Waseda Weekly早稲田ウィークリー

『半分、青い。』脚本家・北川悦吏子 どんな時も、生きようはある

「ユーミンほどの才能はない」鈴愛のように右往左往していた早大生

『あすなろ白書』『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『オレンジデイズ』 など、恋愛ドラマを中心に1990年代から多くのヒット作を生み出してきた脚本家・北川悦吏子さん(早稲田大学第一文学部卒業)。北川さんが脚本を手掛け、今春からNHKで放送が始まった連続テレビ小説『半分、青い。』は、ちょっとうかつだけれど失敗を恐れないヒロインが、高度成長期の終わりから現代までを七転び八起きで駆け抜けるおよそ半世紀の物語です。

幼いころからの腎臓病や、消化器系の難病、左耳の完全失聴など多くの困難を抱えながら、全156回もの脚本を書き切った北川さん。永野芽郁さん演じる主人公の楡野鈴愛(にれの・すずめ)も北川さんと同じく左耳の聴力を完全に失った女性であり、出身の早稲田大学をモデルにしたエピソードなど自伝的要素も各所に盛り込んだ作品となりました。

ドラマの視聴率は連日20%を超え、9月29日(土)放送予定の最終回に向けて佳境に入っている中で、鈴愛のようにもがいていた学生時代、脚本家として目覚めていく過程などを、ドラマのエピソードと重ね合わせながら聞きました。

撮影:萩庭桂太
高度成長期の終わりから現代を時代背景とし、北川さんの出身地・岐阜県と東京を舞台とした『半分、青い。』。
小学3年生のときに左耳の聴力を失った主人公・鈴愛は、聞き取りにくい先生の授業中、右耳に“つけ耳”をつけていた。

彼女は卒業とともに漫画家を目指して上京し、人気少女漫画家・秋風羽織(豊川悦司さん)の元でアシスタントに。
成功あり、挫折あり。朝ドラのヒロインらしからぬ、波瀾(はらん)万丈“過ぎる”人生を送ることとなる。

北川さんは、『あすなろ白書』(※)など、過去の作品を含めて早稲田大学時代の経験を題材にされることが多いですね。『半分、青い。』にも早稲田をモデルとした「西北大学」が登場します。

北川
私はすごく早稲田が好きで、自分の人生の中で大学時代が一番楽しかったぐらい。入学できてうれしくてしょうがなかった。それで、どうしても出てきてしまうんです、早稲田って。娘にも「早稲田はいいよ~」と言い続けて…実は今、教育学部の3年生なんですよ。

※同じ大学に通う男女5人の恋愛模様を描いた柴門ふみさん原作のドラマ。1993年にフジテレビ系列で放送され、平均視聴率は27.0%、最終話は31.9%(共に関東)を記録した。

楽しかったという大学時代で一番の思い出は、どのようなことですか。

北川
当時、出身の岐阜から初めて都会に出て来たので、何気ない学生らしい日常が一番の思い出です。『あすなろ白書』や『オレンジデイズ』(※1)など、自分がこれまで書いてきた大学生もののドラマのように、男女4人ぐらいの仲のいいグループですごい貧乏旅行へ行ったり、ドライブをしたり、区民プールで泳いだり。

お金はありませんでしたけど、楽しかったです。第一文学部でしたので、「スロープの上で」と言って友達と待ち合わせをしたり。「181」という大教室があって、出席カードを書いて出したらすーっといなくなるとか、その場面は『あすなろ白書』で書きました。

歌手の小田和正さん(大学院理工学研究科修士課程修了)に憧れて早稲田に入ったとお聞きしました。

北川
オフコースが好きで、小田さんの大ファンだったんです。小田さんって、理工の大学院を出ているじゃないですか。私自身、理工学部には1回ぐらいしか行ったことがないのですが、「早稲田の理工はステキ」という刷り込みが激しいんですよ、自分の中で(笑)。

律君(※2)も理工学部で、その刷り込みをうまく利用して、作り上げていったような気がしますね。

※1 2004年、TBS系列で放送。大学卒業を1年後に控えた5人の若者の青春物語。
※2 佐藤健さんが演じる、鈴愛と同じ日に同じ病院で生まれた幼なじみ・萩尾律。幼い頃から鈴愛を励まし、支えてきた。2人の今後の関係が気になるところ。

西北大学理工学部の宇佐川乙郎教授(塚本晋也さん)が開発した、ピアノを弾くロボット「ロボヨ」。
義手や義足の人など、人間が欠けている部分を助けるためにロボットが開発されたという話を聞いた律は、
失聴した鈴愛のことを思い浮かべた。ロボヨとの出会いによって、律はロボット工学の道へ進むことを決め、
宇佐川教授の指導を受ける。
ロボヨのモデルは1984年に早稲田大学が開発した鍵盤楽器演奏ロボット「WABOT-2」で、西早稲田キャンパス63号館1階には改良型「WABOT-2 mkⅡ」が展示されている。

