だそうです。各国の共産党にとって政治・経済体制としての「共産主義」とは、プロレタリアート独裁を経て「財産の一部または全部を共同所有する平等な社会」が達成できたときに初めて使える言葉のようで、「共産党」とは「共産主義の党」ではなく「共産主義の達成を目指す党」と言うくらいの意味のようです。が、一般には「共産党」は「共産主義」、ソ連が行っていたのは「共産主義」と捉えられています。
「社会主義」と言う言葉にも、「平等で公正な社会を目指す」という意味合いは含まれていますので、「共産主義は社会主義に含まれる」「社会主義を厳格にしたものが共産主義である」とも言えます。
昔の日本社会党員は、マルクス主義者であることは認めてもレーニン主義者とは言いませんでした(左派の人はわかりません)。日本共産党はある時期まで「マルクス=レーニン主義」を掲げていましたので、レーニン主義者であったことでしょう。現在の社会民主党員がマルクス主義者であることを認めるかどうかは怪しいでしょう。マルクス主義に必ずしも依らず、社会改良主義だ、と言うくらいのことを言いそうな気がしますが、そうなると旧民主党ともあまり変わらなくなります。
そういうわけでとりあえずお答えすると、
社会主義と共産主義の大きな違いは、社会主義の方が意味が広く、日本の政党で言えば日本共産党や昔の日本社会党や現在の社会民主党を含み、旧民主党も「社会主義的」という事は可能どころか、自由民主党も政策的には社会主義だったという評価も可能。共産主義は日本共産党と過激諸党派、がんばっても旧日本社会党左派くらいまで。プロレタリアート独裁や財産の共有を前面に押し出しているかどうかがポイント。そう考えると、現在の日本共産党は(言っていることだけ見れば)「過激な社会民主主義」であり、共産主義と言うと中核派などになる。
ソ連を社会主義と言うなら中国も社会主義。
中国を共産主義と言うならソ連も共産主義。
資本主義っていうのは基本、市場の競争原理に基づいてますよね。例えば家電量販店。ビックカメラやらヨドバシやらヤマダ電機やら、競いあって安売りしてます。電気メーカーも、同じ製品、パソコンでもテレビでも炊飯器でも、多数のメーカーが競争してます。価格競争・スペック競争、そのため過労だなんだって話になります。売れない製品も出てきます。ね、正直無駄ですよね?お店は地域に一つでいいですよね?一つの製品は1種類あればいいですよね?
劣悪な労働環境、資本家と労働者との貧富の差が今よりひどかった時代、一つの理論が生まれました。「全てを中央政府が決める。会社は全て国営、計画した生産量の通りに生産すればいい。対価は決められた通り政府が支払う」と。そしてその理論に基づいた国家が誕生したのです。いわゆる共産主義国家ですね。
最初はうまくいってたんでしょうね。でも「一生懸命仕事してもしなくても同じ売上、同じ給料」ですからね。誰も一生懸命仕事しなくなってしまいました。
その上、全ては中央政府が決めるので、全ての利権が中央政府に集中しました。皆自分のところに都合がいいように、政府関係者に便宜を図ってもらうようになりました。結果、賄賂が横行し、政治が腐敗していったのです。
それでも、もしかしたら、世界中の国が共産主義国家だったらよかったのかもしれません。しかし、資本主義国家は競争原理に基づいて新しい製品・技術を開発していきま
資本主義っていうのは基本、市場の競争原理に基づいてますよね。例えば家電量販店。ビックカメラやらヨドバシやらヤマダ電機やら、競いあって安売りしてます。電気メーカーも、同じ製品、パソコンでもテレビでも炊飯器でも、多数のメーカーが競争してます。価格競争・スペック競争、そのため過労だなんだって話になります。売れない製品も出てきます。ね、正直無駄ですよね?お店は地域に一つでいいですよね?一つの製品は1種類あればいいですよね?
劣悪な労働環境、資本家と労働者との貧富の差が今よりひどかった時代、一つの理論が生まれました。「全てを中央政府が決める。会社は全て国営、計画した生産量の通りに生産すればいい。対価は決められた通り政府が支払う」と。そしてその理論に基づいた国家が誕生したのです。いわゆる共産主義国家ですね。
最初はうまくいってたんでしょうね。でも「一生懸命仕事してもしなくても同じ売上、同じ給料」ですからね。誰も一生懸命仕事しなくなってしまいました。
その上、全ては中央政府が決めるので、全ての利権が中央政府に集中しました。皆自分のところに都合がいいように、政府関係者に便宜を図ってもらうようになりました。結果、賄賂が横行し、政治が腐敗していったのです。
それでも、もしかしたら、世界中の国が共産主義国家だったらよかったのかもしれません。しかし、資本主義国家は競争原理に基づいて新しい製品・技術を開発していきました。共産主義国家の製品は国際競争力を失っていきました。
最終的に、食料や生活必需品までも不足していった共産主義国家は、自滅していったのです。
結論的に言うと、無駄に思えた資本主義の競争原理は、無駄なだけではなかった、ということ。そして、共産主義の理論は完全だったのかもしれませんが、人間は完全ではなかった、ということになると思います。人間には、少なくとも普通の凡人には、適度に競争を与えていかないと生産性が上がらないし、利権を集中させると腐敗してしまうのです。
では共産主義が全く無意味だったのか、というとそういうことはなく、資本主義に対抗する国家が現れたことで、資本主義に対して歯止めをかけていた側面があります。東西ドイツの統一・ソ連崩壊の後、資本主義は唯一の正義となり、格差拡大・富の集中に歯止めがかからなくなっています。また、中国、ベトナムなど資本主義を取り入れた共産主義国家を新たに産み出しています。
何の平等かによります。
権利や機会の平等であれば、今でも世界の国々はそれを目指して進んでいるのではないでしょうか。
結果の平等であれば、作れないと思います。
結果平等の世界ってたぶんこんな感じ。
国民みんな同じ報酬です、格差ゼロ。役職も同じ、義務も責任も等しく課されます。テストは補正かけて全員同じ点数になります、報酬と同じ考え方です。ですから皆、学歴も同じです。当然、車は一車種。格差があってはなりません。家も同じにしてください。洋服も平等に、同じ色、形です。整形をして同じ顔にしましょう、助成金がでますので。同じ体型を保ちましょう、太ると体脂肪税が課せられます。国民の義務である結果平等を著しく損なう行為は平等警察により厳しく取り締まられます。次期国会では、昨今の姓名差別問題を受け、国民皆同一姓名法案の審議が予定されています。
共産主義は、素朴な若者や、心優しい多くの方々を騙す、悪い思想だと思います。
共産主義は「弱者を助ける」思想であると思われています。素朴な若者や、心優しい多くの方々は、この点に思考を奪われ、共産主義に共鳴しがちです。
しかし、共産主義者の本音は、自分より資産を多く持っている人々を潰し、自分が持つ嫉妬心を解消させたいのです。共産主義者は、自分より豊かな人間が存在することが許せないのです。
スターリンや毛沢東は多くの地主や資産家を虐殺しました。ポルポトは自分の嫉妬心から多くの知識人を虐殺しました。共産主義は人間が持っている嫉妬心をきれい事に置き換えた詐欺的思想なのです。
現在、共産主義思想は、衰退しています。しかし、この思想は、「平等」という耳触りの良い言葉を使った、詐欺的思想なので、今後も、姿を変えて世の中に出て来るでしょう。そのようなとき、「地獄への道は善意で舗装されている」、ということわざを思い出して頂きたいと思っています。
