恋愛工学は「宗教」なのだろうか?
「信者」と言われたことがある人間の立場から述べてみたい。
(なお、恋愛工学への批判については以前エントリーをまとめたことがあるので、ご興味がある方はこちらをご覧いただければと思います。)
今さらながら、恋愛工学への批判について思うこと
この日は恋愛工学は宗教的だ、というブログが話題になっていた。
そのきっかけはこのエントリーだ。「恋愛工学 宗教」とGoogleすると1番上に出てくる(2015年8月9日時点)
オレはこのブログの内容にはコメントしない。他人を批判するのはオレの趣味ではないからだ。
だから引用もしない。ただ、このエントリーを書くきっかけになったから一応触れてはおく。ただそれだけだ。
さて、オレは巷で、いや、Twitter上でと言った方が正確だろうか、「恋愛工学信者」と言われている。
オレはいちいち批判やらディスりやらには関わらない主義なので(何度でも言うが、そんなのに関わるヒマがあれば、英単語の一つでも覚えるし、口説き文句の一つでも覚えるのがオレの主義だ)、基本的に「ガンシカ」だ。
だが本日この日は、「ブログのネタ」が無かった。そう、ブロガーなのに、ネタが無かったのだ苦笑。
いつもはアポのことを主に書いている。ちなみに今週末は、2日立て続けにセクした。相手の女子は先日ゴールした、いわゆる「既存女子」だ。既存女子とのセクなどその本人の男以外、誰も関心はないだろう。
だからわざわざ書くことでもない。そのためネタが無かったのだ。このまま書かないでもいいかな、今日は早く寝ようかな、と思っていたら、「恋愛工学は宗教的だ!」という話題が、TwitterのTLをにぎわせてるではないか。このにぎわいで、自分が恋愛工学の「信者」だと言われたことを思い出した。
ネタが無いと思っていたら、Twitter上にブログのネタがあったではないか。このにぎわいに「信者」と呼ばれたことがある男として、意見を述べないわけにはいかないだろう。
前置きが長くなったが、恋愛工学の「信者」と言われたことがあるオレなりに、今回のことに対する意見を述べてみたいと思う。
まず、「宗教」とは何か。Wikipediaを見てみよう。
~宗教(しゅうきょう、英 : religion)とは、一般に、人間の力や自然 の力を超えた存在を中心とする観念 であり、また、その観念体系にもとづく教義 、儀礼 、施設 、組織 などをそなえた社会集団 のことである(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99)~。
なんだ、恋愛工学は人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念で、そして、その観念体系にもとづく教義、儀礼、組織、施設などを備えた社会集団なのか!?
オレは非科学的なものは一切信じないし、また、そんな組織、施設などがどこにあるかオレは知らない。
次に、「信者」とは何か、同じくWikipediaを見てみよう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E8%80%85)。
~
·
特定の宗教を信仰する者。別に信徒(しんと)、檀信徒(だんしんと)、「~教徒」とも言う。
·
上記より転じて、特定の個人や団体や主義
や製品などに熱中している者。~
上記の通り、恋愛工学が「宗教」だとは思わないが、なるほど、特定の個人(この場合、藤沢数希氏)や主義(同、恋愛工学)に熱中している人のことか。
オレは別に熱中してはいないけど(熱中しているのは仕事であり英語の勉強であり、そして、女子とのアポだ)、恋愛をうまくいかせるために、本業でも役に立つことを得るために、メルマガを読んでいるのは事実だ。
同時に、アポをうまくいかせるために、凄腕ナンパ師のブログもたくさん読んでいる。
従って、少なくも「特定」ではない。
さて、言葉の定義から「宗教」と「信者」について論じるのはここまでにして、次は、「宗教」(※)・「信者」という単語から生まれるイメージついて考えてみたい。
感覚的に言えば、信者は、その宗教の教祖の言うことに対し、盲目的に従うイメージがある。
(※オレは無宗教だが、オレはまっとうな宗教は否定しない。世界を見渡せば、無宗教が珍しい位なのだから。例えばアメリカ人の約8割がキリスト教を信仰している。日本にカルト宗教が多すぎるから、宗教によくないイメージがあるだけだ。)
オレが思うネガティブな意味での「信者」のイメージとは、こんな感じだ。
宗教の悪いイメージの象徴であるカルト宗教。その究極とも言えるオウム真理教では、教祖が「ポアしろ」と言い、実際にあの凄惨な事件を起こした。
ここで、恋愛工学を宗教と仮定すると、教祖と呼ばれている人物(この場合、藤沢数希氏)が
「右向け右」
と言えば、信者と呼ばれている人物(同、一部のメルマガ読者)が、右を向くか⁈
向くわけがない。
「右向け右」は極端として、たとえば、藤沢氏は少し前に会社を辞め、小説家として独立されたようだ。
そんな藤沢氏が仮に
「独立するのは素晴らしい。読者のみんな、サラリーマンなんか辞めてしまえ!」
と言われて、オレは会社を辞めるだろうか?
