気がつけば、2020オリンピック・パラリンピック東京大会の開幕まで、1年を切っている。
だからなのかどうなのか、ここへきてテレビをはじめとするマスメディアは、五輪に関して
「とにかくネガティブな情報を避けるように」
という感じの露骨な翼賛報道にシフトしているかに見える。
あるいは、テレビをそんなふうに見ている私の見方が「ひがめ」であると、そういうことなのかもしれない。その可能性はある。
「おまえさん、どこに目をつけてるんだ?」
「は?」
「だから、おまえの眉毛の下でピカピカ光っている穴は、なんのためについてるんだと言ってるんだよ」
「ひがめのことですか?」
という、そのひがめだ。誰も笑っていないようなので話を先にすすめる。
いちばんわかりやすいのは、ニュースショーのMC席に座っているキャスターの表情だ。
どちらかといえば暗めの顔(ま、暗いニュースが多いですから)でカメラを睨んでいることの多い彼らの表情が
「次はオリンピックの選手選考のニュースです」
という告知をする瞬間、うそみたいに明るくなる。
もちろん、うそをついているのではない。
暗い災害のニュースだったり、深刻な犯罪関連の情報を伝える重圧から解放されたりして、みんなが待っている明るいスポーツの話題に触れる時には、誰であれ、安堵感なり解放感なりを感じるはずだという、それだけの話なのだろう。とにかくそんなふうにして、五輪の「明るさ」と「希望」は、着々と演出されつつある。
そのキャスターさんたちの明朗な表情は、いずれ、視聴者にも伝染する。
病院の待合室などで、大型テレビを見上げている人々の顔を眺めていて驚くのは、テレビ画面に五輪関連のニュースが映し出されると、人々の顔が何かで拭ったようにパッと明るくなることだ。その、人々の明るい表情を見ていると、いまさら五輪の開催を断念することが不可能であることを思い知らされる。五輪は、どうやら、この国のマジョリティーにとっての替えのきかない希望になっている。
そんな五輪関連の、基本的には明るく前向きでめでたくもうれしい国民的なニュースの中に、時々、一風変わった情報がまぎれこんでくる。
たとえば、この話題などが、それに当たる。
日本経済新聞は、このニュースに
《人工降雪で熱中症防げ 五輪ボート会場で"奇策"実験》
という見出しを与えている。なかなかよく考えられたヘッドラインだと思う。
五輪組織委の取り組みを、あからさまに嘲笑するのは、今後の取材先との関係から考えてはばかられる。かといって大真面目に紹介すれば、報道機関としての見識を疑われかねない。
なので、軽く「失笑」しつつ、あくまでも一歩引いた立ち位置からご紹介するにとどめる、といったあたりが「落としどころ」になる。で、その「落としどころ」が、具体的には、ダブルコーテーションで囲った”奇策”というフレーズだったわけだ。
実際、このニュースには、五輪組織委の正気を疑うにふさわしい、匂い立つような愚かしさが横溢している
- 300キロの氷塊だろうが3万トンの氷河だろうが、そんなものでオープンエアの五輪会場の気温を下げることが可能だと考えた人間は、高校の物理の授業をきちんと受けていたのだろうか。
- 仮に人工降雪が何かの演出として有効なのだとして、このアイデアの発案者は、屋根のない観客席への事実上の降水が、観客にとって迷惑以外の何かである可能性について、ほんの少しでも考慮したのだろうか。
- バカなプランを思いついてしまったところまでは仕方がないのだとして、そのバカなプランについて実験が必要だという旨を議決してしまった会議は、そもそもいったい誰のために何を話し合う機関なのだろうか。
- バカなプランについてのバカな合意を議論の段階でツブすだけの見識を持った委員が一人もいなかったのだとすると、そもそも組織委なるものに存在意義はあったのだろうか。
……と、考えれば考えるほど、疑問点はいくらでも出てくるのだが、記事は、そこのところをさらりと流しつつ
《―略― 実験時は曇りで風も吹いて流されやすかったこともあり、降雪前後で周辺の気温に変化はみられなかったという。
組織委の担当者は「空気全体を冷やすというほどのものではない」としつつ、「暑い日ならば観客にとっては楽しいイベントになる」と話した。
今後、コストも含めて人工降雪の効果を詳細に検証し、本番時の導入を検討する。》
と、あくまでも冷ややかな現在形の語尾で文末を締めくくっている。
見事な手腕というのか、まあ、記者も苦労したわけなのだな。
このほか、この夏、五輪組織委が打ち出してきたプランには以下のようなものがある。
(1)《五輪テストイベントで暑さ対策検証 朝顔の鉢植えで「視覚的にも涼しく」》
(2)《五輪マラソン暑さ対策、MGCで検証 かち割り氷など配布》
ほかにも、リンクはもう消えてしまっているのだが、個人的にクリップしておいたNHKニュースの中に、以下のような一節が含まれている。
