欧米で進む戦勝国史観見直し |國民會館 読み込まれました

武藤記念講座

Muto Memorial Lecture

政治論

1110

回武藤記念講座要旨

2023年10月21日(土)

欧米で進む戦勝国史観見直し

評論家・麗澤大学客員教授 江崎道朗氏

はじめに

 今日は「欧米で進む戦勝国史観の見直し」というテーマで近現代史の話をしたいと思います。戦争で敗れた日本は、1946年5月3日の極東国際軍事裁判で「侵略した悪い国だ」というレッテルを貼られ、その後も「南京大虐殺事件」や「従軍慰安婦問題」などで悔しい思いをしてきました。特に実際に戦争で戦った人達やその遺族の人達は、国を守るため一生懸命戦ったにも拘わらず、戦争に敗れ本当に悔しい思いをしてきたと思います。

 第一章 近現代史の見直しの動き

第1節 アジアの近現代史の見直し

 日本が独立を取り戻した後、昭和30年代には心ある学者や戦友会、遺族会の人達は先の戦争に対する見直しに取り組みました。昭和40年代に入ると日本の高度経済成長が始まりアジア諸国との関係が深まり更に近現代史の見直しが進みました。

 インドネシアのスハルト将軍が大統領に就任し、来日した時のことを思い起こします。スハルト大統領は来日すると、静岡に住んでいた土屋競さんのお宅に挨拶に行きました。戦時中、土屋さんはインドネシア郷土防衛義勇軍(PETA)の教官をしており、スハルト大統領はPETAの一員でした。心ある人達は、先の戦争がアジアの国々の独立を早めることになり日本に感謝していることが段々分かってきました。欧米からは「日本は侵略国家だ」と批判されていましたが、アジアの人達は日本のしてきたことを分かってくれていたのです。そのようなことで東京裁判史観に対する見直しが始まったのが昭和40年から50年代にかけてです。私は昭和60年代に社会人になったのですが、その頃戦友会や遺族会の人達と一緒にインドネシア、マレーシア、インドを訪問したことがあります。その時、先の戦争は日本がアジアのために戦った側面があったと実際に伺いました。

 一番嬉しかったのは、1994年8月、インドネシアの首都ジャカルタで、インドネシア独立記念日の前夜祭に参加した時のことです。インドネシア政府からナラリア勲章を授与された金子智一先生と前夜祭のパレードに合流したのですが、その時インドネシアの人達が日本語で軍歌「愛国行進曲」や「兵隊さんよ、ありがとう」を歌ってくれたことです。彼らはお祖父ちゃんやお父さん、お母さんから「日本の軍歌はインドネシアの独立の歌だ」と教わっていたのです。彼らは「日本がインドネシアを占領していた時、インドネシア人に戦い方も教えたけれど、独立を勝ち取ることも教えてくれた」と言っていました。要は、日本人は、独立のために勉強し体を鍛え、行政の仕組みを理解し、住民票を整え、薬を勉強し、農業の技術を勉強するように、国を運営するノウハウを徹底して教えたということです。

 インドネシアはオランダから独立すると、自前で病院を作り、石油会社や精製工場を運営し、船を造り、石油を輸出しました。そのノウハウの一部を教えたのが日本人たちだったのです。インドネシアの人達にとって日本の軍歌はインドネシア独立の歌だったのです。先輩方は本当に良いことをやってくれたと思いました。インドネシア独立にとって重要なことは、オランダはけしからんとデモで叫ぶより、そんな暇があるなら勉強しろと教えたわけです。このような話を聞くと、今後の日本の歴史的な評価も変わっていくと思いました。そして私は、先の戦争で亡くなられた方々の名誉を回復したいという思いから、アジアの国々を廻り歴史の見直しの研究を始めました。そうした中でアジアは、中国と韓国を除けば、味方になってくれると感じました。

第2節 歴史観と国際政治の連動

 欧米でも、「日本は侵略国家で悪い国である」という見方は正しかったのかという歴史の見直しが起きています。基本的には歴史観と国際政治は連動するものだと思います。世界の日本に対する見方は「親日派」と「反日派」の二つのグループに分かれています。しかしアメリカの親日派の中にも、日本が憲法改正をすることは絶対許せないという人が大勢いますし、逆に、日本は嫌いだけれど、日本の憲法改正は重要であるという人もいます。この考え方は「弱い日本派」(WEAK JAPAN POLICY)と「強い日本派」(STRONG JAPAN POLICY)と言います。

 「弱い日本派」は、第二次世界大戦で悪いことをした日本は国際社会から嫌われているので、軍事的に弱い方がよいと国際政治を見る人達です。この人達は自衛隊が弱い方がよいし、軍事的な協力をすべきではないと考えています。

