笙野頼子、書き下ろし小説『だいにっほん選挙及び、今年のブランド新作秋物バッグについて』期間限定公開(2024年11月6日終了予定)
ここはだいにっほん、その記憶の中の季節は秋、2024年10月終わりの事。
この国ではこの頃から新作のブランド秋物バッグが一斉に売り出される。金持ちで教養のある、SNSをよくする女たちはなんとしてもそれを買わずにはいられなかった。だって、買わなければご近所に恥ずかしいのですもの。それにお茶会やデモや学会発表に下げていかなければ、さらには、さらには買った時の写真も携帯でとって、インスタやフェイスブックにあげなければいけないわ。なんたってバッグは一流でなくては。そう、究極の理想として……。
こういう女性たちはすべてが一流だ。「人と同じもの」なんか持ってはいられない。さらにはセックスも人と違わなくてはならないので変態上等。子供も変わっていないと嫌なので普通に生まれたお子に魔法の薬をかけて、骨から性器まで、がんがん変形させる。
そう、夫婦は壊すもの幼女は犯すもの、ドラッグは人前で嗜むもの、つまりはそれらこそが最先端であって、民主主義でもある。またそこに介在する家具、衣装、食物、ほぼ全てヨーロッパ製でなければならない。或いはせめては、米国製でなければならない。しかしその米国製はけしてスーパーで売っていてはならない。まあ高級品だよね、そもそも、……。
本人たち自身がまるで、歩くブランド品だ。——生まれは東京、友達は有名小学校から、遅くとも有名高校の同窓生からの一生使い回せる有効人脈だ。そして本人たちも「人とは違う」大学に行かねばならないから、受験勉強も塾も習い事も超一流。とはいえ、……。学部はどこに入る、いえ、何になるかよりもまず、どのブランド大学に?
さて、……数学は退屈だし医学部は難しい(または金が掛かる)。工学部は実験が忙しいし、……、それでは文系に行きましょうか?とはいえ、……。
法学は条文を覚えるのが大変だし、文学は修辞を連ねるのが面倒だし、大体、日本語の小説なんぞは軽蔑して読みもしないし、なので文系でも別の学部に行く。
それは学者になるしかないような特別な優秀な学部である。そこで就職があってもなくても大学院に進む。超一流の彼女らは男の教授にだって覚えがめでたい。なんならそういうエリートとケッコンしてしまう。で、仕事をしていても一流の仕事。自分の国や自分の肉体や、自分の使っている言語をけなす、または無視する仕事。
もともと金持ちの父親が貰った綺麗で小さい嫁の体から生まれて出て、本人たちもとても知的で美しくて華奢で、手紙ひとつ書いても便箋は良い香り、その上全身からロキシ〇ンやらロクシンガン、なんならアンポンタンとやらの高貴な、匂いがしている。
なにもかも恵まれた上層な彼女たち、しかし、……。
今年の女達は貧困な女たちとまったく同じ台詞を言うようになっていた。
……、「貧困だわ、そう、私達は貧困よ」、「だってバッグがない、今年の新作のバッグが買えない」、「買えない、バッグ、持っていない、買えないっ」。「この貧困を訴えるデモに行きましょう」しかしいくらなんでも、……。
院卒の一流のハイスペック夫持ちで、ロクシ〇ンとロクシンガンとアンポンタンを塗った皮膚で、そんな卑屈な、しかもざーとらーな言葉を言い続けるのはちょっと気が差してくる。それでとうとう、本当の事を言いはじめる。実態に近い事を告白してくるのだ。
「ああ、実はね、あたしたち、お金はあるの、でも買うバッグが、ひとつも、ないというだけだわ」、「なんなら新作はまったく、どこも選べないの」、といいつつも……。
やれやれなんという心の狭い話だろう。実はこの女性達、絶対に決まったハイブランドのバッグしか持たないのだ。それこそグッ○、シャ○ル、ルイ・○ィトン、エ○メス、いわばそんな感じのいくつかのロゴが入っていないと「他のもの持つなら死ぬしかない」と思っているていうか、すりこみが入っている。でも、だったら一体どんな理由でそのように買えなくなってしまったのか、例えば?
それらのバッグには何か良くない、例えば嗅ぐだけで死ぬ化学物質とか、或いは未だワクチンのないウィルスでも付いているのだろうか。いや、まあ要するに。昨今の流行で。
ああ、なんという事だろう・そのバッグは、人間の、皮で出来ている!!!!!
うわーっ!
最近のハイブランド、それも殊に主要四ブランドの拵えるバッグときたら、ことごとく人間の皮を使っている状況になっている。うわーっ、うわーっ、うわーっ、……。
ひーっ、も、没義道ですなー。しっかし、……。
その最悪な行為は地球環境にやさしくて世界平和をささえ、先住民族の福祉を手助けし、その上に女性の地位向上と自立を促進するそうだよ。で、ところで、さてそれはどんな人間の皮か?
