鳥井 弘文

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鳥井 弘文
@hirofumi21
株式会社Wasei 代表。私たちの「はたらく」を問い続ける対話型オンラインコミュニティ「 wasei.salon 」を運営。#イケウチな人たち 編集長。Podcast番組「なんでやってんねやろ?」ディレクター。 Voicyも毎日配信中 voicy.jp/channel/3274
日本 東京wasei-inc.jpJoined October 2009

鳥井 弘文’s posts

スターバックスなんて一番最初に全店をタッチパネル注文に切り替えても何の問題もないはずなのに、いつまでも対面接客をやめずにモバイルオーダーとの併用を行っていることは本当にすごいことだなと思う。だからこそ、店内の雰囲気も良くなり、バイトも集まる。ここを見逃している飲食店多すぎないか。
先日、某書店の店長さんに取材した時「Amazonがあるから、かろうじてまだ人々は本を読んでいる。もしAmazonがなかったら本は滅びていたかもしれない」と仰っていて、その視点がとても印象的だった。伝統側が革新派を否定する場面はよく見かけるけど、実は革新派がいるから残っている伝統って沢山ある。
『逃げ恥』あたりから「この世界で生き抜くために手を組みませんか」という物語が増えた。寂しい気がするけれど、実はこの方が満足度は高くなる。私が幸せになるために他者を求めるというのは一歩間違えると減点方式になりがちだから。でもこの場合は自然と加点方式になる。そりゃあ、満足度も高まる。
これはもう確信に近いのだけど、Twitterやブログで何かの偏愛を垂れ流すようになって「いいよ、もうわかったよ。そのネタ飽きたよ。」ってリアルの友人たちが囁き始めた時から、お仕事が入り始める。「アイツ痛いなあ」みたいな声がまわりから聞こえてきたタイミングが一番の粘り時なんだと思います。
イチローのインタビュー、語られた内容ももちろんそうなんだけど、イチローが質問を受けて答えるまでの“考える間”もめちゃくちゃ参考になると思うから、ぜひ動画で観て欲しいなあと思う。本来、質問を受けてから、あれぐらい長い時間をとって考えてもいいんだよね。間を恐れないこと、本当に大切です。
多くのひとが、プロデュースで大切なのは、本物かどうかを「見極める力」だと思っているんだけど、実際には「信じ続ける力」なんだと思う。「あなたならできる」どころか「既にあなたはできているじゃないか」と、あの手この手を使いながら本人を説得し、自分も一緒にその魔法にかかること。
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DXとかコストカットとか何かわかったフリをした現場を知らない経営コンサルタントに騙されて、ドンドン無人化に勤しみ、結果として各社が人気(ひとけ)をなくしていく様子を見て、スタバは笑いがとまらないだろうなあと。ビジネスはどこまでいっても「人」だし現場から生まれてくる活気が命だと思う。
Replying to
何がすごいかって対面接客原理主義に陥らずに、両者のいいとこ取りをしているところ。これだけ世の中が便利になると「並べない、待てない」という消費者も増えてくる中でその感情やニーズにもしっかりと寄り添いつつ、一方では対面接客もやめずに、両方が成立して活気ある空間を作り出しているところ。
地方に移住して本当に楽しそうに暮らしているひとたちは、ここに書かれたパターンが多いなあと感じる。逆に、ガチガチにやりたいことを決めてから移住したり、比較検討したりして「どこの地域が一番お得か?」を悩みぬいた結果、移住したというような人はうまくいかない印象。 a.co/hb9WLMg
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「人生は配られたカードで勝負するしかない」という言葉の意味を「ありのままを受け入れろ」っていう意味で捉えている人って多いと思うのですが、僕は「そのカードが持っている意味を徹底的に理解した上で、その“切り方”を全力で考え抜け!」っていう意味だと思っています。
