残火の肖像 2

「夜道には灯りが必要だ。たとえそれが身を焼く炎のようなものでも」

 プラーミャが残した言葉の中で、それが最もシェイウッドの印象に残っていた。

 情報局で最も優秀な工作員だった彼女が何を考えていたのか、いつもわからなかった。燃え尽きた炭のような灰色の髪の間に、まだくすぶる炎のような赤い瞳をそなえた小柄な女性であった。

 笑わない人だった。誰に対しても厳しく、施設内では不敗を誇っていた。最も高い資質を持つ術者であり、格が違っていた。

 資質がなくても、彼女の周囲に濃密な何かがあることが感じられた。痩躯なのに、誰よりも威圧感があった。

 対するシェイウッドは生まれつき体格に恵まれていて、情報局の育成過程における近接格闘訓練では負けなしだった。

 だがシェイウッドにはLD資質がなく、ガイアの魔法を使う同輩にはずいぶん苦しめられた。

 精神を操作し、視界を幻惑し、様々な手段で工作員候補はシェイウッドに戦いを挑み、それは有効に作用した。素手の勝負なら絶対に負けないような貧弱な相手にも地に叩きつけられ、魔法という力の強大さを体で思い知っていた。

 クズみたいな姑息なやつばかりだった。人を踏みつけることしか考えていないような。

「あなたの中にこそ炎があるわ、クラスナヤ」

 プラーミャはそう言っていた。他のどのLD使いにもそんな言葉は使わなかったのに。

 それが何を意味しているのかはわからなかったが、シェイウッドはどんな資質者にも最後には勝利した。精神操作にも幻惑にも屈せず、克服する方法を考え出し、最後には相手の顔面を殴りつけて絶命させた。

 恐れずに戦うことと相手の命を奪うこと。どちらかに躊躇したものは、生き残れなかった。

 シェイウッドにはこの道しかなく、もとより命を投げ出すことなど何でもなかった。幼い頃に故郷が内戦で焼かれ、たった一人いた幼馴染は顔も思い出せない。

 この国は強くならなければならない。そのために生きると決めた。立ちはだかる者は誰であろうと倒すだけだ。

 そんなシェイウッドでも勝てないかもしれないと感じていたプラーミャは、シェイウッドと戦う前に死んだ。

 訓練を生き延びた数人の間で最後の戦いが行われるはずだった。そこで勝ち抜いた者が合格者となるのが組織のルールだった。

 だが候補者たちは、戦いの前に次々と炎に包まれて焼かれていった。

 シェイウッドを除いた全員だ。人体がひとりでに発火していって、皆が灰になって消えてしまった。

 焼かれずに生き残ったのは一人だけ。採用者はシェイウッドだけであった。

 炎の中に消えたプラーミャの面影を追ってみても、歪む肖像のようではっきりと思い出せない。



『帰国しろ』

 ヒューゴを始末したことを報告すると、本国からそう言われた。

「そんな必要はないよ」

 まだ十分にカバーできる。あのオフィスはCIAの中でも非公式のものなので、シェイウッドとヒューゴの二人だけだ。彼が死亡した事実は誰にも伝わっていない。

『図に乗るんじゃない。全てが露見するリスクを考えろ』

 上司が言った。臆病なことだ。

 カナレイカ中央情報局は政権交代前に発足された組織で、現在のヨハンナ政権の承認のないままに古い組織体系のもとで動いている。シェイウッドの上司の立場は一介の政治家ということになっているが、その正体は情報局元幹部の一人である。

 だから上司は神経質になっている。失敗すれば自身の違法性が発覚するからだ。

 実にくだらない保身である。スパイが存在を許されるのは国民の利益と安全を守るためではないのか。とりわけ超存在の分野では、遅れをとればツケを払わされるのは国民だ。

 シェイウッドはそれをよく知っている。あれに比べれば、自分一人が罪に問われることなどなんでもない。

 今の情報局は、亡きプラーミャの理念とはかけ離れている。

「例の名盤は人の手で作られたものかもしれない。そこまではわかった」

『何だと?』

 シェイウッドは、現在わかっている範囲の情報を口にした。

 流出したとされる名盤、つまり超存在の情報。それは六角形の物体が浮かぶ不鮮明な写真だった。

 ヒューゴの身分を利用してCIAのデータベースを少し拝見して発見した。CIAでは分析できなかったものだが、シェイウッドは独自に調査をしてある程度の正体をつきとめていた。

