島津忠良を調べていくと「田布施」が気になりました。亀ヶ城(田布施城)神社は、島津忠良と息子・貴久が祭神の神社で、島津忠良の居城である田布施城跡の中にあります。
「田布施」は地名です。「南さつまの観光案内」には「源頼朝に任命された鮫島四郎宗家は建久六年11月に阿多郡を2分して、北方(田布施)を嫡子家高に、南方(阿多)を宗景に譲った」とあります。
田布施というと「田布施システム」が浮かびます。田布施は、山口県東南部にある町の名前です。陰謀論との批判もありがすが、「田布施システム」に日本の深い暗闇のヒントがあります。
田布施システムとは、明治維新以降、山口県田布施町から、日本を代表する政財官界の大物が次々と輩出されて、政界、財界など日本を影で操っているというものです。
実際に、伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中儀一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三という歴代の総理大臣が山口県出身です。山口県と鹿児島県にある2つの「田布施」とは何かです。
「南さつまの観光案内」には「田布施の地名は、当時鳥獣の害を防ぐために作られたタブセ(番人小屋)から出たともいわれる」とあります。「たぶせ」の地名は、「田布施」の他に「田伏」もあります。
「田布施」とは、大事な土地を守る番人の場所を示唆しています。また、南さつま市に深い縁のもう1人が「安閑(あんかん)天皇」です。安閑天皇は、531年から535年の約4年間在位した第27代天皇です。
ウィキペディアには「安閑天皇の治世の出来事として安閑記に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている」と書かれています。
「屯倉(みやけ)」と「犬養部(いぬかいべ)」がキーです。「屯倉」とは、ヤマト王権の支配制度で、全国に設置した直轄地を表す言葉で、後の地方行政組織の先駆けです。
「犬養部」とは、犬を使用することを業とし、その能力を持って中央政権に仕えた大化前代の品部の一つです。犬養部は犬を用いて屯倉の守衛をしていたという説が有力です。
犬養部は、その後、犬を手放して「守衛」により培ってきた武芸を活かし、軍事氏族としての色を強めて行きました。「田布施」は「屯倉」を守衛するガードマンであり、「反社勢力」という裏世界に繋がったと感じます。(つづく)