 一方、「強い日本派」は、第二次世界大戦は様々な要因があり、必ずしも日本だけが悪かったわけではない。日本にも評価すべき点があり、日本はインド太平洋のために相応の役割を果たすべきだと考える人達です。

 ただ「強い日本派」の人達が日本を好きであるとは限りません。あくまでアメリカやイギリスから見て日本が軍事的に強い方がよいと思っているだけです。逆に「弱い日本派」にも親日派がいます。日本のことは好きだけど、日本は軍事的な役割を果たすべきではないと思っている人達です。

 要するに親日派と反日派は、必ずしも強い日本派と弱い日本派はイコールではありません。はっきりしていることは歴史観が国際政治に物凄く大きな影響を与えるということです。中国は日本が戦前悪いことをしたのだから憲法を改正すべきでないし、軍事力も持つべきではないと言い続けており、ロシアも同様です。

第3節 米軍基地内にある日本兵の顕彰碑

 10年程前の民主党政権の時、尖閣諸島で海上保安庁の巡視船に中国漁船がぶつかってきた事件がありました。その時私はハワイでアメリカ軍司令部と「尖閣諸島を守るには日米はどうすべきなのか」と議論したことがあります。最初アメリカ軍の幹部から「日本は尖閣諸島を諦めるつもりなのか?」と聞かれました。当時民主党政権は中国に対し譲歩を重ねていたものですから、彼らは、日本は尖閣諸島を中国に譲り渡すのではないかと思っていたわけです。私達は「日米同盟があるので、尖閣諸島を守る協議をしに来た」と言うと、アメリカ太平洋軍幹部はニヤッと笑い、畳2畳分もある尖閣諸島周辺海域の海図を持ってきました。米軍はひそかに尖閣を守るための図上演習をしており、「日本に尖閣を守る気がなければ出番はないし、守る気があれば出番がある」と思っていたのです。協議のあとの昼食会で「第二次世界大戦の日本軍人に対する関心はあるのか?」と尋ねられたので「関心がある」と答えると、近くにある日本軍人の碑に案内されました。それは真珠湾を戦闘機で攻撃中、燃料タンクを撃ち抜かれ母艦に戻れなくなったので、アメリカ海軍基地に突っ込んだパイロットの顕彰碑でした。アメリカの海兵隊は「国のため自分の命を捧げて戦ったパイロットは敵ながらあっぱれだ」と基地内に顕彰碑を作ったわけです。私がお参りすると、彼らは「民主党の国会議員がハワイに来た時、この慰霊碑の話をしたが全然関心を示さなかった。あなたが関心を示してくれて本当に良かった」と言われました。米軍の方は「日本の先人達は本当に立派だった。慰霊碑を作るのは当然だ」と言っていました。一般の日本人は基地内に入れないので、この慰霊碑のことは日本で知られていませんが、アメリカ人がこのような考え方を持っているのであれば「欧米が反日と思い込むのは間違っているのではないか」と思い調べ始めると、欧米でも東京裁判史観や戦勝国史観の見直しが始まっていました。

 

第二章 欧米における歴史の見直しの動き

第1節 ソ連の戦争犯罪の追及 

 1989年、ベルリンの壁が崩壊し欧米で戦勝国史観の見直しが始まりました。ポーランド、ハンガリー、チェコ、オーストリアなどの中東欧諸国で民主化が起こり、最終的にはソ連が解体してバルト三国が独立するという一連の「脱共産主義化」の影響で、一斉にソ連の戦争責任を追及する動きが始まったのです。

 さらに1991年、真珠湾攻撃から50年が経過し、ロシア、アメリカ、イギリスなどで第二次世界大戦に関する機密文書の情報公開が始まりました。

 この二つが大きな契機となって、欧米で歴史の見直しが始まりました。ソ連崩壊を受けて東欧諸国が自由主義陣営にドンドン入ってきて、そうした中でヨーロッパの国々は欧州連合(EU)の理念を協議し、結果的に「ナチス・ドイツとスターリン・ソ連共産主義という二つの全体主義から自由と民主主義を守るのがEUである」という考え方が生まれました。要はナチス・ドイツとソ連・共産主義が最も問題となったわけです。

 第二次世界大戦後、ソ連は戦勝国として日本やドイツを裁く側でしたから、当時、ソ連の戦争犯罪は不問に付されました。しかしソ連崩壊後、ヨーロッパの自由と民主主義を守るためにはソ連の戦争犯罪と共産主義の戦争責任を徹底的に追及することが重要となり、彼らの犯罪を追及する決議が次々と出されました。

 連合国はニュンベルク裁判でドイツの戦争犯罪は追及したが、ソ連の戦争犯罪を不問に付した。これは間違いで今こそソ連の戦争犯罪を追及しようという議論がヨーロッパで一斉に起こりました。