 南米に似たような物体の目撃情報があった。シェイウッドは情報局プラーミャ独自のネットワークを使って日本の研究者に依頼し、南米に関する古い資料がないかを調べさせた。

 産業革命以前のいにしえの時代、世界中が魔と対峙したといわれている。歴史の浅い合衆国には弱い分野だ。魔が何かはわからないが、LDに関係した何かではないかと考えられている。

 LDを当たるにはそのあたりの歴史に触れるのが近道なのだが、今のシェイウッドの上司はそんな常識を持ちあわせない。南米には魔に対抗するという火梛の剣が伝わった歴史はないが、日本の研究者によると古代文明において魔に対抗できる独自の神がいたかもしれないという。

 今は滅びた神らしい。おそらく超存在かそれに近いものだったのだろう。その残骸を採掘して兵器として蘇らせたのがこの六角形に違いない。

「人工超存在とでもいうべきか。合衆国ではもうそこまで研究が進んでいるらしいね」

『……』

 短い時間で、シェイウッドはここまで調べていた。これを材料に調査局に揺さぶりをかければもっと多くのことがわかるだろう。

「もう切りますね~。これからお仕事がありますから」

 シェイウッドは急に口調を変え、電話を切った。

 その理由は、シェイウッドの背後に存在した。

「こんにちは。あの後、体調は大丈夫ですか?」

 言いながら現れたのは、銀色の瞳をしたグレイス・ハート調査官だった。

「ええ」

 今のシェイウッドは花屋のエプロンを身に着けていない。スーツ姿で、CIAのオフィスに向かっている途中だった。

 先日、尾行に気づかれるという痛恨のミスをした。その時シェイウッドは少々厳しい方法で乗り切ることになった。今は会いたくないのに、一体どうやってシェイウッドを見つけたのだろう。 

「あなたこそ、その左頬は?」

 シェイウッドは質問を返す。グレイス調査官は左頬にガーゼをつけている。何かあったのだろうか。

「これは……大したことではありません」

 美麗な顔に傷がついたら大問題な気がするが、彼女は自分のことよりこちらが気になっているらしい。

 シェイウッドはあの時、体調不良を装ってグレイス調査官を油断させた。そして、GLDによる瞬間的な幻惑を展開してその場を離脱した。相手は優秀な調査官であり、元は連邦捜査局のエリート捜査官。腹痛のふりなどという手が通用するお人好しだとは思わなかったが、思いのほかうまくいった。

