母は完全に精神に異常を来してしまった。

 

あの頃の精神医療は、薬物療法の全盛期。

 

薬を盛って盛って、盛っても一向に改善しなかった。

 

抗うつ薬が全く効かないのに、一度飲み始めたら

止められず、ダラダラと通院、服薬が続いた。

 

母の生活は一変し、ほぼ寝たきりになった。

 

精神病院の入退院も繰り返した。

 

二人目の子供を出産したばかりの

義姉にも母のことで大迷惑を掛けた。

 

ご近所の方々とのお付き合い、老人会の旅行、

孫たちとの楽しい時間、趣味の裁縫と園芸等、

私は母から全てを奪ってしまった。

 

私はベンゾ断薬で脳が変容し、ADHDっぽくなった。

 

注意が欠如し、母を圧迫骨折させてもしまった。

 

母は精神疾患と圧迫骨折で、二重の地獄を

味わうこととなった。

 

感情障害を抱える私は、母の介護が中々

上手くいかなかった。

 

私の感情が統制されずずれてしまうので、

昔のように気持ちがピタッと一致しないのである。

 

お互いに苦しい時間が長く続いた。

 

母の精神状態は、益々悪化していった。

 

MCI(軽度認知障害)と診断された。

 

前頭前野が委縮していたのである。

 

主治医は「うつによる生活習慣から」と説明したが、

私は向精神薬の服用によるものと思っている。

 

そして遂に話せない、立てない、食べられない

となった。

 

慌てて病院に運び、経鼻栄養となった。

 

遂に寝たきり老人となってしまったのである。

 

身体はやせ細り、話しかけても反応もない。

 

手が筋肉の硬直をしてくるので、拘束してある。

 

いつ死んでもおかしくない姿を見るのは、

心が張り裂けそうになる。

 

これは拷問ではないかとさえ思えてくる。

 

そしてコロナで、中々面会出来ない。

 

母はギリギリまで向精神薬を服用していた。

 

しかし事実上の「一気断薬」となってしまった。

 

その副作用で、遅発性ジスキネジアも発症。

 

口をもごもごしたり、舌が勝手に動いたり、

目をパチパチさせたりする、意思に反した

動きを一日中している。

 

一気断薬の地獄はどれ程のものだっただろうか。

 

しかしその苦しみも、喋れないから何も

訴えることが出来ない。

 

その姿を見て、私は減薬を決意し調べた

副産物として、「ベンゾ薬害」を知ったのだ。

 

母が私に命懸けで知らせてくれたようにも感じる。

 

母は最後まで、「あの真面目でしっかりしていた

monが何故に!?」

 

「monたちが離婚するとは夢にも思わなかった!」

 

「monたちは私の誇りだった!」

 

と私に問いかけ続けた。

 

しかしその時は「ベンゾ薬害」を全く理解していない

時で、私自身も答えを持ち合わせていなかった。

 

その時に、今のレベルの知識を持っていれば

どれだけ母は「救われ」少しでも心が安らいだ

だろうか…

 

それを思えば、何故にもっと早く気づかなかったかと

悔やまれて仕方がない。

 

寝たきりになり意思の疎通はもう取れなくなっても、

それでも私は母に伝えようと思う。

 

今日の午後、行く予定である。

 

「○○さん(元夫)とお義父さんに手紙書いたよ。

そして理解してもらえたよ」と。

 

元気な頃の母ならば、「有難う。それはよかったね。

安心した」と言ってくれるに違いないから。

 

喋れなくても理解出来なくても、心は通じると思うから。

 

私や母の人生を思う時、日本の精神医療とは

何なのかと思う。

 

世の為人の為に働くことが仕事なのだが、

薬物処方の医療行為は果たして「仕事」と

言えるのだろうか?

 

本来ならまっとうに生きられたであろう二人の

人生が滅茶苦茶になった。

 

どれだけ生きたか、何歳まで生きたかではない、

人は「どのように生きたか」である。

 

「死ぬまで飲んでいい」「一生飲んでも安全」

と、そう易々と決して言えない。

 

いつかはどこかで「断薬」が待っているのだ。

 

精神科医の無責任な発言に疑問を呈したい。

 

そして私のたった一つのソラナックスから

ここまで悲劇が広がってしまった。

 

母は精神に異常を来さたさければ、

あと10年は元気に生きていたに違いない。

 

私はこの心の傷を一生背負って生きていかねば

ならない。

 

説明なしに安易にベンゾを処方する恐ろしさの

一例として私はこの記事を書いた。

 

私を最も愛する人が、連鎖的に精神を病んで

人生が破壊されてしまうのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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