決まっているだろう、それは言うまでもなく女の皮なんだよ。だからこそ女性の地位向上に役立つのだそうだ。だって、男がそう言っているからね、しかもその他には「自分が女だ」と主張している男だけではなく、マジの女までが嬉々として賛同して言っているからね、ああ、世界中でね。なので、……。
さてそれでは、この内実を今から、彼女らが軽蔑している、或いは植民地化して収奪している日本語でちょっと、ひとことで、言ってやろうかなー、はい、……。
「女さえー、我慢すればー、すべてー、丸くー、おさまるー」。つまりはー全てのため=女のため。うわーっ、……。
こりゃまたなんという異様な醜い、悲劇的設定か、でもその割には一流女性たちの焦り方はなんか変だねえ、そもそも彼女らは教養があるものだからヒステリーを起こさない。
そして私のような白髪までも黄色くなった、灰色の皮膚をした、顔中に茶色のぼつぼつが散っているでぶのおばちゃんなら「人の皮怖いようっ」って叫んで、暴れまわって、物を壊しながらわんわん泣くだろうに。それがこの人達ったら。
何か卑屈なような、悩ましいような顔をするだけで「ああ、バッグが、新作が」って。だって変だろう・人として? そんな、もしも人の皮で作ったバッグが売られていたとしたら、一番悩むのはその人の皮についてだよ、つまり人の皮をバッグにするとはなんたることだと思って、そして、怖いから泣きわめく、ところが、……。
彼女らのメイン悩みはそう、自分達についてだけ、自分たちの買うバッグがないという事だけ=目の前でバッグになっている人間の皮の事は気にしていない。で、私は呆れて、……。
「買わなきゃいいじゃんそんなの」ほら、正解一択だ。すると、えーっ?
ななななんという事だ!この美しく教養が有る上に、どこかへなへなして、その上ちょっとつつくと噛みついてくるカンの強い上級女達は、私がそういった途端、一斉にしらーっとして、私に向かい軽蔑のマナコを、突き刺して来る。「ええーっ???」
なんでだよ、だってアドバイスを求めたのは君たちでしょう、しかも無償でねえ、それでおいおい、……。
よくもこんなに他人を軽蔑出来るものだなあ、白目半眼ふーっと溜め息、それ半魚人の顔だろう? ああそうそう、私ったら……。
今どこにいるのか言うのを忘れていた。本日は弁護士事務所に行くために千葉の郊外から上京、だいにっほん一番の繁華街である帝国銀座の中を突っ切ってすき家橋(字遣いママ、ここ異世界だからね)をわたり、コロナもまだ心配なのでマスクはしていても人の顔を避けたまま、歩いていて、そして、やれやれ、……。
読者でもないのにツイッターで私の名前だけ知っている連中に捕まってしまった。ていうか気がつくとその結果いつしか、私が怒って絡んでしまっていたというか、……。
千葉の地面と田んぼを走る電車に揺られ、やがてその車体は地面に潜る。そして家から九十分。巨大な地下鉄から難儀して地上へと上がる、と、ざらざら流れるヒト、大量の光る車、灰色の広い道、長大なガラスのビル、まったく船橋とはえらい違いだわい、目を上げても建物が並ぶだけ、千葉県と同じはずの空がなんか怖い。普段田舎にいるのでこんな上方まである、壁壁壁の高さを見ていると頭痛がしてくる。そこで目を逸らすとさらに遠くの方で巨大なエレベーターが天に登っている。
右を見ると紳士服仕立て店イギリスの国旗、左には高級なボタン専門店、その看板もビルから突き出ている。そして銀行本店かと思うとそれはただのデパート、どこから入るのか取り付くしまもない。
例えば高い高いところで日用品を売っていて、それはとても高価。でも、……、そうだね結局大半はもう田舎と同じようなチェーン店になっているね。倉庫街のように並び立つ灰色のギッシリ詰まったコンクリートの壁から、食堂の印らしいイタリア国旗が出て、しかし日本料理店は日本の国旗を出したりはしないね。