 だが、痕跡が残らない程度とはいえGLDを使ってしまった。グレイス調査官はLD術者。勘のいい資質者なら異常に気づくかもしれない。

「グレイスさんは、どうしてここに?」

 シェイウッドは内心かなり緊張していたが、できるだけ自然に話した。

「あなたが急にいなくなったので心配していました。この場所に来たのは……なんとなくです」

 グレイス調査官は曖昧に返事をした。全く笑わない彼女のこと、裏を読み取ることは難しい。

「ちょっと会っただけの私に対してそんな……お人好しと言われませんか?」

 シェイウッドは言う。本当にただお人好しなのか、それともなにか狙いがあるのか。

 どちらなのだろう。わからない。もしお人好しならこの人は相当な愚か者である。

「あまり言われません。これは治安機関の基本的な仕事です」

 グレイス調査官は、やはり表情を変えないまま淡々とそう答えた。

「あの後、身辺に問題はありませんか? お送りしますよ」

 グレイス調査官が言う。身辺の問題とはこの前の尾行者、つまりヒューゴのことだろう。

 そいつはもう死んでいる、などとは顔に出すことさえできない。ヒューゴの遺体は燃やして放置したが、他の工作員が処分してくれた。

 目撃者だった警官の記憶は曖昧なはず。ニュースになった様子もないので、まだ知られていないと考えていいだろう。

 どうしたものか。このまま会話を続けていても仕方ない。だからといって、前のように逃げ出すのは悪手すぎる。

 CIAが使うオフィスは目と鼻の先。その場所は知られたくない。何かこの近くに「用事」を作らなければ。

 そう思っていると、シェイウッドの目に驚くべきものが見えた。

 オフィスに入っていく人間がいた。しかも、見間違いでなければあれは――。

「面接、なんです。お花屋さんは足掛けで」

 シェイウッドは言う。今の格好、花屋のエプロンではなくスーツを着ていることの説明にもなる。

「あのビルです。よければ、少し話しませんか?」



 グレイス調査官と共に近くのビルの屋上まで着た。

 面接だというのだから、こんな場所に来るのはおかしい。だがグレイス調査官は顔色ひとつ変えず、シェイウッドについてきてくれた。

「怪しんでいますよね?」

 シェイウッドは単刀直入に言った。

 時間がなくなった。丁寧に調査官を追い返している余裕はない。そこで賭けに出ることにした。

「何か事情がある、とは思っています」

 調査官はまっすぐな目で言った。銀色の瞳は少しも揺れず、これをごまかすのは無理そうに思えた。

 あの別れ方では何かあると思うのが当然だろう。問題は、彼女がどこまでシェイウッドのことをわかっているかだ。

 それを探りながら、早急に彼女を引き離して仕事に戻らなくてはならない。

 懐にはGLD媒体の水が入ったスキットルがある。しかし、先手をうつのは得意ではない。資質者でないシェイウッドには即座の魔法発動ができず、相手を罠に誘い込むような戦いが必要になる。

 本当は性に合わないやり方だ。殴り合いだったらとっとと先に攻撃をしかけて終わりである。小柄なグレイス調査官に対して、体躯に優れるシェイウッドは圧倒的に有利だろうから。