「ロボット開発の父」と言われる、宇佐川教授のモデルとなった故・加藤一郎教授が開発した。撮影にあたり、ロボット工学の考証として、加藤教授の弟子である早稲田大学理工学術院の高西淳夫教授(創造理工)が協力した。

1985年のつくば科学万博では、「WABOT-2」をベースに住友電気工業株式会社が同万博用に開発した「WASUBOT」を展示。開会式ではNHK交響楽団と協演し、電子オルガンで「G線上のアリア」を演奏した。(撮影:石垣星児)

音楽サークルにも所属されていたそうですが、当時は何を目指していたのですか。

北川
大学時代には、いろいろなサークルに入っていて。オフコース愛好会とか、部室が豊かだったシャンソン研究会とか…シャンソン自体は全然好きじゃないんですけどね(笑)。とにかく、本気で作詞・作曲家になりたいと思って、音楽をやっていました。同じような夢を持っている女友達と一緒に曲を作って、詞を見せ合って。「どうする? ポプコン(※)に出す?」とか話していました。

※ヤマハポピュラー音楽コンテスト。1969年から1986年まで行われたコンテストで、プロへの登竜門になっていた。

なぜ音楽の道に進まなかったのでしょうか。

北川
大学3年生になったある日、天啓を受けたように悟ったんです。「あ、無理だ。私にユーミンほどの才能はない」と。それから、就職活動をしようと思いました。それまでは作曲家の先生に就いたり、ソニーのオーディションを受けてディレクターの方から呼ばれたり、本気でやっていたんですけど。

そうそう、高田馬場のビッグボックスの素敵なラウンジで、ま、当時の私から見たら、ですが、ピアノを弾くアルバイトをしようとしたこともありました。面接で「じゃあ、弾いてみて」って言われて、ちょっと弾いたら「あ、君ダメ」と言われて一発で落とされてしまったんです。あれは、切なかったですね。本当に、作曲家になるために早稲田に入ったぐらいで。何とかしようともがいていたんです。鈴愛ちゃんのように右往左往していた時代でした。
1000本ノックで身に付けていった、企画力
鈴愛と律は恋愛関係ではないが、お互い大切な存在だった。しかし10代最後の夏、律の恋人ともめたことが原因でお別れすることに。

そのことを打ち明ける鈴愛に、漫画の師匠である秋風は
「もうしゃべるな、鈴愛。しゃべらなくてもいい! もったいない! 漫画にするんだ! それを描け!」。
鈴愛「鬼・・・」。秋風「鬼、上等。描くんだ!」。

厳しさの中に優しさを感じさせる秋風の言葉は、視聴者を魅了して人気キャラクターに。

卒業後、「にっかつ撮影所」に就職。どのように脚本家になられたのですか。

北川
最初に就職した広告代理店は、ブラック会社だったので半年で辞めました。最近ふと思い出してググッてみたら、さすがになくなっていました。次に就いたのがにっかつ撮影所の企画営業本部で。2時間ドラマがどのように出来上がっていくか、というレクチャーを1週間ずっと受けていました。そのころのにっかつ撮影所は仕事がなく、逆にきちんと教育してくれたんですね(笑)。

まず、「火曜サスペンス」や「土曜ワイド」など2時間ドラマの企画書を書かされました。企画書1000本ノックといって、毎週1回企画会議があって、そこで最低3本は企画案を発表しないといけません。企画案なのでA4を2、3枚でいいのですが、その場でプレゼンテーションするんです。

どのようなことを学んだのですか。

北川
企画には売りが必要ということ。そして起承転結がないとプロット(物語)はダメということを、にっかつ黄金時代に企画脚本部にいた部長が教えてくださりました。まさに秋風先生のように、同じプロットを半年ぐらいずっと直されたりもしましたよ。1枚ずつ「はい、何ページの何行目ね」と。このときの経験がすごく実になりました。

テレビ局に企画書を持って行って通ると、アシスタントプロデューサーのような立場でその作品にずっと付くことができます。脚本家の先生と打ち合わせして、脚本作りにも関われます。その過程を見ているうちに、私も脚本を書いてみたいと思うようになり、台本の先生の脚本の横の余白に、自分でせりふを書いていました。自分だったらこうかなあ、とか思って。でも、それがプロデューサーにうっかり見つかって「全然書けてないよ」なんて言われて、凹んだこともあります(笑)。