私の行く事務所は高級焼き肉ビルの二十階にあるんだけど和牛だから旗なし、エレベーターの前で待っていると、高級ランチを食べてきた女性たちが降りてくる。そして名前を呼ぶ「ああ、フェミニストの」と私の名をちゃんと読めて呼んでくる。ともかく、「違います私はアンチフェミです」、と急いでいうと相手はいらっとしたか「はは、は」と笑ってきてもう取り囲まれていた。しかしいらっとしていてもこの人達は愛想はいいんだね。でも、……さて、そこで驚いた、焼き肉食ってきても、この人らからはロクシ〇ン等の香りしかしない、とはいえ、肉を焼く匂いはビルの上から入り口まで降りてきていて、その気流を結局私は嗅いでいる。でも私って思えば、ここでは食べないな、ここまで来てせいぜい、てんやの二番目に安いのを食べる事はあるが、でも今はそんなのさえ勿体ないから。電車賃だって気になる生活だ。ていうか千葉は肉も安いからなんでも家で食べるようになってしまった。おお、ふとビルの外を見ると、……。
向かいは居酒屋でそれも灰色のビルの一階、道がまっくろで水が流れている(汚いね)。
その日出くわしたのは五人、文壇パーティに紛れ込んでくる若い女性とか大学院でもすごくよく出会うタイプ、その上にこれは知っているアカウントかなー、……。
で、「今日はバッグを見に来たのだけれど買えない」という話。うんそもそも「今日はどうしたの」なんて私がつい愛想で聞いてしまったせい。そして「バッグが買えない苦しみ」についてこっちをちらちら見ながら訴えてくるけどよく判らない。
ああ、うん、例の、例のバッグね、それは知っているよ、マスコミは隠すよね、そう言えば誰かが怒っていた。「人の皮なんてデマだ」とテレビの記者会見して、マスコミも打ち消しに必死になっていた。じゃあまあこいつら知っているだけましなんだろうか。てことでまず私はこう言ったわけ。
バッグが持てないか、人の皮を提げて歩くか、もし二択というなら。
「そんなの前の年のやつを提げおけば良いよ、つまりいくら新作が政治的に正しいからって、何も同じ人間のしかも同じ、女の皮を買いに行くだなんて」、すると?
「だってシーズン毎にブティックに行かなければ笑われるわ、新作でないと」。
「だったらノーブランドの平凡なバッグを買えばいいよ、君たちはお金はあるのだから」、とつまり彼女らの心境の判っていない私は、たまたまその時に提げていた自分のバッグをさして、言ってみたのだった。書類以外は何も入らない軽いキルティングの。
「ほら、これ、実はイナカマーチ・バレンチノのアマゾン半額のやつ、軽くて丈夫だし縫製もすごい良い、拭けば一発できれいになる」すると?
「違うわ、それは犬のウンコをしまう用のバッグでしょう」、って失礼な、私の訴訟用バッグにそう決めつけてくる。これでもポケットからなんから全部便利なのに。当然言い返す。
「違うよ、わたしは犬のうんこなんか入れていないよ」、すると「だから何? そんなの、入っているのも同然よ、ご近所の同窓生が犬のうんこ入れに使っているの見たわ」、ってそのバッグとこのバッグは別個の独立した存在だろう? それに犬はうんこするよ生き物なんだからね。
「でもなんでそんなもの買うの? 例えば今年だけ別のにして来年は様子見ておいて、それでもし元の仕様のバッグに戻るのなら、また買えばいいよそもそも人の皮のバッグなんて」。
「あの、だから、一回だけとしてもそんなまさか、犬のーなんて」と絶対に人の話なんか聞いていない。ふっと横向いたり、それから急に「センセ、もしフェミニストでないとしてもリベラルでしょ」って私に向かって、何かねだっている気配、すがる、モード。
「確かに人の皮かもしれないけど、でも世界平和とー、世界環境とー、先住民支援とー」。ははあ、そうか、つまり、そういう事なんだー。
別の回答が欲しいっていう事ね、しかし、ねぇよ・そんなもん。しかも先住民だなんて、「あんた知ってるんか? うちら既にむしろ、世界最新で最大の先住民なんだで」って言いかけて止める。ともかく、……。
私に「そんなバッグ買うな」と言われたくないわけだ。「だってセンセ、リベラルでしょ、何か良い方法、ありませんか?」。え、リベラル? 何それ、昔はエッチなショーの事をリベラルと言ったんだ。女を売り買いするのはいつの時代でも「自由」だったからね。私はリベラルか? ていうか「だから一択です、買わない、だけでしょう」、ちっという舌打ち、結論、なんなら「買っていい」と言って欲しいわけだ。言い訳が欲しいんだ。