(3)《―略― 2年後の東京オリンピックで課題になる猛暑への対策につなげようと、陸上のマラソンコースとなる東京 日本橋で、冷房の効いた店舗を開放する「クールシェア」についての意識調査が行われました。
大会の組織委員会は、観客への猛暑対策が特に必要な競技の1つに陸上のマラソンを挙げており、
スタート時刻を午前7時にするとともに、コース沿いの店舗やビルで冷房の効いた1階部分などを
開放してもらう「クールシェア」の取り組みを活用する方針です。―略―》
いちいちツッコむのも面倒なのだが、こういうネタを見つけたら、面倒がらずにいちいちツッコんでおかないといけない。なんとなれば、ベタなツッコミどころに義理堅くツッコんでおくことこそが、コラムニストの義務であり、ひいては、コモンセンスをコモンセンスたらしめるための生命線でもあるからだ。
まず(1)の朝顔の鉢植えだが、「視覚的に涼しい」とかいった類のおためごかしの御託は、できれば身内の中だけの話にしておいてほしかった。そんな提供側の独善やら思い込みは、間違っても報道を含めた外部の人間に語り聞かせて良い話ではない。言語道断である。
ついでに言えばだが、この「おためごかし」の態度は、もてなす側の人間が「お・も・て・な・し」などという自家中毒じみた自分語りを誇示して恥じない、今回の五輪招致イベント以来の五輪組織委の根本姿勢に通底しているもので、サービス提供側が自分たちの美意識に酔って勘違いをしている意味で、あるタイプの懐石料理屋のひとりよがり演出と区別がつかない。客は刺し身のツマを食いにきているわけではない。飾り包丁の技巧の冴えなんぞで刺し身が腐っている事実を隠蔽することはできない。
次に(2)のかち割り氷だが、これについては、くだくだしい議論は不要だ。「論外」という二文字をぶつけておけばそれで足りる。記事を読んでいて気になるのは、たとえば
《給水所に新たに置いた氷を選手たちが使う姿がみられるなど、組織委は一定の手応えを実感。》
という一文だ。「実感」の主体が「組織委」だというのは、やはり奇妙だ。
「記者の取材に対して、組織委員会の委員の一人は、かち割り氷の効果について一定の手応えを実感した旨を語った」
ということなのかもしれないが、それにしても、雑な体言止めだ。で、最後は
《小池百合子知事は、芝公園で暑さ対策を視察。冷却グッズを試すなどして効果を確かめ、「いかにして太陽の日差しを遮るかが大きなポイント。五輪まであと1年を切っている。数値を分析して、ベストな暑さ対策を進めていく」と強調した。
レース後、組織委の担当者は「選手の意見などを踏まえて、継続して暑さ対策について議論していく」と力を込めた。》
と、「と力を込めた」という工夫のない常套句で締めくくっている。
こういう記事を見ていると、われわれが心配せねばならないのは、しょせんは一回性のイベントに過ぎない五輪の成否などではなくて、むしろ大量の五輪報道を通じて記事の質の劣化を気にしなくなっているマスメディアの機能不全の方なのかもしれない。
(3)もひどい。なにがひどいといって、「意識調査」と言いつつ、一般の商業施設や沿道のビルに、冷房の無料提供を求めている姿勢がどうにも凶悪すぎる。戦前の「供出」(金属類回収令)から一歩たりとも進歩していない。
念の為に申せばだが、そもそもエアコンの冷気は、閉じられた空間にだからこそ成立している一時的かつ暫定的な「寒暖差」にすぎない。エアコンというあのマシンは、特定の閉鎖空間の気温を冷やすために、別の空間に向けて暖気を排出せねばならない。つまり、空間Aと空間Bの間に一定の「温度差」を作ることがエアコンの機能なのであって、より大きな空間である街路全体や地球そのものを冷やすことは、彼の任務ではない。そんな無茶な仕事はマックスウェルの悪魔にだってできやしない。というよりも、熱力学の第二法則がこの世にある限り、マラソンコースの沿道をまるごと冷やすことは不可能なのだ。
……と、いくら私が口を酸っぱくして五輪組織委の暑さ対策の愚かさを指摘しても、一部の人たちの耳には永遠に届かないことは、はじめからわかっている。その理由もよくわかっている。
つまり、私が
「無駄だ」
と言っても、彼らが耳を傾けないのは、彼らが注目しているポイントが
「有効であるかどうか」
ではないからなのだ。というのも、あるタイプの日本人(あるいは「多くの日本人」と言った方が良いのかもしれない)は、アイデアや計画の
「有効性」
や
「実効性」
を重視しないからだ。彼らがなによりも大切にしているのは、
「みんなが心をひとつにすること」
や、
「とにかく全力を尽くすこと」
だったりする。
今回の暑さ対策においても、その実施に向けて頭を絞り、カラダを使い、みんなで話し合っている人たちがなにより意識しているのは、
「いかにして気温を下げるのか」
でもなければ、
