福島アールグレイ雑記帳 - 紅野ヒロミ(リンクス紅野)のアニヲタブログ

自称アニメオタク(アニヲタ)、紅野ヒロミ(リンクス紅野)(福島県在住)のブログ。一部、お色気やグロネタもあるので注意。 旧館ブログ(https://akainumura.blogspot.com/)は分館として継続中。 pixiv https://www.pixiv.net/member.php?id=25475453 https://www.youtube.com/channel/UChbPHlZtZfDXQKdfops2yXw キャッチフレーズ:カレーは、やっぱりカツカレー!! プロフィール 紅野ヒロミ(こうのひろみ)(あくまでも特定・裏名義) 90年代生まれ(秘密) マイペースが激しいオタク

福島県の地にいる自称アニメオタク(アニヲタ)、紅野ヒロミ(リンクス紅野)のブログ。
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キーワード:韓国を含む記事

黄文雄の詭弁を掲載。

特色・主張[ソースを編集]


この節には、過剰に詳細な記述が含まれているおそれがあります。百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。内容の整理をノートで検討しています。(2017年8月)

台湾のみならず、韓国・朝鮮もまた日本による統治が近代化へのステップであったとしている。また満州は中国ではなく、独立国であるという説を唱えている。また、漢民族の衰退について、原因を「儒教の猛毒性」に求め、さらに、中国人の民族性は中華思想に基づく人種差別であり、自己中心的と批判している。一方、韓国人の民族性は「事大主義と従属国根性が染みついた」と批判している[1][2][3]。

また、日本の治安について、日本の警察の優秀さのほかに、日本人の法を守る精神や徳を守る精神などの文化的民度の高さによるものであると述べている[4]。

「支那」は差別用語ではない[ソースを編集]

黄によれば、中国共産党政府が「差別用語だ」と主張する「支那」[注 1] は、差別用語ではないという。中国の歴代王朝には、19世紀まで「国名」そのものがなかった。中国を中心とする「天下」という世界観はあっても「国家」概念も意識もなかったからだという。清朝末期に日本にやってきた中国人留学生は、国名そのものを答えられなかったが、中国の革命家や知識人は好んで、あるいは誇りを持って「支那」を使用したという。この「支那」という言葉は、もともとは唐時代の僧が仏典で翻訳した「文物国」の意で、いわば聖なる言葉であり、「日本人が中国人を差別するために作った差別用語ではない」と、黄は断じている。日本人は江戸時代の初期から、尊敬の意を込めて「唐」よりも「支那」のほうを多く使っていたという。明治時代になると、日本人は中国を貶すにも褒めるにもこの「支那」という言葉を使っており、侮蔑の意味など込めてはいなかったという。鄧小平の死後、テレビ朝日の番組『朝まで生テレビ!』に出演した中国政府の役人が「そもそも中国という国名があるのに、日本人はわざわざ『支那』という差別用語を作って中国人を侮辱している」と言い放った。この発言を受けて、日本人専門家は誰1人として反論しなかったという。中国では役人に限らず、学者までもがあまり勉強をしておらず、中国共産党が「決定」した「作られた歴史」を鸚鵡返しに繰り返すことが、中国の学者の振る舞いであり、任務であり、「その知識と常識は日本人から見れば実に低レベル」と黄は述べている。また、黄は、「チャイナ」の呼称については中国政府は何も言わないが、この「支那」が許せないのは、かつて「日本軍が中国を侵略した」ことを思い出すからであり、それは愚かな誤解か悪質な言いがかりのどちらかであると断じている[5]。

朝鮮半島論[ソースを編集]

黄は19世紀末の東アジアにおいて、清国からみた朝鮮半島観および朝鮮政策について、清国の属国であったベトナムがすでにフランスに横領されたこともあり、残る属国の朝鮮を死守しようとしていたとし[2]、新疆や台湾のように朝鮮も中国の正式な領土にするため『朝鮮省』を設立し、郡県制とする断行案を検討していたという。また1882年の壬午事変の鎮圧に際して、呉長慶 は『遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障』、つまり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたとしている[2]。

また、黄は、呉長慶の幕下にあり積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』について、京城帝国大学教授の田保橋潔のまとめを引用しながら[6]、それまでの東三省から朝鮮省をも含めて『東四省』とし、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前にもあったと指摘している。たとえば、明の朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位を下賜し、国王の地位を与えなかったのもそのためとされる。

なお、この「朝鮮省」設置について、朝鮮人は『小中華』から『大中華』への昇格だと喜び、「これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなかった支那人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵」であったとしている[2]。