※共産主義を人間が実現することは無理かもしれないが、理念は良いと思っている方々が、世の中には、一定数、いらっしゃるようです。しかし、この考え方は勘違いです。
戦前、日本は朝鮮半島の北部に莫大な投資をして、多くの発電所や工場を作りました。戦後の一時期、北朝鮮は、日本が残した多くの発電所や工場のおかげで、韓国より遙かに豊かでした。
しかし、北朝鮮は、共産主義で国家経済を運営した
共産主義は、素朴な若者や、心優しい多くの方々を騙す、悪い思想だと思います。
共産主義は「弱者を助ける」思想であると思われています。素朴な若者や、心優しい多くの方々は、この点に思考を奪われ、共産主義に共鳴しがちです。
しかし、共産主義者の本音は、自分より資産を多く持っている人々を潰し、自分が持つ嫉妬心を解消させたいのです。共産主義者は、自分より豊かな人間が存在することが許せないのです。
スターリンや毛沢東は多くの地主や資産家を虐殺しました。ポルポトは自分の嫉妬心から多くの知識人を虐殺しました。共産主義は人間が持っている嫉妬心をきれい事に置き換えた詐欺的思想なのです。
現在、共産主義思想は、衰退しています。しかし、この思想は、「平等」という耳触りの良い言葉を使った、詐欺的思想なので、今後も、姿を変えて世の中に出て来るでしょう。そのようなとき、「地獄への道は善意で舗装されている」、ということわざを思い出して頂きたいと思っています。
※共産主義を人間が実現することは無理かもしれないが、理念は良いと思っている方々が、世の中には、一定数、いらっしゃるようです。しかし、この考え方は勘違いです。
戦前、日本は朝鮮半島の北部に莫大な投資をして、多くの発電所や工場を作りました。戦後の一時期、北朝鮮は、日本が残した多くの発電所や工場のおかげで、韓国より遙かに豊かでした。
しかし、北朝鮮は、共産主義で国家経済を運営したので、これらの発電所や工場を食い潰し、結局、極貧国家になってしまいました。共産主義は、理念が良さげに見えても、社会が貧しくなることは避けられない思想だったのです。
ここで、北朝鮮が貧しくなったのは、金日成や金正日が個人的に贅沢をしたからだという意見があるかもしれません。しかし、彼らが個人的に消費できる金額は国家財政の規模から考えたら高が知れています。国家経済を運営する根本思想が間違っていたから貧しくなったのです。
貧しい社会では奪い合いが避けられません。奪い合いの社会では弱者が虐げられます。北朝鮮の一般民衆の惨状はご存じでしょう。共産主義では、弱者を救うことはできないのです。社会が豊かにならなければ、弱者を救うことはできないのです。
本当にややこしいですねコレ。
私の理解
- 広義の社会主義(資本主義・自由主義の是正)
- 狭義の社会主義⇒共産主義
なんですよ。
もともとの広義の社会主義は行き過ぎた資本主義・自由主義の弊害を是正しようという思想です。
ですから、戦前のドイツの政権政党ナチ党なんかは
「国家社会主義ドイツ労働者党」Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei:NADAP
でしたからね。
それで、ナチは共産主義を徹底的に敵視して迫害してきた。(いきなり独ソ不可侵条約を破って東部戦線開始したのもナチにとっては不俱戴天の敵なので、当然のこと)
つまり、社会主義は広い概念なんですよ。
別に資本主義や自由主義を完全否定するようなものじゃない。
民主主義であり、それでいて独裁政権をも生み出してもOK
目的のためには別に専制政治ファシズムでもOK
要は、社会主義というものは
【(制限のない資本主義・自由主義では弊害が大きくなりすぎたから)上手な制限を考えて「社会の幸福」をもっとダイレクトに追求しようぜ!】
というだけのこと。
そのために『手段』は色々ある。
ここで重要なのは私有財産権をどれほど認めるか。
マルクスレーニン主義では「強欲私有財産がいけないんだ!」と私有財産権を認めずに全て国家の共有財産とした。
これは極端な手段による社会主義の実現を目指したということです。
面白いのは、
「みんなに平等を!」と掲げて、
本当にややこしいですねコレ。
私の理解
- 広義の社会主義(資本主義・自由主義の是正)
- 狭義の社会主義⇒共産主義
なんですよ。
もともとの広義の社会主義は行き過ぎた資本主義・自由主義の弊害を是正しようという思想です。
ですから、戦前のドイツの政権政党ナチ党なんかは
「国家社会主義ドイツ労働者党」Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei:NADAP
でしたからね。
それで、ナチは共産主義を徹底的に敵視して迫害してきた。(いきなり独ソ不可侵条約を破って東部戦線開始したのもナチにとっては不俱戴天の敵なので、当然のこと)
つまり、社会主義は広い概念なんですよ。
別に資本主義や自由主義を完全否定するようなものじゃない。
民主主義であり、それでいて独裁政権をも生み出してもOK
目的のためには別に専制政治ファシズムでもOK
要は、社会主義というものは
【(制限のない資本主義・自由主義では弊害が大きくなりすぎたから)上手な制限を考えて「社会の幸福」をもっとダイレクトに追求しようぜ!】
というだけのこと。
そのために『手段』は色々ある。
ここで重要なのは私有財産権をどれほど認めるか。
マルクスレーニン主義では「強欲私有財産がいけないんだ!」と私有財産権を認めずに全て国家の共有財産とした。
これは極端な手段による社会主義の実現を目指したということです。
面白いのは、
「みんなに平等を!」と掲げて、
「財産は全部、国家のもの!」として、
「理想郷の実現のために”一時的に”みんなから選ばれた優秀な指導者が管理するからね」と中央集権で管理するようになると、
そこに強大な権力と旨味が産まれて、事実上の特権階級ができあがり、一時的でみんなで選ぶはずだったのに、そういう特権階級のシステムが既得権益化して、世襲まで起きて永続しちゃうこと。
北朝鮮なんてまんまこれ。理想郷詐欺国家みたいなもん。
軽々しく「理想」をいう人間なんてこんなもんよ♡
話を元に戻すと、現代の国家分類としては
資本主義や自由主義を
- 修正して使う国:いわゆる普通の西側諸国(私有財産を保障)
- 根本から否定して使う国:ソ連、かつての中国、北朝鮮(私有財産認めない)
- その中間の国:現中国(私有財産を事実上認める)
という感じです。
いわばコレ全部社会主義国ですよ。
ですがそれだとわけ分からないので、戦後は2と3を社会主義国と呼ぶ風潮になっています。
いわゆる狭義の社会主義国という奴です。
今の日本だって政治の中身をみれば、十分に社会主義ですよ。
<参考>
狭義の社会主義じゃないのに、社会主義という名称の国
スリランカ民主社会主義共和国
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/srilanka/data.html#section2狭義の社会主義で社会主義という名称の国
ベトナム社会主義共和国
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/data.html#section2非常に難解なご質問で、専門外なので反感を受けるかもしれませんが、回答を試みます。
