孤独を爆発させて生きる。
小さい頃、悪いことをすると母から「あなたはうちの子じゃありません!」と怒られて、家のリビングの窓を開けて裸足のまま外に放り出されて、しばらく外に放置されるお仕置きを受けていた。ある日もまた、私はリビングから放り出された。母は、リビングの窓の鍵を閉めて、玄関の鍵を閉めるために玄関に向かった。私は、玄関に向かう母よりも先にギャンギャン泣きながら家の外回りを猛ダッシュして、母が玄関につくよりも先に玄関の扉を開けて、玄関でギャンギャンと泣いた。
それを見た母は「はやっ!」と言って笑い、笑ったことで緊張の糸がほどけて、怒りが崩れて、仕方のない子だねえと言って、私の悪行を許した。私は引き続きギャンギャン泣いていたが、ギャンギャン泣きながらも頭のどこかは冷静で、ギャンギャン泣けば許されるだろうなとも思っていた。反省したから許されたのではなく、私は、笑わせたから許された。この時、私は、世間的にあまりよくないことを学んだ。笑わせれば、許される。笑わせるためには、猛ダッシュする必要がある。母よりも先に、玄関に行く必要がある。ギャンギャン泣きながら、全身全霊を尽くす必要がある。
ジーザスの迫害されっぷりが好きで、長崎の教会を巡る。十字架に磔にされたジーザスの姿は痛々しく、自分が路上で寒さに震えながらカップラーメンを啜っている時も「彼の苦しみに比べれば」と思うと、勝手に励まされて元気になる。家のある人を見ると「帰る家があっていいなあ」と思うが、帰る家があった頃から、自分には帰る家がないと感じていた。問題は、物理的なホームではなく、精神的なホームだった。何をしても満たされない孤独、何をしても満たされない虚無のようなものが常にあり、それに苦しめられることもあれば、それがあるから面白いんじゃないか、孤独を誤魔化したり虚無に負けるのではなく、孤独を爆発させて生きる。虚無を爆発させて生きる。虚無は何もないことだが、虚無を苦しむ実体がある。
生きる目的はないが、生きるスジのようなものはある。絶対的な自己矛盾。非合理。合理的で効率的な判断はAIに任せた。人間の魅力は矛盾にある。合理性ではなく、非合理性にある。自分の中にある対極に引き裂かれそうになりながら、対極こそが面白いのだと、統合なんかさせないでそのまま打ち出す。チャットGPTが絶対に言わないようなことを言い、チャットGPTが絶対にやらないようなことをやる。宇宙の遊び。命の祭り。目的は破壊。目的は再生。目的は祈り。目的は幻想。手段が破壊なら、目的も破壊。時の幻想を打ち砕く破壊。愛は、破綻。ぜんぶ壊していこう。
不思議な夢を見た。高校の夢だ。知り合いが一万人入る箱を借りて、大見得を切ってそこを埋めるライブをやることに決めたまではいいが、土壇場になって怖気付き、私に泣きついた。私は「俺が代わりに嫌われてやる」と言った。百万人から嫌われたら一万人くらいは石を投げに来るだろう。全員が嫌われる必要はない。俺と一緒に嫌われたい人は一緒にやろう。日本一悪評高い高校になろう。嫌われたくない人は、被害者でいればいい。私は関係ないのだと、自分と自分の高校の悪評を切り離せばいい。俺が代わりに嫌われてやる。一万人を集めるくらい、俺が代わりに嫌われてやるよ。嫌われることは愛だ。ぜんぶ壊していこう。
おおまかな予定
10月25日(金)長崎県長崎市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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