すなわち黄によれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部であり、「封国」[注 2] でなく「外藩」として帰属してきたし[2]、朝鮮を建国したは中国の箕子だと、中国人は主張していると指摘している。また、中国が中華民国になった近現代でも、中国人の朝鮮版図観は変わっておらず、たとえば蔣介石は戦後対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に際して船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。

さらに黄は、「宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮半島の鉄則のようなものだ」とし、千余年来、「千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている」としている。

また韓国は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で焦土と化し、三百年もへても立ち直れなかったとして日本を糾弾するが、「倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか」と批判している[7]。

また、「長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらありません。朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみだった」としたうえで、「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない」と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどであると指摘している[8]。

高句麗・渤海の帰属について[ソースを編集]

黄は、「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である」とし[1][2][3][9]、著書の中で、「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である」と高句麗と渤海を満州族の先祖としている[10]。また、「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(? - 668年)と、その高句麗を再興した渤海(698年 - 926年)である」とし、高句麗と渤海を満州史としている[10]。

中国の食人文化[ソースを編集]

黄は中国における食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であると主張している[11]。また、孔子が人肉好きだったとして、次のように主張している。

子路が衛国の大夫である孔悝(中国語版)の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こった。子路はこのお家騒動にまきこまれて、殺された。子路の屍は細かく切りきざまれ、無惨にも〈醢〉にされた。それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきたのだ。
以来、孔子は大好物の〈醢〉を食べるのをやめたそうだ。

—不明(礼記)、蔡元放(東周列国志)、荘子,『礼記』、『東周列国志』、『荘子』[12]

『礼記』『荘子』の原文は以下の通りである。

檀弓上:孔子哭子路於中庭。有人吊者,而夫子拜之。既哭,進使者而問故。使者曰:「醢之矣。」遂命覆醢。

—不明,『礼記』[13]

子以甘辭說子路而使從之,使子路去其危冠,解其長劍,而受教於子,天下皆曰『孔丘能止暴禁非』。其卒之也,子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也。

—荘子,『荘子』[14]

この他、『孔子家語』にも同じ逸話がある。

子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。

—孔子,『孔子家語』[15]

明治書院版『孔子家語』の訳者宇野精一は「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」としている[16]。

日本軍による東南アジアでの華人に対する戦争犯罪の評価[ソースを編集]

東南アジアの華人は植民地の土着民族を見下していたため日本軍のシンガポール華僑粛清事件など華人の虐殺、及び社会からの追放はマレー人など東南アジア植民地の主要民族の地位向上につながった。また東南アジアの反日デモは華人によるものでマレー人などの主要民族は評価をしているため犯罪行為の謝罪は彼らを裏切ることになると戦争犯罪を評価している[17]。


Amazonでの評価


この人は台湾人の代表じゃない・・・。

2012年10月17日に日本でレビュー済み

この黄文雄って人が、何故「台湾人の代表」なんでしょうね?(笑)
台湾は親日家なら多いですが、別にこんな差別主義者ばっかりじゃないし、
こんなステレオタイプ化した理論は、破綻した画一主義とチェリーピッキングが作り上げた、
閉鎖的な理論塔に過ぎないですよ。

中華民国政府が尖閣諸島やチベットを自国領土だとしているのは何故なのでようか。
馬英九総統の事はタブー視するのでしょうか(笑)

また「台湾人が見た」というより「行動右翼が見た」と言ったほうが良いです。

作者の黄文雄は呉善花?やペマ・ギャルポと同じく、
世界平和連合の常連知識人です。
つまり「統一教会」系列のエセ右翼ですね。
(嘘だと思ったら世界平和連合で検索してみてください。)

しかもこの人、主権回復会とかいう西村修平(元毛沢東主義派)が作っている似非右翼団体の顧問です。
行動する保守みたいな嘘つき保守屋さんの書いた本を読んでも、偏った偏屈なレッテルとチェリーピッキングしか得られないです。
(というか人間はみんな違うから、民族や人種で一枚岩にして考えるのがおかしい)

欧米ではこんな本はネオナチ本扱いですが、平和な我が国だからウケるのかなあ・・・。
主権回復会とかいう胡散臭い人が保守系台湾人扱いなのは、政治的未熟さの証かなぁ。

日本から


Amazon カスタマー

5つ星のうち2.0Amazonで購入

芸能人がお話していた本だったので、、、

2017年8月23日に日本でレビュー済み

言葉が難しく、知らない漢字が多く調べながら、本を読み時間がかかりました。
頭の中に残らなかった。自分が悪いのかな?