Replying to
自分が満たされるために他者を求め続ければ、側室や執事が何人いても、その欲望は決して満たされない。でも、過酷な戦場を共に生き抜くための戦友であれば、どんな存在だって心強い。そして戦場を共にした「記憶の共有」が、目の前の他者をこの世界でたった一人のかけがえのない他者へと変えてくれる。
「このひとが波に乗っていない時でも好きでいられるか?」僕はこれをひとつの判断基準にしています。一般的には、その人の個性や技能など優秀な部分にフォーカスすることが多いと思うんですが、何らかの理由でその特徴が阻害されてしまった時に、好きでいられなくなるのはやっぱり少し違うと思うから。
パートナー選びに好意的に用いられる「高め合える関係性」という表現には少し懐疑的。これはいつの日か呪いに変わりうる。高め合えなくてもいい、お互いに何も求め合わない。相手がこの世に存在してくれていることそれ自体に感謝し合える関係性、そんな稀有な関係を築くことが長く寄り添う秘訣だと思う
まわりの目を気にせず、バカみたいに自由気ままにやっている人を見つけて「あの人は鈍感だから」と揶揄する状況をたまに見掛けますが、自由気ままな人って、往々にして自分の心の声に「敏感」なんですよね。一般的な人は、まわりの声に「敏感」で、自分の心の声に「鈍感」。
どうしても人は、何か好きなモノができた時に、その“モノ自体”をPRしたがるんですよ。でも本当に自分が好きだと感じているモノを他者と共有したいのであれば、本来PRするべきは自分が好きになった“きっかけ”であり、その原因なんですよ。モノ自体を好きになるまで過程を共有するほうが、圧倒的に大事。
星野源のマルチタレントっぷりが最近ベタ褒めされてるけど、それを言ったら堂本剛は10年以上前から俳優業も、音楽業も、文筆業もやってるし、なんだったら大喜利業もやってる。
若松英輔さんのこの表現、とっても素晴らしいなあ。ものすごくハッとした。 現代社会の中で起きているさまざまな諸問題がなぜ起きてしまうのかについても、見事に言いあらわしてくれているようにも思う。 a.co/asNgY1u
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「怖い、恥ずかしい、バカだと思われるかもしれない」そんな風に自分が思ってしまう感情で、ギリギリアウトなラインを毎回攻めていくと、人生はどんどん楽しくなっていくはずだよ。逆に「安心する、誇らしい、頭いいと思われそう」と思うことばかりをしていると、すぐにつまらない人生になってしまう。
自分の才能を判断する方法のひとつに、まわりの人がスローに見えるっていうのがあると思います。一流のプロ野球選手が「打つ瞬間にボールが止まって見えた」ってよく言うけれど、きっとあれに近い感覚。仕事でも学びでも、他者がなぜかスローに感じる時は、大抵の場合、自分にその才能があるってこと。
先日、龍崎さんが「ホテルはライフスタイルを試着できる場所」と仰っていてとても納得感がありました。洋服を選ぶときも、色々な種類を試着してみて、初めて自分に似合うものが見つかるように、ライフスタイルもたくさん試着してみて、自分にしっくりくるものを選んだほうが良いんだろうなあ、きっと。
“ハーバード大学の研究で、人間が「幸せ」と感じることに、良いコミュニティに属していたかどうか、が一番の要因になるという結果が出たらしいですよ。お金でも名声でもなく、良いコミュニティに属せたか、が大事なんです。”:佐々木俊尚×杉山博一インタビュー buff.ly/2CjSnPU
女性は、人前で自分の嫁(彼女)を褒める男性を好む傾向にあるけれど、男性同士だと地味に結構引いてたりもする。それよりも「自分の嫁なんて…」と卑下しつつ、でも絶対にこの人は奥さんのこと大好きだし、別れることないだろうなあって思わせてくれる男性の方が、男としてカッコいいなと思う。
どうしても営業力っていうと、飛び込み営業のようなものを想像しがちだけど、インターネットやSNSがある時代には、発信も立派な営業になる。僕が毎日ブログを書き続けているのもそのためです。「強引にガツガツと」ではなく「毎日淡々と」が、こういう時代だからこそ案外営業に繋がったりするんです。