「あのね、私は昔からリベラルとは違うよ、その上今はもう完全なエセ保守だよ、元から身体性の強い、田舎の人なんだ、消費税だって大嫌いだからね、あれは一律の差別無き税だから」とも言ってみたんだけど。そして繰り返し、「ね、そのバッグをせめて、今年は買うの止めてね」と、言っているうちに向こうは顔面蒼白、または舌打ちの連打。つつーっと距離を取ったり、なんかもう言っても言っても、きかない。
バッグがないなら外に出なけりゃいいよとまで言ってやったけど、むしろバッグを求めてここまで出て来たんだよねこの子達は。
まあ「子」って言っても二十代後半から四十位までかな。身頃がアシンメトリーで袖口が異様に広い、真っ白のカーデガンとか着ている子はぱきぱきしゃべっていて、コートがバー〇リで髪はちゃんとまとめて一・五カラットのダイヤのペンダントしている子はとろとろ喋っているし、全員が良い匂い。黒ズボンで刈り上げをしていても、ピアスは大粒の真珠だったり。まあ別に誰が誰か判らんけど、要は悩みは一緒、目的はひとつ。
ひどいことに私、来た時点、事務所で待ち合わせの時間までまだ三十分あった。なので話してしまった。「それで、どうしてんの?」すると、……。
要するに今ではそういうアンポンタンたちはどんなに二十三区の一軒家に住んでいても貧乏人と変わらない、すっごく心が貧しいから貧乏も同然なんだそうで、バッグを買えない心の貧乏人だとこれは被差別者も同然だそうだ。心の貧困、魂のヒン・コーン。
そんな知的ハイブランド貧困憑き彼女、彼女らは今年、心が貧乏なので寒い日になると、ついつい焚き出しに並びそうになる。それは都心でも殊に人心の荒れた場所の、お寺の境内でやっているので、彼女たちはなんとなくその門を潜ってしまうそうだ。そして「心だけの貧乏なら食べた気分になってお帰りください」と言われてしまう。「あ、湯気だけはどうぞご自由に」と言われてまあ空手で帰るんだね、歩いていて、ほら気が付く「私達が新作を持てないこの不幸を、新世紀の知識人女性として、この欠落を一体どのように補充すべきでしょうか」って。
そうなるともう口々に、ていうかSNSに現れて騒ぐだけではもう飽き足らないので。
コロナもまだあるのに巷に出て、この人達はお仲間がいないと、生きていけない人々、大通りで群れている。これはデモなのかいや、ただの騒乱でしょう品のいい騒乱。通りすぎていくときにまたしてもロクシ〇ン(ry)、……。
「女がブランドバッグを買わないのは一番恥ずかしいことです」。
「毎年新作のバッグを買わないのはバカ女です」。
すると繁華街の人込みのどさくさに紛れて
「バッグを買うようにして女を買う、女を買わない、男などいません!」とふいにどこからか女の恰好をした肥満体が来て、さも新学説のように言い捨てて走り去って行く。「ほら、あいつ遊廓から自分の行灯油のお金まで貰っているんだよ」ってまた誰かが言って消える。そうかあいつら誰か言い訳考えてくれる「女の味方」を探しているわけだ。
要するにこの人らなんか、「バッグ買いたいけど店に入れない、買わない、迷う」から店の近くについ行ってしまい、その結果近くでランチしたりしてみて、周辺で騒ぐんだ。そしてこの帝国銀座近辺なら一流ホテルだの一流デパートだのあるから、そこにハイブランド直営店があるという事だね。時間つぶすとこは一杯あるからね。私は呆れ果て、時間も尽きたので……。
「じゃ、約束あるから」、とエレベーターに、そこでもう別れたつもりでいた。
それで弁護士さんとの用は予定通りきちんと済んで次の約束もして、ビルを出ると日暮れ。地下鉄に向かって歩いていくだけなのだが何回来たところで道に迷う私、ふと見ると、……。
そんなに歩いてはいないけれどいつしか帰りのルートにはない大通りにいた。既に電飾発光してガラス扉に横文字、「お、なんかもう目の前に店あるじゃん、この一画もしや全部そうかなー」。いくつものハイブランド店が固まってあるっていう事なんだね。じゃあそのひとつに入ろうかどれにしようかな?