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ホッケープレイヤー

5つ星のうち2.0Amazonで購入

そんなに国内のナショナリズムを煽りたいのか

2014年10月25日に日本でレビュー済み

日本人は素晴らしい、中国人、韓国人のやってることはなってない。というのがこの本の趣旨です。
政府の方針が間違っていても、巷でおかしなことが行われていることを取り上げて、中国人、韓国人全てが国民性としてダメ、なんてことは言えないはず。
日本がかって両国に対し優越感をもっていたのは確かでしょうが、いまさらそんな感情を煽って何になるのでしょう。
悪い意図をもって幼稚なナショナリズムを煽っているとしか思えません。

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tomozou32

5つ星のうち2.0Amazonで購入

三歩進んで二歩下がる。

2015年11月25日に日本でレビュー済み

中国批判と韓国差別。話が進んだと思ったら前の話に戻ったり。なんか退屈だった。こんなタイトルの本を読むくらいだから日本人としての自覚と中国、韓国の非道?を見たかったんだけどなんか違う。日本人としての自尊心も満たされないしひたすら人の悪口聞かされたようなモヤモヤが残るなぁ。

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藤村 修二

5つ星のうち2.0Amazonで購入

全体的な文章がいまいち。

2014年1月3日に日本でレビュー済み

筆者の中韓人を嫌う思いはよく伝わりますが、読者を本に引き込ませるような文面が弱いです。

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ゴードン

5つ星のうち2.0

思ったより…

2013年3月24日に日本でレビュー済み

中国人・韓国人の
歴史に基づいた思想

なぜあんな考え方なのか?
など
もっと納得できるかな?と期待したのですが

うーん。
この文章も「偏見」「揚げ足とり」に
見えないこともない。

確かに、史実や残された言葉に見られる
「自己中心」「人間不信」など
いろんな納得できそうなフレーズはあるのですが

説得力を感じることができませんでした。

期待してのですが、残念。

ただ、日本人としての誇りや自信を
自分で否定せず堂々としていてよい、という
考え方は、共感できます。
確かに日本人は、へりくだりすぎるところが、
あるのかもしれない。
(そこが美学であり、損なわれつつあるのですが)

しかし世の中、仲良くするのは
難しいんですね。
それを良くも悪くも感じさせてくれた意味で、☆2。

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Amazon カスタマー
5つ星のうち1.0
この本も安濃豊氏の著作ネット本「有色人種を解放した大日本英国-大アジア解放戦争」からのパクりですよね
2016年12月21日に日本でレビュー済み
この本も安濃豊氏の著作ネット本「有色人種を解放した大日本英国-大アジア解放戦争」からのパクりですよね。内容が殆ど一致しています。ヘンリースト-クス氏の本もそうでした。出版業界は安濃氏の業績をパクって儲けてますが、反省はないのでしょうか?アジア解放論は2009年に安濃氏が自ら発掘した”帝国政府声明文”を証拠に言い出したことですが、パクり保守に共通しているのは帝国政府声明文を持ち出さないことですね。持ち出すと安濃氏からパクったことがばれるからです。
「有色人種を解放した大日本英国-大アジア解放戦争」
[...]


歴史書ではない
2019年5月2日に日本でレビュー済み
論拠となる参考文献や出典が一切示されていない。

Vincent
5つ星のうち1.0Amazonで購入
ガッカリ
2023年2月15日に日本でレビュー済み
見かけはきれいなのですが、中に 鉛筆で書き込みがあります。何か所もです。文の横に傍線が引いてあったり、言葉の解説が書き添えられていたり。
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 クリミア半島
5つ星のうち1.0
アホな煽動本。台湾の恥。
2013年12月16日に日本でレビュー済み
チェリーピッキングという言葉があるが、・・・・まあ都合の良い情報だけ合わせたツギハギですな。

核心と言いきっているのには呆れた・・・。 この人が台湾じゃトンデモ扱いされてて、日本にしか仕事がないのが理解出来る。

中国人は話を大袈裟にしたがるので、 「過去の歴史書」「民話・伝承」をそのまま信用するのは間抜けで笑いました。

なんで中国の歴史書や文章の都合の良い部分はナチュラルに信じちゃうのかな? 台湾人の恥だから、妄想癖の人を釣って商売するの止めて欲しい。

あと、黄文雄ちゃんが主権回復を目指す会というネトウヨ暴徒団体のメンバーだった事や、統一教会・池口恵観さん経由の人脈なのは黒歴史にてヒミツ。
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黄文雄のパロディ画像002 舌出しマヌケ顔








黄文雄の遺影(カラー)

黄文雄の遺影(モノクロ)

黄文雄死亡の遺影写真(カラー)
黄文雄死亡の遺影写真(モノクロ)

