『チェイサーゲームW2』第6話~私は遺書を書くべきだ

 揚げ足を取るのはもうやめよう。
 もうなにかを論じるべきではない。疑問を呈すべきでもない。
 林冬雨にとびきり甘い春本樹が、学生時代に彼女が作ったおかゆに「味が濃いかも。愛の濃さが出ちゃったんだよ」と言ったこと、内面ではなく、髪を乾かしている姿を見て好きになったこと、正義感の強かった彼女が寮の規則を破らせたがったこと。
 これが本当のことだ。これらに対する疑問はすべて、勝手な幻想から来ているものだ。それを問題視するべきではなかった。ドラマでそう描かれたのなら、そうなのだ。ただ勝手に誤解していただけだ。不誠実な態度を取って大変申し訳ありませんでしたと頭を下げるのは、不貞を働き、けれど娘の養育権と夫の理解を得て離婚することになった林冬雨ではなく、シーズン1終了からたった半年余りで視聴者のために制作されたシーズン2への不満を口にし続けている私の方だ。

 どうして錯覚していたのだろう。

 きっと樹は味の濃いおかゆを食べてもそれを指摘しないであろうと。その美しい外見ではなく、内面の柔らかさを知って好きになったのだろうと。髪を濡らした冬雨に艶やかさを覚えたらきっと目を逸らしたままシャワーを勧めるのではないかと。寮の規則を破りたがるのは樹ではなく冬雨で、風邪を引いているときは一緒に寝たがる冬雨を説得して樹が彼女を寮に帰すであろうと。なんの根拠もない勝手な妄想を、どうして『チェイサーゲームW』と同じスタッフから制作された続編に対して押し付けてしまうのだろう。どうして愛したふたりが実際に放送された映像の中ではなく、自分の頭の中にこそ存在していると思い込んでいるのだろう。

『チェイサーゲームW2』は続編を望む視聴者のために制作された。なのにどうして文句を垂れ流しながら視聴する必要があるのか。優秀でない視聴者はすぐに去ればいい。すでに制作を終え、あとは放送されるだけのドラマの脚本の粗を指摘することに意味はない。受け入れるべきだ。そうすれば、称賛の声に包まれた『チェイサーゲームW2』を見て、求められているレズビアンドラマはこれなのだと知る人がきっと現れ、再び『チェイサーゲームW2』のような作品が制作される。それを懸念と考える方が悪かった。
 足掛かりとなるポジションにある作品だからこそ、この物語がすべての人に受け入れられているわけではないことを発信するべきだと思っていた。議論が起きていることを周知してもらう必要があると思っていた。『チェイサーゲームW』にとって自分がヴィランとなってもよかった。だが、すべて裏切られた。裏切られたと感じることすら、勝手なことだ。『チェイサーゲームW2』に視聴者を裏切る意図はない。視聴者の声を反映した美しいドラマだ。裏切られたと感じる方が悪い。

 諦念は『チェイサーゲームW』の第1話から愛し続けたもっとも大切なシーンの破壊によって引き起こされた。それはただのシーンではなかった。春本樹と林冬雨が大学で出会い、自己紹介をする場面だ。『チェイサーゲームW』は以下のように描かれた。

「ドンユィか……。んー、言いにくいから、冬雨って呼ぶね」
「……はい!」
「ふふふ、……可愛い」

ドラマ『チェイサーゲームW パワハラ上司は私の元カノ』第1話

『チェイサーゲームW2』では同じシーンが再撮され、以下のように変更されて第6話で放送された。

「中国から来たんだ?」
「日本には行ったり来たりしてるから、日本語はできます」
「へー、そうなんだ。私は春本樹。よろしくね!」
「私は、林冬雨(はやしふゆ)。季節の冬に雨って書きます。中国ではドンユィと言います」
「ドンユィ? へー。呼びにくいから、ふゆって呼ぶね!」
「うん、はい」
「ふふ、かわいい」

ドラマ『チェイサーゲームW2 美しき天女たち』第6話

 この変更は作品に批判的な意見を持つ視聴者に今後の視聴の意思を失わせるためには充分過ぎるシーンだった。口を塞ぐために最適化された再撮シーンだった。
 与える役割は樹だった。与えられる役割は冬雨だった。関係性もシチューもホットミルクも、愛も。その始まりが名前だった。春本樹が「リン・ドンユィ」を「はやしふゆ」と名付けたところから、ふたりの物語が始まったはずだった。ふたりの関係の最初の始まりだった。それはただの視聴者の妄想だと一蹴された。“始まり”が終わり、縋るものは失われた。
「はやしふゆ」と名付けたのが春本樹だと視聴者に誤解されることを、『チェイサーゲームW2』は嫌った。視聴者の誤解は物語の中で解かなければいけないことだ。それが一視聴者がどんなに大切に思っていたシーンだったとしても。

