390日目~!
さぁ、今日は岡山県の山間の都市、津山大特集で行くよ~
さて!まず津山と言ったら??
<え~と・・・津山??
こら!津山と言ったら・・・
Zガンダムに決まってるでしょ
<いやいや、どうしてそうなる・・・
<ってホントにZガンダムいるじゃない
ちなみにここは昨日寝ていた道の駅「久米の里」。
このZガンダムはこの津山在住のファンの方が、
7年の歳月を費やして完成に漕ぎ着けた一大傑作でございます
<こ・・・これをひとりで作ったっていうの
7年って凄いよね
仮に息子が小学一年生の時に作り出しても完成は中学一年生・・・
最初は喜んで見守っていた息子が反抗期に入って、
「まだそんなもん作ってんだ」なんて言われてもおかしくない程の時間
<いや、変なストーリー勝手に考えないで下さい
しかし、本当によく出来てて、7mという設定の半分以下の大きさなれど、
実際動くロボットを想定してフレームから油圧シリンダまで作り込んでる。
<なんか鳩がとまってますね
ちなみにこのZガンダムは実際、津山の観光にも貢献していて、
これを見にこの道の駅を訪れる人もたくさんいるみたいだしね!
<確かにこれは見に来たくなるほどの完成度ですね
ちなみに集客効果を評価されて市から表彰されてたりします
では、これで道の駅から出発と行きますけど・・・津山と言えば~??
<へっ?他には・・・何だ??
あるじゃないですか・・・とっても有名なのが。
<なんです???
津山三十人殺し
<!!!
え~あらかじめ言っておきます。
今回のネタはこのブログ史上、最低最悪の内容を含んでます
特にこの手の類が苦手な方は見ないほうがいいと思います
ちなみに相棒は横溝正史の金田一耕助シリーズ『八つ墓村』はご存知?
<そのタイトルは聞いたことあります・・・けど
重要なのはこの物語の中に「過去に村人によって殺された8人の落武者の呪いによって
発狂した若者が村人32人を次々と虐殺する」って描写があるんだけど・・・
実は横溝正史がそのモデルとした事件が、
ここ津山の加茂町貝尾集落で起きてるんだ。
<それ・・・本当の話ですか
実際、昭和13年5月21日にあった本当の話・・・
ここは加茂町の中心部から山手に3,4km入ったところにある最果ての集落。
今は更地になってるけど、写真中央の場所に事件の犯人、
都井睦雄の家があった。
彼は事前に集落の送電線を切断し灯りを奪った上で
詰襟学生服、頭に2つの懐中電灯、胸に自転車用ライト、
その手には猟銃と腰には日本刀を携え・・・
この狭い集落の家々に次々と押し入っては村人を虐殺していった!
<・・・・・・か、彼はなぜそんなことを
簡単に言ってしまえば逆恨み・・・ってことになると思う。
けど、気分の悪くなる話だから、ここでは語らない(長くなるし)。
Wiki参照(閲覧注意):https://ja.wikipedia.org/wiki/津山事件
だけど大事なことはここにはまだ、事件の事実を伝えるものが
残ってるってことなんだ。
<!?
集落内を歩いてるとこんな廃屋があった。
設備を考えれば廃屋となったのは事件よりずっと後だと分かるけど、
事件の記憶を留める建物である可能性は高いと思う。
そもそもこの集落の住居は昔の茅葺き屋根の名残のあるものが多く、
そう考えれば事件当時から残ってる住居も多数あることになる。
こんなものも見つけたので近づいたみた。
確かに住居があった場所と思われるから、もしかしたらこの家の人達は・・・
<・・・・・・
事件の記憶をもっとも物語るのが墓碑だろう。
集落内に何箇所かある墓地を尋ねると・・・
<こ、この日付は!!
同じ日付のお墓がいくつもあるんだ。
この被害者さんなんてまだ二十歳だったんだぜ?
<・・・・・・
集落を見下ろす墓地・・・
ここにもやはり同じ日付の墓碑があった。
<確かに「八つ墓村」は存在したんだ
この小さな村で一時間半の間に30人が無残な死を遂げた・・・
確かにボクが今立ってるこの場所を都井睦雄は血しぶきを浴びた姿で走ってた。
そう考えるとスッゴイ嫌な気分になってくる・・・
都井睦雄を追い詰めたのは村人たちだって解釈もあるけど、
それで彼の罪が正当化されるわけではない。
ただし、行ってみて思ったのは過疎化は進行しつつも
意外と人々の暮らしが普通にあったってことかな?
