山田孝之(40)と仲野太賀(31)が、映画「十一人の賊軍」(11月1日公開)にダブル主演することが26日、分かった。「日本侠客伝」(64年)「仁義なき戦い」(73年)両シリーズを手がけるなど、東映黄金期の礎を築いた脚本家の笠原和夫さんが1964年(昭39)に執筆も映画化に至らなかった幻のプロット(あらすじ)を発見した白石和彌監督(49)が、60年の時を超えて映画化。山田は13年の主演映画「凶悪」以来11年ぶり、仲野は初の同監督とのタッグで、殺陣にも初挑戦。同事務所所属の2人の共演は18年の映画「50回目のファーストキス」以来6年ぶりとなる。
「十一人の賊軍」は、明治維新の最中の1868年(明元)に勃発した戊辰戦争の際に新発田藩(現・新潟県新発田市)で起きた奥羽越列藩同盟(旧幕府軍)軍への裏切りのエピソードを元に、笠原さんが脚本を執筆。藩に捕らえられた11人の罪人がとりでを守る「決死隊」の任に就き、憎き藩のために命をかけることへの葛藤を描いた。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と勝敗によって善悪が決まるのが当たり前の時代に、果たして勝つことだけが正義なのか? と一石を投じるべく構想した。
ただ、当時の東映京都撮影所の岡田茂所長から、全員が討ち死にして負けるという、物語の結末が気に入らないとボツにされた。笠原さんは怒り狂い、350枚枚ものシナリオを破り捨て、日の目を見ることはなくなった。ただ、1人のヒーローが活躍するのではなく、チームワークで敵に打ち勝とうとする「集団抗争時代劇」は、後に笠原さんが手がけた73年以降の「仁義なき戦い」シリーズにもつながった。
「十一人の賊軍」のプロットだけは残り、出版等がなされたものを白石監督が発見。18年「孤狼の血」と21年「孤狼の血 LEVEL2」でタッグを組んだ、紀伊宗之プロデューサーとタッグを組んで企画し、脚本の池上純哉氏をはじめ「仁義なき戦い」の系譜を継ぐ「孤狼の血」チームが受け継いだ。笠原さんにボツを出した京都撮影所所長の岡田茂さんは、後に東映の社長、会長、名誉会長を歴任し“映画界のドン”と呼ばれた。岡田さんの長男で社長、会長を継いだ岡田裕介さんも20年11月に亡くなった今、現代の東映が、笠原さんが描こうとしたドラマは今、日本が抱えている社会問題とシンクロすると確信し、映画化に踏み切った。
「十一人の賊軍」は、白石監督が初めて手がけた時代劇映画で、公開中の「碁盤斬り」の撮影が23年2~4月まで行われた後、同年8月~11月まで撮影が行われた。山田は「スタッフ、キャストの皆さんが何とか乗り越えようとしていたのが伝わってきて、大変だったけど楽しい撮影でした。先にクランクアップした他のキャストの皆さんが炊き出しに来ていただいたり、こんなすてきな現場は本当にないと思いますし、ここまで大変だったからこそ、何としてでもいい作品を作ろうと一丸となって撮影に挑んでいました」と撮影を振り返った。、白石監督との11年ぶりの再タッグについては「白石監督とは『凶悪』以来でしたが、変わらぬパワフルさについていくのに必死でした。ですがなにより、再度お声がけいただけたことがとてもうれしく思いました」と語った。
一方、白石組初参加の仲野は「撮影を終えて、これまでにない達成感があります。アクションシーンが多く撮影は過酷を極めましたが、360度どこを見渡しても壮大な世界観のセットという本当にぜいたくな環境で芝居ができたことが、自分の俳優人生で初めてのことだったので幸せでした」と過酷も、幸せだった撮影への感慨を口にした。殺陣については「殺陣は初めての挑戦だったのですが、どんなに大変なシーンでも信頼できるスタッフのみなさまのおかげで確実にかっこいい映像が撮れているという自信をもって最後まで走りきることができました」と自信を見せた。
2人の役どころなど詳細は今後、発表されるが、山田も仲野も6年ぶりに共演できたことへの格別の思いを口にした。山田は「太賀とは共演経験もあり、彼の芝居に対する本気度は肌で感じていましたが、他者からの高い評価も日々聞いていましたので、改めて共に作品を作れる事がとても楽しみでした。そしてとても刺激的で、やりがいのある現場となりました」と熱っぽく語った。仲野も「山田孝之さんには精神的にも体力的にもいろんな面で引っ張って支えていただきました」と感謝した。
