残火の肖像 1

 あの銀色の瞳の調査官は今どこだろう。冷たい気配がすぐ近くまで来ている気がする。

 無資質者であるシェイウッドには気配を感じる力などないが、同類の行動は何となくわかるものだ。痕跡は消しているが、彼女なら追跡してくる。

 あの小柄な黒髪こそ侮ってはならないと、そう噂になっていたのも頷ける。可愛らしい少女のような姿に惑わされるが、その中身は別物だ。

 凄惨な過去を生き抜いた者にしかない暗さがある。すでに喉元に切っ先を突きつけられているような気分だ。

「悪く思うなよ、ヒューゴ」

 シェイウッドは、路地裏に倒れた男の背に話しかけた。

 首と胸に一発ずつ、正確に弾丸が命中している。CIAの同僚であるこの男を殺したのは他でもない自分である。

 なぜなら、シェイウッドにもこの男にもCIA以外に身分が存在するからだ。

「……」

 誰かの足音が近づいてくる。あの銀色の瞳が追いついてくるにしては早すぎる。

「動くな! 両手を上げろ」

 凛々しい声がかけられた。目の端で見ると、そこには市警の制服を着た女性警官がいた。

「わ、私はそこの花屋の店員です。音がしたので来ただけで……」

 シェイウッドはおどおどした女を演じながら、手を上げてゆっくり振り向いた。

「壁に手をつけ」

 警官には芝居が通じず、油断なくこちらに銃を向けていた。

 ただの花屋というだけでは少し無理があった。足元には血を流して倒れる男。路地裏には硝煙の匂い。どう見てもまずい状況だ。

 しかし、警官には必ずいるはずの相棒がまだ来ていない。

「本当に私は無関係で……」

 いい警官のようだが、一人で来てしまった。それは迂闊だ。

 シェイウッドは懐に仕込んだ小型水筒スキットルに意識を集中させ、そこに込められたものを解き放った。

「――……」

 凛々しいライム色の目から力が失われ、女性警官はその場にぐったりと座り込んだ。

 GLDで意識の剥奪をした。シェイウッドはLD資質者ではない。しかし、LDを使う訓練を受けている。非資質者はLDを持ち運ぶことさえできないのが普通だが、実体がなく質量のないGLDだけはその例外だ。

 これはCIAの技術ではない。遠い故郷、あの雪国で訓練された禁断の技術である。

「ネメシャ・ボーマン巡査……ただの警官か」

 勘よくここに駆けつけた女性警官は何者かと思ったが、どうやら本当にただの一般警官のようだ。

 消すべきだろうか。彼女の細い首に手をかけようとし、やめる。

 警官殺しは厄介だ。どうせGLDのせいで記憶は曖昧になるだろう。身分証を元に戻し、シェイウッドは転がった元同僚の遺体を見た。

 今は二人も処理している時間がない。ヒューゴの遺体をすばやく焼却しなければならない。

 シェイウッドはボトルに入った液体を振りまき、そこに着火した。

魔灯ファケル

 GLDを浸透させただけの水はシェイウッドの干渉によって発火し、やがて遺体を炎が包んだ。この特別な炎は遺体の身元の特定を困難にする。

 真っ赤な炎に頬を照らされ、シェイウッドは思い出す。

 あの人の最後もこうだったと。



 残火の肖像



 カナレイカからCIAに潜入しているシェイウッドに命令が届いたのは、その出来事の数日前であった。

 町中で通行人から紙切れを渡された。毎度どうやってエージェントを獲得しているか、それをシェイウッドが知ることはない。

名盤バイナルの情報あり。レコード店を調査のこと』

 簡素な暗号だった。しかし、その中に含められた重要性を感じて思わず緊張した。

 名盤、それは超存在を意味する暗号である。超存在に関する情報がこの合衆国に存在し、それを奪えという任務である。

 超存在。この世界に散りばめられた神秘であるLD、その権化。人が太刀打ちできない存在。カナレイカの情報関係の出身ならそれをよく知っている。

 カナレイカは小国であり、東西を大国に挟まれている。国力に劣るカナレイカにとってLDがもたらす力は重要であり、その情報は優先される。超存在に関係することはその中でも特別だ。

 この短い暗号文だけで目的のものを探り当てるのは普通の諜報員なら不可能だが、情報局プラーミャは要求してくる。

 期限は書かれておらず、その場合は一ヶ月以内に結果を出すのが原則だ。シェイウッドはまず、現在の潜伏先であるCIAのオフィスに向かうことにした。

 他国の諜報組織にスパイを送り込むのは常套手段だが、簡単ではない。しかしシェイウッドは拍子抜けしている。一緒の仕事場にいるCIAケース・オフィサーのヒューゴはシェイウッドの出自を一瞬でも疑わず、ただの事務員と思っている。