最近よく思うことことなんですが、「1万時間の法則」と同じぐらい大切な法則として「1,000人の法則」があるような気がしていて。どんなジャンルにおいても1万時間費やせば、プロレベルに到達できるように、どんなジャンルにおいても、1,000人と丁寧に交流すれば、インフルエンサーレベルに到達できる。
男が女性と別れる時に肝に銘じておくべきことは、自分が振られる時は良いヤツを貫き通して、相手に面倒くさいと思わせないこと。自分が振る時は嫌なヤツを貫き通して、徹底的に相手から嫌われること。これが一瞬でも好きになった相手への最後のマナーだって、昔尊敬する先輩が言ってました。
このふざけかた最高だなあ。テレビで人気のひとがYou Tubeに入ってくると、みんなあの独特のYou Tubeノリを再現してしまい、あまり得意ではないのだけれども、この感じは発明だし最高:KinKi Kids「僕は思う(堂本光一)〜ひとりじゃない(堂本剛) -YouTube Original Live-」
「自分の好きなものがわからない」という若いひとは結構多いと思うけれど、そんなときこそ徹底的に行動記録をつけることをオススメしたい。特に時間とお金の使い方。「これから何に使おうか」という計画面ではなく、「最近自分が何に使ってきたのか」という履歴面に意識を向けて、記録をつけてみる。
好きなことを仕事にすることの何がいいかって、今までは浪費だったものがその瞬間から一気に投資に変わるんだよね。時間やお金をかければかけるほど、仕事の成果につながってより良いアウトプットに繋がっていく。時間もお金も限りある中で有効活用するなら、やっぱり好きなことを仕事にするしかない。
最近ずっとNetflixで『水曜どうでしょう』を見返しているんだけど、これほどまでに現代的で参考になる作品はないと思う。まさか20年以上前の作品に(1996年放送開始)ここまで感化されるなんて思わなかった。「ゼロからつくる」の傑作だと思う。糸井さんの『インターネット的』にも匹敵する気がします
なぜ人はわかっていても行動できないのか?それは、バカがバレるのが怖いから。でも人間なんてみんなバカなんだから、なる早で自分のバカさ加減なんて世の中にバレてしまったほうがいい。そのほうがよっぽど自由に生きられる。
自分の信念に反して魂を売れば、うまくいく方法なんて山ほどある。自分の美意識から逸脱せずにその枠やルールの中で結果を出すことがめちゃくちゃ難しい。でもだからこそ、そこで諦めずに針の穴を通すような途方もないことに挑戦することが大切なんだと思います。それが自分の人生を生きるということ。
昨日の理想の就活イベントでも話題に上がっていたけれど、最近の若い人たちはお金を稼ぎたいとはあまり思っていない。ただし、人に何かをプレゼントしたいときだったり、人を応援したいときにお金があると嬉しい、そのためだったらしっかりとお金を稼ぎたいと、みんな口を揃えて言っている気がする。
僕は、自分のTLを自分のものだって思っていなくて、最近流行の言葉で言えば、自分がつくりたい「小さな経済圏」の掲示板みたいな感覚でしかない。そこに何を書き込んだり、流したりすればもっともっとおもしろくなるかなあって考えながら、日々淡々と運用しているだけなんです。
自分が何者でもないときほど、大きな成果を出そうと焦らず、小さな約束を守ろう。特に時間を守ろう。「このひとは必ず5分前に到着をする、約束を守る人だ」って思われれば、それだけで必ず仕事には恵まれるようになるはず。ものすごく難しいことだけど、誰にでも実現可能な、ものすごく簡単なこと。
成功する人を見て「なんだ高学歴かよ、なんだインフルエンサーかよ」と言う人いるけど逆でしょ。高学歴やインフルエンサーの人達が報われる世の中の方が絶対にいい。ちゃんと努力すればちゃんと報われるんだから。どこの馬の骨かわからない成金ばかりが成功する博打みたいな世の中の方がよっぽど怖いよ
