法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

いっさい留保なく悪を肯定する物語は存在すると思うが、『機動戦士ガンダム0083』や『ONE PIECE』がそれにあたるとは思えない

 話題の発端は、怪談小説家の鷲羽大介氏*1が語った、創作の善悪描写の枠組み問題だった。おそらく漫画『社外取締役島耕作』の辺野古デモ日当デマ*2を念頭においた発言だろう。


フィクションの中では、
・悪いことを描く
・差別を描く
・嘘を描く
どれもOKです。ただし、
・悪いことを悪くないことのように描く
・差別を当然のことのように描く
・実在する事柄について嘘を描く
これらはNGです。後者への批判を前者にすり替える人が多いので注意しましょう。

 上記は創作だけでなく風刺や皮肉にも通じる一般論に近い見解だと思ったが、実作者もふくめて否定的な反応が複数あった。
 小説家のますだじゅん氏もそのひとりで、良くも悪くも森達也氏のようなポジショントークだとは思ったが、もちだされた具体例に首をかしげざるをえなかった。鷲羽大介氏も反論している。


「フィクションの中に悪いものを描くのは自由だが、悪いものとして描写しなければいけないんだ」という主張について。はっきり言って賛成できない。その理屈だとガンダム系はかなり規制しなきゃならない。0083は大量虐殺者を格好良く描いているし、悪として糾弾されるシーンも、反省するシーンもない。


糾弾されるシーンや反省するシーンがないから悪いこととして描かれていない、というのはあまりにも幼稚な理屈なんじゃないですかね。シーマやガトーがコロニーを落とすのを見て「戦争って素晴らしい!」と思ったわけじゃないでしょう。

 反戦描写をいれても戦争賛美と解釈されてしまう問題について以前に書いたことがあったが、そこで具体例としてあげたように『機動戦士ガンダム0083』は作品自体で大量虐殺を肯定はしない構造にしていた。
どのような反戦描写を入れたとしても、戦闘によって課題が解決する構造のアニメであれば、戦争賛美として解釈されうる - 法華狼の日記

戦争にのめりこんでいく男たちを描いたことで、ガンダムシリーズでも特に好戦的と受け止められがちな物語。しかし全体としては、やはり戦争賛美にならない構造になっている。
華々しい兵器の活躍も、個人の信念をかけた自己犠牲もあらかじめ無意味なものとして終わる。人道的な理由であっても戦闘は主人公の課題の解決に寄与しない。
主人公が戦争によって人間的に成長するという物語にすらなっていない。むしろ戦争の価値観を内面化していき、戦う以外の選択肢を見失っていることがくりかえし指摘される。主人公の仲間たちも最終的には本編での敵組織にとりこまれて終わる。

 上記エントリでも書いたように批判的な視点は戦場ロマンのアクセントにとどまり、ロマンと対立する女性キャラクターの否定的評価すらまねいてしまったが、作品そのものを見れば大量虐殺そのものを肯定する構造にはしていない。
 ちなみに作品の後半を担当した今西隆志監督は、敵キャラクターが格好良く見えるのは徴兵で巻きこまれたのではなく、意地になって自分の意思で戦いつづける残党だからだと2003年のインタビューで明言していた*3。つまり善悪とは異なる基準でキャラクターの魅力が生まれることに作り手は自覚的だった。だからこそ大量虐殺者のつかう兵器に核という「外道」な設定も用意したのだ。


 また、漫画原作者で偽医学や疑似科学などを批判しているライターの黒猫ドラネコ氏が、反例として『ONE PIECE』をあげていることも気になった。


日本で一番売れて世界中にファンがいるの海賊の漫画だしな。海軍本部に戦争しかけるとか間違いなく規制されるやつ

 権力の悪行を明示的に描写するかたちで反権力を描いた作品に対して、海軍本部に戦争をしかけることを「悪」と認識しているらしいことが危うい。
ONE PIECE』の主人公たちは海賊だが基本的に略奪はおこなわないし、略奪や人身売買をおこなう海賊は基本的に批判的に描かれている。一方で海軍にも主人公と縁のある善良なキャラクターはいるが、組織としての問題はくりかえし描かれている。
 くわえて悪行をはたらく海賊と官憲の癒着も序盤から批判的に描かれ*4、政府公認で海賊行為をおこなう七武海のような存在もあり*5、海賊と国家の対立関係も一筋縄ではいかない。
 巨悪を強く否定するために悪人に否定させるという手法が善悪の位置づけを複雑化することは事実だし、そこで善悪をふりわける優先順位に異論が出ることも多いだろうが、『ONE PIECE』はそこまで理解が難しい作品とも思えない*6
 そもそも鷲羽大介氏は最初から規制など主張していないし、その権力もない。しかしそれが規制につながると考える黒猫ドラネコ氏の反応は『ONE PIECE』とあわせて一貫した権力観のあらわれであるかもしれない。
 そういう基準で陰謀論を観察することは、と学会の轍を悪い意味でふんでしまいかねないように思える。