「よお、シェリー」

 オフィスに彼が入ってきた。今日もいつもと同じような態度である。

「おはようございます、ヒュー」

 シェイウッドはこの軽っこい男に挨拶を返した。

 挨拶をする自分の愛想笑いが近くのガラス戸に写っていた。ウェーブしたブラウンの髪を上品に横で結び、派手すぎないスーツを着用した姿だ。本来の自分とはまるで違う表情、そして仕草である。

 シェイウッドはこのオフィスの事務員。工作官の補佐が仕事である。

「どうも難しそうだ。遭遇調査局ってのは曲者だよ、シェリー」

 ワックスのつやがついた黒い髪をいじりつつ、ヒューゴは言った。彼はどことなくカラスを想起させるような外見をしている。

 ヒューゴは自分のデスクに腰掛けている。大仰に手を振り、わざとらしく足を組み、流し目でこちらを見てくる。

 かっこいいと思っているのか、それともこれがこの国の男の平均的な振る舞いなのか。

「どう曲者だったんです?」

「協力者がね、どうもうまくない。調査官は無理としても、研究員や清掃スタッフ、配達員さえ、全部空振りときた。これは運がない」

 ヒューゴは、素人に言い聞かせるように丁寧に話してみせた。

 協力者。CIAの工作官は自ら相手の組織に潜入することなどしない。大抵はその組織の構成員の弱みを握ったり買収することで必要な工作や情報収集を行わせるのだ。

「まあそれでよかったのかもね。僕らは本来、自国をスパイできないのだから」

 ヒューゴは言い、顔を近づけてきた。シェイウッドは椅子ごと後ろに体を引き、伸ばされた手に触れられるのを避けた。

「では、そう報告されますか?」

 シェイウッドはいかにも天然ぶった態度で言い、かわいく見えるように首をかしげてみせた。

「いいや。そんなすぐ諦めたとなれば僕の能力が疑われるから。適当に活動して、表面的な情報だけ報告するさ」

 ヒューゴは消極的だ。嫌がる理由はわかる。彼が言ったように、諜報機関は自国をスパイしてはいけない。あくまでも外国の情報を集めるためにあるのだ。

 自国を探れるなら政治家の弱みを調査できてしまい、諜報機関が国を支配する影の政府になるかもしれないからだ。しかし、自国民に対しての情報収集も時には必要なのが現実である。

