142.暴虐王女は入国する。
アネモネ王国。
隣国であるフリージア王国と比べて、国土は四分の一以下の比較的小さな小国だ。
ただしその半分が海に面している為、港が充実しており貿易が盛んに行われている。海の向こうの様々な国との貿易から、フリージアを含めて他の近隣諸国が手に入らないような珍しい輸入品も多く仕入れており、多くの国に重宝された活気のある貿易国だ。
近年までは他国に嫌煙されがちだったフリージアにとっては貴重な輸入元でもある。実際、フリージアの国外の品物の輸入を八割以上アネモネ国に頼っていた時期もある。今は大体六割といったところだろうか。それでも半分以上頼っていることは変わりない。
フリージア王国と違い、一応、奴隷制度もある。といっても、そこまで奴隷の扱いも推奨はされておらず、国内での奴隷の売買自体は禁止。国外から買ってきた奴隷に関してのみ所有が許可されているだけとなっている。他国と比べればそれなりに奴隷の人権も確保されている国だ。
一度国内に足を踏み入れ、門の奥へと進めばすぐに多くの商人が行き交う賑やかな街並が目の前に広がる。もう夕暮れ時だというのに屋台も小店も全く閉める気配すらなかった。安さや貴重品、取り入れたばかりの品をこれ見よがしに掲げ、声を張り上げている商人が街を闊歩している。国外から入ってきた人間など、まさに格好の標的だ。足を踏み入れた途端にこれはいかがかと声を掛けられまくることになる。
「先に宿屋を探しているんで。」
馬車を扱う二人組の一人が商品を手で断る。もう一人の男は気楽そうに手綱を取りながらも目線だけはしっかりと周囲を警戒するように見回していた。
「アンタら見ない顔だが、どこぞの商人かい?」
「はい、この街に大事な商談がありまして。馬車を駐められる宿屋が良いんですが、心当たりはありますか?」
丁寧に尋ねる男に商人は一個買ってくれりゃあ教えるさ、と果物を一つ差し出した。代金を手渡し、果物を受け取る男が続きを促すと商人は金に糸目をつけないならと、一番近い豪奢な宿屋の道筋を教え、最後に彼らへ手を振った。
「アランさん、要りますか?」
「お、良いのか?」
助かる、と言いながら手綱を持っていた方の男が先程買ったばかりの果物を受け取り、皮ごと齧り付いた。
「初めて見る果物って、自分はなんだか気後れしてしまって。」
「食ってみりゃあ美味いかわかるだろ?」
うん、美味い。と言いながら果物を飲み込むアランは、隣に座るエリックに手綱を渡してもう一口さらに果物へ齧り付いた。
「馬車の中、アーサーは慣れてるでしょうがカラム隊…カラムさんは大丈夫ですかね。〝ジャンヌお嬢様〟とご一緒で。」
「いや〜駄目だろ。もう今頃ガチガチに固まってるって。」
想像をしたのか、ぶはっと笑いながら最後の一口を放り込むアランがそのまま小さく馬車の方を振り返った。
……
「…ええと…大丈夫?アーサー、カラム。」
宿に到着した私達は早速エリックが手続きをしてくれた後、宿の部屋に落ち着いた。
貿易交渉に来た上流商人向けに建てられた高級志向の宿屋だったお陰で、部屋が広い。一部屋、というよりも前世の高級マンションのようにここの一区画の部屋全てが私達の借りた範囲らしい。これなら全員別々の部屋でも足りそうだし、空きがあって本当に良かった。
商人や旅人も行き交うことが多いせいか、宿屋は我が国よりも充実しているのかもしれない。
上流商人に扮したカラム隊長と私とステイル。そして付き人に扮したアーサー、エリック副隊長、アラン隊長は荷物を降ろして一息ついた。
私の専属侍女のマリーと、ステイルの専属侍女が荷物をそれぞれ分け始める。
扉の鍵を閉め、早速私はアーサーとカラム隊長に声を掛けた。
「いえ、問題ありません。お嬢様こそ長旅でお疲れではありませんか?」
「大丈夫です!…御心配かけて、すみません。」
カラム隊長、アーサーが姿勢を正して私に答えてくれる。二人が馬車の中とは違っていつもの調子であることに安心した。二人の背後でアラン隊長とエリック副隊長がこっちを見て笑っている。
馬車の中で二人とも護衛の仕事はきっちりやってくれていたけど、ずっとガチガチだった。
カラム隊長でも流石に王族二人の極秘護衛任務には緊張するのか、完全に口を結んだまま無言だったし、アーサーも慕っている隊長の手前、いつもみたいに私やステイルに話す気になれなかったのか、ずっと無言。ステイルもステイルで何かを考え込むようにずっとカーテンの細い隙間から外を眺めていた。
全員が無言過ぎて、専属侍女の二人もとても緊張した様子だった。隣国だし王都同士も近いから御忍び用の馬車で数時間揺られて着いたけど、沈黙のせいで時間が余計に長く感じられた。
今回、極秘訪問において目立たないように私とステイルの身の回りをしてくれる為の専属侍女は一人ずつ。そして護衛に近衛騎士のアーサーと別に副隊長格以上の騎士三名をつけるように母上から義務付けられ、騎士は私自ら指名することを許可してもらった。
私が指名したのはアラン隊長、カラム隊長、エリック副隊長の三人だった。
三人共、一年前の殲滅戦の時にお会いしてから、私が個人的に信頼できると思った騎士達だ。