辞めるわけがない。
オレにはオレなりに、今の会社という「器」を使って、成し遂げたいことがある。
そして、オレが知る限り、読者の大部分が日中は真面目なビジネスパーソンで、仕事をガンバっている人達だ。
少なくとも、オレが直接会ったことある人達は、みんなそうだった。会って少し話をすれば、そんなことはすぐに分かる。
仕事をガンバっている人達はみな、基本的に「自分で考える力」を持っている。
「自分で考える力」がないビジネスパーソンなど、仕事ができる人間だとは、オレは思わない。
そんな、自分で考える力がある人達はみんな、毎月864円を払って、それで有り余るリターン(主に恋愛、セックス、仕事)があるからメルマガを買っている。ただ、それだけだのことだ。
盲目的に従っている「信者」のような人達など、少なくともオレは知らないし、オレ自身もそんな人間ではない。
オレには「自分の考え」がある。決して盲目的になどなっていない。そして、他の読者の多くの方もそうだろう。
従って、オレを含めて、読者のみんなは、「信者」と呼ばれるのは不愉快だろう。「信者」という単語には、盲目的に教祖に従っているイメージがある。
また、藤沢氏は、当然メルマガ及び小説の出版で「ビジネス」をしている。そんなことは当たり前だ。そして、ビジネスをしている以上、世の中にある会社同様、利益を追求するのも当然のことだろう。
さて、ビジネスをしている藤沢氏は、読者の成功報告を聞いて、果たして本当に喜んでいるのだろうか?
それとも、「そんな報告はいいから、1人でも多くの人にメルマガと小説を宣伝してくれ」と思っているのだろうか?
これは確認のしようがないが、オレは喜んでいると思う。
例え話をしてみよう。
たとえば30代や20代半ばを過ぎれば、みんな一度や二度ぐらい、後輩に仕事を教えたことがあるだろう。
その後輩が自分の教えた通りに仕事をして、そしてうまくいって、喜ばない先輩などいるだろうか?
きっと、ほとんどいないだろう。
オレは、藤沢氏はこの心理で、きっと本当に喜んでいると思う。
もちろん、この例えの先輩もそして藤沢氏も、「ビジネス」での話だ。後輩の成功は、突き詰めれば先輩のビジネスの利益になる。「ビジネスの利益」、まずはそれが根底にあるのは当然のことだ。
だから、藤沢氏が「宣伝してくれ」という気持ちを持っていても、何ら不思議ではない。むしろ、そう思うのが普通だ。だが、同時に、「嬉しい」と感じているとオレは思う(成功報告がありすぎて、「嬉しい」という気持ちも、もしかしたら、薄まってきてしまっているかもしれないけれど)。
最後に、藤沢氏の性格をオレなりに分析するに(会ったことも話したこともないけど笑)、ビジネスを始める以上は結果(=数字、お金)と思っていることは間違いないだろう。
そんなこと、オレは分かっている。そして、読者の多くの方が、分かっていることだろう
そんなの分かった上で、オレは例えば、Amazonのレビュー(http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2I2ABMTTKZ8QF/ref=cm_cr_pr_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4344027787)を書いている。
恋愛工学をきっかけに、現実に人生が変わった男がいるのだ。自分の人生が変わったかどうかは、オレ自身だけが判断できることだ。
そんな、人生を変えるきっかけを与えてくれて、しかも、メルマガをきっかけに、熱く語り合える友人までできた。
そりゃ、藤沢氏に感謝するのは当たり前で、応援したくなるのが人情というものだろう。これは人としての感情に基づくものだ。
だが、感謝したり応援するのと、「信者」のように盲目的に従うのとは全く違う。ここだけは強調しておきたいと思う。
また、こと話が恋愛である以上、『ぼく愛』のような小説を出版して、女性を中心とした人達から批判があるのは当たり前だ。どんな批判があるか、きっと藤沢氏なりに気にしていたと思う。
そんな中、
「メルマガ読者のみんな、お願いだ。Amazonでいいレビューを書いてくれ」
って言われても全然ピンと来ないけれど(※ちなみに藤沢氏は、まったくそんなことを言っていません)、
「6月24日、Amazonという死の川に、僕たちは向かう。」
って言われたら(ここだけメルマガの中から引用する)、レビューを書きたくなるじゃん。
「おぉ、みんなで立ち向かおう!」って思うよ。少なくともオレは笑
これは、「論理」ではなく「感情」の世界の話だ。人間は突き詰めれば感情的な生き物だ。だから、論理だけでなく、感情面で相手を納得させる必要がある。
この彼の文才に、オレを含めた多くの男達と、マイノリティーであるが女性達が、惚れているのだと思う。
やっぱりオレは「信者」だって?
もう何でもいいよ。ここまで言ってそう言われるなら。
メルマガのおかげで彼女ができて美女とセクできて、仕事にもプラスの影響があって、友達までできたんだから。
最近、メルマガが宗教的?
オレにはどれもめちゃくちゃ面白く映るよ。いつも笑いながら読んでる。きっとみんなそんなの、分かってるよ。
ただ何かを論理的に主張するよりも、そう書いた方が面白いから、そうしてるんだってーー
※上記はすべて私個人の見解で、『週刊金融日記』及び『ぼくは愛を証明しようと思う。』の著者である藤沢数希氏、及び、メルマガ読者の方々とは、何ら関係はありません。
ケーゴ