第2回40キロ減った体重、続くロシアの拷問 それでも未来を守りたかった
ウクライナ北部チェルニヒウ出身のオレクシー・アヌリアさん(30)は、キックボクシングの選手だった。2013年には、旧ソ連構成国でつくる独立国家共同体(CIS)の選手権で優勝した。
22年2月にロシアによる全面侵攻が始まった時は、ボディーガードとして生計を立てていた。侵攻開始直後に軍隊に入ることを選んだが、同年3月に捕虜になり、約9カ月にわたって過酷な生活を強いられた。
100キロ超あった体重は40キロ減り、193センチだった身長は7センチ縮んだ。栄養不足が理由だった。
「走っても泳いでも、重量挙げをしても、以前は疲れることはほとんどなかった。いまは違う。両腕が上げられず、息子を抱き上げることすらできない」
体の至るところに拷問の痕が刻まれている。足にナイフを刺され、神経を切られた。独房では自分の尿を踏みながら歩いたため、かかとが壊死(えし)した。殴打された部分にできた青あざも、体のところどころに残る。
「自死する機会は与えない」
アヌリアさんが22年5月上旬から捕虜として過ごしたロシア中部トゥーラ州の収容所での暮らしは「地獄」だった。
収容されて7カ月半ほどで、独房に入れられた日数は108日に及んだ。
独房で与えられる1日分の食事は、スプーン2杯分のおかゆと、コップ半分の水など。常に空腹状態だった。
10月ごろ、独房の排水タンクのあたりに7~8匹ほどのミミズを見つけた。看守にばれないように急いでほおばった。乾燥し、平たく腐ったミミズも食べた。
22年の年末が近付いたある日、ロシア連邦保安局(FSB)の職員がやってきて、書類を見せられた。
そこには、「オレクシー・アヌリアはウクライナに帰還させてはならない」といった趣旨の文言が書いてあった。
絶望的な気持ちになり、聞いた。「私が生きながらえる理由はいったい、どこにあるのでしょうか」
答えはこうだった。「俺たちは、お前が自死する機会を与えない。ただ、ゆっくり苦しんでもらう」
ひどく殴られた後で、また独房に入れられた。
スリッパやズボンに、排泄(はいせつ)物がたれていた。もはや自分でも気づかなかった。「こんな状況で、生きる意味はあるのだろうか」。激しい自己嫌悪に陥った。
格子に縛り付けたベッドカバーを首に巻き付けて、もう、世の中からいなくなってしまおうと思った。
幻覚が見えた。祖母が現れ、いくつか「言葉を交わした」。口を動かしている様子が看守に見つかり、結局、自分の意思で死を選ぶことさえ、させてもらえなかった。
生き延びるための「最後のチャンス」
神に祈った。「なんとか、希望を」。そのとき、独房の扉の格子を、ネズミが歩いているのが目に入った。若そうな、黒い毛の生えたネズミ。捕まえて絞め殺し、急いで口に含んだ。
独房で動く様子を監視カメラで見ていたのか、また看守たちがやってきた。口から流れるネズミの血を勘違いしたのか、四つんばいにされて、身体検査を受けた。
このネズミは、生き延びるための「最後のチャンス」だった。「明らかに摂取カロリーが足りていなかった」からだ。ネズミは3~4本の歯以外、時間をかけて全て胃に入れた。口の中に何かを含んで、「かむ」という行為をするのは、久しぶりだった。
12月29日になって飛行機に乗せられ、ウクライナと国境を接するロシア南西部クルスクの収容所に移された。捕虜になって3~5月を過ごした場所だった。
2日後の大みそかに、車に乗せられた。うつぶせで、頭には袋をかぶせられ、少しでも動けば、背中を強く殴られた。きっと、処刑場に連れて行かれているのだろう。そう思った。
だが、違った。ウクライナ語が聞こえた。
帰還がかなった。
他に交換されたウクライナ人は、139人いた。そこにいた誰かがくれたたばこを、人生で初めて吸った。
電話を借りて、妻に電話をかけた。会うのは、怖かった。心身がむしばまれ、変わり果てた自分を見て、つらい思いをさせないだろうか。家族の重荷になりはしないだろうか。解放されたとの実感はあっても、幸福感とはほど遠いものだった。
翌日、国境近くの避難所に会いに来てくれた妻や子どもたちに会っても、そうした思いはぬぐえなかった。「映画のようなハッピーエンドは、現実にはあまりないのです」
帰還後、父親が亡くなったことも知った。
父に教えられた「強さ」
自分と同じ北部ルカシウカ村で軍の任務に就いていた父親は、住民45人を避難させた後、ロシア軍によって教会に閉じ込められた。その教会は放火され、父は焼け死んだ。57歳だった。
「父は数学や物理の教師で、知性と体力を備えている人でした。教えられたことは『強さとは何か』。それは『弱者を守ることであり、攻撃的であることではない』ということです」
アヌリアさんは帰還してから1年以上経った今も、ウクライナ西部テルノピリの病院でリハビリを続ける。同室の男性2人も元兵士で、ともに左脚を失った。
アヌリアさんは、ロシアに奪われた2年間を、取り戻さねばと心に誓っている。
「望むのは、普通の幸せです。子どもたちが安全に暮らせる。学校から家へ帰るときに心配しなくていい。将来の計画を立てることができる。物質的なものではなく、ごく普通の子ども時代を過ごさせてあげたいんです」
自分を強くしたものは、なんだろう。なぜ、ネズミを食べてまで生きようと思えたのだろう。死んだ方がずっと楽だったのに。
考えると、9歳の娘と5歳の息子の顔が浮かんだ。「自分の埋葬場所を誰も知らない、彼らが墓を訪ねることすらできないというのが、私には耐えられなかったんです」
自分の父親以上に、自分のことを愛してくれる人はいなかった。同じように、自分も、娘や息子のことを誰よりも愛している。
「自分の持っているもの、知っているものをすべて、子どもたちに与えたい」。大きな単位の数字の数え方を教えたい。山に連れていってやりたい。
そんな「未来」を、守りたかった。(ウクライナ西部テルノピリ=藤原学思)
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ロシアによる全面侵攻は、ウクライナのあらゆるものをむしばんでいます。領土や生命、日常や家族、自由や未来。だからこそ、ウクライナは戦っています。「守りたいもの」に焦点を当て、2年間を現場から伝えます。
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- 【視点】
まさに筆舌に尽くしがたい、壮絶な体験に負けないほどアヌリアさんを強くしたのは、「娘や息子のことを誰よりも愛している」という最もシンプルで、しかし最も崇高な気づきだったのですね。 その気づきへの感動とともに、誰よりもアヌリアさんを愛していたというお父様の「『強さとは何か』。それは『弱者を守ること』」ということば、そして多くの住民を避難させた後、教会の放火によって殉職したお父様の姿が、私の頭の中で深く響きわたっています。 残念ながら、ロシアによる侵攻は終わりが見えませんが、悲惨な状況の中でも生きることを選び、生きることができる未来に賭けたアヌリアさんと奥様、お子さんたちが、これから、シンプルで崇高な愛を心穏やかに生きることができますように、心からお祈りしたいと思います。
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