「脅迫されているんです、私」

 シェイウッドは言い、屋上の縁に近づいた。

「そうでしたか。では調査局で保護します」

 グレイス調査官は言った。予想通りの答えだ。

「できるかしら。相手は得体のしれない連中です。今もきっと監視されてます」

 どの程度こちらを信じるだろうか。多少は懐疑的になるだろう。

 考える時間を与える前に実行する。シェイウッドは話しながら、自然なそぶりで胸に手を当てた。

 そうしながら、少しだけスキットルの口を開いてGLDを散布していく。

「身命を賭して、私があなたを守ります」

 グレイス調査官はそう言った。

 身命を賭して。それは自身の存在を破綻させる言葉。普通の人が言えば全く信用できない言葉である。

 だが、彼女のそれは真実だと思った。

「あっ……」

 シェイウッドは幻惑を発動し、足の力を緩めて後退した。

 もちろん芝居だ。そして同時に、スーツのシャツに赤い血しぶきが発生した。

 GLDによるごく小さい幻惑で、まるで撃たれたように見せかける。シェイウッドはよろめくふりをして、後退してビルの下へと落下していく。

 グレイス調査官が駆け寄ってきて手を伸ばした。同時に、GLDの脆い幻覚は壊れる。

 落ちていくシェイウッドの体も幻だ。本物は一歩離れた場所にいて、まだビルの屋上に立っている。

 調査官は落ちていく。何十メートルもあるビルの下へと。

「バカな人だ」

 幻影を救おうとして命を投げ出した。言葉通り、本当に身命を賭したというわけだ。シェイウッドの見込みは正しかった。

 落ちていく時、彼女はこちらを見ていた。

 見えた表情にわずかな驚きはあったものの、それだけではなかった。「やはりそうだったか」とでも言わんばかりに、少し寂しそうな顔をしていた。

 前の一件があり、シェイウッドが幻惑を使うGLD使いだということに気づいていたというわけだ。それなのに、「もしや」を考えてあんな行動をとったということか。

 万が一、本当にシェイウッドがただの人なら取り返しがつかない。だから、たとえ可能性が低くても助ける方を選んだのだろう。

 この高さだ。優れたLD術者でも手札が悪ければ生きて帰れないかもしれない。

「……」

 グレイス調査官は一瞬もためらった様子がなかった。人の命を救うためなら迷わずに命を投げ出せるのだ。

 狙撃に対する警戒さえせず、こちらに手を伸ばした。案外、本当にシェイウッドを心配してくれていたのかもしれない。

 直感は正しく、シェイウッドは賭けに勝った。

 それなのに、なんだか妙に胸が熱かった。



 CIAのオフィスに戻ってみると、外見上は何も変化が起きていなかった。

 記憶力に優れるシェイウッドが入念に見ても、デスクの状態はシェイウッドが去った時と寸分たがわぬ状態だった。誰も来ていない。

 では、シェイウッドが見たあれは何だったのか。

 このビルに誰かが入っていくのが見えた。あれは確かに、死んだはずのヒューゴに見えた。

 このビルには一般企業のオフィスも入っている。違う誰かと見間違えたか。それは考えにくい。シェイウッドはビルに出入りする人間全てを覚えているし、人を所作だけで見分ける訓練を受けてもいる。あれは確かにヒューゴだった。

 確認する方法はある。監視カメラを調べるのだ。シェイウッドはGLDによる暗示を使ってビルの管理室に入り込み、カメラの映像をチェックしてみた。

 ビルの前の通り、ビルの内部。それらを確認していったが、ヒューゴの姿はなかった。

「それはそうさ。そいつは、きみの頭の中だけにいるからね」

 突然背後からそう囁かれ、シェイウッドは飛び退いた。

 細長いスキットルを抜き、それを短剣のように相手に向ける。

「ヒュー……生きていたんですか」

 シェイウッドは言う。

 なぜだろう、全身の毛が逆立つような恐怖を感じる。

「どうかな。でもねシェリー、これは驚くことじゃないんだよ」

 ヒューゴはいつものへらへらした態度で言った。

「どういう意味……?」

「きみが殺してきたGLD術者はみんなそうだったからだ。覚えているか?」

 頭がぐらぐらする。何かを思い出せそうになっている。

「これまで……?」

 CIAへの潜入任務のことを言っているのか。いいや、この国でGLD術者に出会ったのはヒューゴが最初のはずだ。

 ならばそれはずっと前、祖国カナレイカでの訓練の時のことなのか。

「そうか……お前は」

 そして、シェイウッドは気付いた。

 いいや、思い出した。プラーミャの工作員の本質、その機能と恐るべき計画を。

「残火……」

 組織ではこれを「残火」と呼んでいた。

 死んだGLD術者の魂だけを抜き出し、それとまとめて精神体として運用する。無資質者の工作員と併用することで理想的なスパイが完成する。

 LD資質者ではないLD術者。あの調査官を欺けたように、それは有効な手段であった。

 任務のたびにシェイウッドはただの無資質者として再構築される。だから、今までこれのことを忘れていた。 脚本通りに動く役者。いや、人形劇の人形のようだ。

「でも失敗だ。ダメじゃないか、ヒューゴを殺しちゃ。鋼鉄のような女であるきみとしたことが、調子が悪いのか?」

 ヒューゴの体はくの字に曲がって笑い、はじけるように無数のカラスに変わって飛び散っていった。

 代わりに、その場所には人の形をした青白い炎だけが残った。

 ヒューゴは間違いなく死んでいる。シェイウッドが見せられたのは彼の情報を利用した幻影のパターンだ。

「まもなく彼女がやってくる。わかってるね」

 彼女。それはもしやグレイス調査官のことを言っているのか。

 彼女は生きている。そのことに安堵しつつ、すぐ恐怖を抱く。

「今度はもっとうまく口説き落とすんだよ? クラスナヤ」

 残火の考えがわかった。グレイス調査官を籠絡して操ろうというのだ。

 そうすれば調査局の情報がすべて手に入る。無資質者であるシェイウッドは、残火の思考に逆らえない。



(残火の肖像 3に続く)

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