 しかし、こうした歴史の見直しが20年以上も前から始まっていたにも拘わらず日本のメディアは黙殺していたのです。そこで私は3~4年前に、バルト三国、ポーランド、ハンガリー、チェコ、ドイツなどヨーロッパ諸国の戦争博物館を取材して回り、その成果を『日本人が知らない近現代史の虚妄』という本にまとめました。ソ連の支配を受けた国々が戦争博物館を作り、ナチス・ドイツとソ連・スターリンの戦争犯罪や人権侵害の記録を展示しています。主に政府の主導で行っており、ナチス・ドイツやソ連・スターリンが如何に酷いことをしてきたかという資料を徹底的に集め、情報公開を行っています。

第2節 『日本人が知らない近現代史の虚妄』

(1) 戦争博物館

 チェコの「共産主義博物館」では入口に“DREAM、REALITY、NIGHTMARE”(夢、現実、悪夢)と書かれていました。戦前から戦時中にかけて、ソ連のスターリンは「共産主義のソ連の支配下になれば労働者の天国になる」という『夢』を語っていました。しかし『現実』は大勢の人々が収容所に送られ、財産を没収され、残虐に殺されました。そういうことが克明に記録に残されています。再び共産党のプロパガンダに騙され、『悪夢』が戻ってこないように博物館で先生方が修学旅行の生徒達に説明していました。

 ソ連の支配を受けた国は共産党一党の独裁政権となり、お金持ちの財産は全部共産党員のものにしました。チェコ中心街の一等地の建物は1945年から48年の間にソ連とその影響下でソ連の意を受けた共産党の人間に不法に奪われたものです。ソ連崩壊後、この奪われた財産を奪い返す戦いがヨーロッパ諸国で一斉に起こっています。克明な記録を作り、裁判所に訴え、財産を奪い返す戦いです。「これはお前たちの幹部が俺のお祖父ちゃんを殺して奪ったものだろう」と歴史の見直しは、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの財産を取り戻す現実的な戦いなのです。

 エストニアには「KGB監獄博物館」があります。KGBの秘密組織が監獄を造り、地下牢に無実の人を捕まえ、リンチで殺していました。エストニアは冬になると零下になる寒い国です。KGBはコンクリートの暖房のないところに無実の人を閉じ込め、飢えと寒さでジワジワ死んでいくのをいたぶったわけです。その監獄跡をそのまま保存して、自分達の先祖がソ連に酷い目に遭ったことを記録に残しています。さらに、スターリンと毛沢東が如何に世界の大勢の人達を殺したのか。自由を守るためには共産主義やスターリン、中国共産党と戦えという「エストニア自由・占領博物館」も作っています。

(2) バルト三国は日本の同志

 1988年、バルト三国全土でソ連から自由を取り戻す独立運動が起こりましたが、リトアニアの大聖堂は、国民が手を繋いで「人間の鎖」となって抗議運動を始めた出発点です。ガイドさんは「ここから我々の自由を求める戦いが始まりました」ととうとうと話をします。私が「日本人も、ソ連により八十数万人がシベリアに抑留され、十数万人が殺されました」と言うと、彼女は「日本も我々の仲間ですね」と言いました。実際、エストニア占領・自由博物館に行くと「日の丸」の写真が飾られています。バルト三国はソ連に占領され人口の多くがシベリアに送られ、強制労働をさせられました。彼らは日本兵以上に酷い目に遭い、当時シベリアに抑留されていた日本兵は、裏でバルト三国の人達を助けていました。その生き残りの一人が日本兵からもらった「日の丸」の旗を本国に持ち帰り、1991年に独立を取り戻すと「ソ連から酷い目に遭った中、唯一手を差し伸べてくれたのが日本人だった」と「日の丸」の旗を飾ったわけです。バルト三国にとって日本はソ連という共通の敵と戦った同志という捉え方です。「欧米は敵で、アジアだけが味方だ」という捉え方は視野が狭すぎるかもしれないと思いました。

(3) 東郷元帥の写真

 4~5年前、ポーランドが独立百年を迎えた時、ポーランド政府に招待されて、国内にある戦争や独立に関わる史跡を見て廻りました。首都ワルシャワではガイドさんから「ワルシャワの街は第二次世界大戦中にソ連軍によって全部破壊され、その復興に本当に苦労しました」という説明を受けました。彼女はポーランド大学で日本語学部を卒業し日本語がペラペラで祖母から聞いた話をしてくれました。ポーランドは百年前までロシアの帝政下でしたが、第一次世界大戦でロシアが敗れたため独立を達成したということです。彼女の御祖父さん、御祖母さんは、ロシアから早く独立できますようにとマリア様にお祈りしていたそうですが、そのマリア像の横に一枚の軍人の写真が置いてあったそうです。そして大人になって、その写真が東郷平八郎であると知ったそうです。日露戦争でロシアを撃ち破った東郷元帥の写真をマリア様の像の横に置き、早くポーランドが独立できることをお祈りしていたのです。私はそれを聞いて感動しました。私はソ連、ロシアという共通の敵から自由と独立を守るという発想で、東欧やバルト三国は仲間であると思うようになりました。