まず平等というのがどのようなイメージかですが、たとえば、昔の原始共産社会のように、全て公平に分配する社会があったとします。でも良く働く人と怠けるひとが出てきたら、不平等が生じます。
すると良く働く人や、知恵を使って効率を上げるひとや発言力ある人が豊かになり、意欲の少ない人や効率の悪い人や体の弱い人などで上下関係が生じることになります。(誤解があればお詫びします。)
つまり「経済的に平等」という定義は大変難しく、なにを持って平等と判断するのかが難しいため、現在の不平等感が生じているかと思います。
身近な話では、夫婦間での仕事の分担を例にとると、まったく同じ仕事を2人に時間で振り分けると大変効率が悪くなります。なので得意・不得意などが考慮された仕事が分けられバランスがとられますが、不平等感は残るかもしれません。
国際的には、国の貧富の差が非常に大きく、豊で無駄遣いの多い国と、生きることがかなり難しい貧しい国もあり、不条理を感じます。
しかしながら、もしもどんなに働いても、怠けていても同じ収入しか得られないと仮定すると世の中はスローダウンするかもしれません。(ある種良い面もありますが…。)
話は変わりますが、遠い将来、人工知能が発達してきた際は、貧富の差がより大きく開くと言われており、現在の経済のしくみでは破綻するとも言
非常に難解なご質問で、専門外なので反感を受けるかもしれませんが、回答を試みます。
まず平等というのがどのようなイメージかですが、たとえば、昔の原始共産社会のように、全て公平に分配する社会があったとします。でも良く働く人と怠けるひとが出てきたら、不平等が生じます。
すると良く働く人や、知恵を使って効率を上げるひとや発言力ある人が豊かになり、意欲の少ない人や効率の悪い人や体の弱い人などで上下関係が生じることになります。(誤解があればお詫びします。)
つまり「経済的に平等」という定義は大変難しく、なにを持って平等と判断するのかが難しいため、現在の不平等感が生じているかと思います。
身近な話では、夫婦間での仕事の分担を例にとると、まったく同じ仕事を2人に時間で振り分けると大変効率が悪くなります。なので得意・不得意などが考慮された仕事が分けられバランスがとられますが、不平等感は残るかもしれません。
国際的には、国の貧富の差が非常に大きく、豊で無駄遣いの多い国と、生きることがかなり難しい貧しい国もあり、不条理を感じます。
しかしながら、もしもどんなに働いても、怠けていても同じ収入しか得られないと仮定すると世の中はスローダウンするかもしれません。(ある種良い面もありますが…。)
話は変わりますが、遠い将来、人工知能が発達してきた際は、貧富の差がより大きく開くと言われており、現在の経済のしくみでは破綻するとも言われています。
そのため、ベーシックインカムという考えが研究されています。ベーシックインカム - Wikipedia
これも、行き過ぎた経済格差にブレーキをかけ、不平等を緩和する効果が期待されますが、色々議論の余地がありそうです。
正直に言うと無理だろうと思います。
英語でYou and I are equal.と言う通り、アメリカでは誰もが平等であると言う精神が尊重されています。これはキリスト教の教えが基調になっているようです。英語では People are equal under God.と言います。でも実際はそうではないですね。人種間の衝突があります。
ひるがえって日本ですが、「あなたと私は平等である」という考え方は日本の基本的な精神基盤にはなっていないと考えます。もちろん法律上はそうなのでしょうが、正面だってそのような主張をする人はすくないはずです。
社会主義、共産主義というより、人々の叡智を集めることができない、少数の絶対権力者が生まれて専制的で恣意的な決定や行動をしてしまう、一党独裁独裁体制が悪かったのです。現在の中国もそうですが。
私が大學生〜駆け出し社会人だった1980年代に、北朝鮮の真実の姿、旧ソ連の崩壊が起きました。
それ以前から、、旧ソ連の体制が専制的で独裁的で人権などない恐ろしいものであることは、子供だった私にもよくわかっていました。この体制を不適切で非人道的だと訴える、物理学者のサハロフ博士や、反対派を収容所に閉じ込めて自由や生命を奪う国の姿を描いた『収容所列島』作家のソルジェニーツィンが発した情報が、世界中に知られていたからです。
こうした国はなぜこんな、恐ろしい体制になってしまったのか。
経済システムと政治システムに分けて考えるとわかりやすいと思います。
実はどの国も、共産主義の総本山を自認していた旧ソ連も、経済システムは、基本的には資本主義、市場経済です。
国内では計画経済と呼ばれる市場経済と呼ばれるシステムを採用していたことになっていますが、実は自由市場があり、そこは市場経済の原理に基づいて運営されていました。つまり、資本主義、市場経済というシステムはデファクトスタンダードであり、そもそも世界全体を計画経済に置き換えることは、そもそも不可能だったわけです。
そもそも、計画経済には無理がありすぎます。しかも、計画を作
社会主義、共産主義というより、人々の叡智を集めることができない、少数の絶対権力者が生まれて専制的で恣意的な決定や行動をしてしまう、一党独裁独裁体制が悪かったのです。現在の中国もそうですが。
私が大學生〜駆け出し社会人だった1980年代に、北朝鮮の真実の姿、旧ソ連の崩壊が起きました。
それ以前から、、旧ソ連の体制が専制的で独裁的で人権などない恐ろしいものであることは、子供だった私にもよくわかっていました。この体制を不適切で非人道的だと訴える、物理学者のサハロフ博士や、反対派を収容所に閉じ込めて自由や生命を奪う国の姿を描いた『収容所列島』作家のソルジェニーツィンが発した情報が、世界中に知られていたからです。
こうした国はなぜこんな、恐ろしい体制になってしまったのか。
経済システムと政治システムに分けて考えるとわかりやすいと思います。
実はどの国も、共産主義の総本山を自認していた旧ソ連も、経済システムは、基本的には資本主義、市場経済です。
国内では計画経済と呼ばれる市場経済と呼ばれるシステムを採用していたことになっていますが、実は自由市場があり、そこは市場経済の原理に基づいて運営されていました。つまり、資本主義、市場経済というシステムはデファクトスタンダードであり、そもそも世界全体を計画経済に置き換えることは、そもそも不可能だったわけです。
そもそも、計画経済には無理がありすぎます。しかも、計画を作るときに、誰が最終的にそれを決定するのでしょうか。また、計画は計画通りには行かないものです。農作物は特にそうですよね。工業生産だってそうですが。その時はどうするのでしょうか。この時点で計画経済は適切な「調整」のシステムを備えていません。
国家のような規模では、家計と違い、経済システムは複雑系であり、をすべてを計画経済にすることは、不可能なのです。
では、政治システムの方はどうでしょうか。適切で正当な社会運営が可能でしょうか。
旧ソ連や旧東欧諸国や北朝鮮の政治体制は、基本的には一党独裁体制で、そのうえ報道の自由がありません。
その結果、党の実力者に権力が集中する。しかも情報が操作される。報道の自由がないから、権力者が本当は何をしているのかまったくわからない。報道の自由がないということは、批判の自由もなく、批判がないということは、修正がないということになります。つまり、絶対王政、専制君主制に近い体制になります。