私はそのころから体が弱かったので、いずれ上にいってもプロデューサーはできない。だから作家の分野に行けないかな、と思い始めたのが脚本家になっていったきっかけです。

学生時代から文章は書き慣れていたのですか。

北川
それが、まったく書いてなかったんですよ。大学の親友と交換日記をやっていたくらいですね。

脚本の書き方も、どなたかに教わったのですか。

北川
自分の企画が通ったら、そのプロットで脚本家の先生に脚本作りを発注します。そのとき「私、本当は脚本を書いてみたいんです」と言ったら、先生が「じゃあちょっと一緒にやってみる?」って言ってくれて、教えてもらいました。今考えると、すごい話ですけど、これが始まりでした。

北川さんのもとにも、教えを請いに来る方はいらっしゃるんですか。

北川
いないですよね。私は弟子を取らないですし。だいたい自分で脚本を発注しておいて「私が書きたいんです」ってどういうこと? と思いますよね。ずうずうしい(笑)。私はもう本当に恐ろしいことをしていたと思います。

ちょっとでも音楽に関われればいいな、と思って入ったにっかつ撮影所だったのですが、最初の新入社員の歓迎会で「私は将来、自分の企画したドラマで、小田和正さんに主題歌をやってもらうのが夢です」ってあいさつしたら、みんなドン引きしていました。でも、結局かなえることができましたから(※)。言ってみるものだなと思いました。

※TBS系列ドラマ『最後の恋』(1997年)の主題歌『伝えたいことがあるんだ』は、小田さんが作詞・作曲を手掛けた。

作詞・作曲家を志していた早大生時代の北川悦吏子さん。
当時の夢は諦めたが、想定外だった脚本家となって、
あこがれの先輩・小田和正さんと一緒に仕事をすることになった。

脚本家になりたいという学生にアドバイスするとしたら、どのようなことがありますか。

北川
とにかく書いて、自分から企画を持っていくことですね。ずうずうしいぐらいに。でも、やみくもではダメで、「この人だったら分かってくれるかもしれない」と思える人、いいプロデューサーや決定権を持っている人に持って行くことです。『半分、青い。』も、完全に私の持ち込み企画です。当時のNHKのドラマ番組部長にいきなり持って行きました。そのスタンスはデビューのときと全く変わっていないんです。自分のやりたいものを持っていって、何とか成立させる、というガッツと勢い。勇気が要ることなので、勢いに乗ってやらないと、なかなか難しいと思いますけど。

これまでの作品で、持ち込み企画はどれぐらいあるんですか。

北川
ほぼ、全部です。もちろん「うちで書きませんか」という枠を提供されることはあります。でも企画は必ず「私」発で、「やりたいこと」を言いますね。初期の『素顔のままで』(※)や『あすなろ白書』ぐらいまでは違ったかな。でも、それもざっくりとした枠だけがあって。

『素顔のままで』だったら「女性2人の友情もの」としか言われなかったので、得意なジャンルだから書けると思って、一気に企画書を書き上げました。『あすなろ白書』も原作と脚本は全然違うんですよね。それも最初に企画書を書いて「これでいかせてもらえるのだったらやります」と言いました。

※女性同士の友情を描いたフジテレビ系列のドラマ。安田成美さんと中森明菜さん主演。

クリエーター心を刺激された朝ドラ
一躍、連載を抱える漫画家となりながら人気が急降下し、漫画が描けなくなる鈴愛。
そこに本意ではなくプロポーズを断った律の結婚の知らせが追い打ちをかける。

どうにか描いた新作を秋風に見せると「いいんじゃないか」と力ないコメント。
鈴愛は「どうして前みたいに『何だこの紙クズ!』って言ったり、こうしてカラスの羽みたいに放り投げないんですか! 何でですか!」と当たる。かつての仲間たちにも「うるさい! 逃げたやつに何が分かる!」と逆上してしまう。

今、初挑戦の朝ドラ、全156回の脚本を書き終えたところ、とのことですが。

北川
本当に魂を抜かれてしまった感じです。朝ドラは、脚本家にとって最も大変でつらい仕事であることは覚悟していました。しかし、こんなに体の弱い私が「やりたい」という気持ちだけで突入してしまったんだと、書き始めてから気付いたのですが、もう書き上げるしかなかった。本当に本当に、すごい体験で、自分としては奇跡でした。

「15分間を156回」という枠組みが、最も興味を引かれた部分で、1時間の連ドラや2時間の映画とは全然違うノウハウで作っていくというところに、クリエーター心を刺激されたんです。試行錯誤しながら、1年半かけて脚本を書いたのですが、自分で新しい技を編み出していく楽しみがあったと思います。

脚本はどのようなペースでを書かれていたのですか。

北川
1話につき、与えられた時間は3日しかないんです。「アイデアが湧かなかったらどうなるのか」というところに、追い詰められて行きます。本当に苦しくて、「これまで浮かんできたのだから、今回も浮かぶに違いない」と信じるしかないんです。