(4) 歴史検証センター

 東欧・中欧諸国やバルト三国では対ロシア問題ということで歴史の見直しが始まっています。リトアニアのヴィリニュスにある「歴史検証センター」は、小さな事務所に三人の女性がいて、リトアニアがソ連から酷い目にあった様々な資料や聞き取り記録を冊子にしていました。私は「自分は日本人で、我々の祖先もシベリア抑留でロシアから酷い目にあったので、リトアニアの人達の気持ちがよく分かる」と言うと、「自分達のことに関心を持ってくれて有難うございます」と言われ、私が「皆さんが細々とやっているのは何故ですか」と尋ねると、「リトアニアは人口3百万人の貧しく小さな国なので研究に予算が割けないのです」と言われました。私は彼女達を応援するため、英語の記録や冊子を日本円で2~3万円分購入して、「リトアニアと日本はロシアから自由と独立を守るという意味で同志です。一緒に頑張りましょう」と言うと大変喜んでくれました。今まで日本人はここに来た事はないそうです。その後ハンガリーの戦争博物館でも資料を買い込み、飛行場から日本に戻ろうとすると、本や資料でスーツケースが重量オーバーで十数万円も余計に払わなければならなくなったので、空港カウンターのお嬢さんに「自分は反共産主義者の歴史家でバルト三国やハンガリー、チェコの戦争博物館で沢山の本を買ったので重くなったのです」と言うと、カウンターのお嬢さんがニヤッと笑い、そのまま通してくれました。そういうことを一緒にしようとすると応援してくれる人が沢山いるわけです。

 

第三章 アメリカにおける歴史の見直しの動き

第1節 情報公開による歴史の見直し

 アメリカやイギリスでは外交文書が50年経つと情報を公開するルールになっています。アメリカは第二次世界大戦が終わって50年目の1995年7月「ヴェノナ文書」を公開しました。その他「リッツキドニー文書」「マスク文書」「イスコット文書」「ヴァシリエフ・ノート」「ミトロヒン文書」など、ソ連の秘密工作に関する記録が次々と情報公開になっています。この政府記録の公開で、第二次世界大戦に対する歴史の見直しが動き始めています。

 秘密工作などインテリジェンスの記録に基づいて歴史を描くことを「情報史学」(インテリジェンス・ヒストリー)と言います。例えば「ヴェノナ文書」は1943年から47年までの間、アメリカ陸軍情報部が米露間の暗号電報を傍受、解読、分析したものです。アメリカ政府の公的文書が1995年に公開され、研究が進んだ結果、ソ連が第二次世界大戦前から百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、ルーズベルト政権がその工作の影響を受けていたことが判明しました。またルーズベルト政権の財務次官補の要職にいたハリー・デクスター・ホワイトはジュリスト、またはリチャードというコードネームを持つソ連のスパイだったことも明らかになりました。彼はハル・ノートの原案を作った人で、このハル・ノートが日米戦争のきっかけになりました。2005年5月7日、ブッシュ大統領はバルト三国のラトビアでヴェノナ文書により、国務省幹部のアルジャー・ヒスがソ連の協力者と認定された。彼の関与した「ヤルタ協定は史上最大の過ちだ」と演説しました。このヤルタ協定で、ルーズベルトはポーランドやバルト三国をソ連に譲ってもよいとスターリンに約束したわけです。そんな馬鹿な約束をしたのは、ヤルタ協定の原案をソ連のスパイであるアメリカ国務省幹部が作ったからです。それが歴史的に明らかになり、ブッシュ大統領は、バルト三国に謝ったわけです。であるならば、アメリカは日本に対しても詫びるべきです。ソ連が日本から満州や千島列島を奪ったのはヤルタ協定です。歴史の研究により外交を行うのが本来の外交です。日本の外務省は残念ながら近現代史を勉強していないと思います。