この体制の特徴であり致命的な欠点は権力を掌握した独裁者が絶対的な存在になってしまうことです。
しかも、これを阻止する、修正、改善する仕組みがない。つまり権力の絶対性、無謬性(上の権力者は間違えることは絶対にない)という、恐ろしい規則が社会全体に貫かれてしまいます。これに意義を唱える者は「正当な権力に挑戦し、社会を不安定化させる脅威、敵」として排除されます。
これに対して、OECD加盟国など資本主義国の政治体制は基本的に、報道の自由を絶対的な大前提にした、自由な選挙による民主制。しかも立法、行政、司法という3つの権力を分散させて相互に監視し合う三権分立システムです。
報道の自由と批判の自由がある、ということは、多彩な意見や見方を持つことができます。権力者の誤りを誤りとしてしっかり指摘して、誤りの修正、またあまりに酷い行動、不当な権力の行使をしている場合は、選挙でその権力を弱めたり剥奪することができます。
さらに、三権分立のチェック&バランスシステムが機能していれば、絶対的な権力者、つまり独裁者が生まれることを防ぐことができるはずです。
旧ソ連などの共産主義国、旧社会主義国が失敗したのは、報道の自由、批判の自由、民主的な選挙=代表選出ができないシステムで、独裁化した政治権力の独裁を許した、修正が不可能なシステムになってしまったからです。
ただ民主的な選挙システムを整えているはずの資本主義国でも、やり方によっては、独裁のような体制が成立してしまうことが、この10年あまり、世界中で現実になっています。
報道機関が「報道の自由」に基づいて権力者の行動や問題をしっかりと報道して批判を行わなかったりフェイクニュースを流すことで批判を抑え込んだりして、主権者である国民が政治の現状について正確で詳細な把握が難しいようにする。
また自分の周囲から批判してくれる人材を排除し、また、三権分立のシステムで、国会に行政のチェックを充分にさせない、司法の人事権に違法に干渉するなど、何らかの方法でこの相互監視システムを骨抜きにした場合は、かつての専制国家や一党独裁の旧共産主義、社会主義国のような独裁体制が、事実上確立されてしまいます。トルコはそうですし、アメリカ、そして日本も、事実上それに近い状態にあると言えるでしょう。
また資本主義を全面的に導入しながら、一党独裁体制を何が何でも守ろうとしている中国(中華人民共和国)については「上手く体制を維持している」という意見もありますが、大きな問題を抱えて、いつまでも永遠には続かないでしょう。
旧共産主義、旧社会主義国の失敗と崩壊ついて考えることは、ネットによる情報革命が起きている一方で、情報が一元的に管理され、実は操作しやすくなっている今の日本の私たちにこそ、必要なことなのかも。そう思います。
この質問は改めて今の日本を考えるキッカケになる質問ですね。
日本社会のすごいところは誰も命令しなくても、なんとなくみんなが右見て左見て忖度し合って「社会主義」が実現したところですね。これは世界の奇跡です。もちろんその結果,本物の資本主義に較べて社会の活力が劣るという弱点も生じます。それでもこれだけ豊かな社会を実現できているのだから奇跡といってよいでしょう。日本の(相対的)貧困層の豊かさは世界一です。つまり「一億総中流社会」は理想的な「社会主義」で日本でしか実現しません。翻って「一億総下流社会」が「共産主義」です。日本共産党を見てもよくわかるでしょう。党首は豪邸にお住まいですが末端の党員の生活は悲惨です。子どもたちは宗教二世のような暮らしをしています。
共産主義の場合、全ての物は国が持ってる。人の物がありません。
人は仕事をするですが、結局もらうのは国です。そして国はまた全人に分けて戻す。
その人は自分の仕事の結果を直接みえないと当然モチベーションが下がる。モチベーションが下がるとアウトプットが下がる。アウトプットが下がると国がもらえなくなる。国がもらえなくなると人に大して懲罰をする。人は懲罰を受けて更にモチベーションが下がる。このサイクルが何回か回ると懲罰はレッドテロに変わる。人が大量に死ぬ。物が減る。改善がありません。最悪ですね。
社会主義の場合、グラデーションがある。でも完全社会主義の場合は大して共産主義と結果は変わらないです。例えば、ソ連は共産主義と言われていたが、実は全体主義社会主義国だった。結果は変わらないけど:モチベーションがないと結果がない。結果がないと結局貧困になりやすい。だからソ連国民全員は同じように貧しかった。また、民会事業がなかったので人は国のために働く以外のお金の稼ぎ方が分からない。その理由でソビエト崩壊の直後に全ての国はあんな大変でした。こちらで「あ〜、民会事業を有効にすれば社会主義は成功するかも?」と思う人が居ますが、答えは成功しません。何故ならば自分と自分のコミュニティのために働けるなら国のため(国って誰?)に働きたい人はそんなに多くないです。
共産主義はとても素朴な思いの夢です。人間の世界で成功することが
共産主義の場合、全ての物は国が持ってる。人の物がありません。
人は仕事をするですが、結局もらうのは国です。そして国はまた全人に分けて戻す。
その人は自分の仕事の結果を直接みえないと当然モチベーションが下がる。モチベーションが下がるとアウトプットが下がる。アウトプットが下がると国がもらえなくなる。国がもらえなくなると人に大して懲罰をする。人は懲罰を受けて更にモチベーションが下がる。このサイクルが何回か回ると懲罰はレッドテロに変わる。人が大量に死ぬ。物が減る。改善がありません。最悪ですね。
社会主義の場合、グラデーションがある。でも完全社会主義の場合は大して共産主義と結果は変わらないです。例えば、ソ連は共産主義と言われていたが、実は全体主義社会主義国だった。結果は変わらないけど:モチベーションがないと結果がない。結果がないと結局貧困になりやすい。だからソ連国民全員は同じように貧しかった。また、民会事業がなかったので人は国のために働く以外のお金の稼ぎ方が分からない。その理由でソビエト崩壊の直後に全ての国はあんな大変でした。こちらで「あ〜、民会事業を有効にすれば社会主義は成功するかも?」と思う人が居ますが、答えは成功しません。何故ならば自分と自分のコミュニティのために働けるなら国のため(国って誰?)に働きたい人はそんなに多くないです。
共産主義はとても素朴な思いの夢です。人間の世界で成功することがありません。
その疑問の場合、「いえ、社会主義国として最も成功した日本という国がありますよ」というのが鉄板のジョークになっています。
社会主義、共産主義は 19世紀ヨーロッパの啓蒙主義の影響が大きいです。「優れた人たち(共産党が)愚かな大衆を指導して、国を豊かにする」です。19世紀から20世紀にかけてわかったことは「どんな優秀な人たちでも少数の指導者だけで国を豊かにするのは困難である」ということです。中国は鄧小平主席のいう「豊かになれる人から豊かになれば良い」で成功したのであって、優秀な人たち(共産党)の指導によって豊かになったのではありません
結論から言えば、少数の指導者によって国を豊かにするという理論が間違っていただけです。
共産主義社会を実現するために必要な条件は今の私たちが想像できないすごく高い生産能力です。その平等はこの生産能力から自然に生み出す結果なんです。