極悪団体、主権回復を目指す会や統一教会に名を連ねた台湾出身の評論家、黄文雄は7月あたりに病気で亡くなってたんだな。

台湾のメディアしか報じておらず、朝日新聞などの日本や韓国、欧米のメディアではスルーしていた。

李登輝友の会では訃報を出したが、主権回復会や統一教会では訃報を出さなかった。



2024年パリオリンピックで有名になったパリですが、過去に日本人による凄惨な事件があったようです。

パリ人肉事件(パリじんにくじけん)は、1981年(昭和56年)6月11日に、フランスで起こった猟奇殺人事件である。犯人である日本人留学生の佐川一政が、友人であるオランダ人女性を射殺し、屍姦後に彼女の肉を食べたというもの。

パリ人肉事件
場所 フランスの旗 フランス・パリ
標的 若い女性?
日付 1981年(昭和56年)6月11日
概要 カービン銃を使用し射殺。
殺害後に屍姦し、興味本位で遺体を分解した後に食した。
攻撃側人数 1人
武器 カービン銃
死亡者 1人
損害 遺体
犯人 佐川一政
動機 強姦、食肉目的
刑事訴訟 不起訴処分

経緯
1981年6月11日、フランスの首都、パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺した。佐川は衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べた。

6月13日、残った遺体をスーツケースに収め、ブローニュの森の池に捨てようとしたところを目撃され逃亡。目撃者が遺体を発見し警察に通報し、2日後に逮捕された。

なお、この事件以前に、佐川は日本でも近隣に住むドイツ人女性を食肉目的で襲い逮捕されている。事件は父親の提示した示談金で告訴は取り下げられている。また、佐川は幼少の頃から人肉食の欲求が芽生えたと語っている。

佐川は犯行を認め裁判では心神喪失であったとして不起訴処分で無罪となり、フランス国内の精神病院に入院する。翌年、帰国し東京都立松沢病院に1年間入院した。病院側の診断結果は、佐川は人肉食の性癖など一切なく、フランス警察に対する欺瞞であるというものであった。同院副院長(当時)の金子医師は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとしている。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針(『週刊マーダーケースブック』2号、デアゴスティーニ、1995年)であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡すことはできないとして拒否した。

その他
この節に雑多な内容が羅列されています。 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2020年6月)
この事件の被害者の遺体写真を掲載したフランスの週刊誌「パリ・マッチ」が発売禁止処分を受けた。
作家唐十郎が佐川と文通した手紙を書籍化した「佐川君からの手紙」(『文藝』1982年11月号)は、第88回芥川賞を受賞した。
事件後すぐの1981年に東映が唐十郎監督で『ブローニュ』というタイトルで映画化しようとしたことがある[1]。唐は「事件同様、衝撃的な作品にするよ。来年(1982年)6月頃には撮影に入りたい。オレとしてはパリに出かけて現場を踏まねば気がすまないし、製作費は3億円ぐらいは必要だと思う。いま、キャスティングを慎重に進めている最中」などと話していたが、唐は1976年の監督デビュー作『任侠外伝 玄海灘』(配給ATG)の撮影で本物のピストルをぶっ放して罰金刑を食らった前科もあり、内々に交渉を受けた佐川役の主演候補がいずれも尻込みし難航した[1]。その後「佐川君からの手紙」を寺山修司が脚色し、大島渚が監督する計画が進んだが[2]、寺山が1983年5月4日に亡くなり、結局、実現に至らなかった。


1991年 太田出版より出版された『イカす!おたく天国』の著者、宅八郎との対談にてパリ人肉事件の記事が掲載。この中で、佐川は「料理は全くしない。あの時だけです」と明かしている。
フランスの小説家ジャン・エシュノーズは2020年1月刊行の小説『ジェラール・フュルマールの人生』のなかで、主人公の住むエルランジェ通りで起きた事件のひとつとしてこの事件を紹介している。

カテゴリ: パリの殺人事件 日本人の国外犯罪 1981年のフランス カニバリズム 日仏関係 日蘭関係 バラバラ殺人 日本のバラバラ殺人事件 性犯罪事件 1981年6月

佐川 一政(さがわ いっせい、1949年〈昭和24年〉4月26日 - 2022年〈令和4年〉11月24日)は、日本の作家。パリ人肉事件の犯人として知られる。

人物
経歴
兵庫県神戸市生まれ。聖ミカエル学園から鎌倉市立御成小学校を経て鎌倉市立御成中学校卒業[1]、神奈川県立鎌倉高等学校を経て和光大学人文学部文学科卒業、関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了後、再びパリへ留学した[2][3]。1981年(昭和56年)の時点では身長152cm[注 1]、体重35kg[2]。

父方祖父は朝日新聞論説委員であり、父は伊藤忠商事からの出向により栗田工業社長を務めた佐川明[2]。いくつかの会社を立て直し「再建の達人」と呼ばれた[4]。母親は神戸の裕福な貿易商(佐川商店代表:佐川与一)の娘だが(佐川は母方の姓)、祖父母(母の両親)ともに愛人がおり、祖母には婚外子もあるような複雑な家庭で母親は育った[5][6][7]。母方の叔父に歌手・俳優の佐川満男がいる[8][9]。