 物語の些末な矛盾は寧ろ愛すべきものだった。夏に再会し、二ヶ月後に離婚が成立したあと、三人暮らしを始めた蟹座である林冬雨が引っ越しのその日に誕生日を祝ってもらっていたこと。2015年11月6日に19歳の誕生日を迎えた春本樹と同い年の林冬雨が、2016年にヴィンセント社に入社していたこと。こうした小さな小さな矛盾を、私たちは愛していた。「ちょっと変なんだけどね」、人に勧めるときのそんな枕詞となった。

 だから、そんなことははじめから問題にしていない。逆に言えば、野暮な指摘をしては笑っていた頃に戻りたかった。

『チェイサーゲームW2』の第1話から第5話まで描いた樹と冬雨の「母親の呪縛からの解放」というテーマも、浩宇の「月を引き取るのは母親の冬雨さん」という言葉であっさりと帳消しにされた。だが、属性を口にすることが不要な場面でその属性を持ちだす台本の意図に頭を悩ませる方が悪い。テーマ性なんて見いだすべきではなかった。何年もの間、娘を育て続けてきた娘と離れる父親が、最後に娘と抱きしめ合って泣くシーンも必要ない。「本当は自分が引き取りたかった」という類のセリフも不要だ。このドラマが向かう先はレズビアンと娘の三人暮らしであって、離婚の手続きを終えた元夫はもはや不要な存在なのだから。思いを馳せるほうが悪い。視聴者が望んだ、大学生時代のふたりの馴れ初めを充分に描いたはずなのに、さらにいえば視聴者の勝手な誤解も解いてあげたはずなのに、まさかまだ文句を口にする視聴者が出るなんて『チェイサーゲームW2』は思いもしなかっただろう。

 なお、これは皮肉でもなんでもなく、制作陣が男性で固められていることは決して非難の対象ではない。ただ、本作を愛する上で大切な指標の一つができあがったきっかけとなったのが、林冬雨演じる中村ゆりかさんが、インタビュー等でキスシーンについて「上品な見え方になったら」と見え方の希望を繰り返していたことだ。これはキスシーンに限らず、ふたりのラブシーンすべてに該当する指標となっていた。
 ただ、『チェイサーゲームW2』第6話については、キスシーン以外のほとんどがその指標から外れていたように見えた人が少なからずいた。繰り返すが、これは制作陣が男性であることと全く関係ない。X上で何度も目にした「おじさん感」というワードは、作り手が男性であることとは無関係だ。作り手が女性であっても「おじさん感」のある作品が出力されることもあれば、作り手が男性であっても「おじさん感」を排除した作品を作ることはできる。
 描写の問題だ。リアリティと現実は同一ではない。当然ながら現実の女性には性的欲望はあり、風邪を引いていても好きな相手からキスをされればベッドに引っ張りこむだろう。事後に再びベッドの中に潜ることもあるだろう。
 だが、これは物語だ。もっと言えば、性的な描写に関しては「上品さ」を期待されていた物語だった。女体はただの女体として扱われるべきではなかった。身体は精神的な繋がりの前に優先されるべきものではなかったのだ。
 春本樹は、顔がよくて髪が濡れた女だったら誰でもいいわけではなかった。林冬雨の内面にある脆さと強さのアンバランスに惹かれてほしかった。濡れ髪の女性を見て性的興奮を覚える十九歳になりたての大学生は現実味がありすぎるのだ。それは繊細な女性関係を描いたドラマには不必要な現実味だった。抵抗感を抱いてしまった人たちが求めていたのは、夫が不在の一週間以上、再会後に一度キスは許した魅力的な元恋人と一緒に暮らしながらも性的な接触を避けていた春本樹が、その元恋人から感情をぶつけられてはじめて性急に関係を持ったときのようなシーンだった。「好き」と言われて「愛している」と返した林冬雨だった。それはとても美しかった。現実味はないがリアリティがあった。そこに「おじさん感」はない。制作陣はまったく同じ男性たちだが、非常に繊細なあのシーンを、愛していた。

 しかし、これもすべて揚げ足なのかもしれない。こんなことはやめるべきだ。春本樹は、彼女を演じている菅井友香さんのような高潔な人間ではない。そのような誤解はもうやめよう。

 もう、毎週木曜日の深夜一時三十分にテレビリモコンの「7」ボタンを押すことをやめればいい。そうすれば、その時間に併せて家事を終えたり、家族に隠れてテレビを視聴する算段を立てなくて済む。睡眠時間に気を取られなくていいし、明日の眠気も心配しなくていい。

 だが、ただ、愛したかった。愛したかったのだ。

 もう私は遺書を書くべきだ。『チェイサーゲームW』を愛していた私による遺書だ。そして反省しよう。元恋人とのお揃いのイヤリングを着けた春本樹が別人になってしまった元恋人と再会後、けれどやはり元の彼女の片鱗を見つけたときのように、きっといつか私が愛した『チェイサーゲームW』の影を『チェイサーゲームW2』に見いだせると期待していたこと。私は春本樹ではないし、『チェイサーゲームW2』は林冬雨ではない。求めていたものが違った。もうなにも戻ってこない。この感情に他者は介在しない。誰の何の影響も受けずに、死だけは特別に訪れる。これが遺書だ。これが遺書だった。


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