不平等の根源は資源の希少性。資源が足りないから奪い合いが発生する。そこから強い者による「秩序」が生まれる。強い者は秩序の内容を制定する主導権を持ってますから、秩序こそ不平等そのものです。
例えば、食べ物でも空気でも生きるために不可欠なものですが、食べ物は空気より獲得しにくい。その原因は食べ物は空気より希少なんです。一般人は食べ物を生産出来ず、ある秩序に従って他人からもらわなければなりません。他人が自分にとって必要な資源を握っていますから、不平等が生み出す。でも普通には空気の供給は無限です。誰でも自由に空気を使えますから、不平等がありません。冗談だけど、今はもう「空気共産主義社会」とも言えるでしょう。
共産主義の目的は中央集権でも独裁でもなく、生産能力を高めて、できるだけ資源の希少性を消すことなんです。集権でも独裁でも物資を集めて生産能力を高めるための一時的な手段に過ぎない。もし本当に資源の希少性を消せれば、たとえ人が生きるための物資だけでもいい、人と人の不平等が消滅する。人はだいたい生きるために行動する。働くでも好きだからじゃなく、生きるためだけです。今はまだ見えませんが、共産主義の時代には生きるための資源は今の空気のように簡単に手に入れますから
共産主義社会を実現するために必要な条件は今の私たちが想像できないすごく高い生産能力です。その平等はこの生産能力から自然に生み出す結果なんです。
不平等の根源は資源の希少性。資源が足りないから奪い合いが発生する。そこから強い者による「秩序」が生まれる。強い者は秩序の内容を制定する主導権を持ってますから、秩序こそ不平等そのものです。
例えば、食べ物でも空気でも生きるために不可欠なものですが、食べ物は空気より獲得しにくい。その原因は食べ物は空気より希少なんです。一般人は食べ物を生産出来ず、ある秩序に従って他人からもらわなければなりません。他人が自分にとって必要な資源を握っていますから、不平等が生み出す。でも普通には空気の供給は無限です。誰でも自由に空気を使えますから、不平等がありません。冗談だけど、今はもう「空気共産主義社会」とも言えるでしょう。
共産主義の目的は中央集権でも独裁でもなく、生産能力を高めて、できるだけ資源の希少性を消すことなんです。集権でも独裁でも物資を集めて生産能力を高めるための一時的な手段に過ぎない。もし本当に資源の希少性を消せれば、たとえ人が生きるための物資だけでもいい、人と人の不平等が消滅する。人はだいたい生きるために行動する。働くでも好きだからじゃなく、生きるためだけです。今はまだ見えませんが、共産主義の時代には生きるための資源は今の空気のように簡単に手に入れますから、生きるのはもう問題じゃない。人は自分の意思で行動できる。自由に自分の道を選べます。これこそ人の解放、共産主義の平等なんです。
共産主義のスローガンは「能力に応じて分担し、必要に応じて分配する」です。その意味では平等に見えますが、実際のところ、労働者のモチベーションが上がらず、従って生産性が向上せずにあれこれ施策を打ったけど、頭打ちというのが実態でした。
それ以上に政府を支配する共産官僚が特権を得てしまい、下っ端は何をやっても下っ端のままでは、そりゃやる気も削がれるというものでしょう。まず「能力に応じて分担」のところで「誰がどうやってその能力を測るのだ?」という問題にぶち当たります。「必要に応じて分配」ってその必要は「誰がどうやって決定するのだ?」となります。一応、建前では会議で決定することになるのですが、その会議の支配権を握った者の恣意にコントロールされることになります。それじゃ、資本主義と変わらくね?となりますが、資本主義がまがりなりにも経済活動の結果、資本を集積したという実績に基づくのに対して何だかよくわからん奴、多くの場合は共産官僚が支配権を握ります。
結果、まったく平等でない状態が出現します。全人類が倫理的に高度に進化して、客観的に能力や分配の必要性を判断できるようになれば別ですが、個(私的自我)と集団(外圧対抗機能)の相克が解消されない限りそんなことは起こりえないので、平等など画餅に過ぎません。
生産手段の私有を禁止して、計画経済で生産を拡大し、社会主義から共産主義にするとのやり方が基本的に破綻しているからと思います。私有財産を禁止して結果的に共産党独裁にして、共産党幹部による専制政治と治安警察による暴力的支配が横行することになっていると思います。また帝国主義的経済拡大のための侵略戦争へと突き進んでいるのが現状と思います。
私有財産を禁止しないけれど、SDGs的な法制度をきちんとして、自由主義経済と自由選挙を基本とした自由体制を維持発展させることが必要かと思います。
詐欺師はにこやかに近づいてきます。注意しましょう
人類史において社会主義、共産主義のような革命なるものはよくあることです。
マルクスの唯物史観というのは、簡単に言うと人類の生産形態は共同狩猟農耕から、農奴封建制そして資本主義を経て最終的な進化の形態として共産主義経済に至り完成するという、当時の有名なダーウィンの『進化論』を真似て作り出した似非『進化論』です。
マルクス自身はこれをして科学的だと褒め称えるのですが、ダーウィンの『進化論』は、進化は環境への適応性であり、最終的な究極的な進化の姿など想定してはいません。
ところが、その進化の最終的な共産主義という姿が歴史的必然性として、資本主義の矛盾から発展しなくてはならない。ここに、「独善」的な共産主義体制実現への革命が必要になるのです。
じつは、このマルクスの進化論にはキリスト教思想にある「千年王国論」が影響しています。一つの終末思想ですが、千年の後にこの世が廃れた後に理想郷をこの世に造るという思想運動です。仏教でも、末法思想とか弥勒思想という形で「世直し運動」の源泉となってきました。
(左から、ノアが神に選ばれた供物を洪水の前に方舟に積む。堕落したバベルの町の塔。 洪水の後、神が選ばれた供物に対して虹で栄光を与える。ー旧約聖書「創世記」Etching by J. Hulett., -1771.)
このての終末思想運動は「穢れた世の矛盾に対するアンチテーゼ」を唱える「カリスマ」という神がかり的宗
人類史において社会主義、共産主義のような革命なるものはよくあることです。
マルクスの唯物史観というのは、簡単に言うと人類の生産形態は共同狩猟農耕から、農奴封建制そして資本主義を経て最終的な進化の形態として共産主義経済に至り完成するという、当時の有名なダーウィンの『進化論』を真似て作り出した似非『進化論』です。
マルクス自身はこれをして科学的だと褒め称えるのですが、ダーウィンの『進化論』は、進化は環境への適応性であり、最終的な究極的な進化の姿など想定してはいません。
ところが、その進化の最終的な共産主義という姿が歴史的必然性として、資本主義の矛盾から発展しなくてはならない。ここに、「独善」的な共産主義体制実現への革命が必要になるのです。
じつは、このマルクスの進化論にはキリスト教思想にある「千年王国論」が影響しています。一つの終末思想ですが、千年の後にこの世が廃れた後に理想郷をこの世に造るという思想運動です。仏教でも、末法思想とか弥勒思想という形で「世直し運動」の源泉となってきました。
(左から、ノアが神に選ばれた供物を洪水の前に方舟に積む。堕落したバベルの町の塔。 洪水の後、神が選ばれた供物に対して虹で栄光を与える。ー旧約聖書「創世記」Etching by J. Hulett., -1771.)
