141.暴虐王女は語る。
レオン様が帰国される前夜。
私は、レオン様の部屋に呼ばれた。星を見よう、共に君と過ごしたいと。…柔らかな言葉と共に。
「どうぞ。…今夜も星が綺麗だよ。」
部屋に通され、扉が閉まる。ガチャン、と金具が鳴り、振り向かなくても鍵が閉められたのだとわかった。
「ずっと、こうして二人きりになれる時間が待ち遠しかった。」
振り返ればレオン様が滑らかな笑みを私に向けてくれていた。ええ、私もです。そう笑んで答えると、レオン様が既に侍女に用意させたのであろうポットを手に取った。「コーヒーは大丈夫かな」と確認を取ってくれ、お礼を伝える。足音を吸収してくれる絨毯が柔らかく、王族への来賓用の部屋に相応しく調度品も多く飾られている。部屋の内装を眺めながらふと、窓の外を見上げた。カーテンの隙間からうっすらと小さな点が瞬いていた。
カチャカチャ…と、陶器の音が私の背後に近づいてきた。
「熱いから気をつけて。」
優しく、カップを皿ごと私に差し出してくれる。御礼を言って受け取ると、窓のすぐ側にあるソファーを勧められた。カップの中身を零さないように注意しながら、ゆっくりと柔らかい革製のソファーに腰を沈める。
その途端、部屋の明かりが消された。
「こっちの方が、綺麗に見えるから。」
振り返った途端、優しいレオン様の声が闇夜に響いた。足音が絨毯に吸い込まれながら、段々と月明りに照らされて近づいてくるレオン様の姿が浮かび上がった。
滑らかな笑みと、整った顔が月明りで怪しく光った。あまりに綺麗な姿で、目で捉えた途端に反射的に身体が強張った。そんな私を気遣うように、レオン様がゆっくり、ゆっくりと私に歩み寄り、隣に腰を下ろす。肩と肩が密着し、暖かい体温を感じた。
「プライド。…月夜に照らされる君は何より美しい。」
妖艶に笑んだレオン様が私の髪に触れる。まるで一つひとつ段階を踏んでいくように、少しずつ私に触れてくる。髪を掬って口付けされた途端に顔が熱くなった。暗闇の中で本当に良かったと思う。私なんかよりレオン様の方が何百倍も妖艶で綺麗だ。それこそ、鳥肌が立つほどの美しさだった。
そのまま、私がカップをテーブルに置くと今度は白く長い指が私の肩に触れ、指先から指の腹、指から手とじわりじわりと味わうように触れ、最後は腕全体で私を抱き寄せた。逞しい胸板に両腕で引き寄せられ、反射的に息が止まった。馬車の中や庭園の時とはまた違う、男の人の色香を感じさせるような強い抱きしめ方だった。
「このまま…一つになれてしまえば良いと思うよ。」
密着したまま、私の耳に直接彼が囁く。低い声と吐息に今度こそ肌が泡立った。私も、ゆっくりと彼の背中から肩に、首へと両手を回す。そのまま体重を私の方にかけられ、一箇所に体重が集中したせいでギシッ…とソファーが小さく悲鳴を上げた。私も、密着したレオン様の耳元に囁き掛ける。
「レオン様…貴方が私を求めて下さるのならば、それも構いません。私達は婚約者なのですから。」
私の言葉を聞いて、レオン様が一拍置いて私の髪をかきあげた。そのまま自分の方を向けるように私の頬に手を添え、彼の妖艶な瞳がその唇と共に私の顔に近づきー…
「ですが、それは貴方の心からの望みではありません。私達の間には不要のものです。」
…止まった。
その唇が、寸前で止まり、ゆっくりとまた離されていく。怪しく光っていた翡翠色の瞳が、私の前で見開かれた。「なにを…?」と小さく紡ぎ、瞳がそのまま細やかに揺らいでいた。私の肩を抱き寄せていた手の力が緩み、密着させていた胸板がゆっくりと離れていった。
ソファーに腰掛けたまま上半身だけ起き上がらせるように距離を取り、私を覗き込むようにして捉えた。
動揺しているのか、唇が小さく震わせられるが言葉が出ないようだった。私は彼をこれ以上動揺させないようにゆっくりと言葉を重ねる。
「大丈夫です、レオン様。この三日間…貴方には何の不備もありません。婚約者として優しく私に寄り添い、王となるべく我が国を知ろうとして下さりました。とても素敵な婚約者だと思います。」
刺激をしないように、彼から目を逸らさないように注意しながら私は続ける。
