残火の肖像 4

 病室で感じた印象は正しかったようで、ここはずいぶん古い建物だった。

 少なくとも築五〇年以上、へたをするとその倍ではないか。このレトロさは貧しかった故郷を少し思い出す。

 質素な電球で照らされた廊下を歩いていると、神経質な話し声が聞こえてきた。

「先日は確かに無礼だったかもしれませんが、こちらが悪いとは思っていませんから」

 院内らしい抑えた声でありつつ、苛立ちを隠さずに話す看護師がいる。その看護師の前にいるのは、黒いスーツを着た少女のような顔の調査官だ。

「何かご不便はありませんか。子供達の様子は」

 淡々とした態度でその黒スーツ、グレイス調査官は言った。

「特別なことはありません。知りたいなら診察結果を見てください。それでは」

 看護師はつっけんどんに言い、グレイス調査官を睨みつけて去っていった。

「お花屋さん。目が覚めたのですね」

 グレイス調査官はこちらに気づいて言った。

 銀色の瞳は揺れないが、覇気がないように見えた。今のやりとりが原因なのだろうか。

「ここは普通の病院ではないね」

 シェイウッドは、思っていたことを率直に言った。

 ここは妙に世間と隔絶していると感じる。調査局と関係のある特別な施設と考えるべきだろう。

「はい。ここはLDによる犯罪や災害によって被害を受けた人をケアするための場所です」

 グレイス調査官はそう説明した。やはり普通の病院ではなかった。

 LDとそれに似た技術は扱いが難しい。普通の医者や施設で受け入れることはできないだろう。かといって大病院に専用の最先端設備を入れれば目立ってしまう。

 そんなことをすればスパイにとっては格好の監視対象になっただろう。だが、こんな場所なら最先端治療を行っているとは誰も思わないというわけだ。

「いえ、古い建物を好むのは局長の趣味だと思います……」

「そ、そうなの?」

 呆れた様子のグレイス調査官を見ると、今の言葉は冗談ではないらしい。局長というのはあの超存在、メテオのことだ。

 趣味。超存在のことを神や機械のように思っていた以前なら意外だったかもしれないが、一度会った今はなんとなく納得できる。

「少し歩きます」

 グレイス調査官がそう言い、シェイウッドは無言でそれに同意した。

 この病院にはLD犯罪者はいない。被害者側でLDの影響を受けた者だけだ。最近はLD犯罪で親を失った子供が何人も入ったという。

 それを聞き、シェイウッドの胸にはいかなる痛みも発生しない。いない家族を思って悲しい夢を見る時期はとうに過ぎ去った。

「それ、とれかかっているよ」

 シェイウッドは言い、グレイス調査官の頬を指さした。

「ああ……」

 グレイス調査官の頬にはガーゼが貼られている。それを取ると、治りかけの小さな切り傷が出てきた。

「何の傷?」

 この調査官に傷をつけることはシェイウッドの拳でも不可能だった。一体どこで傷を負ったのだろう。

「資質を持つ調査官として、子供たちの経過を観察しています。LDによる悪影響がないか近くで見る必要があるからですが――」

「さっきの看護師の態度か。あまりよく思われていない?」

「はい」

 看護師たちはLDなど知らない一般人である。そのせいで、調査官との間でさっきのようなトラブルがあるらしい。

 調査局は謎の治安組織だ。年端もいかない子供をこんな病院に閉じ込めている冷たい調査官に対し、事情を知らない看護師が憎しみを向けるのは自然なことかもしれない。

 シェイウッドにも似たような経験がある。勤勉に仕事をしても感謝されないのは、秩序にまつわる公的機関に務める者の常だろう。

 グレイス調査官は病室の前に行き、その中にいる患者たちに目線を送っていた。

 資質者でないシェイウッドにはわからないが、LD的な異常が起きていないかを確認しているのだろう。子供は数人。元気に話している子もいれば、窓際でおとなしくしている子もいる。これがみんな親なしなのか。