このての終末思想運動は「穢れた世の矛盾に対するアンチテーゼ」を唱える「カリスマ」という神がかり的宗教者によって引き起こされます。唯物史観はマルクスという学者が唱えた神話ですが、その「世直し運動」つまり革命神話を実現したのがカリスマたち、レーニン、毛沢東、カストロ、金日成、ポルポトでした。
共産主義体制は革命の狂信的信仰から生まれているので、その後も常に制度的、もしくは血統的カリスマたちによりその信仰を維持しなくてはならないのです。
カリスマは民主主義から決して生まれない。民主主義の指導者は国民から選ばれるのです。カリスマは「選ばれる」のでなく、神的な特殊能力者として神話の構造から「現れる」のです。そこに民主性、制度性はありません。
日本共産党は今年一月の第23回党大会で綱領を改定し、社会主義社会と共産主義社会を区分してとらえる、二段階論はとらず、一つの社会の連続的な発展としてとらえる立場を明確にしました。 未来社会について、これまでは、生産物の分配の仕方を基準にして、「能力に応じて働き、労働に応じて受けとる第一段階」=社会主義と、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という「高い段階」=共産主義という区分でとらえることが国際的な“定説”でした。 しかしこれは、科学的社会主義の学説をつくりあげたマルクスやエンゲルスの考え方ではなく、レーニンが『国家と革命』のなかで展開したもので、のちにスターリンらによって、ソ連社会を美化する道具だてとして最大限に利用されました。 マルクスやエンゲルスが、未来社会の中心的問題としたのは、分配問題ではなく、生産様式の変革=「生産手段の社会化」にありました。 日本共産党は、今回の綱領改定にあたり、「レーニンのマルクス解釈の誤りを是正することを含め、従来からの国際的な“定説”を根本的に再検討」(「綱領改定についての不破議長報告」)し、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」と、明確に記しました。 マルクスや
日本共産党は今年一月の第23回党大会で綱領を改定し、社会主義社会と共産主義社会を区分してとらえる、二段階論はとらず、一つの社会の連続的な発展としてとらえる立場を明確にしました。 未来社会について、これまでは、生産物の分配の仕方を基準にして、「能力に応じて働き、労働に応じて受けとる第一段階」=社会主義と、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という「高い段階」=共産主義という区分でとらえることが国際的な“定説”でした。 しかしこれは、科学的社会主義の学説をつくりあげたマルクスやエンゲルスの考え方ではなく、レーニンが『国家と革命』のなかで展開したもので、のちにスターリンらによって、ソ連社会を美化する道具だてとして最大限に利用されました。 マルクスやエンゲルスが、未来社会の中心的問題としたのは、分配問題ではなく、生産様式の変革=「生産手段の社会化」にありました。 日本共産党は、今回の綱領改定にあたり、「レーニンのマルクス解釈の誤りを是正することを含め、従来からの国際的な“定説”を根本的に再検討」(「綱領改定についての不破議長報告」)し、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」と、明確に記しました。 マルクスやエンゲルスは、用語上も「社会主義」と「共産主義」を同じ意味で、状況に応じて使っていました。日本共産党も今後は、「社会主義」「共産主義」の二つの用語を同じ意味で使うことにし、未来社会をきちんと表現するときには「社会主義・共産主義社会」と表現することにしています。
との事です。
A2Aありがとうございます
この分野は素人なので、僕の回答が役立つとは思えません。かつこの質問を見る人も、少なそうです。普通は速攻辞退する質問です。
が、直々にSNSでリクエストがありましたので、回答を考えてみました。ちなみに、質問者には、僕の考えであれば正しくなくていいよと、要望されたので、以下は正当的な回答でもでも、その道の専門家からみて正しいものでも無いことを、お断りしておきます。一市民の感想程度です。
また、僕は政治を客観的に観察する方が好きなので、特定の政党や国家の優劣を評価するようなことは、書かないようにしていますし、今回もそうしたつもりです。が、もしも気になるところがありましたら、どうぞご遠慮なくご指摘下さい。直せそうなところは直します。
共産主義と社会主義の違い、から回答しましょう。これはなかなか難しいと悩んだのですが、いい説明を考えました。
キツネそとたぬきの違いようなものです。
動物ではなくて、うどん、そばのキツネとたぬきです。これ、なかなかいい説明だと自画自賛したい。本当は速攻回答辞退しようと思ったが、この説明を思いついて回答を書くことにした、というくらいの自信作です。
では理由を説明しましょう。
味はだいたい似ています。ダシも麺も同じ。違うのはトッピングだけです。
油揚げか、天かすが入っています。
さて、どちらがキツネでどちらがたぬきでしょうか?
関東では、油揚げが入っている方が
A2Aありがとうございます
この分野は素人なので、僕の回答が役立つとは思えません。かつこの質問を見る人も、少なそうです。普通は速攻辞退する質問です。
が、直々にSNSでリクエストがありましたので、回答を考えてみました。ちなみに、質問者には、僕の考えであれば正しくなくていいよと、要望されたので、以下は正当的な回答でもでも、その道の専門家からみて正しいものでも無いことを、お断りしておきます。一市民の感想程度です。
また、僕は政治を客観的に観察する方が好きなので、特定の政党や国家の優劣を評価するようなことは、書かないようにしていますし、今回もそうしたつもりです。が、もしも気になるところがありましたら、どうぞご遠慮なくご指摘下さい。直せそうなところは直します。
共産主義と社会主義の違い、から回答しましょう。これはなかなか難しいと悩んだのですが、いい説明を考えました。
キツネそとたぬきの違いようなものです。
動物ではなくて、うどん、そばのキツネとたぬきです。これ、なかなかいい説明だと自画自賛したい。本当は速攻回答辞退しようと思ったが、この説明を思いついて回答を書くことにした、というくらいの自信作です。
では理由を説明しましょう。
味はだいたい似ています。ダシも麺も同じ。違うのはトッピングだけです。
油揚げか、天かすが入っています。
さて、どちらがキツネでどちらがたぬきでしょうか?
関東では、油揚げが入っている方がそば、うどんともにキツネです。
ところが大阪に行くと違うのです。たぬきそばに油揚げが入っている。大阪ではキツネもたぬきも油揚げ入りで、キツネはうどん、たぬきはそばなのです。
関東と関西で姿が変わる!? 「きつね」と「たぬき」|ゼクシィキッチン
共産主義、社会主義の、違いは、ぼくにはまさにこのようなものに見えます。各国には国名に社会主義、共産主義という言葉があり、政党名にも社会主義、共産主義という言葉があります。
一応いくつかの定義があるようですが、実態として、整合性のある定義がされているようには見えません。
それぞれ思い思いに、これが社会主義、これが共産主義、と定義しています。
トッピングはかなり自由です。さらに紅生姜、卵などを加えることもできます。トッピングをいれ過ぎて、なんだかキツネにもたぬきにも見えないものあるようですが、好きな人は好きにしてたべればよいように思います。
そして、かなり自由に思えますが、それぞれの定義を信じている人にそれと違う定義もある、というようなことを言うと、とくとくと、自分たちこそ正当である、と主張されます。
へたに「それは邪道だ」なんて言おうものなら、刺されかねないので、下手なことは言わない方が良いです。
というわけで、共産主義、社会主義そのものがどうであるかは、言及しないでおきたいと思います。冷静さを失った人に罵倒されたり、どこかから矢が飛んでくるのは怖いです。
もうひとつ、この例えには実際との共通点があります。どちらもできたときには美味しいのですが、時間とともに麺が伸びてしまうように思います。出来たてが美味しいので、麺が伸びないうちに食べてしまった方が良い。
まあ、うどんのように、あまり伸びないのもありますが、ブツブツと切れてしまったり、グニグニやしてとらえどころがなかったりいたします。
好きな人には大変魅力的なメニューてすけどね。
マルクス主義との関係も説明しないと。あ、これもいい例えがありますね。
マルクス主義は、丸亀製麺だと思えば良いと思います
でも、そろそろ僕の説明がつまらないと思ったり、腹が立って読むのが嫌になった人も多そうなので、説明は終わりにします。
でも興味がある人は、マルクス、レーニン、そしてロシア革命の歴史と、丸亀製麺の歴史を調べて見ると良いと思います。多分、マルクス主義と丸亀製麺の語呂あわせ以外の発見があるかもしれません。
この例えを気に入ってもらえると良いと思います。
ところで、
僕は丸亀製麺、大好きです。
説明は、以上です。