「ちゃんと、〝演じられて〟いました。私自身の目からも確かに。我が母上も、父上も、城の者誰もが認める完璧な立ち振舞いでした。」
言葉を間違ったか、彼が今度こそ体を仰け反らせた。後ろ手にソファーの背もたれを掴み、私から更に距離を取る。「何故」と、小さな掠れるような声で数度紡がれた。
「大丈夫です。表向きでは貴方は私を愛し、そして満足させて下さっていました。…紳士として、王子として。」
「……ならば、何故っ…君は…。」
レオン様の声が震えた。表情こそ変わらないが、その声色は信じられないと言いたげだった。当然だ、彼は今までそれに気付かれたことなど一度もなかったのだから。
「レオン様。私達は単なる同盟の証としての婚約関係。何より、私と貴方との間に表向き以上の愛は要りません。……きっと、その意味が遠くない未来にわかります。だから…」
怯え、表情を取り繕う彼に今度は私から触れる。青く細い髪を指にかけると、さらりと心地よい感触が掠めた。
「私の前では演じなくても良いのです。無理をして、心に嘘をついて愛そうとしなくても大丈夫です。私はちゃんと知っております。」
青い髪を彼の耳にかけ、近づいてその翡翠色の瞳を更に覗き込む。指先が震え、まるで不具合を起こしたかのように表情と、そして彼自身の動きが止まった。彼にとって、私の今の言葉は自分の言動を奪うのに充分な意味がある。 今度は私が身を起こし、ソファーに崩れ寄り掛かる彼へ覆い被さるように近づく。
「レオン様。私は貴方に伝えるべきことがあります。どうか、約束をして下さい。その代わり、私も今夜の事は胸に仕舞いましょう。明日からまた、変わらず仲睦まじい間柄となりましょう。」
まるでレオン様を脅すような口調になってしまう事を反省しながら、それでも私は語り掛ける。
これを伝えるのが、私の今夜の目的だったのだから。
すると、私が続きを言う前にレオン様が震える唇で何かを発しようと動かした。先程までの妖艶さが嘘のように、その表情がカチリと固定されたまま。
「…君は…、…何者なんだ…?」
このゲームの世界を前世で知る転生者。
本来ならばそれが正しい答えだ。でも、それは言えない。この世界の誰もそれを理解できる筈はないのだから。
私は一度目を閉じ、彼の問いに答えるべくゆっくりと息を吸い上げる。
…彼への答えは決まっていた。
「私はフリージア王国の第一王女、プライド・ロイヤル・アイビー。第一王位継承者であり、予知の力を持つ特殊能力者。」
貴方の真実も予知で知りました。そう伝えると服を乱しながらソファーから身体を起こそうと小さく動き、しかし覆い被さられた私を退かすことも敵わずまた身を沈めた。
…まるで、不具合を起こしたロボットのようだと思えた。フリーズした頭に身体だけが防衛本能を働かせているようだ。無表情の彼の両頬にこれ以上動揺しないようにと優しく手を添わす。大丈夫、そう囁きながら私は至近距離で上から彼を覗き込んだ。
「…そしてこの世界で唯一、貴方の本当の望みを知る者です。」
私の言葉に彼が息を飲む。
そのまままるで呼吸を忘れたかのように身動ぎ一つせず私の瞳を食い入るようにして見つめてきた。
「レオン様。…貴方は帰国して一週間、決して城下に降りてはなりません。決して、です。」
私の言葉に、初めて瞳以外の彼の表情が揺らいだ。
わかっている、彼にとって私の言葉がどれほどの意味なのかを。…それでも。
「決して、視察ですら城下に降りてはなりません。最後の日は、特に。貴方はそこで全てを失います。酒に溺れさせられ酒場で翌朝には、多くの民と王からの信頼すらも失います。」
レオン王子の過去の回想シーン。
彼はプライドとの婚約後、帰国し再びフリージアに戻る前夜にとある理由で城下に降りてしまう。そして翌朝には酒場で酔い潰れているところを衛兵に発見される。そのせいでフリージアへの来国も遅れてしまい、それはプライドの不興を買うだけに留まらなかった。
レオンは目の前で自身に関わった酒場の男女全員をプライドにより嬲り殺されることになる。
勿論、例え彼がフリージアに来るのが遅れたとしても私はそんなことするつもりは全く無い。…ただ、この事件はそれだけでは済まないのだ。