 だから偽名が必要になる。シェリー・シェイウッドはCIAが与えてきた名だ。ヒューゴというのも本名ではないだろう。

「どうだろう。午後の仕事はなしにして、一緒にどこか行くってのは」

 ヒューゴは言いながら、また白々しい流し目をしてきた。

「すみません、時間があるなら親戚のおばあちゃんの様子を見に行きたいんです。腰の具合がよくないみたいで……」

 シェイウッドは嘘をつき、ヒューゴの誘いを断った。



 シェイウッドは履歴書を一枚作成し、独自に行動を開始した。

「いらっしゃいませ、お客様」

 にこやかに挨拶しつつ、シェイウッドは来店する客を観察していた。協力者を主体とするCIAのやり方とは違う。

 花屋に用事のない者はそういない。局員は同じ通りにある店を利用している。シェイウッドはパートタイムとしてそこに入り込んだ。

 局に出入りする人間の顔は全て覚えている。身分証を外していても見ればわかる。どんな用事で花を買うかでその人の今の状態が見えてくる。

 何かの祝いか、あるいは形式的に必要になった場合か。それだけではない。

 調査局には調査部が存在し、LD事件に限り捜査権限を持つ。武器の使用も許可されている。

 それはつまり、戦闘で怪我をする場合もあるということだ。プロポーズの次に多い花屋をたずねる理由だろう。

「花束を見繕ってもらえますか」

 言って紙幣を渡してくる人物の顔を見て、シェイウッドはぞっとした。

 銀色の瞳。規則正しく切りそろえられた黒髪。見覚えのある顔。

 見覚えがなかったとしても印象に残っただろう。全身に纏う気配はとても静かだったが、その奥底に何か暗く研ぎ澄まされたものがちらついていた。

 つまるところ、それは殺人者の気配であった。

「どのような御用ですか?」

 シェイウッドは平静を装って言った。

「お見舞いです」

 銀色の瞳は言った。まるで彫刻のように表情がない。

 いや、彫刻というと味気ない。よくできた洋人形と言ったほうがいいだろう。

 繊細な指先やまつ毛が目に入る。これが噂に聞く最も恐ろしい調査官だとは、見た目だけでは信じられないだろう。

 彼女からはかすかに硝煙の匂いがするが、生臭い匂いはしない。花束が必要なのは、自身の現場で血を出したからではなさそうだ。

「調査局の方ですよね。もしかしてご同僚の?」

 シェイウッドは少し探りを入れてみることにした。

 気を使うフリをする。相手の職業を知っていると明かすことはリスクだが、この場合は言わないほうが不自然だ。

 なぜなら、この女性はオフでもあまりに役人っぽい。

「申し訳ありませんが、お話しすることはできません」

 調査官は録音されたテープのように答えた。眉がかすかに傾き、申し訳ないという気持ちを表現しているだけだ。

 このような場で小さな雑談さえもしないとは生真面目なことだ。自らがどのような組織に勤めているか自覚があるのだろう。

 優秀、と言いたいが、当たり前のことである。しかし、その当たり前のことさえできていない者は意外と多くいる。人間は欠陥だらけの生き物であり、それをつくのがシェイウッドのような職業の人間だ。