1歳違いの実弟の佐川純は慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学文学部、専門学校東京デザイナー学院卒業後入社した大手広告代理店を50歳で退職し、油彩画家に転身、2017年には兄の一政とともに仏米合作のドキュメンタリー映画に出演した(#出演)[2][10]。

生い立ち
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの未熟児だった。出生1年後には腸炎を患い、カリウムとカルシウムの静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。

内向的な性格ということもあり芸術好きの少年として育ち、文学では『嵐が丘』『戦争と平和』などのほか、シェイクスピアに興味を示し、音楽ではベートーヴェンやヘンデルを愛した。高校時代には白樺派に傾倒し、志賀直哉の『暗夜行路』に影響を受けて短編小説を書いたことがある他、紹介状も持たず武者小路実篤に会いに行き、武者小路の書斎で1時間ほど面談したこともある[11]。

幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされたことにより、小学生の頃にはすでに人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代には自ら精神科医にたびたび相談したが取り合ってもらえなかった。

佐川の異常な嗜好はやがて表に現れることになる。和光大学在学時代には中年のドイツ人女性宅に人肉食目的で無断侵入し逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。

1976年(昭和51年)、関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。

フランス留学
詳細は「パリ人肉事件」を参照
1977年(昭和52年)からフランスに留学し、1980年(昭和55年)、パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了。引き続き同大学院博士課程に在籍していた1981年(昭和56年)6月11日、佐川は同大学のオランダ人女性留学生(当時25歳)が自室を訪れた際、彼女を背後から騎兵銃で撃って殺害。屍姦の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べた。

そのあと佐川は女性の遺体を遺棄しようとしているところを目撃されて逮捕され、犯行を自供したが、取調べにおける「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから[12]、精神鑑定の結果、心神喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。

その後、ヴィルジュイフ精神病院(アンリ・コラン精神病院)に措置入院されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の唐十郎に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」(『文藝』1982年11月号)で第88回芥川賞を受賞する。

日本帰国後
1984年(昭和59年)に日本へ帰国し、精神病院である東京都立松沢病院に入院した。同病院での診察では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。副院長の金子嗣郎は、“佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか”としている[13]。日本警察もまったく同じ考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が「不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡すことはできない」として拒否した。

同院を15カ月で退院した佐川は、マスコミに有名人として扱われ、小説家になった。その頃、日本の病院と警察がそろって刑事責任を追及すべきという方針であったのに、フランス警察の方針により、それが不可能になったことから、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた[14]。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することになり、母親は神経症の病気を患ったという。

社会復帰後、1989年(平成元年)の宮崎勤逮捕では、猟奇犯罪の理解者としてマスコミの寵児となり、忙しい時は月刊誌や夕刊紙など4紙誌に連載を持っていた[15]。印税収入だけで100万円に達した月があったほか、講演やトークショーにも出演して稼いでいた[15]。また、1本30万円のギャラでアダルトビデオに出演していたこともある[15]。

しかし2001年(平成13年)頃までにはほとんどの仕事が途絶え、生活に困って闇金に手を出すようになる[15]。「ぜんぜん反省しなくて、相変わらず白人女性と付き合う、それにはお金がいるというんで、初めのうちはおやじの財布から万札をぬいてたぐらいですけど、だんだんデッドヒートして、弟のチェロを売り飛ばしたり、絵を売り飛ばしたり、最後には(クレジット)カードまで使って」と自ら語っている[16]。1993年に知り合ったドイツ人男性から白人女性2名を紹介されるが、金蔓として利用され共に海外旅行を楽しんでいた矢先に、佐川の過去が露見したため絶交されたという[16]。

2005年(平成17年)1月4日に父が死去。翌日に母が自殺[15]と週刊誌で報じられたが、実弟は否定している[10]。当時、佐川は闇金の取立てに追われて千葉県に逃げていたため、両親の死に目に会えず、社葬という理由で葬儀への出席も断られた[15]。その後、親の遺産で借金などを返し、2005年(平成17年)4月に公団住宅に転居[15]。千葉県に住んでいた頃は、持病の糖尿病が悪化し、生活保護を受けていたが、2006年(平成18年)のインタビューでは「現在は受けていません」と語っている[15]。

過去には500通ほどの履歴書を書き、会社回りをしたものの、ことごとく採用を拒否されているという[15]。一度だけ「本名で応募してくる根性が気に入った」と採用決定された語学学校もあったが、職員たちの反対を受けて不採用となる[15]。小説を執筆しているが、「どこの出版社からも取り上げられない」と語っている[15]。