彼の悲劇のきっかけだけではない、本当に全てを奪われてしまう。この事件のせいで、彼は
国王から事実上の国外追放を言い渡されてしまう。
私の言葉を聞いた彼は、暫く動かなかった。表情だけでなく、その瞳も虚ろで何かを考えているようだった。
「どうか、守って下さい。今は言えませんが、全ては貴方の本当の望みの為…貴方の幸福の為なのです。」
最後に言い聞かせるように、私は彼の両手を強く握り締めた。
「……僕の、……幸福…?」
表情も動かない彼が小さく小首を傾げた。まるで人形と会話しているような感覚に、改めて彼のゲームの設定を思い出す。
「そうです。…続きは、次お会いした時にお話致しましょう。」
身体をゆっくりと起こし、彼から離れる。手をつく時にソファーがまたギシ…と小さく悲鳴を上げた。乱れた衣服や髪を整え、改めて窓の外を眺める。灯りがない分、星の瞬きがさっきよりもはっきりと見えた。
「…今宵の星はとても綺麗でした。…では、また明日。おやすみなさい。」
長居しすぎては、変な誤解を招いてしまう。私はレオン様に挨拶を済ませるとソファーに身を沈めたまま動かなくなってしまった彼をそのままに、部屋から退室した。
どうか彼が、私の忠告を受け入れてくれるようにと願って。
……
「…だから、レオン様にも忠告はしたのだけれど、見送りの際に念押した時もやっぱり躊躇っていたし、心配で。それにもし彼が…、……?どうしたの⁇」
三人に前世のゲームのことは抜いて、昨夜の会話について話をした私は思わず最後まで話しきる前に話を中断させてしまった。ステイルとアーサーの様子がおかしい。ティアラも不思議そうに首を傾げて二人を覗き込んでいる。
「〜〜〜っ…、…いえ…なんでもないっす…。」
「…つまりは、…昨夜はその…何もなく話だけをしてすぐ部屋に帰られたと…?」
何故か二人とも顔が真っ赤だ。互いに私から顔を逸らして片手で目や口元を隠しながら、なんとか私の問い掛けに答えてくれた。
私が昨夜レオン様の部屋に招かれたことを話し出した途端にアーサーは顔色が変わったし、ステイルも暗い表情をしたのに。…やっぱり隠し事をしていたのを怒っているのかもしれない。二人にもかなり心配をかけたのだから。でも未然に防げるレオン様の未来のスキャンダルをわざわざ言って不要の心配や彼への不信感を煽りたくなかった。
…一応、レオン様に話し出すまでの間に色々ソファーでアタックされたことは言わないでおこう。真剣な話前に何を男とイチャイチャしているんだとか言われたら多分立ち直れない。だけど、レオン様に話し出すタイミングを見ていたら変に抵抗もできなかった。彼との婚約が嫌で私が嘘をついていると思われたら、その後の忠告すら信じてもらえなかったかもしれないのだから。
私がステイルの言葉に「ええ、そうよ」と頷くと二人がほぼ同時に深く息を吐き、目に見えて脱力した。
実際、彼には抱き締められたくらいで他は何もなかった。流石攻略対象だけあって、それまでの段階が恐ろしく色っぽかったけれど。初日の私なら確実にあわあわしていただろう。
「それより、レオン様のことなのだけれど私は彼を…」
「助けたいのですよね?わかっています。」
まだ顔の赤みが消えないステイルが早口で私の言葉をかき消した。
「姉君の予知通りにレオン王子が城下に降りてしまわないかの確認をしたいと、それは理解しました。仮にも姉君の婚約者、姉君の名に傷をつけない為にも同意しましょう。確かに忠告した日に姉君が公式に訪問すれば、それこそレオン王子を信頼していないということになってしまいます。まさかレオン王子が城下で呑んだくれるのを予知したなどと言える訳もありませんしね。取り敢えず王子がもし本当に城下に降りたら内密に押し留め、アネモネ王国の兵に見つかる前に我々の手で捕らえ…いえ、保護すれば良いと。我が国としてもアネモネ王国としてもレオン王子のそんな醜態は恥でしかありません。」
…なんだろう、色々訂正とかツッコみたいけれど取り敢えずステイルの毒舌容赦ない。でも、まだ言えないことも含めて下手に話したら更にスキャンダルな内容が多過ぎるし容易に訂正もできない。