「あれは……」

 窓際に花が飾ってある。飲料のガラス瓶に挿されたもので、子どもたちが自分で置いた花瓶なのだろう。

 あの花には見覚えがある。シェイウッドは足元に何かのかけらを見つけた。それは、数日前に作成したフラワーアレンジメントに使った陶器によく似た色のかけらであった。

 頬の傷の理由がわかった気がした。花を持ってお見舞いに来たグレイスに対し、あの看護師が怒ってそれを投げつけたのだろう。

 シェイウッドは、目の前の調査官の小さな背中に目をやった。

 彼女ほどの者なら簡単に避けられただろうに、甘んじて受けたのだろう。想像がつく。黙って看護師の言葉を浴びせられる彼女の姿が。

 病室の子供たちはグレイス調査官に気づいた様子だったが、すぐ目を逸らした。おおかたあの看護師から「調査官とは喋らないように」とでも言い含められているのだろう。

 LDは複雑かつ危険だ。時間差で重大な問題を与えるかもしれず、資質者が見守るのは必要な安全措置である。

 しかし、グレイス調査官は部屋の中には踏み込まない。

 前髪の隙間から覗く銀色の瞳は、相変わらず硬質で冷たい光を放っていた。そこから注がれる眼差しは子供たちだけまっすぐ見ていて、窓際の花にはきっと気づかない。

 シェイウッドにこの純粋さはない。少なくとも今はもう。

 少しだけその場に立ち止まってから、二人は病室の前をあとにした。

「柩……局長から聞きました。調査局に所属すると」

 病院の出口に向かいながら、グレイス調査官は言った。

「そのつもりだよ。これからは上司だし、もっと丁寧に話すべきですか?」

「話しやすい言葉で結構ですよ」

「そうはいきませんよ、主任」

 グレイス調査官の後ろについて歩く。シェイウッドは彼女の下につき、調査官として活動することになる。

「いいんですか? 私は外国の工作員ですよ」

 おおげさに両手を広げながら、シェイウッドはやや自虐的に言った。

 シェイウッドは資質者ではないし、反逆したところでこの主任調査官には歯が立たないだろう。超存在も目を光らせているとあっては危険な行為などできるわけがない。

 しかし、つい半日前は殺し合っていた相手である。それをどう思っているのだろう。

 グレイス調査官は足をとめて振り向き、こちらをまっすぐ見た。

「同じ信念を持っているはずです。そうでなければ、そのような仕事に命をかけられないでしょう?」

 それだけ言い、グレイス調査官は再び歩き始めた。

「まいったね」

 プラーミャを除いては初めてかもしれない。同じように考える人間と出会ったのは。

 スパイのような仕事はまともな人間性ではできないと思われるかもしれない。工作員には倫理感を失った人間がいるのを何度か見てきたのも事実だ。

 では、スパイは感情のない機械であるべきなのか。シェイウッドは違う考えを持っている。

 スパイこそ、誰よりも人間性が問われる仕事だ。裏切りを含むあらゆる選択肢を持った特権的な立場に置かれる。それでも国の安全のために行動できる人間は、他の誰よりも強い他者への情を持っていなければならないのだ。

 心に熱がなければいけない。そうでなければ、どうして悪に走るのを止められるだろうか。

 本人たちにとっては辛いことだ。尊敬されることはないし、機密保持のために切り捨てられることもある。

 そんな自分たちに救いを与えられるとすれば人ではなく、全てを見ている神くらいのものだろう。



「きみには、グレイス主任の側近として活動してもらう」

 調査局の本部に連れて行かれ、局長から正式にそう命じられた。

「カナレイカ中央情報局は名目上はまだ存在しているから、所属を続けたまえ。きみの上司はもういないみたいだけど、組織はヨハンナ政権に組み入れられて再編されるだろう。あの政権は怪物みたいなものだからね」