アーサーからも話題で特に名前をよく聞く三人だったし、頼るならこの三人だと思った。「ジルベール宰相に折角組手を教えて貰ったのにアラン隊長には敵わなかった」とか「カラム隊長は今回も指示が的確で、父上やクラークにも一目置かれていて」とか「エリックさんが副隊長に就任したけど、あの人は本当にどの技術も上位で」とか。アーサーはこの三人に関しては話題が尽きない。話を聞く限りだとかなり可愛がられている様子も伺える。
自身の八番隊の隊長や副隊長についてはどうなのかと聞いてみたら、アーサーの隊は騎士団の中でも殺伐としたかなり実力至上主義の隊らしく、一言「怖ぇっす」と返事が返ってきた。
何故その隊をアーサー自ら志願したのかは今のところ本人の口からは「絶対やりたいことがあったんで」以外明かして貰えていない。
出発する直前、今回の護衛について宜しくと挨拶をした時は三人共アーサー以上に緊張した様子だった。でも、「今回の極秘訪問は隊長、副隊長格の中から私が信頼できると思った貴方方三人を指名させて頂きました。…どうか、宜しくお願いします」と伝えたら凄くはっきりとした声で返事をしてくれた。
アラン隊長とカラム隊長は緊張か少し顔を紅潮させ、エリック副隊長は少し目を潤ませていた。王族からの極秘任務とはいえ、それが表向き単なる私の一泊旅行なのは少し申し訳なかったけれど。
「では、ジャンヌ様、フィリップ様。我々は一度外に」
「いえ、そのままで構いません。」
部屋で着替えをするであろう私達の為に一度離れようとしてくれたカラム隊長達を私は引き止める。
「着替えはもう暫く後…何事もなく終えた後に行います。それよりもカラム、アラン、エリック。…貴方達にも話しておきたいことがあります。」
逆に私達の着替えの為に荷物を改めようとしてくれた専属侍女の二人には別室へ移動してもらう。
私の言葉に騎士三人は少し驚いた表情をした後に強い眼差しで頷いてくれた。
…そう、私はこの五日間で新たに覚悟を決めていた。
ステイル、ティアラ、アーサーの三人と相談して決めたことだ。五日前に三人に話した内容を騎士達にも伝えようと。私が伝えるべきか三人に相談した時、アーサーはこの三人ならきっと力になってくれる筈だと言ってくれ、ステイルとティアラもアーサーが言うなら大丈夫だと同意していた。
母上から騎士達を動かす許可は頂いているし、状況に応じて本当の事を言わなくても行動できるとは思っていたけれど、やはり話しておくことにした。
私が説明しようとしたらステイルが「此処は俺が」と代わりに彼らに順を追って説明をしてくれた。アーサーも先輩騎士と並んで状況把握を改めて聞いている。
ざっくり言えば私が予知で、レオン王子が今夜城下に降りて泥酔したところを衛兵に見つかって大変なことになるのを知った。という話をしてくれたのだけれど…何故か物凄く騎士三人から殺気のようなものが感じられて怖かった。
横で既に話を知っていたアーサーも先輩騎士の様子に肩をビクッと上下させていたし気のせいではないだろう。
騎士としての礼儀を重んじるエリートのカラム隊長は未だしも、わりと自由奔放なアラン隊長や温厚そうなエリック副隊長まで殺気を放つとは思わなかった。
「それは…婚約者以前に一国の王子として恥ずべき行為では…?」
「自分も、その…プライド様の婚約者とはいえ有耶無耶にして良いものではないかと。」
「ステイル様、因みにその王子の保護は力尽くでもよろしいでしょうか。」
口を開けばカラム隊長、エリック副隊長、アラン隊長三人ともドン引きだった。確かに今のステイルの話を聞くとそうだけど…。しかも、ステイルまでもがアラン隊長からの問いに頷いているから余計に穏やかではない。
色々語弊があるし訂正したかったけど、事件が起こる前に言ったら大問題になる内容も含まれているから言えない。取り敢えず「いえ、それには色々理由があって…」という明らかに庇うための言い訳感満載の言葉しか出なかった。
「もし王子のその所業を防ぐのならば、いっそのこと私とエリックでその酒場を今から張りますが。」
カラム隊長が軽く手を上げて進言してくれる。両脇にいるアラン隊長、エリック副隊長も頷き、拳を握った。確かに騎士二人がいれば、王子一人を保護することはできるだろう。ステイルにも事前に提案はされた。ただ、そこには問題がある。「それが…」と私は眉間に皺を少し寄せながら彼らに返す。
「予知では酒場までは特定できなくて…。だから、レオン様が居なくなったことが騒ぎになってからでないと。」
私の返事に騎士三人が返事をした後、難しそうに考え込んだ。ゲームの回想シーンでも「酒場」としか語られてなかったし、時間も「夜中」としかなかった。ただ、すぐに街中でレオン王子が城から消えたと捜索の為に騒ぎになるシーンはあったし、衛兵に見つかるのは翌朝。後手に回っても恐らくは大丈夫…な筈だ。
もともと騒ぎになってからレオン様を探しにいくつもりではあったし、ここまでは仕方がない。
…ただ、衛兵に見つかるのは翌朝だけど、それまでに身分を隠すレオン王子の正体が民にバレたら大変だ。一応手は打ってあるけど…と、私が考え込む間に騎士達はそれぞれ動き始めた。
取り敢えず夜になるまではこの場にと護衛の形態を固め、侍女達に食事を宿屋に用意させるように命じてくれる。
…そう、問題は夜。
何も騒ぎが起きなければそれで良い。
その時は母上の許可を元に、アネモネ王国の国王へまずは謁見を望むだけなのだから。
エリック副隊長に守られた窓の外を彼の肩越しに眺めると、薄暗くなった空に鈍く月が出始めていた。