「光る君へ」から皇族女子の生き辛さを思う 20th season

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 大河「光る君へ」では、藤原兼家(段田安則)や道長(柄本佑)を権力の頂へ押し上げた一条帝(塩野瑛久)が崩御しました。学問好きな一条帝は漢籍にも詳しく、まひろ(後に藤式部→紫式部:吉高由里子)と登華殿(定子サロン)で対面した際には『新楽府』の一節「高者、未だ必ずしも賢ならず…下者、未だ必ずしも愚ならず」(身分と人格は無関係)で意気投合し、2度目に藤壺(彰子サロン)で対面した際も帝は当時のエピソードを覚えていました。定子(高畑充希)との皇子・敦康(片岡千之助)の将来を悲観した帝が胸を押えて苦しむ様が描かれ、にも拘らず寒い日でも衣を重ねず火も使わない帝の意は「苦しい思いをしている民の心に少しでも近づくため」「民の心を鏡とせねば上には立てぬ」からでした。藤式部から漢籍を学んでいた彰子は、帝の振る舞いが『新楽府』の「百錬鏡」を手本としていると気付いたため「主上は太宗皇帝と同じ名君であられます」と敬慕の念を深めました。

 上記の件は「民の竈門から上る炊煙が少ないとの理由で租税を免じ、宮殿がボロボロになっても修理しなかった」仁徳天皇のエピソードや、今上陛下を始めとする歴代天皇が座右に置いたであろう『誡太子書』(花園上皇から量仁親王に授けられた訓戒書:概意は人格を向上させねば上に立つ資格は無い)とも地続きであり、これこそが一子相伝の帝王学だと思われます。勿論こうした帝王学の系譜は愛子様にも伝わっており、そのことは進学でも留学でも無く日赤に就職された事実からも伺えます。

 さて、彰子は自身が藤壺で育てた敦康を次期東宮から外した道長に対し「何故私に一言も無く次の東宮を敦成とお決めになりましたのか!」と憤りました。そして病床の一条帝に翻意を促そうと席を立った彰子を引き留めた道長は「政を行うは私であり中宮様ではございませぬ」と言い放ちました。彰子は藤式部に「中宮なぞ何もできぬ…愛しき帝も敦康様もお守りできぬ…何故女は政に関われぬのか」と嘆きました。「光る君へ」の2大テーマ身分差性差だと思われますが、劇中の権力者(♂)は全て私心塗れですから、前掲の『新楽府』に准えるなら「男子、未だ必ずしも賢ならず…女子、未だ必ずしも愚ならず」性別と人格は無関係)です。

 また愛子様が立太子できない唯一の理由が権力者の私心なら、公心を備えた尊皇政治家に挿げ替えるべきでしょう。    

文責:京都のS

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