 局長はなかなか無茶な要求をしてくれる。ようするに二重スパイをしろというのだ。

 デスクに肘をついた局長は挑戦的な目を向けてくる。シェイウッドは作り笑いを返しておいた。

「その前に、一つだけ聞いてもいいだろうか」

 笑うのをやめ、シェイウッドは言った。

「何かな?」

「なぜ、私を調査局に入れようと思ったのかな?」

 興味が出てきた。この超存在が一体どんなことを考えているのか。

「きみが気に入ったからだよ」

 どんな理由が飛び出してくるのかと思えば、単純すぎる答えが返ってきた。

「ここはあなたのハーレムだとでも?」

 まさか本気なのだろうか。超存在にとって人間なんてその程度のものなのかもしれないが。

「重要なことだ。この仕事を通じ、人間そのものに失望したくない。私は、好きな人間しかこの組織には入れたくない」

 しかし、その次に出てきた説明は人として自然に納得できた。

「グレイス主任のためですか?」

 シェイウッドは言う。

 調査官は職務上、どうしても人間の負の感情を浴びやすい。だからこそ局の中ではグレイス調査官のやる気を削がない人間を集めているのかもしれない。

 シェイウッドの仕事も同じだ。ヒューゴと仕事をしている時はやる気が出なかった。彼は組織への忠誠とは程遠い精神しか持っていなかったからだ。嫌悪だけで殺したわけではないが、愛情が薄く自分勝手な彼の存在は誰にとっても不利益になると思った。

 全ての根源は愛だと、シェイウッドはよく感じる。シェイウッドがカナレイカのために尽くそうと思えたのも故郷への愛着があったからだ。

 戦争ばかりのイメージがついているが、あれは素朴で美しい国なのだ。カナレイカの自然も田舎の村の暮らしもとても穏やかで、シェイウッドはそこで過ごした幼馴染との思い出を大切にしていた。

 それをどうでもいいとは思えなかったから行動を起こし、今のシェイウッドがある。

 とてもわかりにくいが、グレイス調査官も愛情深い人間だ。誰にも認められなくても信念を貫くだろう。

 だがその愛は傷ついている。義務で人を殺したことがあるからだ。深い罪の意識を抱いて苦しんでいる。

 その苦しみから逃れようとは思っていないだろうが、せめて隣にいる仲間くらいは彼女の敵にならない者がいいだろう。

「あの子だけじゃなく、私だって耐えられない」

 目を閉じながら、局長は小さくそうつぶやいた。途方もなく長く生きた超存在は、一体どれほど人間に失望してきたのだろう。

「幸福になるべきなんだ。グレイスは」

 局長は言って、少しさびしそうに微笑んだ。

「それは――」

 その言葉をつい、自分にも向けられているように感じてしまった。

 訓練場で、仕事で、誰かを手にかける時の光景が忘れられない。首にかけた手の力を強めると、抵抗が消えて相手の四肢から力が抜けた。

 そんな時に向けられるのは恐怖、恨み、悲しみ――こちらを責めるような目だ。それを、ろうそくの火を吹き消すようにあっけなく奪ってきた。

 信念のために犯した罪は許されるのか。どう償えるのか。流した涙と血の区別がつかない。グレイスもシェイウッドも、きっとそれを心のどこかで考え続けている。

 償いがしたい。だが、誰ならば自分たちを許せるというのか。自分たちの罪は、公的には問われない類のものだ。

 そんな境遇にいるグレイス調査官のことを、局長は幸せになるべきだと語った。全てを知り公平な目を持つ超存在の立場から、灯りとなるような好意の言葉を。

「でも、何でそれをグレイス主任じゃなく私に言うの?」

 その言葉は、口に出す前に喉の奥にとどまった。

 シェイウッドは何も言わず、胸に手を当てて礼をした。役目を引き受けるという表明であった。

 最後に局長は、不思議なことを口にした。

「きみの中には炎があるよ、クラスナヤ」

 そう言って微笑む顔が目に焼き付き、今は曖昧な記憶となった誰かが重なった。

 悲しい肖像。炎に焼かれて消えたはずの。

 では今、本当に人類の業火に焼かれているのは誰なのか。

 メテオライトの守護者は、「柩」という名で呼ばれているそうだ。日本語で棺桶を意味する言葉である。西洋では土に埋められるそれは、東洋においては最期、何の中にあるものだったのか?



(残火の肖像 完)

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