「では、こちらに」

 シェイウッドは作成した商品を渡した。

 誰のかは話してもらえなかったが、お見舞いとのこと。そのまま置けるよう、簡素な陶器の器をつけてアレンジメントにした。何も仕込んでいない。

「ありがとうございます」

 調査官は手さげ袋を両手で受け取った。愛らしい顔だけを見るならば、もっと別な場面で花を渡したかったと思う。

 調査官は何事もなく去っていった。シェイウッドの正体には気づかなかったのだろう。

「お見舞い、か……調査局が動いた形跡はなかったが」

 何かあるのは間違いないが、見えてこない。

 名盤の情報に遠い。そろそろ攻めに転じる時だ。危険を承知で、シェイウッドは銀色の瞳の調査官を尾けてみることにした。

 彼女ほど周囲に気を配っている者を尾行するのは並大抵のことではないが、こちらも世界最高峰のスパイ組織の出身だ。シェイウッドにもプライドがある。

 歩いていく調査官を追っていく。花をどこに持っていくのだろう。

 視野に入らないのはもちろん、群衆に紛れてついていく。

 顔を見られないことも大事だが、その場に馴染むことがもっと重要だ。シェイウッドはメモを見て何かを探している店員を装い、風景の一部に溶け込んでいる。

「……?」

 ふと、視界から急に目標の姿が消えてしまったのに気づいた。

 相手が相手だけに、かなり距離をとって尾行していた。何か感じ取られて撒かれたのか。

 シェイウッドは路地裏に入り、PDAで地図を見ようとした。

 見失ったとしても、これまでの経路から目的地を割り出せるかもしれない。お見舞いに行くような病院、それも警察や軍がよく使う場所はどこだ。

「――!」

 ところが、入った路地裏でシェイウッドは息を飲むことになった。

 銀色の瞳がこちらを見ていた。少しも笑わず、購入したアレンジメントを手にさげたまま。

「あ――」

 言葉につまる。尾行中にこんな失態を見せたことはない。

「お客様? 商品に何かありました?」

 冷静にならなければ。まだ挽回できる。

 ここに迷い込んだだけ。シェイウッドはそういう態度をとった。

「こちらへ」

 銀色の調査官は言い、急にシェイウッドの手を掴んで引き始めた。

 シェイウッドはそれに従った。近くの建物の非常階段に入り、上の階へと上がっていく。

「不審な人物です」

 調査官は小声で言い、粗末な非常階段のフレームの隙間から下を見た。

 不審者。それはシェイウッドのことではないらしい。

 シェイウッドも下を見た。暗くてよく見えないが、誰かが路地裏に入ってきてきょろきょろしていた。

 どういうことだ。シェイウッドの他に尾行者がいたのか。

「心当たりはありますか?」

 警官の顔をして、銀色の瞳が言った。

「さあ……まだお店でナンパされたことはないですけど」

 シェイウッドは首をかしげてそう答えた。

「店を離れたのはどのようなご用事ですか?」

「注文の処理です。事前に物件の中を見せていただくこともあるので。でも迷ってしまって……」

 シェイウッドは用意していた言い訳を口にした。

「本当に?」

 だが、この調査官にはその嘘が通じなかった。

 銀色は別の尾行者を気にかけているが、シェイウッドのことも不審に思っているようだ。さっき鉢合わせした時、思わず顔に驚きが出てしまったからだろう。

「……あなたが可愛かったので、お知り合いになりたくてついてきました」

 シェイウッドは尾行していたことを正直に話した。

 理由は偽っている。これでだめなら実力で対抗するしかない。

「あまり、褒められた手段ではありませんね」

 呆れを含んだ声で調査官は言った。どうやら信じてくれるようだ。

「ともかく、一人で行動しないほうがいいでしょう。調査局か市警で身柄を保護させてください」

 銀色は言った。まっすぐで強い意志を感じる。

 自分が尾行を明かしてしまった以上、その謎の尾行者に対しても心配ないとは言いにくい状況になってしまった。どうするべきか。

「お仕事があるんですけど……」

「お店には私が説明をします。身の安全が第一ですから」

 疑いは晴れても、面倒なことになってしまった。

 なんとかして逃げ出すしかない。シェイウッドは懐に手を入れ、刃物のように細長い特別なスキットルの感触を確かめた。



 別の裏通りに入り、銀色がいう他の不審者を一瞥する程度のつもりだった。

 それが失敗だった。

「バイトかい? シェリー」

 聞き慣れた声だった。振り向くと、暗い路地の中に立つシルエットが見えた。

「ヒュー……」

 そこにいたのはCIAの同僚であるヒューゴだった。

 調査官が気づいた尾行の相手、それは彼だったのだ。おびきだすつもりが、逆におびき出されていたようだ。

 まずい状況だ。シェイウッドは花屋のエプロンのまま。事務員に過ぎない自分がこんな格好で誰かを追っているところを見られてしまった。

「なるほど、CIAじゃなかったってわけだ」

 ヒューゴはいつもの軽薄な笑顔で言った。

 彼を少し侮っていた。シェイウッドの正体に気づいていたのだろうか。だとすれば、尾行していたのはあの銀色の調査官ではなくシェイウッドの方だったのだ。

「そんな顔するなよ。僕もCIAじゃない」

 ヒューゴは言い、両手を広げてみせた。

「どういうことです?」

 シェイウッドは慎重に相手を観察しつつ尋ねた。

「民間にもっといい就職先があったもんでね」

 ヒューゴはそう返答した。

 民間。彼はおおかた、LD研究に関与する企業や資産家、複合的な経済組織に所属しているのだろう。そういった経済構造は、時に国家より上位に君臨している。

「協力しようじゃないか。自由に動ければお互いに得だろ」

 ヒューゴはいつものように大仰に手を広げ、数歩近づいてきた。

「……」

 シェイウッドは答えず、じっと相手の目を見た。

 その意味は、相手に十分に伝わったようだった。

「組織のために危険を冒すなんて、つまらないと思うけどね」

 ヒューゴは言い、こちらに手のひらを向けてきた。

「……!」

 その瞬間、シェイウッドの脳に何かが入ってくる感触があった。

 洗脳。資質者でないシェイウッドにはGLDを感じる手段はないが、経験からそれによるものだとわかる。

「特に君はそうだ。殺すにはあまりにも惜しい」

 意識を奪われ棒立ちになったシェイウッドに、ヒューゴは近づいてくる。

「この力でこんなことをするのは初めてだ。でも、君が悪いんだよ」

 なるほど、だからか。GLD術者の気配を感じられないシェイウッドはヒューゴの尾行を見逃し、逆にあの銀色の調査官はヒューゴにだけ違和感を持った。

「こんなことをさせるから」

 妄言を吐きながら、ヒューゴはシェイウッドの頬に手を伸ばしてきた。

「え?」

 だがそこには、空気以外は存在しなかった。

「さようなら、ヒュー」

 シェイウッドは言い、彼の懐から抜き出した拳銃の引き金を引いた。

 二発の弾丸が発射され、彼は倒れた。

 一瞬で絶命し、ヒューゴはもう喋らない。何が起きたかわからなかっただろう。

 触れる直前、彼はGLDの反射を浴びることになった。軽い幻惑魔法の反撃だ。

 GLDは資質者以外でも保有することができる。そして、精神と直結するGLDは心の動きで操作できる。訓練すれば、資質者でなくても扱えるのだ。

 資質者には気配がある。だが、非資質者にはない。だからヒューゴは油断しきっていた。これこそがプラーミャの特性だ。

 調査官を撒く時にも似た手を使った。腹痛になったと装い、近づいてきた所に幻惑魔法を展開した。

 その隙にシェイウッドは階段から飛び降り、尾行者を追ってここまできた。

 そして、不運にもヒューゴと遭遇した。しかし本当に不運だったのはシェイウッドではなく、ヒューゴの方であった。

 並の工作員ならGLDでどうにかなったのだろう。しかし、CIAでないとわかった時点で正体を確かめなかったのは正気ではなかった。知ったところで、結末は同じだったかもしれないが。



 倒れたヒューゴの懐から所持品を軽く漁ったところで、また誰かが近づいてくる気配を感じた。今度こそあの銀色だろう。

「つまらない?」

 ヒューゴの言葉を思い出す。プラーミャの工作員にそのような感情はない。そして、協力者などありえない。

『あなたの中にこそ炎があるわ、クラスナヤ』

 プラーミャはそう言っていた。

 その炎はずいぶん小さくなってしまったが、まだかすかに光を放っている。シェイウッドは、カナレイカのためなら迷わず死ねるだろう。



(残火の肖像 2に続く)

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