2010年のインタビューでは「もう白人女性は卒業した。今は日本人女性、特に沖縄の女性、ちゅらさん。食欲を感じます」と発言している[16]。

2013年11月に脳梗塞で倒れて救急搬送され、歩行困難となり、実弟の介護を受けつつ年金と生活保護で暮らしていることが2015年に報じられた[17]。2018年6月には誤嚥性肺炎を発症して入院したことが2019年に実弟が明らかにした[18]。

2019年7月12日にパリ人肉事件を撮ったドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』が公開され、第74回ヴェネチア映画祭でオリゾンティ部門審査員特別賞を受賞した。

2022年11月24日、肺炎のため、東京都内の病院で死去。73歳没。訃報は同年12月1日に公表された[19][20]。

思想
「男女間の愛は幻想であり、そのことがすべての過ちの原因になりうる。人は錯覚に基づき、感じ、考え、行動している。その錯覚が、人間しか創造し得ない膨大な幻想を生み出しているとしたら、愛の過ちは素晴らしい人類への贈り物である。愛そのものが幻想なら、自分自身は、案外、愛の真実の姿を典型的に、もっとも過激に生きているのかもしれない」と述べている[21]。

エピソード
ザ・ローリング・ストーンズが佐川のパリ事件を歌にしている。1983年(昭和58年)の12インチシングル「Too Much Blood」がそれである(12インチシングルとしては日本では未発売)。事件発覚時にミック・ジャガーはパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『アンダーカヴァー』B面1曲目にも収録されている(のちにCD化)。発売はいずれもローリング・ストーンズ・レコードから。
松沢病院退院後、大喜利に出演するためある落語会にゲストとして出席した。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようで、テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応するなど張り詰めた空気となっていた。しかし、この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の川柳川柳は楽屋に到着し、初対面の佐川を見るなり肩を叩いて「よぉ!食道楽!」と明るく声をかけた。
特殊漫画家の根本敬が、結婚後東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後親交を結んだ。
修士号を持っており[注 2]、修士論文のテーマは「川端康成とヨーロッパ20世紀前衛芸術運動の比較研究」であったという。
『服従学園IV 血桜組二代目襲名』などの作品でスケジュールなどのやりとりもした映像ディレクターの石田周によれば、FAXに書かれた字は達筆だったが芝居はヘタであったという[22]。
家族
父・佐川明(栗田工業元社長、旧姓:森本)
母・佐川登美子(県一高女卒、佐川商店代表・佐川与一の長女)
弟・佐川純(油彩画家)
父方祖父・森本茂(朝日新聞論説委員)
母方祖父・佐川与一(貿易商、佐川商店代表、佐川善治郎の次男) 佐川善治郎の次男として1898年(明治31年)6月27日に生まれる[7]。1915年(大正4年)神戸一中を修業し、協信洋行勤務を経て1923年(大正12年)に現地開業。宗教は日蓮宗[7]。趣味はスキー[7]。
母方祖母・佐川眞弓(1901年(明治34年)生、広島県、田川俊之介の三女)
母方叔父・佐川満男(1939年(昭和14年)生、歌手・俳優、与一の息子、登美子の弟)
著書
単著
『霧の中』話の特集、1984(彩流社、2002年)、ISBN 4-88202-746-1
『生きていてすみません-僕が本を書く理由』北宋社、1990
『サンテ』角川書店、 1990
『カニバリズム幻想』北宋社、1991
『蜃気楼』河出書房新社、1991
『喰べられたい 確信犯の肖像』ミリオン出版、1993
『華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド』アイピーシー、1994
『少年A』ポケットブック社、1997
『殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ』データハウス、1997
『まんがサガワさん』オークラ出版、2000
『霧の中の真実』鹿砦社、2002
『業火』作品社、2006
『極私的美女幻想』ごま書房、2008
『新宿ガイジンハウス』作品社 2012
共著
『狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定』コリン・ウィルソン、天野哲夫 第三書館、1995
『饗 カニバル』コリン・ウィルソン 柳下毅一郎翻訳・構成 竹書房、1996
『パリ人肉事件 無法松の一政』根本敬 河出書房新社、1998
出演
服従学園IV 血桜組二代目襲名 (1995・V&Rプランニング)※アダルトビデオ
お天気お姉さん (1995-04-25・バンダイビジュアル)※オリジナルビデオ
実録SEX犯罪ファイル (1998-05-12・宇宙企画)※アダルトビデオ
神様の愛い奴(1998-07-18・ロフト・シネマ)※ドキュメンタリー映画
エロのから騒ぎ〜Much Ado About Eros〜第2期生 (2003-08-24・V&Rプランニング)※アダルトビデオ
カニバ パリ人肉事件38年目の真実(2017 監督/ルシアン・キャスティン=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル(fr))※第74回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門審査員特別賞
関連著書
佐川純『カニバの弟』東京キララ社、2019年7月発売
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 作品社編集部『犯罪の昭和史』第3巻300頁では身長150cmとされている。
^ 多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながら彼は不起訴処分を受けており、現在も学位を保持し続けているかは不明である。
出典
^ 『カニバの弟』佐川純、東京キララ社、2019、p38、61
^ a b c d キャスト映画『カニバ』
^ 『カニバの弟』p49
^ 『少年A』佐川一政、ポケットブック社、1997、p36
^ 『少年A』p120
^ “人事興信録. 第25版 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月5日閲覧。
^ a b c d “大衆人事録. 近畿篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月5日閲覧。
^ 「バラバラ殺人犯の知られざる素顔 叔父の佐川満男も『あのおとなしい男が…』と絶句」『週刊明星』1981年7月9日号、集英社
^ 本橋信宏『素敵な教祖たち サブカルチャー列伝 業界カリスマ17人の真実』コスモの本、1996年、p.156。インタビューでの佐川一政の発言による。
^ a b パリ人肉事件・佐川一政を介護する弟が実名告白「バカな奴だけど、絶縁できなかった」アエラ・ドット・ネット、2019.5.23
^ 佐川一政『生きていてすみません』(水栄社)
^ 鈴木邦男『続・夕刻のコペルニクス』扶桑社、1998年、p.171
^ 『Tokyo Journal』1992年9月号
^ 『週刊マーダーケースブック』2号、デアゴスティーニ、1995年
^ a b c d e f g h i j k 『週刊新潮』2006年2月23日号。
^ a b c VICE Japan 佐川一政 人を食った男 2/2 - YouTube
^ 『宝島』2015年8月号
^ 映画『カニバ』を機に知ったパリ人肉事件・佐川一政さんの近況 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/02a53c1561732ed8023270bab8d1ee4e7b6c9b76 Yahoo!
^ 『佐川一政氏永眠のお知らせ』(プレスリリース)東京キララ社、2022年12月1日。2022年12月1日閲覧。
^ “「パリ人肉事件」佐川一政氏が死去 73歳 肺炎のため 弟・佐川純氏らが報告”. スポーツニッポン. (2022年12月1日) 2022年12月1日閲覧。
^ 「コラムニスト」第3号(1992年1月15日、東京三世社)
^ note:演技の事、佐川一政さんの事。 石田周2022年12月2日
関連項目
カニバリズム
外部リンク
isseisagawa.net|佐川一政オフィシャルウェブサイト - ウェイバックマシン(2013年11月12日アーカイブ分)
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佐川一政逮捕
サングラス姿の佐川一政