毎回、1日、2日と追い詰められて。3日目に「これはクラッシュしてもおかしくないぞ」という状況にまで追い詰められながら、鈴愛ちゃんのように、甘いものをガーッと食べる。すると頭が働き出して、はっと思い付いて、これだと思って書く。ほっとすると、もう次の3日が来るっていう繰り返し。気が付くと8キロ太っていて、今ちょっとダイエット中なんです。朝ドラって、精神的拷問だなと思いました。どこまで才能があるのかを毎日試されてるんだって、思いました。

ご自身の体験を、脚本の中に盛り込んでらっしゃいますね。

北川
そうですね。書いていると自然に出てきてしまうので、どうしても多くなります。自身の体験やリアルなものってやはり強いので、視聴者の方にもそこが良かったって言われることが多いんですよね。

好きなシーンはどこですか。

北川
漫画を描けなくなってしまうときの、鈴愛の顔がすごかったですね。「どうして前みたいに『何だこの紙クズ!』って言ってくれないのか」と、秋風先生に詰め寄る。さらにかつてのアシスタント仲間である裕子には「うるさい! 逃げたやつに何が分かる!」、ボクテには「売れてるボクテは、私を見て笑ってる! 高みの見物だ!」って、ひどいせりふを吐くわけですけど。

私、ト書きに「いっちゃっている顔」って書いたらしいんですけど、あのシーンがすごく好きというより、演じた芽郁ちゃんの顔が忘れられないですね。
「本当のことを言ってください。つまらないと。先生には最後まで厳しくいてほしかったです」。
「最後?」「もう、潮時かと」。漫画家を辞めることを秋風に告げる鈴愛。

引き留めようとするも固い決心に、秋風は「あなたはアイデアがとてもよかった。
しかし、その構成力のなさは努力では補えないと思います。漫画を・・・辞めたらいいと思います」と
弟子への愛情を込めて引導を渡す。

ヒロインが夢破れるシーンは多くの視聴者の涙を誘った。

クリエーターへのこだわりを描いたのですか。

北川
書く前から思っていたのですが、あまりにもクリエーターに寄り過ぎたかなという心配はありました。世の中みんながクリエーターではないから、個人的なことを書き過ぎたという反省はあったのですが、個人的なことだけにものすごく熱を持って書くことができ、役者さんは熱を持って演じてくれました。

結局、役者の皆さんも演じる人なので、その気持ちが分かる、ということなのではないかと思います。だから、自分が確信を持っていることを書いて良かったな、と。これだけ長く漫画家編をやってもいいのだろうか、という迷いもあったんです。今思うと、あのシークエンス(挿話)は忘れられないものになっているから、クリエーターではない人たちにも何か訴えるもの、通じるものがあったのではないかなと思っています。

朝ドラのヒロインらしからぬ、鈴愛の天真らんまん、七転び八起きのドタバタ人生。ラストには、さらなる衝撃の展開が待っているとのことですが…?

北川
衝撃です。たぶん炎上するだろうなと思っていますので、もう覚悟はできています。でも、なぜそれを書いたかっていうと、あらかじめそれが必要だったから。決して炎上させたくて書いたわけではないし、あおるために書いたわけでもありません。自分は確 信のあることしか書けません。それを書かないと物語が終われないと思った、ということなんです。

「朝ドラだから」という決めごとはやめようよ、ということから一切逃げないで書いた156本だったかなと思います。

片耳が聞こえなくなったり、漫画家として才能がなかったりしても、「人は生きていきようがあるんだよ」という強いメッセージが私の中にあって、それを体現する意味で「鈴愛」という強いヒロインが生まれたんだと思っています。
2018年、第17回美濃加茂市坪内逍遙大賞の授賞式後に行われたトークショー。左から『半分、青い。』制作統括プロデューサーの勝田夏子さん、出演者の谷原章介さん(律の父役)、北川さん、チーフ演出の田中健二さん(美濃加茂市提供)
プロフィール
北川悦吏子(きたがわ・えりこ)
1961年、岐阜県美濃加茂市出身。1984年、早稲田大学第一文学部卒業。1992年、『素顔のままで』(1992年、フジテレビ系列)でデビュー。その後、『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』『ビューティルライフ』『空から降る一億の星』『オレンジデイズ』『たったひとつの恋』などの連続ドラマを手がける。2008年には映画の世界にも進出し、脚本監督作品に『ハルフウェイ』『新しい靴を買わなくちゃ』。NHKでの執筆は、2016年の『運命に、似た恋』に続き、今回の連続テレビ小説『半分、青い。』が二作目となる。
番組案内
連続テレビ小説「半分、青い。」
4月2日(月)~9月29日(土)
毎週月曜~土曜 【NHK総合】午前8:00 ~ 8:15 ほか
※放送時間は変更になる場合があります。


