A級戦犯として東京裁判に現れた「アヘン王」
終戦後、着の身着のままで帰国した里見は京都や東京で潜伏生活を送っていた。だが、'46年3月に民間人初のA級戦犯として逮捕され、巣鴨プリズンに入所する。
国際検察局(IPS)から取り調べを受けるなかで、里見に連なる「上海人脈」が詳らかになった。笹川良一や児玉誉士夫、阪田誠盛など戦後を代表するフィクサーの名前を挙げたほか、岸信介や甘粕正彦といった大物とも深く関わっていたことも明かしている。
その後、東京裁判に出廷して証言を行った里見だが、不起訴となり無条件で釈放されている。
この理由について、前出の斎藤氏はこう推測する。
「里見を起訴して中国のアヘン事情を追及すれば、戦勝国の一員である国民党の蒋介石政権とアヘンの関係にまで、踏み込まざるを得ません。当時、国民党は毛沢東率いる中国共産党と内戦の真っ只中です。アメリカは国民党を支援していたため、追及を避けたように考えられます」
里見の宏済善堂から流れたアヘンは、当時日本と敵対していた国民党政権にも渡っていたのだ。彼のアヘン利権がどれほど巨大だったかが窺えるエピソードだ。
だが、波乱に満ちた戦時中とは打って代わって、戦後の里見は社会の片隅でひっそりと暮らすようになる。