第2節 「リメンバー・パールハーバー」の見直し

 アメリカはヴェノナ文書の情報公開でバルト三国に謝りましたが、その他にもアメリカの歴史の見直しが起こっています。

 1941年12月、日本がハワイのパールハーバーを攻撃すると、ルーズベルト大統領は「日本は卑怯な騙し撃ちをした。ジャップを殺せ」と言いましたが、戦争が終わった3年後、1948年に歴史家のチャールズ・ビアードは『ルーズベルトの責任』という本の中で「ルーズベルト大統領は日本が真珠湾を攻撃することを知っていた。しかしアメリカが日米戦争や第二次世界大戦に参戦するために黙っていた。ルーズベルトに責任がある」と書きました。2011年、日本でも漸く藤原書店から翻訳が出版されました。しかしチャールズ・ビアードは日本がよかったと書いているのではありません。アメリカ海軍・太平洋艦隊が真珠湾の奇襲攻撃を受けて致命的な打撃を受けたため、アメリカ海軍幹部は無能な軍人というレッテルを貼られました。そのためアメリカ海軍の首脳部やその関係者は「日本の連合艦隊がハワイに近づいているのに察知できないことはありえない。ホワイトハウスはわざと我々に知らせなかったのだ」と疑念を持つわけです。戦後海軍関係者はアメリカ海軍の名誉回復のため徹底的に調べたわけです。そしてホワイトハウスが日本の機密電報を傍受、解読し、日本の攻撃をある程度分かっていたと突き止めました。その資料に基づきチャールズ・ビアードが「ルーズベルトに責任がある」と書いたわけです。要はアメリカ海軍の名誉回復の本です。

 しかし当時ルーズベルトは「世界を救った英雄」でした。アメリカ海軍や歴史家の言うことに国民は全く聞く耳を持たず、チャールズ・ビアードは徹底的に非難され、職を奪われて、この本は絶版状態でした。しかしアメリカ海軍のメンバーはずっと拘っていました。また民主党のルーズベルトに対して、野党の共和党側は「ルーズベルトはポーランドを助けると言って第二次世界大戦でヨーロッパ戦線に参戦した。ところが結果的にポーランドはソ連の支配下となった。これはおかしい。」という話です。

 ナチス・ドイツは破ったけれど、ポーランドもチェコもハンガリーもバルト三国もみんなソ連の支配下になった。さらに中国を日本から救うと言って日本を破ったけれど、中国は共産党に乗っ取られてしまった。これはルーズベルトがスターリンと密約を結び、意図的にやったものだ。ルーズベルトは東欧やアジアをソ連に譲り渡したと疑うわけです。

第3節 歴史見直しのきっかけ

 1991年、パールハーバー・アタック50年が歴史見直しの大きなきっかけになりました。ハワイで、戦艦アリゾナが沈んだところに「アリゾナ記念館」があり、そこで真珠湾攻撃50年の式典が行われました。当時、朝日新聞は「蘇る反日感情」と言って、「真珠湾攻撃50年に再びハワイで反日感情が生まれ、日本人は物凄く肩身の狭い思いをしている。日本は戦争を反省すべきだ」と言っていました。私が取材に行こうとすると日系のタクシー運転手から「あそこは愛国者達が大勢集まり、日本人と見たら殴られるかもしれない」と止められましたが、当時はまだ若く半分興味津々で行きました。会場には「真珠湾攻撃の生き残りの会」の帽子を被って軍服を着た70~80歳くらいのお爺さん達が大勢いました。ジョージ・ブッシュ大統領は、いつ何時奇襲攻撃を受けるかもしれない、いざという時に備え国の守りを固めよう、国の守りに貢献している軍人に敬意を払おう。と演説しましたが、反日感情を煽る発言は殆んどありませんでした。日本が非難され、日本人は睨まれると思っていましたが、全くそんなことはありませんでした。

 式典が終わりアリゾナ記念館のマギー館長にインタビューすると「式典の名称で揉めて大変だった」という話でした。「パールハーバー50年式典」に「アタック」(攻撃)の言葉を入れるかどうかで議論となり、結局「アタック」の言葉は入れないことになったと言いました。その訳は当時ハワイの観光客の半分以上が日本人で、反日感情を出して日本人がハワイに来なくなったら困るということが第一でした。第二が日本は同盟国だから、同盟国を批判するようなセレモニーをしてはいけないという事でした。第三がパールハーバーに関して歴史的研究が進み、日本が悪かったというのは憚られるということでした。チャールズ・ビアード博士などの研究が積み重なった結果、一方的に日本が悪いと言えないということです。「チャールズ・ビアード博士の研究が評価されているのですか」と尋ねると、本が出た当時いろいろ問題はあったが、50年も経つといろいろな経緯が明らかとなり、日本だけが悪いとは言えないということでした。

 インタビューが終わると外が騒がしい。それは“REMEMBER HIROSHIMA”、“REMEMBER TOKYO”、“REMEMBER NAGASAKI”というデモでした。広島、長崎の原爆投下、東京大空襲はパールハーバーよりも酷い戦争犯罪だ。これを忘れてリメンバー・パールハーバーと言うのはフェアじゃないということです。30才ぐらいの若者が「ヒロシマ、ナガサキはパールハーバーより酷いだろう」と言うので、私が「その通りだ」と答えると大喜びでした。アメリカではこのようなデモが行われており、アメリカには学問の自由、言論の自由があり、様々な物の見方があると思いました。