「どうやってアスリートや観客が快適に過ごせる環境を確保するのか」
でもなくて、どちらかといえば、
「自分たちはどんなふうに貢献することができるのか」
ということであり、最終的には
「大会が終わったときに、どれほどの達成感を得ることができるのか」
ということだったりする。
これは、「おもてなし精神」が標榜するものが「顧客満足度」ではなくて「接客業者の自己実現」だったりしているのと同じ構造の話だ。また、70年前に惨敗したうちの国の軍隊を動かしていた駆動原理が「いかにして敵に勝利するのか」ではなくて「軍隊内の同僚や銃後の国民の目から見てどれほど必死に戦っているように見えるのか」であったことと良く似た話でもある。
多くの勤勉な日本人は、無駄な努力であっても何もしないよりはマシだと考えている。
また、われわれはそう考えるべく育てられてきている。
今回のあまりにも無駄な暑さ対策の発案と実験とその報道の連鎖は、そこのところからしか説明できない。
おそらく組織委の中の人たちは、
「ただ手をこまねいているよりは、たとえ役に立たなくても何かにチャレンジすべきだし、そうやって自分たちの身を捧げるのが主催者としての覚悟の見せどころだ」
てな調子でものを考えている。
なんと愚かな態度だろうか。
仮に、結果として、その努力が何の成果をもたらさなくても、彼らは、自分たちが努力をしたというそのこと自体が、自分たちを高め、結束させ、より高い次元の人間に成長させてくれるはずだと信じている。
でも、それはウソだ。
残念だが、真っ赤なウソだ。
以下に述べることは、私個人の考えに過ぎないと言ってしまえばそれまでの話なのだが、ここまで書き進めてきた以上、強く断言するのが行きがかり上の必然だと思うので、以下、断言しておく。
私は、無駄な努力は人間を浅薄にすると思っている。
無駄な努力は有害だとも考えている。
賛成できない人は賛成してくれなくてもかまわない。
どっちにしても、私は自分の考えを改めるつもりはない。
われわれの国を悲惨な敗戦に導いた愚かな軍隊を主導した人たちは、「松根油」という愚かな油を精製するべく必死の知恵を絞ってみたり、国民の鍋釜を供出させることで戦闘機を生産しようとしたり、ほかならぬ兵隊の生命身体そのものを武器弾薬とする寓話的なまでに愚劣な作戦行動に「神風特攻」という滑稽なタイトルを付けたりなどしつつ、最終的には負けるべき戦いを負けるべくして負けたわけなのだが、今回もまたわたしたちの愚かな組織委員会は、主要な人的資源をボランティアに頼りながら、ぶっかき氷と人工降雪機と朝顔による暑熱対策で8月の猛暑を乗り切り、3000万首都圏民による生活排水と糞便が随時流れ込む港湾内でのオープンエアスイミング競技の開催をなんとか無事に取り回し切るつもりでいる。
われわれは、またしても愚かな失敗を繰り返そうとしている。
「無駄な努力であっても、何もしないよりはマシだ」
というわれら勤勉な日本人の多くが囚われているこの妄念を捨てない限り、来たる2020東京五輪は無駄な努力の品評会に終わるはずだ。
そして、われら多数派の日本人ならびにいろいろなことをあきらめた日本人は、それらの無駄な努力の上に打ち立てられた無残な失敗の金字塔を、美しい思い出として振り返るわけなのだな。
ああいやだ。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談
「人生の諸問題」、ついに弊社から初の書籍化です!
「最近も、『よっ、若手』って言われたんだけど、俺、もう60なんだよね……」
「人間ってさ、50歳を超えたらもう、『半分うつ』だと思った方がいいんだよ」
「令和」の時代に、「昭和」生まれのおじさんたちがなんとなく抱える「置き去り」感。キャリアを重ね、成功も失敗もしてきた自分の大切な人生が、「実はたいしたことがなかった」と思えたり、「将来になにか支えが欲しい」と、痛切に思う。
でも、焦ってはいけません。
不安の正体は何なのか、それを知ることが先決です。
それには、気心の知れた友人と対話することが一番。
「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。
同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。
眠れない夜に。
めんどうな本を読みたくない時に。
なんとなく人寂しさを感じた時に。
この本をどこからでも開いてください。自分も4人目の参加者としてクスクス笑ううちに「五十代をしなやかに乗り越えて、六十代を迎える」コツが、問わず語りに見えてきます。
あなたと越えたい、五十路越え。
五十路真っ最中の担当編集Yが自信を持ってお送りいたします。
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。