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「ユーミンほどの才能はない」鈴愛のように右往左往していた早大生

『あすなろ白書』『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『オレンジデイズ』 など、恋愛ドラマを中心に1990年代から多くのヒット作を生み出してきた脚本家・北川悦吏子さん(早稲田大学第一文学部卒業)。北川さんが脚本を手掛け、今春からNHKで放送が始まった連続テレビ小説『半分、青い。』は、ちょっとうかつだけれど失敗を恐れないヒロインが、高度成長期の終わりから現代までを七転び八起きで駆け抜けるおよそ半世紀の物語です。

幼いころからの腎臓病や、消化器系の難病、左耳の完全失聴など多くの困難を抱えながら、全156回もの脚本を書き切った北川さん。永野芽郁さん演じる主人公の楡野鈴愛(にれの・すずめ)も北川さんと同じく左耳の聴力を完全に失った女性であり、出身の早稲田大学をモデルにしたエピソードなど自伝的要素も各所に盛り込んだ作品となりました。

ドラマの視聴率は連日20%を超え、9月29日(土)放送予定の最終回に向けて佳境に入っている中で、鈴愛のようにもがいていた学生時代、脚本家として目覚めていく過程などを、ドラマのエピソードと重ね合わせながら聞きました。

撮影:萩庭桂太
高度成長期の終わりから現代を時代背景とし、北川さんの出身地・岐阜県と東京を舞台とした『半分、青い。』。
小学3年生のときに左耳の聴力を失った主人公・鈴愛は、聞き取りにくい先生の授業中、右耳に“つけ耳”をつけていた。

彼女は卒業とともに漫画家を目指して上京し、人気少女漫画家・秋風羽織(豊川悦司さん)の元でアシスタントに。
成功あり、挫折あり。朝ドラのヒロインらしからぬ、波瀾(はらん)万丈“過ぎる”人生を送ることとなる。

北川さんは、『あすなろ白書』(※)など、過去の作品を含めて早稲田大学時代の経験を題材にされることが多いですね。『半分、青い。』にも早稲田をモデルとした「西北大学」が登場します。

北川
私はすごく早稲田が好きで、自分の人生の中で大学時代が一番楽しかったぐらい。入学できてうれしくてしょうがなかった。それで、どうしても出てきてしまうんです、早稲田って。娘にも「早稲田はいいよ~」と言い続けて…実は今、教育学部の3年生なんですよ。

※同じ大学に通う男女5人の恋愛模様を描いた柴門ふみさん原作のドラマ。1993年にフジテレビ系列で放送され、平均視聴率は27.0%、最終話は31.9%(共に関東)を記録した。

楽しかったという大学時代で一番の思い出は、どのようなことですか。

北川
当時、出身の岐阜から初めて都会に出て来たので、何気ない学生らしい日常が一番の思い出です。『あすなろ白書』や『オレンジデイズ』(※1)など、自分がこれまで書いてきた大学生もののドラマのように、男女4人ぐらいの仲のいいグループですごい貧乏旅行へ行ったり、ドライブをしたり、区民プールで泳いだり。

お金はありませんでしたけど、楽しかったです。第一文学部でしたので、「スロープの上で」と言って友達と待ち合わせをしたり。「181」という大教室があって、出席カードを書いて出したらすーっといなくなるとか、その場面は『あすなろ白書』で書きました。

歌手の小田和正さん(大学院理工学研究科修士課程修了)に憧れて早稲田に入ったとお聞きしました。

北川
オフコースが好きで、小田さんの大ファンだったんです。小田さんって、理工の大学院を出ているじゃないですか。私自身、理工学部には1回ぐらいしか行ったことがないのですが、「早稲田の理工はステキ」という刷り込みが激しいんですよ、自分の中で(笑)。

律君(※2)も理工学部で、その刷り込みをうまく利用して、作り上げていったような気がしますね。

※1 2004年、TBS系列で放送。大学卒業を1年後に控えた5人の若者の青春物語。
※2 佐藤健さんが演じる、鈴愛と同じ日に同じ病院で生まれた幼なじみ・萩尾律。幼い頃から鈴愛を励まし、支えてきた。2人の今後の関係が気になるところ。

西北大学理工学部の宇佐川乙郎教授(塚本晋也さん)が開発した、ピアノを弾くロボット「ロボヨ」。
義手や義足の人など、人間が欠けている部分を助けるためにロボットが開発されたという話を聞いた律は、
失聴した鈴愛のことを思い浮かべた。ロボヨとの出会いによって、律はロボット工学の道へ進むことを決め、
宇佐川教授の指導を受ける。
ロボヨのモデルは1984年に早稲田大学が開発した鍵盤楽器演奏ロボット「WABOT-2」で、西早稲田キャンパス63号館1階には改良型「WABOT-2 mkⅡ」が展示されている。