説明が全くわからなかったという人。なんか不愉快だったという人、すいません。もともとこういう質問に答えるのは得意ではありません。どうしてもという事で答えた回答ですので、苦情の方は、どうか回答をリクエストした質問者様の方にお願いいたします。
もし万一楽しんていただけたら、幸いです。
ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました。
社会主義と共産主義の違いには、いくつかの解釈があります。
少し乱暴な区分けかもしれませんが、私は、社会主義は政治体制の概念、共産主義は経済体制の概念、と考えています。これに対応して、民主主義は政治体制の概念、資本主義は経済体制の概念、となります。
このように考えると、政治体制については社会主義と民主主義が対立概念となり、経済体制については共産主義と資本主義が対立概念になる、と整理できます。
社会主義では統治の主体は社会にあり、国民は社会によって保護されるべきという考え方になります。一方、民主主義では統治の主体は国民である、という考え方になります。
また共産主義は、国民が共に労働することで共に生産し、これを分け合うという考え方、資本主義は、資本家の資本をもとに労働者が生産する体制を作る、という考え方になります。
また経済運営の方針として、共産主義は計画経済、資本主義は自由主義経済を採ります。
従来、マルクス・レーニン主義を唱える社会主義国は、共産主義で経済を運営してきました。しかし経済の破綻からソ連は崩壊し、中国では鄧小平のときに資本主義的な市場経済を取り入れました。しかし中国では依然、国家の最上位に共産党があり、一党独裁の体制を貫いています。この体制は、社会主義の政治体制に、資本主義の経済体制を組み合わせたものと解釈できます。ご質問には「なぜ中国は社会主義にならなかったのか」とありますが、これ
社会主義と共産主義の違いには、いくつかの解釈があります。
少し乱暴な区分けかもしれませんが、私は、社会主義は政治体制の概念、共産主義は経済体制の概念、と考えています。これに対応して、民主主義は政治体制の概念、資本主義は経済体制の概念、となります。
このように考えると、政治体制については社会主義と民主主義が対立概念となり、経済体制については共産主義と資本主義が対立概念になる、と整理できます。
社会主義では統治の主体は社会にあり、国民は社会によって保護されるべきという考え方になります。一方、民主主義では統治の主体は国民である、という考え方になります。
また共産主義は、国民が共に労働することで共に生産し、これを分け合うという考え方、資本主義は、資本家の資本をもとに労働者が生産する体制を作る、という考え方になります。
また経済運営の方針として、共産主義は計画経済、資本主義は自由主義経済を採ります。
従来、マルクス・レーニン主義を唱える社会主義国は、共産主義で経済を運営してきました。しかし経済の破綻からソ連は崩壊し、中国では鄧小平のときに資本主義的な市場経済を取り入れました。しかし中国では依然、国家の最上位に共産党があり、一党独裁の体制を貫いています。この体制は、社会主義の政治体制に、資本主義の経済体制を組み合わせたものと解釈できます。ご質問には「なぜ中国は社会主義にならなかったのか」とありますが、これは「なぜ中国は共産主義を捨てたのか」とする方が正しいと思います。現在の中国は、共産党という名にも拘わらず、実質的に共産主義を捨てていますが、政治の体制は依然として独裁的な社会主義そのものです。共産主義を捨てたのは、経済が停滞し、西側諸国に大きく遅れを取ったからです。資本主義を取り入れた中国はその後、急速に発展し、現在では米国に次ぐ世界第2位の経済大国になっています。しかし政治的には上述のように共産党による一党独裁体制です。このような社会主義は、国民の意見が反映されにくく、自由な社会を築きにくいという根源的な問題を抱えています。たとえ国民が豊かになっても、この点は解決しないということが、今の中国の状況から分かります。
このような文脈で「平等」を使用するに場合、典型的には「機会の平等」と「結果の平等」があるように思います。
私の解釈では、社会主義は「結果の平等」に主眼を置いた主義であり、「機会が平等な社会」を目指しても、イメージされる「社会主義」とは程遠いものになると思われます。
実際、多くの国の制度としては、「機会の平等」を教育等で保証しつつ、国民の非難の目をある程度かわすため、所得再配分や社会保障によって、建前的に「結果の平等」実現の努力をしている ような制度設計が多いのではないかと推察します。
ちゃんと調べてなくて済みません。詳しい人、あとはよろしくお願いします。
海外からの不動産投資や援助で生活する経済システム。
【日本の3400万円が無駄に...!?】 フィジーで見た"国際支援の闇"
原貫太
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原貫太
質問の原文(英語)はDoes progressivism lead to communism?ですね。英語のprogressivismは歴史的用語で、十九世紀末のアメリカでの独占資本への産業の高度な集中化と、その副作用としての貧富の差の拡大に対して「なんとかせにゃいかん」という現状打破を目指す革新主義・運動を指します。
アメリカのprogressivism=進歩主義、革新主義の代表的な政治家は第26代大統領のセオドア・ルーズベルトです。テディはその名もズバリProgressive Party(進歩党/革新党)を設立したくらいです。セオドア・ルーズベルトは進歩党/革新党の候補として資本主義の制限を主な公約として1912年の大統領選に臨みますが、民主党のウッドロー・ウィルソンと公約が被り、大統領選に敗れてしまい、進歩党/革新党は自然消滅してしまいました・・・
アメリカのprogressivism=進歩主義、革新主義は歴史的に共産主義にはつながらなかったのですが、十九世紀の独占資本の発展と貧富の差の拡大を良しとせず、何とかしようという改革を志向した点においてはMarxism=マルクス主義と同根だと言えます。progressivismが資本主義すべてを否定せず修正資本主義を目指したのに対してMarxismは資本主義を全否定して社会主義から共産主義社会の実現を目指したわけです。
progressi
質問の原文(英語)はDoes progressivism lead to communism?ですね。英語のprogressivismは歴史的用語で、十九世紀末のアメリカでの独占資本への産業の高度な集中化と、その副作用としての貧富の差の拡大に対して「なんとかせにゃいかん」という現状打破を目指す革新主義・運動を指します。
アメリカのprogressivism=進歩主義、革新主義の代表的な政治家は第26代大統領のセオドア・ルーズベルトです。テディはその名もズバリProgressive Party(進歩党/革新党)を設立したくらいです。セオドア・ルーズベルトは進歩党/革新党の候補として資本主義の制限を主な公約として1912年の大統領選に臨みますが、民主党のウッドロー・ウィルソンと公約が被り、大統領選に敗れてしまい、進歩党/革新党は自然消滅してしまいました・・・
アメリカのprogressivism=進歩主義、革新主義は歴史的に共産主義にはつながらなかったのですが、十九世紀の独占資本の発展と貧富の差の拡大を良しとせず、何とかしようという改革を志向した点においてはMarxism=マルクス主義と同根だと言えます。progressivismが資本主義すべてを否定せず修正資本主義を目指したのに対してMarxismは資本主義を全否定して社会主義から共産主義社会の実現を目指したわけです。
progressivismは改革志向、Marxismは革命志向です。代表的なcommunismのMarxismは中途半端な社会改良主義のsocial democracyを憎むのでprogressivismからMarxismにつながる可能性はないでしょう。progressivismの裔はsocial democracy=社会民主主義として健在です。歴史的には進歩主義は共産主義につながらなかった、Progressivism hasn't led to communism, but it led to social democracy.と言えると思います。
共産主義者を「理論としての共産主義を理想とする者」とするならば、おおむねその通りかと思います。資本家を追放し、階級闘争を経て共産主義体制に到達したならば、すべての財産は国家管理となり、国民の財産は没収され、その富は全国民に平等に分配される、身分の差はなくなる、というのが彼らの理論です。そして「世界革命論」に基づき世界規模で闘争に勝利することが計画されていました。ですから「世界の平等を願う者である」と考えて間違いではありません。まあ、恐ろしく乱暴で悪平等であるとは思いますが。
一方で、現存の共産主義/社会主義を標榜する「国家」が世界の平等を願っているということでは全くありません。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国が平等の理念とはかけ離れた国家であること、その指導者たちもまた平等とは対極の地位にあることに議論の余地はありません。「共産主義理論を信奉する者」と「現実の共産主義/社会主義国家」は分けて考える必要があります。
