日本人とエイリアンの謎:その2

 1989年は激動の年となった。筆者に記憶にも鮮明に刻まれている。昭和天皇の崩御、大喪の礼が行われたからだ。日本中が異常な雰囲気となったのは、前年に昭和天皇が入院され、体調を崩された時からだ。TVは深夜の放送を自粛し、お笑い番組もめっきり減った。「自粛」に合わせなかったのはTV東京くらいで、他は一斉に同じ映像を垂れ流していた。日本人は皆、もうその日が近いということを分かっていたが、それを言うことも自粛した。
 
 この時ほど、日本人は天皇という存在を意識したことはなかったと思う。明治、大正の時代にはTVはなかったし、天皇陛下を見たことがある人間も少なかった。昭和天皇というのは、大戦の際に嫌な思いをした人たちにとっては憎むべき存在であったが、それ以上に神格化された存在でもあった。よって、全ての日本人が、静かに「その時」を待った。実際は、昭和天皇は昭和63年に崩御されていたが、社会の混乱を避けるために、昭和64年1月7日にその死が発表されたという噂が耐えなかった。
 
 
 1989年には、昭和を象徴するもう2人の人物も他界している。美空ひばりと手塚治虫である。歌謡界の女王と漫画界の王様である。これも非常に象徴的な出来事だったが、逆にいえば「昭和の終わりの象徴」という出来事である。日本は世界の雛形である。その雛形の象徴たる昭和天皇が崩御したという意味は大きい。平和を享受した「戦後」という時代に終わりを告げ、世界もまた激動に入ることとなった。それが中国「天安門事件」であり、「ベルリンの壁」からソ連邦の崩壊という、世界の大国が守ってきた古い枠組みが壊れていったのである。
 
 少々脱線するが、実は「ベルリンの壁」が崩壊した時、筆者の妹がベルリンに住んでいた。物凄く興奮した様子が記された手紙とともにベルリンの壁の破片が同封されていた。筆者としては、どれだけ多くの人達の血が流れた壁だったのかと考えたとき、そんな縁起でもないものを送ってくるとは⋯と思ったものだが、TVを通じて見ている者と、激動の現場にいる者の温度の違いなのだろう。
 
 
 中国は崩壊せず、そのまま共産主義体制を維持するものの、鄧小平による「改革開放」が始まることとなる。世界はこの時、民主主義が社会主義を打ち壊したのだと信じた。そして、世界は自由で平和になるのだと。しかし、現在に至る世界の激動を見渡せば、それは西側市民の幻想だったのである。
 
 だが、1989年に始まる世界激変の裏には、エイリアンの存在があったのである。1990年に東西ドイツが統一したことにも、91年にソ連が崩壊したことの裏にも、エイリアンの存在があったのだ。1989年、ヨーロッパ全土には、何度もエイリアンUFOが飛来していたのである。
 

◆ベルギーUFO事件と日本 

 

 東西冷戦の頃、世界は二分されていた。ヨーロッパでは軍事的に2つの陣営に分かれていた。ソ連を親玉に、モスクワを本部とする「ワルシャワ条約機構:WPO」と、アメリカを中心とする自由主義陣営からなる「北大西洋条約機構:NATO」で、本部はベルギーの首都ブリュッセルに置かれた。もちろん、1989年に起こった東欧革命はWPOにもNATOにとっても非常事態であった。なぜなら軍事的なパワーバランスが崩れることになれば、「第3次世界大戦」が勃発する事態に発展しかねないからだ。

 

 実際、1989年には、「3次世界大戦」が勃発する寸前の状態だった。超大国ソ連が黙って事態を見守るはずがなかったからだ。しかし、ソ連は動かなかった。いや、動くことができなかったである。なぜなら、見えない軍事介入があったからだ。UFOが出現したのである。エイリアンが自らの存在を誇示するかのように、ヨーロッパ全土にUFOが飛来したのである。ソ連は情報を隠蔽したが、自由主義国家の西側はそうはいかなかった。最初に事件が発覚したのは、ベルリンの壁が崩壊した20日後のことだった。

 

ベルギーに出現したUFO

 