「ロボット開発の父」と言われる、宇佐川教授のモデルとなった故・加藤一郎教授が開発した。撮影にあたり、ロボット工学の考証として、加藤教授の弟子である早稲田大学理工学術院の高西淳夫教授(創造理工)が協力した。

1985年のつくば科学万博では、「WABOT-2」をベースに住友電気工業株式会社が同万博用に開発した「WASUBOT」を展示。開会式ではNHK交響楽団と協演し、電子オルガンで「G線上のアリア」を演奏した。(撮影:石垣星児)

音楽サークルにも所属されていたそうですが、当時は何を目指していたのですか。

北川
大学時代には、いろいろなサークルに入っていて。オフコース愛好会とか、部室が豊かだったシャンソン研究会とか…シャンソン自体は全然好きじゃないんですけどね(笑)。とにかく、本気で作詞・作曲家になりたいと思って、音楽をやっていました。同じような夢を持っている女友達と一緒に曲を作って、詞を見せ合って。「どうする? ポプコン(※)に出す?」とか話していました。

※ヤマハポピュラー音楽コンテスト。1969年から1986年まで行われたコンテストで、プロへの登竜門になっていた。

なぜ音楽の道に進まなかったのでしょうか。

北川
大学3年生になったある日、天啓を受けたように悟ったんです。「あ、無理だ。私にユーミンほどの才能はない」と。それから、就職活動をしようと思いました。それまでは作曲家の先生に就いたり、ソニーのオーディションを受けてディレクターの方から呼ばれたり、本気でやっていたんですけど。

そうそう、高田馬場のビッグボックスの素敵なラウンジで、ま、当時の私から見たら、ですが、ピアノを弾くアルバイトをしようとしたこともありました。面接で「じゃあ、弾いてみて」って言われて、ちょっと弾いたら「あ、君ダメ」と言われて一発で落とされてしまったんです。あれは、切なかったですね。本当に、作曲家になるために早稲田に入ったぐらいで。何とかしようともがいていたんです。鈴愛ちゃんのように右往左往していた時代でした。
1000本ノックで身に付けていった、企画力
鈴愛と律は恋愛関係ではないが、お互い大切な存在だった。しかし10代最後の夏、律の恋人ともめたことが原因でお別れすることに。

そのことを打ち明ける鈴愛に、漫画の師匠である秋風は
「もうしゃべるな、鈴愛。しゃべらなくてもいい! もったいない! 漫画にするんだ! それを描け!」。
鈴愛「鬼・・・」。秋風「鬼、上等。描くんだ!」。

厳しさの中に優しさを感じさせる秋風の言葉は、視聴者を魅了して人気キャラクターに。

卒業後、「にっかつ撮影所」に就職。どのように脚本家になられたのですか。

北川
最初に就職した広告代理店は、ブラック会社だったので半年で辞めました。最近ふと思い出してググッてみたら、さすがになくなっていました。次に就いたのがにっかつ撮影所の企画営業本部で。2時間ドラマがどのように出来上がっていくか、というレクチャーを1週間ずっと受けていました。そのころのにっかつ撮影所は仕事がなく、逆にきちんと教育してくれたんですね(笑)。

まず、「火曜サスペンス」や「土曜ワイド」など2時間ドラマの企画書を書かされました。企画書1000本ノックといって、毎週1回企画会議があって、そこで最低3本は企画案を発表しないといけません。企画案なのでA4を2、3枚でいいのですが、その場でプレゼンテーションするんです。

どのようなことを学んだのですか。

北川
企画には売りが必要ということ。そして起承転結がないとプロット(物語)はダメということを、にっかつ黄金時代に企画脚本部にいた部長が教えてくださりました。まさに秋風先生のように、同じプロットを半年ぐらいずっと直されたりもしましたよ。1枚ずつ「はい、何ページの何行目ね」と。このときの経験がすごく実になりました。

テレビ局に企画書を持って行って通ると、アシスタントプロデューサーのような立場でその作品にずっと付くことができます。脚本家の先生と打ち合わせして、脚本作りにも関われます。その過程を見ているうちに、私も脚本を書いてみたいと思うようになり、台本の先生の脚本の横の余白に、自分でせりふを書いていました。自分だったらこうかなあ、とか思って。でも、それがプロデューサーにうっかり見つかって「全然書けてないよ」なんて言われて、凹んだこともあります(笑)。