茂原市重機オペレーター殺害事件(もばらしじゅうきオペレーターさつがいじけん)とは2000年(平成12年)3月11日に発生した殺人事件。2005年に被疑者が逮捕されるまで失踪事件として扱われていた。

茂原市重機オペレーター殺害事件
場所 日本の旗 日本・千葉県
標的 当時48歳の重機オペレーター
日付 2000年(平成12年)3月11日
攻撃側人数 2人
死亡者 1人
被害者 1人
犯人 男性2人
容疑 殺人・傷害
管轄 千葉県警察茂原警察署

概要
2000年(平成12年)3月10日、千葉県茂原市の重機オペレーターの男性(当時49歳)が行方不明となる事件が発生。

2004年(平成16年)10月11日、男性の娘が依頼して、テレビ朝日の番組『奇跡の扉 TVのチカラ』が情報提供を呼びかけた[1]。 番組の情報提供呼びかけをきっかけに、事件当日に失踪男性の重機の不法投棄に関する証言と証拠、さらに失踪男性が男性2人に暴行を加えられていたという女性の証言が番組に寄せられた。

重要証言が寄せられた番組は、目撃証言者が1人のために危害を加えられる危険性、被疑者の逃亡の可能性、遺棄した死体の移動などの証拠隠滅の可能性から番組での放送を自粛。番組は元東京地検検事の大澤孝征弁護士監修で調査報告書を作成し、11月に千葉地検と千葉県警捜査1課に情報提供をした[2]。速やかに捜査本部が設置された。その後、3か月にわたり、番組は警察と密に連絡を取り合っていた。