よく、壁に血しぶきのついた家が残ってるとか、
既に廃村になって誰も住んでないなんて話もあるけどそれは嘘。
既に当時から生きてる人は村にいないって話もあるし、
家主が変わってるところもあるんだろうけど、
事件を乗り越えて今も人々の営みが確かにある。
だから本来はオレみたいなよそ者が
ウロウロするのは褒められたことじゃないハズで、
そういう点でとことん自分はゲスだなぁと思うわけです
それは自分自身でも重々承知、分かってはいるんです
ちなみにこの事件が後世に与えた影響はとても大きい。
例えば、ボクが新潟に住んでた時、「ホワイトハウス」っていう
有名な心霊スポットがあったんだけど・・・
『娘の療養のために都会から越してきた一家がいたが、
その娘が実は二重人格で暴走し、一家全員を惨殺。
その後周囲の住民も手に掛ける。
その惨劇の舞台となった場所がホワイトハウス』
っていう話になってる。
<・・・ん?なんか似てません?
他にも日本全国にジェイソン村なる心霊スポットがあるようだけど、
これもやっぱり精神錯乱から皆殺し、廃村って流れは一緒。
一時テレビで流行った青森の杉沢村伝説もほぼ一緒でしょ。
<そういえば・・・
つまり全国に伝わる心霊スポットの多くがこの
津山三十人殺し、どっちかというとそれをモチーフにした
八つ墓村をベースに作らてることがわかると思う。
<なるほど確かに!
ただ、一点だけ決定的に違うのは都井睦雄は精神錯乱でもなんでもなく、
明確な目的と計画の上で行った犯行だったって点だね。
<ちなみに都井睦雄は最後どうなったの?
貝尾集落から下ったところの集落に分岐があるんだけど、
ここを貝尾集落と反対側に登って行くと荒坂峠っていう峠があるらしい。
彼は下の集落の顔見知りの少年から紙とペンを借り遺書を残した。
去り際にその少年には「勉強して偉くなれ」と伝えていったらしい。
そしてこの事件は荒坂峠にて、都井睦雄の自殺によって幕を閉じた。
<・・・・・・
ちなみにこの分岐の自販機で休憩してたら
軽トラのおじいちゃんが日本一周ボードを見て話かけてくれてね
荒坂峠は「県道未開通区間だけど、一応舗装してて走れるよ」
って教えてくれたんだよね。
まぁ~そうとう酷い道らしいからいかなかったけどさ
そのおじいちゃんは貝尾集落の方に帰って行ったよ・・・
<まさかその人も・・・
以上がボクが見てきた事件現場の現在の全て・・・
きっとこれからも形を変えて語り継がれる事件の真実。
ちなみに加茂町まで行く途中の県道6号線ですけど、
並行して鉄道が走ってて遠目にいい感じの駅舎が見えたので寄ってみた。
<へぇ~いい感じの木造駅舎
どうやらこの美作滝尾駅は『男はつらいよ』のロケ地に使われたらしい。
無人駅なんだけど、すっごく大事に保存されてて昭和の雰囲気満点
さてもう一度、津山と言えば~
<今度は何
いやぁ~津山と言ったらダムですよ
<いや・・・ダムはどこでも立ち寄ってるじゃない
まずここは津川ダム。
デザインは自治体ダムっぽくシンプルながら・・・
ダム下広場が観光化され、景観美しくいい感じ
そして津山のダムと言えばこれですよ
<何だこのダム・・・変な形
気づいちゃった
これは国交省の苫田ダム!!
そしてこれを見よ
苫田ダムを特徴づける、日本ただ1つのラビリンス型自由越流式洪水吐
<変な形してると思ったらこうなってるの
重力式式ダムの自由越流ってデザイン的に地味だと思いこんでたけど、これは別格の迫力がある!
∨字カットが等間隔で続く、現代アート的デザイン。
このダムはとにかくデザインにこだわり抜いてて・・・
管理事務所でさえこの有様!
<美術館みたい・・・
だけど苫田ダムが凄いのはデザインだけじゃない。
<おお!中に入れる
エレベーターと監査廊を抜けていくと・・・
<ダム中央に張り出した部屋だと!!?
真下にはラジアルゲートがあって、放流時は真下を水が流れる様が見える!
しかもこの展望台はダムの中央にあるから、まるでここから
巨大ダムを操縦できそうな気分になってくるよね
行け!超治水ロボ・ダムトマター!ラジアルゲートキャノン発射
<コラコラ
更に苫田ダムの凄いのは少し離れたところに鞍部ダムをもっていて
コチラもコンクリートフェンシングという珍しいダム。
表から見るとロックフィルダムだけど、裏はコンクリートで埋められてる。
<高さはないながら、見どころたくさんのダムでしたね
ちなみにダムカードも最高にカッコいい!!
ちなみに今日は夕方から雨予報だったけど、
加茂町にいる頃から時々雨粒が当たる天気で、
苫田ダム見学中からしっかり降って来るようになる
なのでグルっと一周、道の駅「久米の里」に戻り
コチラも津山と言えばなホルモンうどん
遅い昼食とると午後3時を回っており、
移動するにも雨が心配なのと暗くなりだす頃合なので今日はもう終了。
道の駅終了まで市街地の図書館で時間つぶしてテント。
<出発5日目にしてついに一歩も進まぬ日が来たか
一応100km以上走ってはいるんだけどね
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