私はそのころから体が弱かったので、いずれ上にいってもプロデューサーはできない。だから作家の分野に行けないかな、と思い始めたのが脚本家になっていったきっかけです。

学生時代から文章は書き慣れていたのですか。

北川
それが、まったく書いてなかったんですよ。大学の親友と交換日記をやっていたくらいですね。

脚本の書き方も、どなたかに教わったのですか。

北川
自分の企画が通ったら、そのプロットで脚本家の先生に脚本作りを発注します。そのとき「私、本当は脚本を書いてみたいんです」と言ったら、先生が「じゃあちょっと一緒にやってみる?」って言ってくれて、教えてもらいました。今考えると、すごい話ですけど、これが始まりでした。

北川さんのもとにも、教えを請いに来る方はいらっしゃるんですか。

北川
いないですよね。私は弟子を取らないですし。だいたい自分で脚本を発注しておいて「私が書きたいんです」ってどういうこと? と思いますよね。ずうずうしい(笑)。私はもう本当に恐ろしいことをしていたと思います。

ちょっとでも音楽に関われればいいな、と思って入ったにっかつ撮影所だったのですが、最初の新入社員の歓迎会で「私は将来、自分の企画したドラマで、小田和正さんに主題歌をやってもらうのが夢です」ってあいさつしたら、みんなドン引きしていました。でも、結局かなえることができましたから(※)。言ってみるものだなと思いました。

※TBS系列ドラマ『最後の恋』(1997年)の主題歌『伝えたいことがあるんだ』は、小田さんが作詞・作曲を手掛けた。

作詞・作曲家を志していた早大生時代の北川悦吏子さん。
当時の夢は諦めたが、想定外だった脚本家となって、
あこがれの先輩・小田和正さんと一緒に仕事をすることになった。

脚本家になりたいという学生にアドバイスするとしたら、どのようなことがありますか。

北川
とにかく書いて、自分から企画を持っていくことですね。ずうずうしいぐらいに。でも、やみくもではダメで、「この人だったら分かってくれるかもしれない」と思える人、いいプロデューサーや決定権を持っている人に持って行くことです。『半分、青い。』も、完全に私の持ち込み企画です。当時のNHKのドラマ番組部長にいきなり持って行きました。そのスタンスはデビューのときと全く変わっていないんです。自分のやりたいものを持っていって、何とか成立させる、というガッツと勢い。勇気が要ることなので、勢いに乗ってやらないと、なかなか難しいと思いますけど。

これまでの作品で、持ち込み企画はどれぐらいあるんですか。

北川
ほぼ、全部です。もちろん「うちで書きませんか」という枠を提供されることはあります。でも企画は必ず「私」発で、「やりたいこと」を言いますね。初期の『素顔のままで』(※)や『あすなろ白書』ぐらいまでは違ったかな。でも、それもざっくりとした枠だけがあって。

『素顔のままで』だったら「女性2人の友情もの」としか言われなかったので、得意なジャンルだから書けると思って、一気に企画書を書き上げました。『あすなろ白書』も原作と脚本は全然違うんですよね。それも最初に企画書を書いて「これでいかせてもらえるのだったらやります」と言いました。

※女性同士の友情を描いたフジテレビ系列のドラマ。安田成美さんと中森明菜さん主演。

クリエーター心を刺激された朝ドラ
一躍、連載を抱える漫画家となりながら人気が急降下し、漫画が描けなくなる鈴愛。
そこに本意ではなくプロポーズを断った律の結婚の知らせが追い打ちをかける。

どうにか描いた新作を秋風に見せると「いいんじゃないか」と力ないコメント。
鈴愛は「どうして前みたいに『何だこの紙クズ!』って言ったり、こうしてカラスの羽みたいに放り投げないんですか! 何でですか!」と当たる。かつての仲間たちにも「うるさい! 逃げたやつに何が分かる!」と逆上してしまう。

今、初挑戦の朝ドラ、全156回の脚本を書き終えたところ、とのことですが。

北川
本当に魂を抜かれてしまった感じです。朝ドラは、脚本家にとって最も大変でつらい仕事であることは覚悟していました。しかし、こんなに体の弱い私が「やりたい」という気持ちだけで突入してしまったんだと、書き始めてから気付いたのですが、もう書き上げるしかなかった。本当に本当に、すごい体験で、自分としては奇跡でした。

「15分間を156回」という枠組みが、最も興味を引かれた部分で、1時間の連ドラや2時間の映画とは全然違うノウハウで作っていくというところに、クリエーター心を刺激されたんです。試行錯誤しながら、1年半かけて脚本を書いたのですが、自分で新しい技を編み出していく楽しみがあったと思います。

脚本はどのようなペースでを書かれていたのですか。

北川
1話につき、与えられた時間は3日しかないんです。「アイデアが湧かなかったらどうなるのか」というところに、追い詰められて行きます。本当に苦しくて、「これまで浮かんできたのだから、今回も浮かぶに違いない」と信じるしかないんです。

