188.騎士は報告される。
「…畏まりました。それでは、今晩の予定は延期ということでよろしいでしょうか…?」
プライドの準備ができるのを自室でエリックと共に待っていたカラムは恐る恐るステイルに聞き返した。本来ならばここでステイルから準備ができたと報告を受け、それからアーサーを捕まえているアランと共にプライド達が待ち受けるアーサーの部屋に向かう予定だった。
予定の変更や延期は仕方がない。それよりも問題なのは、と横に立つエリックもカラムと同じように恐々と目を丸くしたままステイルを見つめ返していた。
「ええ、申し訳ありません。折角お忙しい中ご協力頂いたのに、また次の機会に宜しくお願い致します。」
丁寧な言葉遣いで返答してくれるステイルに対し、いいえ、とんでもありませんと答えながら騎士二人は穏やかに笑みを作る気にすらなれなかった。
目の前の第一王子が今までになく真っ黒な覇気を纏っていたのだから。
もともとアーサーやプライド、ティアラ達の前では自然に笑みが出るステイルだが、以前まで社交用の笑みを向けていた相手であるアラン、カラム、エリックに対しては逆に肩に力の入らない無表情も増えてきてはいた。彼らもそれは理解し、プライド達に向けられる笑みを知っているからこそステイルの無表情も彼の素の姿として受け止めていた。
…が、今の姿はなかなか容易に受け止め辛い。
パッと見はいつもの無表情だ。だが、目が違う。漆黒の瞳が怒りで焦げるように燃え、必死に抑えてはいるが気を抜けばその眼差し自体も今まで以上に鋭く刃物のように研ぎ澄まされていたことだろう。何より彼の身体全体を覆い尽くす覇気が、今にも暴れ出しそうなほどに黒く渦巻いている。
「ステイル様、少々お待ちください。」
己が感情を押し留めようとするステイルに声を掛けながら、カラムは目だけでエリックに意思を伝えた。すぐにそれを理解し、エリックが急ぎ部屋を飛び出してアランに押し留められているであろうアーサーのもとへと走った。
流石に優秀なカラムにもこの状態のステイルに事情を聞くことは難しい。恐らくそれができるのは、プライドを入れても世界で三人くらいだろうとカラムは既に理解していた。
カラムとエリックの意図を無言で理解したステイルは、内側に込められた怒りを抑えつけようと微動だにせず佇み待ち続けた。部屋中が緊張で張り詰め続けた中、カラムは一人それに耐えた。
「…から!なんでいきなりカラム隊長の御部屋にお邪魔するんすか⁈」
「いや俺もわかんねぇよ!なぁエリック!アーサーの部屋じゃっ…」
「良いから早く来いアーサー!アラン隊長、後で説明しますから‼︎」
時間でいえば三分もない。アーサーとアラン、そしてエリックの声が聞こえてくる。そのまま鍵をかけていなかったカラムの部屋の扉が勢いよく開いた。バタン、という音とともに最初にアーサーがエリックに背中を押されるようにして入ってきた。続けてアランが入り他の騎士の目にステイルが入る前にと素早く扉がエリックにより閉じられた。アーサーが入ってきた途端、カラムは乱暴に扉を開けられたことよりもその事にやっと息をついた。
「ステイル…⁉︎おまっ、なんでカラム隊長の部屋に」
「アーサー。」
驚いて目を剥くアーサーに、ステイルが間髪入れず声を掛ける。さっきまで黙し続けていたステイルが、やっとその口を開き、感情を露わにした。
ステイルの異様な気配にアーサーは勿論、事情を殆ど把握していないアランも思わず口を強く閉ざす。
タン、タン、とゆっくりステイルがアーサーに歩み寄る。怒りに満ちた眼差しがそのままアーサーに向けられた。
「………れた。」
ぽつり、と余りにも唐突で小さな声に理解もできずアーサーは「アァ?」と軽く聞き返す。
それでもステイルは表情も歩む速度も変えず、ゆっくりと歩み続け、アーサーのすぐ目の前まで到達してから足を止めた。高身のアーサーよりもやや低いステイルが、真っ直ぐとアーサーを見上げるようにして目を光らせた。
「姉君が、泣かされた。」
はっきりとした口調でステイルが告げた瞬間、アーサーだけでなく周囲の近衛騎士達までもが驚き息を飲む。
「…アァ?」
じわじわ、とアーサーの表情が歪んでいく。ステイルの口振りとそしてこのタイミングから、その犯人が誰なのかは聞かずとも容易に想像がついた。蒼い瞳がギラギラとステイルと同じように焦がすようにして燃えていく。
「セドリック第二王子に、姉君が泣かされた。」
昼間の一件を知る近衛騎士達の誰もが何かあったのかと思考を巡らし、またあの一件のような無体があったのではないかと考え、血の気を引かせた。アーサーが静かな低い声で「説明しろ」と返すが、ステイルは噤むように少し間をとった。
「先に言っておくが、諸事情で詳しくは話せない。…が」
プライド達がアーサーの為にサプライズで料理を作っていたことをステイルの口から明らかにする訳にはいかない。この後、ステイルが事情を話すとしてもアーサーにだけは内容をぼかして伝えるしかできないだろう。
そのままアーサーの瞳に自分を映すようにじっと覗き、ゆっくりとその口を開く。
「俺も、アイツが嫌いだ。」
「奇遇じゃねぇか、俺もだ。」
ステイルの言葉に間髪入れずアーサーが答える。殺意にも似たその声色に、傍で二人の話を聞いていた近衛騎士三人もまた、怖じけることなく静かに頷いた。