pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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シン――としていた。
世界に一人、取り残されているようだった。
そうして閉じかけた目を、なぜか私はパッと開いた。
ま、私にそんなことはできるわけないけれど。
だっては私はスーツケースだから。
でも、ふと瞳のずっと奥で、あの真っ青な空に雲を積み上げたような景色と、宇宙からの暖かいスポットライトと、この星が生きている証であるようなそんな風を……感じた。
この日が来たのだ。
次は、どんなものを見せてくれるのだろう。
どんな物語を――語るのだろう。
これは少女と少年の話。
あの二人を一番側で見ていた、私が語る少女と少年の話。
「ただいま」
「……た、ただいま」
男の声と、遅れてか細い女性の声。
「大丈夫か?」
「うん、だいじょうぶだよ」
気遣う男性の声に、力はないがしっかりうなずく女性の声が聞こえる。
「見てもらいたいものがあるんだ」
「うん」
ゆっくりと足音が近づいてくる。
心臓が鳴った。スーツケースの私に、そんなものはないけれど。
それでも近づいてくる足音をかき消すほどの何かが私を包んで、いつのまにか足音は私のすぐ目の前で止まった。
「これだよ、見せたかったもの」
「うん、なんだろう」
僅かな隙間から光が差し込んで、照らされて光る埃に、ここはこんなに汚かったものなのかと少しだけ笑えてきて……そしてその光は増していく。
あの夏を彷彿とさせる眩しさの向こうに、彼女はいた。
「思い出せるか? これ、お前のスーツケースなんだ」
「私の……?」
「ああ、ちょっと埃被っちゃってるけど、一応ずっと俺が持ってたんだ。俺が使うのもなんだか忍びなくてな」
「そう、なんだ」
「ああ」
彼女が私に近づく。
懐かしい、彼女の匂いがする。
「触って、いい?」
「もちろんだ、お前のだぞ」
「そうか、そうだね。ふふ、埃まみれだね、君は」
サッサっとスーツケースの上の埃が払われる。私らは久しぶりに触れ合った。
あの頃、スーツケースの上で暇そうにしていた彼女が、手持ち無沙汰に私を撫でていた懐かしい音がする。
「久しぶり、なのかな。ごめんね、私は覚えてないけど」
大丈夫だよ、と言いたくても、私には彼女に声をかけることはできない。
「大丈夫だって、こいつもそんなに気にしてないよ」
男性がまるで心を読んだかのようにそう答えた。
……分かってるじゃないか。
「でも、これ私が大事にしてたものなんだよね……うん、やっぱりだめだ、思い出せない」
「そうだな、大事にしてたよ」
「その割には、ちょっとボロボロだね」
彼女が笑いながら優しく撫でる。
「色んなところに、どこに行くでも連れていっていたからな。それに、そのスーツケースは元々お前のお父さんのものだ」
「そうなんだ、たくさん……旅をしたんだね」
「お前もだよ、お前も……たくさん旅をしたよ、鴎」
「そっか……それも思い出せないや」
「いいよ。こうしてお前が、ここにいるだけで奇跡だ。たとえ記憶を失ったとしてもだ」
「でも、君は悲しい顔をしている」
「そう見えるか?」
「見えるよ。そして私も――きっと悲しい顔をしている」
「……ごめんな。このスーツケースを見たら、お前のことだから記憶を思い出すかもなんて勝手に、ちょっと勘違いしてた。漫画みたいな出来事が起こるんだって、勘違いしていたよ」
「ううん、そうしてくれたことが嬉しいよ」
「でも、思い出させてあげることはできない。そういう力のない自分と現実に、きっと俺は悲しい顔をしちまったんだ。ごめん、こんな俺で……」
「君は、何も分かっていない」
「え?」
「私は、いつも力になってくれるから、君を好きになったんじゃないよ」
「鴎……思い出したのか?」
「ううん、ごめんね、思い出してない。でも、私は私の大切なものを君を預けてたんだから、きっと私は君を好きだっんだよ。多分、いつも側にいてくれたから、好きになったんだよ」
「なんか、素直だな」
「そう? 君の知ってる私はこんなんじゃない?」
「どうだろうな。言ってもおかしくないし、ちょっと意外でもある」
「ふふ、なにそれ」
「そういうやつなんだよ、お前って。どこか不思議で冒険好きなミステリアスなやつだよ。な、スーちゃん」
私の上に手を乗せたままの彼女の手の、そのまた上に男性が手を重ねる。
「ふーん、ミステリアスかあ。なんか良い女って感じがするね」
「ま、良い女だよお前は」
「ふふーん、惚れちゃった?」
「昔からな」
「そ、そう……」
紺碧の空の下、あの頃の二人の笑う顔が思い浮かぶ。
今、顔を少し赤らめてそれでも見つめあう二人は、少しだけ、少しだけ大人に見えた。
どちらかが言った、「また冒険にいこう」の声とともに、秒針が動き出した気がした。
これは少女と少年の話。
これからは、少女と少年と、そして私のこれからも続く冒険のお話。
読んでいただきありがとうございました