 翌日のハワイの新聞にはこのデモのことが載るかと思いましたが、見事に黙殺していました。また日本のテレビ局もこの式典の取材に来ていましたが、デモの様子を全く報じませんでした。彼らは、日本はアメリカ人から未だに恨まれていると報じたいのだろうと思いました。日本の歴史見直しの動きは一部の日本人の偏狭な見方で、「日本は悪いことをした国だ」という言語空間を守るために報じなかったのでしょう。また保守の人達もこうした行事に行かないので現実が分からず、「東京裁判史観の見直しをすると欧米を敵に回す」と思い込んでいるのです。

第4節 アリゾナ記念館のビジターセンター

 5年程前の第二次安倍政権の時、岸信夫衆議院議員が防衛大臣になる前のことですが、岸さんたちに同行して、尖閣諸島や台湾有事の問題の実務協議のためにハワイのアメリカ太平洋軍司令部へまいりました。その時、岸さんが「亡くなられた戦没者に敬意を表するため献花したい」と言われましたのでアリゾナ記念館に行き、折角の機会なので真珠湾攻撃に至る経緯についての資料が展示されているアリゾナ記念館のビジターセンターも見学することにしました。入り口には“A GATHERING STORM”(迫りくる嵐)と書かれ、真珠湾攻撃に至る経緯についての総括的な文章がありました。その内容を仮訳すると「アジアで対立が起きつつある。旧世界の秩序が変わりつつある。アメリカ合衆国と日本という二つの新興大国が世界を舞台に指導的役割を取ろうと台頭してくる。両国共に国益を推進しようとする。両国共に戦争を避けることを望んでいる。両国は一連の行動をとり、それが真珠湾でぶつかることになる」と書かれていて、驚きました。

 日本の真珠湾攻撃は「国益」(NATIONAL INTEREST)と言っていて、「侵略」ではないのです。私は責任者に「この展示の文章は誰が書いたのですか?」と思わず尋ねました。責任者は「アリゾナ記念館はアメリカ国立公園局という政府機関の施設で、アメリカ軍、ハワイ州政府、国立公園局そして地元の歴史家達の四者による協議委員会が展示の中身や表現を決めている」とのことでした。要はアメリカの国防総省や国立公園局が了解した表現に間違いないわけです。

 この文章の原案を実際に書いた人は誰かと聞くと、「地元の歴史学者」との答えでした。その方は生憎ヨーロッパの学会に出張中でお会いできませんでしたので、翌年春、再びハワイを訪問し「展示に国益と書かれていますが、本当にそう思っているのですか」と尋ねると、彼は「日本は国益のために戦ったのでしょう。何か間違った事を言っていますか?」と言われました。「日本は極東国際軍事裁判、東京裁判で侵略戦争をやったと言われていますが、それについてあなた方はどう思っていますか?」と尋ねると、「東京裁判が何故自分達の研究に関係するのだ。あれは政治の話で、歴史家の研究とは何の関係もない。何故自分達は東京裁判の考え方に左右されなければならないのだ」と言われました。また彼からは「日本の真珠湾攻撃に至る経緯について、英文の資料が少なくて困っている。資料があるなら欲しい」と言われましたので、マッカーサーの上院で述べた「日本の戦争は自衛のためだった」という上院の有名な演説のPDFをすぐに送りました。彼はマッカーサーがこんなことを言っているのを知りませんでした。そこで私は「展示委員会で協議して、マッカーサーの演説をアリゾナ記念館に展示するとさらに議論が深まるだろう」と言うと、「それはいいアイディアだ」と喜んでくれました。

 このようにアメリカは歴史の見直しが確実に進んでいます。朝日新聞は「アメリカは未だに東京裁判史観である」と言いますが、必ずしも全てのアメリカ人がそうではないということです。

第5節 ヴェノナ文書の研究が進む

 アメリカで「ヴェノナ文書」の研究を色々な政治学者や歴史家がしています。その中にスタントン・エヴァンズとハーバート・ロマースタインがいます。スタントン・エヴァンズは国際政治学者で、ハーバート・ロマースタインは情報史学の専門家です。2012年、『STALIN'S SECRET AGENTS』(スターリンの秘密のスパイ)という本を出しアメリカで話題になりました。私はこの本を分かり易く解説するために『日本は誰と戦ったのか』という本を出して、アパ日本再興大賞を受賞しました。本の中でエヴァンズは「ソ連による政治工作は第二次世界大戦が最も顕著で、反共防護措置は事実上存在しなかった。そのため親ソ派の陰謀がアメリカの参戦に決定的な役割を果たした。注目すべきは真珠湾攻撃に先立って共産主義者と親ソ派が行った複雑な作戦で、真珠湾攻撃のバックにソ連とソ連のスパイの工作があった」と書いています。真珠湾攻撃は日本にも責任がありますが、ソ連と共産主義者達がアメリカと日本を戦わせるために工作したという本が10年前からアメリカで発刊されているという動きはしっかり見ることが大事です。

