151.婚約者は立ち上がる。
カーテンを閉め切った馬車に揺られながら、すれ違いざまに微かに聞こえる民の声に耳を澄ませる。
日常のたわいも無い会話や笑い声、時折僕の身を案じる言葉も聞こえた。
馬車に揺られている間に、プライドが何故僕がこの欲求をここまで忌み嫌っていたのかを尋ねてきた。
弟の…エルヴィンからの言葉だと、彼女に答えれば何やらぐったりとして突然頭を抱え出した。
ステイル第一王子と、アーサー騎士とカラム騎士が心配そうに彼女へと声を掛ける。彼女が呆れるのも当然だろう。…もう、僕だってわかっている。きっとあれも、全て僕を惑わす為の言葉だったのだろう。意思無き人形のように、ひたすら教えられた知識を信じ、周囲の望み通りに生きようとした僕のこの在り方を利用して。
「折角…機会さえ…ば…、…と思ったのに…‼︎」
プライドが微かな声でなにかを唸る。そして次の瞬間、彼女は頭から手を降ろし、座った体制のまま静かに姿勢を正した。淑女らしいその佇まいと美しさに反し、彼女の全身からは信じられないほどの仄黒い殺気のようなものが漂ってきた。
真っ直ぐと何処へでもなく視線を漂わす彼女の紫色の瞳からは燃えるような怒りを感じられた。僕ではない、他の誰かに対しての。
馬車が城の門前まで辿り着く。馬車を一度留め、何者か、そして何用かと尋ねる衛兵の声を聞き、隣に座っていたプライドが立ち上がり、僕の手を取った。
「さぁ、帰りましょう。」
馬車を降り、プライドと共に衛兵の前へと姿を現す。兵の一人が急ぎ、父上へ報告に向かい、ほどなくして僕達は揃って客間へと通された。
国王である父上と対峙し、堂々とするどころか寧ろ圧倒するプライドは僕の弟達を呼んだ。
父上が珍しく歯切れの悪い言葉を紡ぐと、プライドは更に追撃をする。
〝女王代理〟としての権限を。
彼女が、この国に訪れるまでにどれ程の準備をしてきてくれたのかがよくわかる。
一週間前まで共に過ごした、聡明な淑女であっただけの彼女では想像もつかない程の強さと覇気がそこにはあった。
父上に呼ばれた弟達が…エルヴィンとホーマーが僕達の前に姿を現わす。「兄君!」「御無事だったのですね!」と声を跳ねさせ、嬉しそうに笑ってくれる。ただ、今こうして見ればその挙動には何処と無くぎこちなさを感じられた。
「貴方方がエルヴィン第二王子、ホーマー第三王子ですね。」
プライドがゆっくりと立ち上がる。
父上が紹介し、彼らがプライドとステイル第一王子へ一人ひとり挨拶と握手を交わす。「お会いできて光栄です」と笑うプライドとステイル第一王子からは、何故か似たような黒い気配を感じた。そして最後に握手を終えた瞬間、プライドがその笑みのまま、はっきりとした声色で口を動かした。
「この度は私の大切な婚約者が、随分とお世話になりました。」
明るい口調と含みのある声色が弟達と父上の動きを止めた。弟達の顔色からは若干血の気が引いていく。プライドはそれに構わず、ゆったりと再びソファーに身体を沈め、父上へと再び笑みを向ける。
「…ところで、国王陛下。私の話の前に、今回の件でレオン様からお話があるそうです。」
プライドが僕に優しく目配せをする。それに頷き、僕は父上へと姿勢を正した。 弟達が慌てるように小さな声で「あ、兄君⁈」と呼んだが、今だけはそれに答えずしっかりと父上の目を捉える。父上が、少し驚いた表情を残したまま僕へと視線を向けた。
「…父上。僕は昨晩、城下の酒場で動けなくなっているところをプライドに救われました。エルヴィンとホーマーが僕を陥れる為に僕の部屋を訪ね、薬入りのワインを飲ませて酒場へと置き捨てたのです。」
僕の言葉に父上が今度こそ目を見開いた。口を開け、今度は父上からも血の気が引いていく。エルヴィンとホーマーが必死に弁明をしようと声を荒げるが、既に父上の耳には届いていないようだった。
弟達の罪を父上に報告する。これは、弟達を僕自身が罰することと同義だ。
王族の高潔さを陥れる行為は我が国では重罰。こうすれば弟達が処罰されることはわかっている。…その上で僕は、彼らを糾弾したのだから。
僕にとって血を分けた大事な弟達。
もし、機会を与えられるのならばとも願ってしまう。
許してやりたい、僕の胸にだけしまっておきたい。
彼らをここまで追い詰めた僕にも責はあるのだから。
彼らの良き見本としての役割を果たせなかった僕にも。
…だが、それでも僕の意思は変わらない。
愚鈍な王と成り得る存在を排除することは、民を守るべき王族として当然の義務なのだから。