白石監督は、02年に出版された、笠原さんが共著したインタビュー本「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」(太田出版)を読んだと明かした。「『昭和の劇』で笠原さんのインタビューを読み、プロットを手にしてから、あっという間に時間がたちました。笠原さんの名に恥じぬようにと、今この映画を世に送り出す意義を考え、重圧につぶされそうになりながらも泥だらけになって撮影しました。たくさんの才能あるキャストとスタッフに集まっいただき心から感謝しています」と率直な思いを語った。
山田との再タッグを決めた理由については「『凶悪』以来でしたが、この作品の持つ力に太刀打ちできる俳優は彼だけだと思いお願いしました。10年ぶりの山田さんは俳優としても人としても、大きく心強い存在でした」と説明。仲野の起用については「最も仕事をしてみたい俳優の1人でした。愚直で正義感あふれる侍を見事に演じてくれています。これから日本を代表する大きな俳優になるんだろうなと思います」と期待した。
関係者によると、国際映画祭への出品と海外上映を目指しているという。山田が「映画で描かれる賊どもの生きざまが、観た人たちの心に届いて勇気づけることができるといいなと思っています。この映画を最後まで突っ走ろうと思います」と言えば、仲野も「他のキャストの皆さんも、どんなに大変な状況でも笑いの絶えない空気を作ってくださり本当に感謝しています。僕も映画の完成を楽しみにしています!」と期待。白石監督も「2人がスクリーンで暴れる姿を早く見てもらいたいです。どうか皆さま楽しみにお待ちください。映画はもうすぐ完成します。完成したら、また笠原さんの墓前に手を合わせ、ご報告してまいります」と口にした。
紀伊宗之プロデューサーも、コメントを発表した。
紀伊プロデューサー 笠原和夫さんの残した「十一人の賊軍」に出会い「コレだ!!」と思いました。この作品には歴史のはざまでもがく人間の熱いドラマが描かれていたからです。かつて「七人の侍」「用心棒」はじめ日本の時代劇は、国内だけでなく海外でも高く評価され、誰もが知るハリウッド大作映画の基になるなど世界中のクリエイターやエンタメに影響を与えてきました。ずっと僕もそういう映画を企画し、作りたいと思っていました。また現代においても世界では侍や忍者といった日本固有の文化・歴史の人気は根強く、「ラスト サムライ」の世界規模での高評価に加え、ハリウッドでは忍者コンテンツが作られ続け人気を博しています。直近では「SHOGUN 将軍」「忍びの家 House of Ninjas」が世界中で注目を集めています。日本独自の文化を基にしたコンテンツが世界で求められているのは普遍的なことではないでしょうか。“日本が世界と戦える映画とは、日本固有の文化に根ざした時代劇が一番”です。笠原和夫さんといえば日本映画界の伝説的な存在であり、その名を知らない人はいません。そんな大先輩である笠原和夫さんの反逆精神が宿るこの「十一人の賊軍」に現在、日本映画界最高のスタッフ・キャストが集まり、大変な制作現場を一丸となって走り抜けてくれています。まさにこれは奇跡です。完成した暁には世界に向けた渾身(こんしん)の作品になると信じてます!
◆笠原和夫(かさはら・かずお)1927年(昭2)5月8日、東京都生まれ。新潟県長岡中学を卒業後、海軍特別幹部練習生となり復員後、さまざまな職につき54年に東映宣伝部に常勤嘱託として採用。2年後に社内シナリオコンクールで1位入選後、プロの脚本家として執筆を始める。64年スタートの「日本侠客伝」シリーズで11作中8作の脚本を担当。68年「博奕打ち 総長賭博」が三島由紀夫さんに激賞され、73年から始まった「仁義なき戦い」シリーズの脚本が高く評価。76年に東映を退社しフリーの脚本家に。80年「二百三高地」、82年「大日本帝国」で日本アカデミー賞優秀脚本賞。98年に勲四等瑞宝章受章。02年12月12日に肺炎のため75歳で死去。