(唯一、キューバはほとんどの国民が貧しいため貧富の差はさほどなく、政治家もクリーンで、汚職も他の社会主義国に比べ少ないようです。国家運営に成功しているとは言い難いですが。)
共産主義国家において中央政府が絶対的権限を持つというのは、共産主義の理論上当然のことです。共産党は人民を導く前衛政党であり、教義上これを超える権能を持つ組織は存在し得ません。全知全能であり、絶対に過ち
共産主義者を「理論としての共産主義を理想とする者」とするならば、おおむねその通りかと思います。資本家を追放し、階級闘争を経て共産主義体制に到達したならば、すべての財産は国家管理となり、国民の財産は没収され、その富は全国民に平等に分配される、身分の差はなくなる、というのが彼らの理論です。そして「世界革命論」に基づき世界規模で闘争に勝利することが計画されていました。ですから「世界の平等を願う者である」と考えて間違いではありません。まあ、恐ろしく乱暴で悪平等であるとは思いますが。
一方で、現存の共産主義/社会主義を標榜する「国家」が世界の平等を願っているということでは全くありません。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国が平等の理念とはかけ離れた国家であること、その指導者たちもまた平等とは対極の地位にあることに議論の余地はありません。「共産主義理論を信奉する者」と「現実の共産主義/社会主義国家」は分けて考える必要があります。
(唯一、キューバはほとんどの国民が貧しいため貧富の差はさほどなく、政治家もクリーンで、汚職も他の社会主義国に比べ少ないようです。国家運営に成功しているとは言い難いですが。)
共産主義国家において中央政府が絶対的権限を持つというのは、共産主義の理論上当然のことです。共産党は人民を導く前衛政党であり、教義上これを超える権能を持つ組織は存在し得ません。全知全能であり、絶対に過ちを犯さない共産党の(代表者や責任者ではなく)指導者もまた全知全能でなくてはならず、自然発生的に特権が生まれ、人民との間に統治する者とされる者の立場の違いが生じます。従って「身分の平等」はすでに理論的に破綻しています。
また富の配分が平等であるならば、たとえて言うならばそれなりの額のベーシックインカムが毎月黙っていても降ってくるみたいなもので、誰も積極的に働かなくなる。さらに悪いことに、頑張って人の2倍3倍の成果を上げても、もらえる給料は同じ、となれば生産性はガタ落ちとなり、経済が傾くのは当たり前。そんな簡単な理由でソビエト社会主義共和国連邦は没落していきました。私利私欲を捨て、聖者のような心持にならない限り、「富の平等」もまた人類の理想にはなり得ないでしょう。
まず、ロシアや中国などの社会主義は、自由化に対応できなかった後進国で起きたクーデターであり、社会主義国家とは言えません。実際、現在のロシアは、巨大な軍隊を持った覇権国家ですし、中国も国家が独裁管理する拝金主義者の資本主義ですね。
日本の場合は昔から農民は土地を自分で持っていました。墾田永年私財法や班田収授法などです。近年になって土地を手放し都会で生活する人が多くなりましたが、土地そのものに対する執着はまだ残っています。
そういう意味では、共産主義は日本では無理だと思います。私有財産は日本人の根幹的部分でもあるので、難しいと思います。たとえ万が一、周りが共産主義になったとしてもです。不思議なことに二律背反で、一方で前例主義で官僚的な思考しかしないお役人根性の人間がいる一方で、努力や工夫をしていくのが好きな人間が多いのも日本人の特徴です。
無理。この質問すごく多いけど何が目的で同じ質問ばかり繰り返すんだろう。何度か回答してるけど、繰り返すね。平等を目的として能力のある人の働きを搾取するのがスタート。働く意義が見いだせず全員が働かなくなるから、能力のある人に稼ぎを渡す仕組みに変え公平を目指すが、働きの悪い人は飢える。それじゃ困るからバランスを取るために人為的に判断させるとそこが利権になる。共産主義は一党独裁だから、平等でも公平でもない中に利権が横行して、独裁のためにそれを変える仕組みも持ってない、それが共産主義の作る社会。成功するわけがない。
思想としての共産主義が国家のイデオロギーに採用されたことは20世紀にありましたが、社会制度として共産主義が実現したことはただの一度もありません。
1917年の「10月革命」で権力を掌握したレーニンは、共産主義を標榜しましたが共産主義に至るための段階としての社会主義を採用して各種の社会改革を進めていき、ロシアを中心としたソビエト連邦が形成されます。ソビエト連邦以外にも同様の国家体制を採用する国が続きますが(東ドイツと東欧諸国、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバ)、どの国も共産主義を実現したとは言ってません。
それらの国々において共産主義は社会体制の理念ではありましたが、現実には社会主義で運営されていました。
そして、ソビエト連邦と東欧諸国の共産党政権が崩壊し、その他の共産主義国家も理念があやふやになりはじめ、中国にしてもベトナムにしてもどこか社会主義なのか分からない状態となりました。北朝鮮はただの貧しい独裁国家にしか見えませんしね。
社会主義、共産主義、資本主義あるいは他のどんなに優れたシステムであったとしても運用が悪ければうまくいきません。社会主義・共産主義は理想としてみんな平等を目指していたはずですが、権力者の独裁等により格差がひどく平等とはほど遠いものになってしまいました。
私見ですが、
「平等」ってのが定義不可能なんで、無理なんだと思います。
平等、って言葉はありますが、具体的にどうしたら平等か?ってのが人に依って違って纏められないので、結局誰かが定義するしかないんですよね。しかも、分配する対象の質と量が刻々変わるので、定義した通りにやるのも不可能に近い。しかも、分配するには全員から集めないといけませんが、それが完全に叶うかどうかも問題で。
そして、定義も納得できない、実際分配されない、自分のは出したくない、って不満分子が出るのは避けられないし、結局、定義決めてウンと云わせる、分配したのをウンと云わせる、取り立てるのをウンと云わせる、権力、実力があって実施する人らがいないと社会主義、共産主義は機能できません。
で、それって帝王とか皇帝と何が違うの?って事なんじゃないかと。
社会=全体である以上、社会主義=全体主義であり、独裁を阻止するメカニズムがない限り、独裁に陥り、庶民は「平等」な貧困にあえぐ。
計算機が使える現代では、社会の安定のために緩やかな傾斜を狙っていて
社会主義や共産主義の国といえども二局化は避けているのでは?
「論理的に完璧」な事と「人間にそれが出来る」事とは違います。
現在「新秩序・ニューワールドオーダー」などと聞こえよがしに旗が振られて居ますが、グローバリストたちが目指しているものこそ「新社会主義」です。
彼らが持つ権力は、フーコー言う所の「生権力」です。彼ら以外は「平等に家畜労働者」となります。
現在のオメデタイ日本人は「自ら望んでいる」様にしか見えません。既に「シープル」となって居ます。
なっていますね。
社会主義や共産主義を標榜していた中国やロシアを見ると、独裁者になる自由があり、他国に攻め込む自由があるようで、考えようによっては大いなる悪意を持っている人はそれが発揮できるようになるようです。真の平等は支配されてもOKの人は支配をされるのを許容し、権力を用いて他の幸福を破壊したい人はそれができるということなのかもしれません。
日本や米国を含む自由と民主主義を標榜する国では自分の自由を100%発揮できません。なぜなら他の人の自由のために50%の自由を譲り渡さなければならないからです。平等にしようとすると、手に入るものも分配しなければなりません。1億人いると自分の取り分は努力したにも関わらず一億分の1になります。
そんな意味で共産主義や社会主義はかなり平等なのではないかと思います。以上悪い冗談ですが、
仰る通りです。
平等になります。
その実例が日本国です。
日本は『世界で社会主義国として成功した唯一の国』と言われております。
何でもかんでも平等・平等…。
更には無音の同調圧力。
社会保障費によって国家財政が破綻寸前で在るにもかかわらず、
いまだに続ける皆保険制度。
法律が整備されていないにもかかわらず、
鶴の一声で1億2千万人が自宅待機に従う従順さ。
平均寿命を過ぎている老人に対して支払われる高額医療費。
それでいて、政治体制だけは社会主義国を標榜している中国、北朝鮮では毎年多くの餓死者が発生していますが、日本は餓死者なんて一人として発生していません。
尚、これが良いか否かは個々人の判断ですが、
少なくとも日本国民はこうした日本式社会主義に満足のようです。
但し、世界の民主国家からは前途した『世界で社会主義として成功した唯一の国』とは、
皮肉を以て語られているということを承知しておくべきかと思います。