毎回、1日、2日と追い詰められて。3日目に「これはクラッシュしてもおかしくないぞ」という状況にまで追い詰められながら、鈴愛ちゃんのように、甘いものをガーッと食べる。すると頭が働き出して、はっと思い付いて、これだと思って書く。ほっとすると、もう次の3日が来るっていう繰り返し。気が付くと8キロ太っていて、今ちょっとダイエット中なんです。朝ドラって、精神的拷問だなと思いました。どこまで才能があるのかを毎日試されてるんだって、思いました。

ご自身の体験を、脚本の中に盛り込んでらっしゃいますね。

北川
そうですね。書いていると自然に出てきてしまうので、どうしても多くなります。自身の体験やリアルなものってやはり強いので、視聴者の方にもそこが良かったって言われることが多いんですよね。

好きなシーンはどこですか。

北川
漫画を描けなくなってしまうときの、鈴愛の顔がすごかったですね。「どうして前みたいに『何だこの紙クズ!』って言ってくれないのか」と、秋風先生に詰め寄る。さらにかつてのアシスタント仲間である裕子には「うるさい! 逃げたやつに何が分かる!」、ボクテには「売れてるボクテは、私を見て笑ってる! 高みの見物だ!」って、ひどいせりふを吐くわけですけど。

私、ト書きに「いっちゃっている顔」って書いたらしいんですけど、あのシーンがすごく好きというより、演じた芽郁ちゃんの顔が忘れられないですね。
「本当のことを言ってください。つまらないと。先生には最後まで厳しくいてほしかったです」。
「最後?」「もう、潮時かと」。漫画家を辞めることを秋風に告げる鈴愛。

引き留めようとするも固い決心に、秋風は「あなたはアイデアがとてもよかった。
しかし、その構成力のなさは努力では補えないと思います。漫画を・・・辞めたらいいと思います」と
弟子への愛情を込めて引導を渡す。

ヒロインが夢破れるシーンは多くの視聴者の涙を誘った。

クリエーターへのこだわりを描いたのですか。

北川
書く前から思っていたのですが、あまりにもクリエーターに寄り過ぎたかなという心配はありました。世の中みんながクリエーターではないから、個人的なことを書き過ぎたという反省はあったのですが、個人的なことだけにものすごく熱を持って書くことができ、役者さんは熱を持って演じてくれました。

結局、役者の皆さんも演じる人なので、その気持ちが分かる、ということなのではないかと思います。だから、自分が確信を持っていることを書いて良かったな、と。これだけ長く漫画家編をやってもいいのだろうか、という迷いもあったんです。今思うと、あのシークエンス(挿話)は忘れられないものになっているから、クリエーターではない人たちにも何か訴えるもの、通じるものがあったのではないかなと思っています。

朝ドラのヒロインらしからぬ、鈴愛の天真らんまん、七転び八起きのドタバタ人生。ラストには、さらなる衝撃の展開が待っているとのことですが…?

北川
衝撃です。たぶん炎上するだろうなと思っていますので、もう覚悟はできています。でも、なぜそれを書いたかっていうと、あらかじめそれが必要だったから。決して炎上させたくて書いたわけではないし、あおるために書いたわけでもありません。自分は確 信のあることしか書けません。それを書かないと物語が終われないと思った、ということなんです。

「朝ドラだから」という決めごとはやめようよ、ということから一切逃げないで書いた156本だったかなと思います。

片耳が聞こえなくなったり、漫画家として才能がなかったりしても、「人は生きていきようがあるんだよ」という強いメッセージが私の中にあって、それを体現する意味で「鈴愛」という強いヒロインが生まれたんだと思っています。
2018年、第17回美濃加茂市坪内逍遙大賞の授賞式後に行われたトークショー。左から『半分、青い。』制作統括プロデューサーの勝田夏子さん、出演者の谷原章介さん(律の父役)、北川さん、チーフ演出の田中健二さん(美濃加茂市提供)
プロフィール
北川悦吏子(きたがわ・えりこ)
1961年、岐阜県美濃加茂市出身。1984年、早稲田大学第一文学部卒業。1992年、『素顔のままで』(1992年、フジテレビ系列)でデビュー。その後、『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』『ビューティルライフ』『空から降る一億の星』『オレンジデイズ』『たったひとつの恋』などの連続ドラマを手がける。2008年には映画の世界にも進出し、脚本監督作品に『ハルフウェイ』『新しい靴を買わなくちゃ』。NHKでの執筆は、2016年の『運命に、似た恋』に続き、今回の連続テレビ小説『半分、青い。』が二作目となる。
番組案内
連続テレビ小説「半分、青い。」
4月2日(月)~9月29日(土)
毎週月曜~土曜 【NHK総合】午前8:00 ~ 8:15 ほか
※放送時間は変更になる場合があります。


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