 11月29日の夕方、ベルギーの古都オイペンの警察官2人が突如まぶしく光る飛行物体に遭遇。資料によると、物体の直系は30メートル。全体的に三角形、正確にはホームベースのような五角形の円盤状のフォルムで、底部には3つのライトが三角形の頂点に位置し、中心部にはそれとは別の大きなライトが光っていたという。このUFOは地元住民も多数目撃しており、報告されただけで125件以上だったが、これは序章に過ぎなかった。同様のUFOが他の都市でも目撃され、ベルギー国内だけで、1990年5月には1万人を超え、少なくとも5万人以上が目撃した計算になるという。

 

 問題はNATO本部があるブリュッセルである。ここにもUFOが現れたのである。1990年3月30日の深夜、パトロール中の警察官から謎の飛行物体3機が現れたという緊急報告を受け、ベルギー空軍がF-16を2機スクランブル発信させる。現場空域にはUFOがおり、レーダーにも機影が映っていた。安全保障上の脅威になると判断、ミサイル攻撃の態勢に入り、ターゲットをロックオンした瞬間、UFOは瞬時に3000メートルから1300メートルに急降下、そこから時速1800キロに急加速して視界から消える。が、それで終わらず、何度もUFOが出現し、戦闘機を翻弄し続けた。それはまるで、お前たちより強大な力をもった存在がいることを忘れるな、という無言のメッセージのようだった。

 

ブリュッセルのNATO本部

 

 後日、軍部は記者会見を行うも、正体は不明のまま。苦し紛れに、UFOはレーダーに移ったゴーストだと釈明。真実を知っていたのは軍部だけだったため、ベルギー軍はもちろんNATO軍も火消しに躍起になり、とりわけ神経を尖らせたのはアメリカ軍だった。「CIA」を使った情報操作を行った。が、真実は一つ。ソ連とNATOの全面戦争にならなかったのは、エイリアンの存在があったからだ。第3次世界大戦、全面核戦争を回避できたのは、圧倒的軍事力をもつエイリアンが存在したからである。しかし、シークレット・ガバメントはUFO事件を逆手にとり、WPO軍に対する最新ECMレーダー実験、地球製UFOの開発など、いつかくるUFOとの臨戦態勢を整えて行ったのである。

 
 この時、「CIA」が行った情報操作の裏にいたのが、今やネットを支配するアメリカの「NSA:国家安全保障局」である。NSAは通信傍受システム「エシュロン」を使い、後にドイツのメルケル首相の携帯や欧州の政府要人たちに対する盗聴がバレたが、そんなことは当たり前で、2021年6月、デンマークの公共放送「DR」はNSAの欧州の政府要人への盗聴は数年前から行われていたと報じている。もちろん、日本の政治家の携帯電話も全て盗聴され、政治家たちの下半身事情や裏金など、いつでもスキャンダルにできる情報を把握している。唯一人、小沢一郎を除いて。
 
 アメリカが最も恐れる日本の政治家は小沢一郎である。なにせ小沢は携帯電話をしない。さらに、密室での重要な会話では、筆談や「あれ」「これ」といった言葉しか発しない。だから、盗聴しても何を話しているのか分からないのである。もちろん、小沢一郎は自分が盗聴されていることを理解している。だからこそ、アメリカの裏をかくのである。ここら辺が脇の甘い普通の政治家とは異なる点で、いくら検察を使って小沢一郎を貶めようとしても、結局は証拠を掴めなかった。もちろん、「小沢一郎=黒い政治家」というイメージを日本中に与えたことで、アメリカの目的は達成されたのだが。
 
 
 アメリカが小沢一郎を恐れた理由には、小沢の剛腕がある。1990年、アメリカは「湾岸戦争」を起こす。1990年8月2日にイラクが隣国クウェートに侵攻した事件を発端とし、侵攻後もクウェートから撤退しないイラクに対する強制措置としてアメリカ主導の多国籍軍が結成され、その多国籍軍とイラクの間で勃発した戦争である。この時、アメリカは日本に対して「Show the flag」と注文をつける。要はアメリカに付くなら「自衛隊を出せ」ということだが、そんなことは国民感情が許さない。さらにバブル期に日本の企業がアメリカの象徴を次々に買収していた背景もあり、こうした中で湾岸危機に対応を求められたことは日本を追い詰めることになった。

 当時の日本が軍事的に貢献できる余地は少ないことは明らかだった。自衛隊は発足以来一度も部隊として国外に出たことはなく、そのための法制も訓練も不足していた。日本が最も大きな貢献をできるのは、資金、物資の面であることは明らかだったが、経済力による貢献は、部隊を派遣している諸国、とりわけアメリカからは強く批判される運命だった。人的貢献の不在は、日本がいかにも自国中心の重商主義国家であるとの印象を強めるものだからである。それはアメリカ国内での対日批判だけでなく、米国内に存在した米軍による武力行使反対論を強める要因になり得ただけに、米政府は日本の非金銭的貢献に神経を使った。
 