 

おわりに

 最後に、トランプ前政権の時、トランプ大統領は「テロとの戦いより、中国との戦いが重要だ」と言って米中対立に舵を切りました。その時の国務長官マイク・ポンペイオの対中政策のアドバイザーが歴史家のマイルズ・マオチュン・ユーです。彼は『THE DRAGONS WAR』と『OSS IN CHINA』という二冊の本を書いており、その中で「アメリカが第二次世界大戦で中国を失った歴史的経緯を踏まえ、対中政策を考えるべきだ」「近現代史の見直しから対中、対アジア、対日戦略を作り直すべきだ」と言っています。

 アメリカは、歴史観と国際政治を連動させて考えています。歴史のない国だから、歴史をしっかり見るのです。日本は歴史の見直しも行わず、表面的な戦略だけやっています。しかし両方があって深みのある世界戦略、外交が行われると思います。

 私の専門分野は安全保障やインテリジェンスですが、近現代史の研究をする理由もそこにあるのです。是非とも「歴史観」と「国際政治のインテリジェンス」を連動させるというアプローチで日本の外交、安全保障をバージョンアップしていきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

 

質疑応答

質問者A.日本軍の参謀の中にもソ連のスパイがいたのではないでしょうか?

回 答 .日米戦争が始まる直前にゾルゲ事件が発覚しました。ただソ連のスパイ狩りは、当時の東條政権の政治的判断でゾルゲまでで止めました。実は官邸や軍の中にもソ連のスパイがいたのは公然の事実です。しかし追及を止めた結果うやむやになってしまったというのが現実です。今更、刑事責任を追及することはできませんが、私は政治的な責任を追及すべきだと思います。ただ残念ながらその証拠資料が少なく、推定無罪となるため追及しづらいのです。しかしこれにしっかり向き合うべきだと思います。

 

質問者B.バルト三国や東欧諸国が、共産主義の中国習政権が行っている「一帯一路」に積極的に係わっているのは何故ですか?

回 答 .バルト三国、東欧諸国は経済的に発展しなければロシアに呑み込まれてしまうのです。そこでロシア以外の国であれば、ということで中国に近づいています。中国は共産主義ですが背に腹は代えられないのです。ドイツの経済協力に依存すればドイツに呑み込まれますので、バランスを見て判断しています。日本やアメリカが全面的に経済支援をするなら別ですが、イデオロギーだけでは生きて行けないということです。

 

質問者C.ヤルタ会談でルーズベルトがソ連に北方領土を引き渡す密約をしたことを、日本がアメリカに対し謝罪を要求すべきでしょうか?

回 答 .日本はアメリカに戦争で負けたのだから、ヤルタ会談の密約についてアメリカに謝罪を求めるのは如何なものかという意見もあります。しかし私はアメリカのルーズベルト民主党政権の責任の追及を止める判断はしたくありません。アメリカのルーズベルト民主党政権がソ連と密約したことで、日本は物凄い被害を受けましたので謝罪を要求すべきだと思います。アメリカが密約を結ばなければ、今の中国大陸はこのような状況にはなっていません。アメリカに「戦略的ミスを反省すべきだ」と言うべきであり、そうしなければ日米関係の今後の発展はないと思います。

 

質問者D.京都大学の中西輝政名誉教授は、山本五十六の作戦構想を糾弾されていますが、江崎先生は山本五十六をどのように評価されていますか?

回 答 .私も山本五十六は怪しからんと思います。しかし山本が日本の国策を引っ張ることができた事の方が問題だと思います。戦前、政府が国家戦略を決める仕組み作りを怠ってきたことが一番の問題です。政府と軍との会合もありませんでした。間違った方向性へ引っ張っていった山本も問題ですが、海軍がゴリ押しできる政治の仕組みこそが根本的な問題です。シビリアンコントロールが出来ていない事は、アメリカで有り得ない話です。山本個人だけの問題ではないと思います。

 

質問者E.もし尖閣諸島や台湾問題で戦争になれば、どの程度アメリカは日本を支援するのでしょうか?