どうしても、だらしなくて怠惰な自分のことを「本当の自分」だと思ってしまいがちだけど、その一番ダメな部分を自分の「本質」だと思ってフォーカスするのはあんまり良くないと思うんです。それは誰だって持ち合わせている一側面でしかなくて、「本当の自分」はもっともっと他のところにあると思う。
2020年以降急速にイケてる若手の間で、イケてる地方の取り合いが起きると思っていて、その時の基準はきっと「気候風土・土着の文化・衣食住・暮らしている人々の気質・アクセス」この五角形のポテンシャルの高さで判断されるんだろうなと。
あまり年齢の話はしたくないけれど、主に30代がNFTにハマっているのは、結構おもしろい現象だなと思う。 40代以降は「NFTは新しすぎてよくわからん」と言うし、20代以前は「NFTは難しすぎてよくわからん」と言う。 社会ではこの両方の世代から板挟みになりがちな30代が、唯一自由に振る舞える空間。
「ミニマリストは、色々と購入し散々試したあとに厳選して辿り着く境地」とファッションスナップドットコムのPodcastの中で半分冗談交じりで語られていたけれど、これは本当にその通りだと思うなあ。「物が増えないように、お金を使わないように、なるべく物を買わない」っていうのは、ただの倹約家。
これは確信に近いのだけど、生き方に悩む人は、自分と同じ生きづらさを抱えている人たちを淡々と応援し続ければ、結果的に自分自身も生きやすくなるよ。でも多くの人は「私を応援して!」と自分の応援を強要してみたり「なぜ私を批判するの?」と意見が異なる人に対し多くの時間を割いたりしてしまう。
若いひとがすぐに「死ぬ」とか「死んだ」と言うことに対して、親や教師が叱るというシーンは日常茶飯事だけれど、若いひとにとっての「しぬ」は「萎ぬ」なんだろうなあ。その対義語は「いく(生く)」。若さゆえに感じ取っている生命力の機微を言葉に表すと、自然と口からそんな音が出てくるのだろう。
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若い頃、ルーティンが決まっていると冒険ができなくなると思っていたけれど、それは大きな勘違いだった。ルーティンが決まっているからこそ、1日ぐらい外れ値のような日があっても全く問題ないんだよね。昔の日本は、ハレとケが明確にあったからこそ、厳かで派手な祭りもできた。それとよく似ている。
人からなめられることが嫌な人ほど、他者をなめていることが多いと思います。まずは自分自身が他者を無闇矢鱈になめないこと。しかも表面上だけではなく、「根本思想」でなめないこと。どれだけ丁寧な言葉づかいや、礼儀正しい態度で振る舞ったとしても、なめていることは相手にしっかりと伝わるから。
このサービスの何が一番すごいかって、コンテンツを作って有料で販売できる能力を備えている人にとっては、現地に行くこと自体が取材となり、ブログ書いたり写真撮ったりしてくるだけで、2ヶ月以内に余裕で旅費(経費)以上を稼げる可能性があるってことだよね。:TRAVEL Now travel.app
いま能力がある人はどこでも仕事ができて、国内に限らず自由に移動できる時代なのに「永住するつもりがある人だけ来て欲しい!」って、そりゃ廃れていくのは当然だよ。いま地域に作るべきは、そんな吹き溜まりのような場所じゃなくて、優秀な人達が常に訪れたくなる淀みない循環が起きる環境だと思う。
2030年1月1日までの10年間、禁酒してみようと思います。2010年代は本当にたくさんのお酒を飲んで、東京でもローカルでも海外でも、お酒のある世界をいっぱい覗かせてもらったので、2020年代はお酒のない世界を見に行ってみたいと思います。42歳までは、一切お酒を飲まずに生きていきたいと思います。
貧富の格差問題で、金銭的な面ばかり言及されるけれど、金銭の不均衡はいつでも解消できる。でも、日々の精神的な疲労、学習意欲の減退は取り返し不可能。具体的には、唯一自由になる時間にYouTube観るかスマホでゲームするかの意欲しか湧かないこと、それが一番の問題だと思う。時間は戻ってこない。