2005年(平成17年)3月16日、失踪直前に失踪男性に暴行を加えていた傷害容疑で男2人(当時38歳と30歳)を逮捕[3][4]。遺体は発見されなかったが現場に残された遺留品や女性の証言等から殺害が濃厚として、4月6日に2人を殺人容疑で再逮捕した[5][6]。千葉県警はこの事件の立件をテレビによる情報提供が端緒になったことを認めた。その後、番組で事件が解明された経緯を説明した。被疑者2人は自分たちが殺害した事件が取り上げられていた番組『奇跡の扉 TVのチカラ』を視聴しており、遺体を発見して移動しようとして現場で遺体を探していたが、遺体が見つからなかったことが判明している。

2006年(平成18年)5月23日、千葉地裁一宮支部は2人に殺人罪で有罪判決を下し、主犯格の男に懲役13年、共犯の男に懲役10年が言い渡された。

脚注
[脚注の使い方]
^ “SOS-074 千葉・部屋から忽然と消えた父”. テレビ朝日. 2004年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
^ “テレ朝「TVのチカラ」犯人逮捕ひと役”. Yahoo! Japan (2005年3月19日). 2005年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
^ “TV番組で情報…不明男性への傷害容疑で男2人逮捕”. 読売新聞社 (2005年3月16日). 2005年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
^ 曽田拓、森禎行 (2005年3月17日). “茂原の男性不明:「所在確認を」祈る親族 傷害容疑で2人逮捕 /千葉”. Yahoo! Japan. 2005年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
^ “千葉の男性行方不明事件、2容疑者を再逮捕”. 読売新聞社 (2005年4月7日). 2005年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
^ “茂原の男性不明 暴行後がけ下に落とす 殺人容疑で2人再逮捕”. 千葉日報 (2005年4月7日). 2005年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月19日閲覧。
外部リンク
『奇跡の扉 TVのチカラ』公式サイトの当事件のページ - (2007年11月5日時点のウェイバックマシンでのアーカイブ)
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カテゴリ: 平成時代の殺人事件 2000年の日本の事件 茂原市の歴史 2000年3月


失そうから6年目にして、茂原署特別捜査班は16日、茂原市大芝、重機オペレーター、江沢重雄さん(53)の行方の手掛かりを握る男2人を逮捕した。
2人は「江沢さんに暴行し、県内の山中に捨てた」と供述しているが、具体的な場所についての記憶はあいまいだという。江沢さんの親族らは一刻も早い所在確認を祈っている。
傷害容疑で逮捕されたのは千葉市中央区矢作町、無職、内山俊範(38)と同市緑区大椎町、同、中山貴雄(30)の両容疑者。捜査班はヘリコプターも投入し、大多喜町や君津市周辺の山林数十カ所を捜索したが、所在は分かっていない。
江沢さんが行方不明になったのは00年3月。市内に住む江沢さんの姉(72)は「99年12月には長女が結婚し、喜んでいたのに」と話す。
(Yahoo!News 毎日新聞 3/17付)



6年もの長い間、家族の皆様はどのような思いで、この日を迎えたのだろうか。
内山・中山両容疑者は、6年前韓国風居酒屋で飲んでいたところを、後から来た江沢さんに言いがかりをつけられ、怒り殴りつけた上に日本刀のような物で殴りつけ意識を失わせた。
その後車で茂原市街を抜け、房総半島南部の山中に江沢さんを投げ捨てた。
また所持していた携帯電話や履き物などを捨て、車内を掃除したり、江沢さん所有の車を不法投棄したなど証拠隠滅も図っていた。
これらは、月曜夜8時~テレビ朝日「テレビのチカラ」により昨年10月に2度放映され、情報提供を求めていた。
ところが、その後「暴行現場を見た」という有力な目撃情報が寄せられ、番組と目撃者Aさんによる独自の捜査により、その足取りを掴むことが出来たという。
番組内では江沢さんが乗っていたジムニーの廃棄現場を特定、車はすでに処分され無くなっていたものの、偶然にも近所の方が不法投棄の証拠として撮っていた写真にしっかりと確認できた。
さらにAさんによる幾つかの証言や番組が捜査した内容を大沢弁護士が昨年11日に千葉地検に赴き、千葉県警捜査1課に情報提供した。
これが結果的に先日の容疑者逮捕へと結びついたのだ。
しかしながら、江沢さんが投げ捨てたとされる現場が、容疑者の供述にも曖昧であるために難航、未だ発見に至っていない。
(Yahoo!News 日刊スポーツ 3/19付)

私がまだ小学生の時期に、この事件を当時放送されていた奇跡の扉 TVのチカラで観たことがあった。
被害者男性の一人娘がTV番組内で調査を依頼し、被害者男性の姉がVTRに出てきたのが印象に残った。

犯人二人は逮捕されたがどちらも有期刑という軽すぎる判決、しかも遺体は見つからずという後味が悪い展開だった。
茂原市重機オペレーター殺害事件の被害者
茂原市重機オペレーター殺害事件002
茂原市重機オペレーター殺害事件001




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