回 答 .オバマ大統領は「最早アメリカは世界の警察官ではない」とアメリカが世界の紛争を抑え込む力がなくなっていることを認めました。要はアメリカの意図に拘わらず能力が段々失われてきたということです。「日本が戦争に巻き込まれた時アメリカは助けに来ないのではないか」とアメリカの意図の話をする人が多いのですが、「助けに来たくない」のではなく「助ける力がない」のです。「アメリカはウルトラマンのように何でもしてくれる」と勘違いしている人がいますが、今アメリカにそれだけのパワーがなくなっている現実を理解した方がよいと思います。去年秋、バイデン政権は国家防衛戦略(NATIONAL DEFENSE STRATEGY)で「統合抑止」と言いました。「台湾を巡る中国との紛争に関し、アメリカ一国で中国に対峙するのは困難である。よって同盟国、同志国、友好国の力を借りなければ、まともに中国に対応できる状況ではない」と正式に認めました。これがアメリカの現状です。ウクライナ問題で、アメリカは兵器だけを渡してウクライナを助けようとしないと言われていますが、ウクライナを助けようとしないのではなく、アメリカがウクライナに派兵すれば、それは中国に対する兵力を減らすことになり、中国に対する抑止力が更に減るわけです。アジアを危機に陥れることが出来ない以上、アメリカがウクライナに兵力を投入できないというのが冷厳な現実です。だから日米台、日米韓が連携して中国、北朝鮮とどう対応するのかということをバイデンさんと岸田さんで一生懸命協議しているのです。アメリカは世界中に派遣軍や駐留軍を置いています。アフリカ方面、中東方面、中央アジア方面、ヨーロッパ方面そしてアジア太平洋方面です。しかし極東だけで考えると6分1の兵力です。極東は日米韓の兵力を全部合わせても、中国の戦闘機、軍艦の数にはかないません。性能が上回っているので何とかなっていますが、このような現実の中で日本とアメリカは死に物狂いで対応している状況です。アメリカに助けてもらうということではなく、アメリカを使ってどのように中国に立ち向かうのかを考えることが日本の立ち位置です。岸田政権が防衛力を倍増せざるを得ないというのが去年の安保三文書と防衛費43兆円の背景です。日本のメディアはアメリカの国家戦略、軍事戦略をまともに分析していません。本当に困ったものです。

 

質問者F.宮中に左派系の人がいると聞いて心配しておりますが、如何ですか?

回 答 .今のままでは皇族の数が減ってしまうので、前の菅政権で有識者会議を立ち上げ、占領下で臣籍降下された男系男子の子孫の方に再び皇族に入っていただく案を作って、岸田政権で報告書が出ていますので、今はその報告書に基づき各党で協議をするという段階です。岸田総理が萩生田政調会長に早く進めるよう指示していますので、この議論は進んでいくと思います。また皇族の方々をどのようにお守りし、教育し、お支えするのかということについても、宮内庁の在り方やそれに関わる制度の再設計に関して協議が始まっています。さらに皇室典範改正に関する実務的な協議も萩生田政調会長の下で協議されることになると思います。皇室の事について週刊誌のデマ報道に惑わされず本当に皇族をお守りする方向で建設的な気持ちを持っていただきたいと思います。

 

質問者G.国連の常任理事国の問題についてどのようにお考えですか?

回 答 .今回、広島でG7サミットがありました。あれは国連主導で議論をする枠組みは残すが、実質的には、自由主義陣営はG7及びG20で議論することに切り替えたということです。常任理事国を解任したくてもロシアや中国に拒否権があり、議論が進みません。それならばG7主導で国際的な問題を議論し、その中にグローバルサウスの国々も組み入れて新しい国際秩序の仕組みを作ろうとしています。国連も今までの流れがあるので国際政治の話し合いの場の一つとして残してくということです。「岸田総理が原爆記念碑で献花したのは人気取りだ」という議論がありますが、広島サミットの意義は、国連主導の政治がロシアのウクライナ侵略で終わりを告げ、広島サミットからはG7主導の自由主義陣営が集まったという事です。それに対抗して中露は一帯一路という形で集まり、国際政治の枠組みは真っ二つに分裂しました。その中でグローバルサウスをどちらが取るのかという陣取り合戦が始まったわけです。「時代の転機である」と、50年後、100年後の歴史家は現在を捉えると思います。

もう一つは、戦後の日本の安全保障は、先ず国連中心主義、第二に日米安保、そして三番目に自国の防衛でした。しかし第二次安倍政権で国連中心主義という言葉を外し、日本の安全保障は、先ず自分の国は自分で守る。第二に日米同盟、第三に同志国、つまりイギリス、オーストラリアというアメリカ以外の国との同盟関係を結ぶと、国防の方針を180度変えました。国連は使えるところだけ使うというように変わりました。                                                               

                                           完 

  

以上は、評論家・麗澤大学客員教授 江崎道朗氏の講演を國民會館が要約し、編集したものです。文章の全責任は國民會館にあります。

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