僕がこの人おもしろいなあと感じる相手の共通点ってみんな「自分だけの実験」をしていると気づいた。それは思考でも身体でも同様で、流行とは無縁の場で自分と対峙しながら何かしら実験をしてる。それはちょうど子供が「この先には何があるんだろう?」と目を輝かせながら寄り道して帰るあの感覚に近い
昨日の夜「72時間ホンネテレビ」を観ながら思ったのは、もう完全にこのボーナスタイムが終わってしまったんだなあということ。ここから一気に「上手いプロ」がネット側に降りてくる。:ヘタなプロが上手い素人側に降りてくるまでが、ボーナスタイム buff.ly/2ys3Mw2
いろいろなジャンルの方々に話を聞きながら、最近よく思うのですが、いわゆる”業界”という壁がものすごい勢いで音を立てながら崩れているよなあと感じます。本当にみんな、何屋にでもなれる。最高ですね。カラオケだと言われようが、ごっこ遊びだと言われようが、やったもん勝ち、突き抜けたもん勝ち。
コミュニティとか会議とか打ち合わせとか人が集まる場はなんでもそうなんだけど、「それってつまりこういうことだよね」って言語化うますぎるやつがいるのもあまりよくない。ズバッと言われた瞬間に、それがなんとなくその場の答えになってしまうから。あえて言語化しないっていうことも、すごく大事。
今のクラウドファンディングって、金銭でしか出資できないけれど「現物出資」のクラウドファンディングがあっても、きっとおもしろいよなあ。「お金は出せないけど、時間なら出せます!」とか「車なら提供できます!」とか「場所なら自由に使ってください!」とか。お金以外の支援の道も選べるような。
わかった!やっと気付いた。人生において一番重要な問いは「自分は何を民主化したいのか?」という問いだ。より具体的には「誰を、何から開放して、どのように自由にしたいのか?」という問いです。その答えを導き出すためには「もし、〜だったら?」と絶えず考え続けること。あー、やっと腑に落ちた。
polcaやnoteでお互いに投げ銭をし合って、結果的に金額がプラマイゼロになっている様子を見て「意味ないじゃん」ってバカにしてる様子をたまに見かけるけど、それって父と子がキャッチボールをしてる様子を見て「ボールが行ったり来たりしてるだけで意味ないじゃん」って皮肉ってるのと同じだよなあ。
発信し続けてくれないと次はない。どれだけ「この人、素晴らしいなあ!もっとみんなに知ってもらいたいなあ!」と思ってみたところで、発信し続けてくれないと応援することは不可能なんです。1回じゃ伝わらないから。定期的に発信し続けてくれること、それが応援されるための最低条件なんだと思います
最近よく思うのだけれど、「社員を育てる」のではなく、「同じ志を持った仲間を社内外に増やしていく」っていうほうが圧倒的に正しい戦略だと思っていて。そうやって、社内外の優秀な方々と一緒に仕事をしているうちに、結果的に社内の人間も育っていく。
何か新しいことにチャレンジすると、自分でも見るに堪えないほどレベルの低い時期が必ず存在するのですが、長い人生の中で捉えると本当に一瞬で過ぎ去る時期なんですよね。でもどうしてもみんなそこに耐えられない、我慢できない。成長って比例ではなく反比例みたいな伸び方をするはずなんですけどね。
嫌われても構わないっていう人の方が何でもズバズバ言ってくれるから話が面白いと感じがちなんだけど、「誤解を与えたくない、相手を嫌な気持ちにしたくない」と他者に気を使っている人は普段からめちゃくちゃ考え続けているから、本音で語ってもらえる場を用意したら実はめちゃくちゃ面白いんだよね。
最近、僕のまわりの若くて感度の高いひとたちがみんな、口をそろえて「群れずに群れたい」とか「属さず属したい」って言っているの、おもしろい。僕らより上の世代だと、どっちかに振り切っているひとが多いから、この感覚は何なんだろうなあって思いながら、観察してる。 ayumukizu.com/non-kaiwai
最近よく考えるのは「応援消費」が今後どのような作用をもたらすのか。購入者側は「応援してあげた」だし、販売者側は「利益の目減り、先食い」だったりする。このお互いが譲り合った(と思い込んでいる)気持ちの齟齬が今後どうなるかは興味深い。愛が大きいと、反転して呪いになった時も大きくなる。