商品デザインは露骨に違うけれど店の印象や仕様は、みんな似ているね? つまりハイブランドあるある、例えばそこの商品はすべて芸術、なのでショーウィンドウにも芸術的なポスターが窓いっぱいを占めて、飾ってある。とどめそれは政治的に正しいという認証の判子まで押してあって、ポスターにはお約束、コピーが書いてある。まあ言い訳である。罪悪感なきように、丸めた言葉だね。さらにお約束として、高級なところであればある程、登場するモデルの女性たちは……。
本当は美人で男に好かれている癖にわざと男の嗜好に背いているというポーズやふりをしている。つまり「個性的な多様性の」女性たちが、出来るだけ男に嫌われたいような怖い顔やいかついポーズをしてみせている。無論その上で脚は高々と組んでいて唇はうーんと突き出していて、スカートは前衛的なので上まで割れていたり、透けたり、破れたり、わざと、ペンキが塗ってある。でも眉はしかめていてるしハイヒールには鋲が打ってある。けど、足首は細いね、ふくらはぎだってぱつんぱつんだし、存在自体が言い訳。
じゃ、入って見よっかなー、しかし本当に人の皮のバッグとは(まさか)デマではないのだろうか、とここまで来ると今まで確信持っていた判断がふっと揺らいでくる。
……その店の中は豪華というより、応接間みたいで変に静か、踏んでいいのかな、と戸惑うふかふかの絨毯、触ったら指紋が残る小物用のマホガニー製引き出し。いやー、気がさすね、でもこういうのってバブル末期の頃にはなんか平気だった。たまたま潤ってただけの私でさえ時に買ってたし、似たような店も怖くなくて、まあでも当時だって私はそこそこのブランドのセールだけだったな、イタリアとかスペインだ、フランスは皆無だよ、それも引っ越したらたちまち千葉のアウトレットになって、そこから程なく、住宅ローン繰り上げ返済のために禁止にしてしまったんだ。
昔は東京に住んでいたんだよね、四半世紀程前の話だけれども。でも今は来たらびびるだけだ。さて、……そこの店員は黒い服を来てハンガーの並びを直したりしながら、常連のお客を、ただ待っている。芸能人の親戚にしか見えないような、テレビに映っても痩せてみえるであろう体型、お葬式ではないのに黒のストッキング。年は、六十位、美貌で鼻が高い、色の白い、眉毛の完璧な、目の険しい干し柿。で、なんか私がいると認識はしたらしいが急にそこで後ろをむいて何か目薬や小さいケースを取り出したりしてこっちの事は無視、一方、……。
私は彼女から知らんぷりされたのを良いことに頭を低くして十分遜りながら店内をうまいこと一周する。すると? やっぱり店内にもポスターがあって、まあそれを見る事が当面の勉強さ、ていうか、あああああ、だって商品は怖くて見られないもの。そして「わきまえない女たち」の「媚びない」ポーズとともに、キャッチコピーがたちまち呼びかけてくる。
魂が人間ではないんだよこの革は、人間ではない素材、 TERF、魂が人でない。何にでも使える、子宮畜にも、殺人ビデオにも、TERF、TERF、女から生まれて人の言葉を話し心が通じ合う、人間ではない、ペットでもない、父は人間、母も人間、私は差別者です、身体は資材。
そんなコピーに合わせてそれぞれのポスターのモデルがこっちを睨んで来る。
TERFという種類これは大丈夫、どんな目に遭わせても、資材上等ぶつぶつと小さい字で書いてあるポスターもある。私は読んでいく。
これは元は女に属していた存在。TERFと判ったのでバッグにしてみました。
いや、だから、……。
なんか寒けがしてきた。だって元々一切、買う気がないんだもの、ていうか出来るだけすまなそうにこそこそとしながら出口に向かって、逃げようとした。するといきなり後ろから巻き尺を持った両手が延び、「つーかまーえたー」、をして来たのだった。さらには馴れ馴れしい声で変に呼びかけて来た。え、しかしこれハイブランドの接客じゃないよ?
お、わけわかんないぞ、こいつ、あっ、いきなり、トークをやって来た。え? BGMかけてきた、すげうるさいノイズ、しかしここはハイブランドだろう? そんなんして、いけていたら、あかんのだろー?
ズズズズズズ、ぎぎぎぎぎぎぎぎ、ぱーぱーぱーぱー、ずー、ぺー、って、で?
「あー、いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、そこのご主人さまー、お産上がりですかぁ、あら失礼もといー、あなたは閉経した素敵なおじさまでしたねー、はっはっはっはっは、これはまた一体、放置プレイ失礼、さー今から」、とガンギマリの甘い声、ふっと目を見たら七色のコンタクト。おっ、さっきおとなしかったのは接客用コンタクトを嵌めている最中だったからか。そしてまあスイッチ入ったわけだな、そこからは一層言語不可解となる。だって巻き尺をまた、緊縛用みたいにさーっと寄せてくるから逃げたら。
「ああいえいえ採寸は致しません」。っていうけど実際はもう至近距離で肩とか計ってきていて、当然身構えたら、「いえいえ、お体ではございません」とまた飛びのいては離れる、もう意味フの花園。
「ともかく初めてのご注文には魂のサイズとパターンが必要ですのでねっ」。とかぺらぺら言ってくる。
こっちは耳が遠いから高い声で早口にされると何も聞こえない。ああ、そう言えばさっきの女の子たちは態度はぶりぶりでも声が野太かったから聞こえたんだ。低い声はセクシー、それは欧米クオリティ。しかし、……。
なんだこの店員、様子ぶっているわけではなくただの恥ずかしがり屋さんなの? 後ろからだったら抱きつけるの? 或いはコンタクト嵌めたら途端にアタックロボットになった? でもずーっと、けわしい顔つきのままでマシンガントーク。そうか結局キモいのだ、距離オカ。接客のプロというよりはお友達商法。コロナ以後の銀座は人間も変わってしまったのだろうか?