”ミスター外圧”アマコスト駐日大使と竹下首相(当時)
 
 さらに、日本はイラン革命後もイランと国交を保つなど、中東についてはアメリカの政策を全面的に支持してきたわけではなく、湾岸危機に臨んでも、アメリカと距離をとってイラクに撤退を求めるべきとの議論も存在した。具体的に日本にできる方策はほとんどなかったが、日本人が欧米人とともに人質としてイラク国内に拘束されたために、多国籍軍への協力を抑制するべきとの議論は国民の感情に訴えるものがあった。が、1990年8月29日、日本は資金提供を公表。その際には1,000万ドルという数字しか公表されず、アメリカの強い不快感が伝えられた翌日、大蔵省は10億ドルという数字を公表した。
 
 政府内では10億ドルで検討が進んでいたが、発表のやり方の稚拙さによって、日本はいかにも自己中心的で、「外圧によってしか国際貢献をしない国」という印象を与えてしまった。もちろん、その印章を作り出したのはCIAである。その後も日本政府はアメリカの意向を気にしつつ、資金提供を追加、結果的に130億ドルを拠出したが、この資金拠出で剛腕を振るったのが小沢一郎だったのである。この時、アメリカは日本の一番強力な政治家は小沢だと認識したのである。だが、小沢はアメリカに逆らった田中角栄の子分である。よって、アメリカに逆らったら叩き潰すことを決めていたのである。
 
 
 湾岸戦争の際、アメリカは最新兵器の実験をイラク軍に対して行っている。その1つが強力な電磁波を送る兵器である。その電磁波には人間の脳内に影響を与え、戦意を喪失させる信号が組み込まれていたため、大量のイラク兵が戦わずして投降することになる。さらにアメリカ軍はこの時、対エイリアン用に開発した小型のプラズマ兵器「プラズナー」の実験を行っている。携帯型のこの兵器から発せられるプラズマを照射されると、なんと人体が内部から発火。死体が粉となってしまう強烈なものであった。湾岸戦争が終了した歳、大量のイラク軍戦車だけがのこり「戦車の墓場」というものが各地に残ったのはそのためである。
 
 アメリカ軍は、ベルギーのUFO事件に強烈な危機感を覚えたのである。ヨーロッパに正々堂々と姿を表したエイリアンUFOに、全くNATO軍は歯が立たなかったからである。よって、アメリカ軍はプラズマ兵器体系の完成を急いだのである。それも、日本の金を使ってである。いずれ、この兵器は日本に向けられるとも知らず、日本は湾岸危機への貢献という名目で、自らの敵に手を貸したのである。さらにアメリカ軍は、第3次世界大戦が勃発した際、この兵器体系を使って、戦争を終結させることを考えている。もちろん、この兵器群を最終的に使用する相手はエイリアンだが、その前に世界の覇権を握るため、この兵器の威力をロシアと中国に見せつけるのである。
 
 
 1980年代後半、ソ連および東欧圏の社会主義圏が大きく動揺、1989年にブッシュ=ゴルバチョフによる「マルタ会談」で冷戦終結が宣言された。1960年代に始まった冷戦を終わらせるうえで大きな役割を担ったのはソ連のゴルバチョフであった。彼が54歳という異例の若さでソ連共産党の書記長となり、ペレストロイカとグラスノスチを柱としたソ連社会主義体制の自由化に乗り出したことが最大の変化要因であった。
 
 このソ連の変化が東欧諸国の体制変革をもたらし、1989年の東欧革命が一気に東西冷戦の象徴であった1989年11月9日のベルリンの壁の開放へと進み、東西ドイツの分断が終わりを告げ、翌1990年10月3日の「ドイツ統一」という象徴的な出来事によって冷戦時代は終わった。本来ならば、ソ連はそれを許さなかったはずだが、国内も連邦内も大混乱。さらに、エイリアンUFOの出現があったことで、ソ連は手出しが出来なかったのである。だが、これには伏線があったのである。それは、まだソ連の書記長がスターリンだった時代に遡ることとなる。
 

<つづく>

 

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