「…なんすかそれっ…俺、ほんと…てっきり…〜〜っ。」
両手で顔を覆ったまましゃがみこむアーサーは、暫く何やら呻いたままだった。私に呆れているのか、またはうな垂れているようにも見える。ティアラがそっと気遣うようにアーサーの背中に手を置いてあげていた。
「あのっ…本当に心配かけてごめんなさい三人共。でも、でもね、だからこそ私一人で」
「俺、すっげぇ格好悪りぃじゃないすか…。」
項垂れたままのアーサーから声が漏れた。私の言葉を打ち消すというよりも、偶然被ったような話し方だった。振り向けば顔だけでなく、耳まで真っ赤にしていた。
言葉の意図がわからず「アーサー?」と声を掛けるとアーサーからまた独り言のように言葉が続いた。
「一人で勝手にわかったつもりになって、ステイルまで巻き込んで、昨日はプライド様に詰め寄って逆に気ぃ遣わせて…。…すげぇ、格好悪りぃ…。」
本当にすまねぇステイル、と顔を覆ったままの掌越しにアーサーのくぐもった声が聞こえた。ステイルが「いや、俺もお前に余計な話を…」と返しながら、未だ脱力気味で声が弱い。
「お姉様、二人とも怒ってないでしょう?」
ティアラが苦笑気味に二人を見比べ、そして私へ優しく笑顔を向けてくれた。
「…ええ。」
三人に凄く心配をさせてしまっていたことを痛感しながら、次第に胸が熱くなってきてしまった。
話して良かったのだと、そう思えたから。
最初に、一番項垂れてしまっているアーサーに歩み寄る。耳まで真っ赤にして、未だに顔を上げられない様子のアーサーの銀色の髪を撫でた。私の手の感触に驚いて彼の肩がびくりと震える。
「ありがとう、アーサー。本当にごめんなさい。…格好悪くなんてないわ。」
すみません…と小さくアーサーから返事が返ってくる。むしろ何故、彼が謝るのだろう。心配をかけたのは私なのに。
「謝ることなんてないじゃない。私が無理しているって気づいて、心配してくれたのでしょう?凄く嬉しい。…あの時、ちゃんと答えられなくてごめんなさい。」
まだ上手く言葉を出す気力がでないのか、無言で彼は首を横に振った。
「アーサーは格好良いわ。強くて、優しくて、…私が辛いのにすぐ気付いてくれた。「傍に居る」って言ってくれた。私、すごく嬉しかったもの。」
ばっ、と。
彼の真っ赤な顔が上げられた。目を丸くして、私を凝視する。何やら唇をあわあわと震わせて何か言おうとしているようにも見えた。これ以上ないくらい真っ赤になった彼の顔から湯気が出た。
「姉君。」
名前を呼ばれ、振り返ると今度はステイルがいた。ステイルにも謝らないと、そう思って口を開こうとした途端、先にまた彼から先に言葉が発せられた。
「約束してください、次は必ず頼ると。俺達の力が必要でも、…不要でも。」
その目はとても真剣で、さっきみたいな怒りは感じられない分、どこか哀愁のようなものが漂っていた。
「ごめんなさい…。」
気がつけば、ステイルの言葉に頷きながら声に出ていた。ステイルのその表情をみた途端に本当に悪いことをしてしまったのだと痛感したから。
ステイルが私の言葉に少し困ったような表情をして、小さく頷いた。
すると、今度はアーサーの横にいたティアラが私の方へ駆け寄ってきた。そのままダイブするように私の胸へ飛び込んでくる。
「だめですよ、お姉様。一人で全部抱えようとしては。お姉様には私も兄様もアーサーも、ジルベール宰相もヴァルもケメトもセフェクも…皆居るのですから。お姉様が一人で動いて一人で解決しても、……それでお姉様一人が苦しんだら、辛いのは私だけではないのですから。」
そう言って優しく両腕で抱き締めてくれるティアラを、私の方からも抱き締め返す。
絶対に誰にも言わず解決しようと思っていたのに、結局は話してしまった。でも、…それで良かったと思う。このまま一人で解決したところで、前世の記憶を取り戻す前のように優しい人達の存在を気づけなかった…あの頃に戻ってしまっていたかもしれないから。
そして、五日後のアネモネ王国。
私の不安は的中することとなる。
私が知る以上の、最低な形で。