と困っているうちに、相手はコマ落としのように動き回り気がつくと私は皮のソファに座らされている。耳元でふと「何歳ですかー」と声が聞こえ、あたかも先程まで誰かいたかのように、そのソファは生温い。そして店員は、一部金色のやすっぺーボールペンにバインダーを持ってきて、アンケートを始めてる。例えば私めがどんな服を着るべきか女用のバッグを持つべきかとか政治的に正しい人かどうか調べるという事で、ほーら来た。
「あなたは青が好きですかピンクが好きですか」、は?「あなたは政治が好きですか掃除が好きですか」、え?「掃除が好きな方が女なんですよ」、へ?「あなたは」、うむ心が肉体を越えてしまったと信じたとき、人は他人を家畜化する。違う肉体を持った人間を人間と看做さなくなるという唐突な考えが浮かび、それで私の恐怖は一瞬だけ止まる。
しかしここの更衣室はなんとなく怖いなあと思いながら戸惑っていると相手は察していて、「いえいえ」という。つまりは説明の追加、「なんかさっきからずーっと面倒そうって思っておられますね、でも大丈夫、最近ではサイズを測るのに、脱衣なんかしなくてもいいんですよ。今は性器の診察でさえもZoomで可能なので」。「そもそも、一年ホルモンかけたら女も男になれる時代なんですよ」、ましてやファッションに関してなど、と言うとやおら、……。
魂の鑑定機だという何かぴーぽーぴーぽ言う四分割になっている華麗なオブジェを取り出してきて、ソファ前の小さいガラステーブルの上に設置してくる。その上でこの機械は私のファッションアドバイスもやってくれると主張。これは科学技術庁の公認機器だそうで、しかも男女参画予算から買い上げて銀座の各店舗に貸与してくれるのだと。で?
その使い方は、店員が私の指をすっと握って引っ張り、四分割の円盤の上に人指し指の先を次々と当てていく。すると正解の上に来たときにその人の心に電流が走るとやら。
「いや、何も感じませんが」、「おや、あれ、するとはずれですね」、と相手は言うやいなや苦悶の顔。え、だってその次のも何も感じんよ? そもそもこれ、1960年代のマンガやアメリカSFの心読む機械だな? 色ランプ一杯で、ドクタースミスが欲かいて騙されてる時に出てくるやつ。
で? 私、拒絶一択、だってそんなもんで判る心の性別とか別に間に合ってますし、ともう席を立とうとして、そうだ、……。
まずここからは買う気もないのに店に入っていった言い訳をするしかないとふいにそう思い込んでしまったでもなんたる異常心理、既に泣きそうだ。ああああ、……。
すいませんよう、怖いもの見たさで入ってきたんですよう、買う気ないんですよう、カード持ってるけど一杯一杯ですしー、こんなとこのバッグも服も靴も要らないんですわ、絶対、とついつい涙ぐむ。と、相手はなんか急に人好しな態度になり、……。
「いえいえ実はこの機械使っておかないと政府がうるさいんです、これ置いてから店に人がこなくなっちゃって、だから買わなくてもいいんですアンケートと判定にご協力を」って言うからそこで安心してソファの上で脚をだーっと延ばし始めたらやおら、「ほら、たった靴一足のお値段ですよ、このポシェットが、たった十九万、カード? いえいえ、ここのお代金はお孫さんのペニスか乳首で頂けると半額なんですから」って言っている。
うわーっ。
そしてまたしても店員は私の指を握り、宇宙家族ロビンソンな機械にぎゅうぎゅう押しつけてくる、これ、骨が折れそうだ。その上でさらに迫ってくる。「ほーら、こうしていると、何か、びびっと来たでしょう、泣けてきませんか? それが本当のあなたの真実のアイデンティティ」、うっわーっ。
と叫んで手を払いのけ、腰抜けなりに立って逃げ出そうとすると向こうは腰を屈めて急に両手握手、そのままくどくどとまた言い訳、それもまたぞんざいで。
「あははははー、大丈夫、大丈夫、だからですねー、儲かっている大企業ほど税金は払いたくないもんでござましてねー、それでなんとかして、意義ある福祉的な何かを追求いたしまして、それを経費で落とすとともに政府からの支援もいただけるというこの一挙両得をですねー、つまりはなんとかして、企業も得をしながらですねー、正義の実現に貢献したいていうかー、もちろんそれでも弱いのや貧乏が得をしないように注意しながら工夫するんですねー、だって、……、あいつら少しでも元気にさせてしまったら逆らってくるだろうし、特にほら人間の半分を占めるあの寄生虫でお荷物のマジョリティどもは、女どもは」とここで説得出来たつもりで話止めて油断、得意になって、おかしな目配せまで。 はあ、「女ども」だって?
つまりは女の悪口って永遠の流行だし、誰とだって女の悪口さえいえば連帯出来るだろって思ってるわけだ。でもまあそうなると、……。
なんか私の場合は勝手に口が耳まで裂けてしまうし、まあ相手は当然びびってまた言い訳の言い訳。
「だってあいつらは差別をしたんですよ、マジョリティは数が多いからその存在自体が差別なんですから」。だの、「いいんですよ、ほら存在とは魂です、差別なんかしているものはもう、魂が人間じゃないんですから、肉体にも当然、人権はなくなります、TERF、TERF、TERF、なんてあなた」、そう行ってから今度は一層親密そうに勝手に私の肩に手を掛けさらに巻き尺で背中とか首回りを計ってきた。
「てことでですねえ、あのう、お客様、やはりTERFの数をもっと増やさないと材料はただで経済的な上にソーシャルジャスティスばかりかよく売れますしねえ」。
と言われているうちに、……失禁してしまった。だけど私は歳なので実は万が一の時のために失禁用のパンツをちゃんと穿いているのである(嘘嘘、膀胱炎はあるけどね)。そこでむしろ、しめた、と思い。「おおおおお、帰り、ます」と尻を持ち上げて衣服をわざと気にして見せながら言うと、店員はなんか、気がついてやば、と思ったらしく、ふいに冷静に戻り、どうぞと言ってから、すごく嫌そうに「大丈夫ですか(この場合日本語文化圏ではではとっとと帰れと訳する)」。と無問題に言ってきた。で、無論そこで私は問題なく出口に向かい、当然ガラスのウィンドーの方に出ていこうとすると、えええええっ?
顔が、……その店のガラス窓にはまるで潰れたまんじゅうのように頬肉や鼻をガラス窓に押し付けた五つの顔が、発生していたのだった。なんかさっきから多分、ここに粘着していたのだ。え、あの子たちなの、事務所出た時はいなかったはずだ。でも結局あれから家なんか帰らないでふらふらしていたのだな。ただあの時の彼女たちは「店の中には入らない買えないからつらい」って。ところが、……。
私が入店している姿を通りすがりに見てしまい、その結果彼女らは病的に刺激され、挙げ句にこのポーズ、この貼りつきっぷり、……。
五人が五人ともすっごくうらやま的に両手もショーウィンドーの壁に貼り付けて、こいつらこんな「臆面もない」態度、生まれて初めてだろなーって様子で、なんか幻を見ている時のマッチ売りの少女みたいになって、そのままめり込みそう。て思ってるとふいに、……。
集団で「わーっ」て叫びながら店に乱入してきた。それから狂ったようにバッグを買いはじめた。何個も何個も、無論、中にはまだ理性が残っているのもいて、例えば、……。
ひとつひとつを「あーこれだめ」、「あーこれだめ」と指しながらぐるぐる店内を回った後、ポスターの洗脳を読む。あー、これはここがダメ、あー、これはこっちがダメ、とまたぐるぐるしてからふいに放心、そして「あ、あったこのバッグ」と、……。
結局最初に見たやつを抱え込んでそこから「ああ、これがいいんならこっちも大丈夫」って。あかんよ、それひとつ残らずあかんやつだから。でも、……。
「なあんだ、良かったんだ」とか言いながら全部のバッグを肩に掛けてぴょんぴょん跳ね始め(以下同工異曲)。お、ぜ、全員がご、ごーるどかーど使っている。私、これ、始めてみた。こうして、……。
入れ代わりのようにして私は脱出。なんかこんな時間まで何していたんだ暗い。都会でも裏道の足元は案外に暗いね。私はまた道を忘れるしね、ええと、……米帝ホテルに日帝ホテル、スナック売田、ブティックヒトノカワ、……。
さすが銀座だなとうとう地下鉄の入り口に辿りつくとそこで女達はぶらんどの紙袋を持って、どこかのインタビューを受けているところ。あれこんなところにスタバってあるのかな、スタバの紙コップ満足げに持って、紙のストローからゆっくりゆっくり飲んで、こいつら本当に飲み食いが少ないし遅いんだよね、育ちいいんだよね、わしなんかと違って。あ、また言い訳している。インタビュアーは男、そして偉そう。
「だってそれは人の皮ですよね」ってつんけんつんけん。もう叱責モードで、すると。
口々に、「だって買わないと夫に殴られるんです浮気もされるんです」、「お前は本当に大学院出ているのか母親が賢くないと子供の教育は出来ないから貰ってやったのに」ってPGRされるんです。インタビュアーは何か後で古臭いと悪口を言われていたけれど確かにまたしても偉そうな口調で、「それでいいんですか弁護士を探して青痣の写真と診断書を取って離婚すれば良いのに。」、「それ、男女同権にもとりますよ」って、するとアンポンタンは決してめげていなくて「彼、料理は私よりうまいんですよ、ただしないだけです。だから男女平等ではなくてジェンダー平等ですよ、夫ガー、好き、です、夫ガー、好きです」。
だとかまあ、……その後は三十年も前に私が書いたレストレスドリームの中のアニマとまったく同じセリフを言いはじめるこれ作者が同じだから仕方がないんよね。なのでもう省略するしかない。しかしこの取材マスコミには珍しくこの女子たちを批判してないか。珍しいな、でもこの男はただ単にハイブランド好きの女が嫌いな「買ってやれない男または貢ぎたくない男」に過ぎないのかもしれない。だっていつのまにか男はすごいおっきい声になっていて、「お前らはーっ、売春とかもしお前らの娘ガー、やっていたらー、お前はー、できるんか代理母ガー」とか地下鉄の入り口の前をふさいで怒鳴っているのだもの。
しかし一端人の皮のバッグを買ってしまうとそう、望んで人肉を食ったものと同じことで、彼女らはもう完全に地上の人間の心を捨ててしまい、それで。
「あらまあセックスワーク、別に、専門職の良い御仕事よ、だけど私だけは向いていないんです他の方はどうぞ」、「ああそうそううちの娘もちょっと、向いていないんですのよ、他の方の娘さんはどうぞどうぞ、そろそろ消費税も上がりますし」とかもう平然。
そしてさっき払ったお高いバッグの結構な消費税が余程お気に召したと見えて口々に、「リベラルが消費税を上げてゆくのは、それが政治的に正しい行為だからですわ」。「消費税の前には富者も貧者もない、それは神の前の平等です」、「消費税とは階級闘争無き世界、反差別の偏り無き世界なので」、「職業も消費税も平等が大切です、天は人の上に人を作らず、体を売るものも買うものも人類皆平等」、って……。
「私達もけっして馬鹿にしたりなんかしていませんから」、言いおえると気が済んだのかていうか買うもの買ったからか。
デモデモダッテ、デモニユコウ、デモデモダッテ、デモニユケ、デモ、……。
帰ったら丁度テレビではなくて、パソコンのニュースでそれをやっていた。テレビの中でもまだなんか夫を庇っていた。「いいえいいえ、暴力、浮気、あんなの本気じゃないです。私がいないと何も出来ないくせに」。けらっ、と笑っていた。なんでここまで卑屈そうにこんなに嬉しそうに笑えるのだ? アイシテイルからか? 夫ガー、好き、デスー。
さて、その後、その次の年、仕方のない事だが私の訴訟はまだ続いていた。あれから何度も弁護士さんのところへ行ったけれど、私はまだ道を覚えきってなかった。そもそも自分の自宅さえも帰る時に迷うのだ。ということである時、また変なところ入り込んでしまい、その結果、去年の店の前を通り掛かった。だけれども無論、何の用もなかった。怖かった事だけを覚えていた。なので開いている店のドアの前も走り抜けようとした、ところが、……。
ごく微かな淡い、香りが鼻をうって来た。これは、……あの時のトラウマについつい引き寄せられ、私は店の、「その後」を覗き込んでみた。そこには今年も、……。
コンセプトの変わらない例の新作商品が並んでいた。が、店員は既に身長二メートル、マサイ人風の男性に変わっていた。私は外出用の杖でやり投げの恰好をしながら店に入り込んだ。そして、……ああ、これはきっと何かの呪いだろうと、一切迷わず、ほんの二秒で、飾り棚の上の小さいショルダーバッグの皮をつーっと擦った。それで?
全てが判った。もう気絶もしなかった。無意識に小走りになり、杖を抱え込んでつつつっと店を出た、十秒程ならばそうやって素早く動けるのだ(しかしかそれ以上やると転ぶ)。その後ははあはあ言いながらカンカンと杖の音を立てて早足で駅に。だって、……。
そのバッグは女の体温の温度になっていた。触れると指の先から小さい弱い風が流れて来て、そこから、……。
先程鼻を撃った、ロクシ〇ンとロクシンガンと、なんならアンポンタンの香りがより一層強く、して来たからだ。で?
バッグの留め金のあたりからも「ないわ、だって、ないわ、だって」という不満たらしい声さえ聞こえてきたからだ、「世界平和とー、世界環境とー、世界、……」
終
選挙、あくまで私個人の問題です。自分の選挙区の自民候補に私個人が投票できなくなってしまったので、ともかく一番保守なところを探している最中です。
比例区は結局自民党にします。最初の予想よりも減りそうなので。
しかし何よりもどうか今回も今後もこの方たちをお忘れなく。私の選挙区にはいない人ばかりですので(泣)。
他、今回は最高裁裁判官の国民審査があるので、張り切って、今崎幸彦長官に×を付けてきます。それでは。
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