AIが発達しても、絵描きは消えません。なぜなら...!!
September 28th, 2024 09:31・All users
少しだけ残暑も和らいできて
朝晩涼しく、秋めいてきましたね。
僕は季節の変わり目は体調を崩しやすく
例にもれず、連日咳き込んでいます。
さて先日僕は、こちらの動画を出しました。
大変反響も大きく、話題にもなっていたの
ですが、僕が少し意外だったのが
この動画を受けての感想や、これからの未来の
イラストレーターのあり方を『AI』を中心に
『悲観論』を論じている人の多さでした。
僕がこの動画でお伝えしたかったのは、
中三の子に対して、絵の業界はこう変化
しているよ!という変化そのものであって
AIはその中の一つのポイントに過ぎなかった
ので、少し意外でした。
確かにAIは存在として衝撃的ですし、大きな
変化の一つですが、
あくまでAIはツールの一つであって、AIが
あるからこれからのクリエーターの未来が
狭まっていくというものではないと思います。
(ツールの一つだよ。と伝えたことに対して
AIを肯定した発言だ!と言われたのは
かなりびっくりしました。)
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●良い絵の定義
AIがあるからこれからのクリエーターの未来が
狭まっていくというものではないと思う
大きな理由の一つに
『良い絵の定義』があります。
みなさんは、どんな絵を『良い絵』と感じる
でしょうか。
『躍動感がある』
『色使いが綺麗』
『完璧な構図』
色々と視点はあると思いますが、僕が良い絵
だと感じる絵で、一番重要な視点は
『その絵の向こうに自分を見ることが出来る』
だと思っています。
良い絵は、その絵のモチーフそのものが
よくかけているという他に、その絵を
眺めているうちに、自然と自分の過去や
今思っていること。これからどうしようかなど
まるで写し鏡をみているように、絵を見て
いたつもりがいつの間にか、自分を見ている
ような感覚になる。
もちろんそれが良し悪しの全てではないですが
そんな絵が、僕は良い絵だと感じることが
多いです。
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●鑑賞者の媒介になれるのは人間
鑑賞者は、絵の向こうに無意識に自分を見よう
としています。 だって究極のところ、人間は
自分にしか興味がありませんから。
美少女イラストを見ていようと、崇高な絵画を
見ていようと、その絵を媒介にして、
自分自身を眺めようとするのが人間です。
何を見ようと、ほとんどの人間はそれを
写し鏡にして自分自身を眺めようとするのです。
なので大事なのは、その絵が自分の過去や
今、未来について考えることの媒介になれるか
ということが最も重要になると僕は思います。
純粋アートはもちろんのこと、商業作品で
あっても、僕はまったくその側面がなく
その場その場で消費されるだけの絵なのか
というと、そんなことはないと思います。
例えば、カードゲームをコレクションして
その絵を眺めている時、
『このキャラかわいいな〜〜』と眺めている
うちに、このカードを手に入れた経緯や
対戦の思い出。友達とのやり取りや、
昔好きだった彼女に似ている!?など
自分にちなんだ記憶が引き出されることって
あるでしょ??
目の前にある絵から、自分自身への興味に
いつの間にか誘ってくれるかどうか。
それが絵の役割として大きいと僕は
思っています。
そう考えた時に、AIは媒介として十分に
役割を果たすことができるでしょうか?
僕はおそらく、なかなか難しいと思っています。
なぜなら、人間は同じ人間だからこそ
共感できたり、自分に重ねて思いを馳せる
ことがしやすいと感じるからです。
最終的に人間から出力された作品だからこそ
『ああこの人は、色々あってこういう作品を
描いたんだな。俺もこの人と同じような
ことが過去にあったなあ。』
『この人はこういう答えを出したのか、
すごいなあ。俺も負けずに頑張らない
とな...!』
など、自分に置き換えて考えることが
しやすいのではないでしょうか。
でも、AIに出力されたとわかっている
もしくは疑われる作品については
どうでしょう?
『すごいとは思うけど、何の苦労も知らない
機械がそれっぽいものを出力したに
すぎないんだよな....。すごい時代だ。』
心のどこかで覚めている部分が邪魔をして
いまいち自分自身に重ねて考えを巡らせる
ことはしずらいのではないかと思います。
実際、AIが出力したとわかっている絵には
僕が想像したよりもさらに覚めたような
意見が多いように見えます。
やはり鑑賞者側の拒否感が強いのです。
おそらくですが、媒介としての役割を果たす
ことなく、その場その場で消費される
ような絵については、AIに置き換わるかも
しれません。
(AI以前に、すでにイラストやに
ほとんどが置き換えが完了している気もしますが)
しかしそれは写実画が写真に置き換わったのと同様
時代の変化に合わせて、絵の役割が変容して
いく過程にすぎません。
鑑賞者が『絵を通して見たいもの』が自分自身
である以上、AIが人間に置き換わるんじゃないか
という危惧は、そこまで持たなくても
良いように感じています。
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・AIについて思うこと
さて、もう一度あらためて念押ししますが、
先ほど冒頭で貼った動画は、とくにAIについてを
メインテーマでお話しした動画ではありません。
イラストの持つ役割の変化の一つの原因に
AIがあるよ。という例を挙げたまでです。
ただ、あたかもそれが大テーマであるように
錯覚してしまうのは、おそらく現状での
AIに対する関心の高まりがあるのでしょう。
AIをめぐっては『肯定派』『否定派』に分かれて
日夜激しい論戦....というか、半ば喧嘩みたいな
感じで言い合いがされています。
ただ、これについて僕は、『肯定』とか『否定』
のように、肯定したらこの先AIが普及して、
否定したら今後AIがなくなる。といった
0:100の議論をする段階はすでに過ぎて
いると思っています。
というか、仮にその段階だったとして
クリエーターである僕がAIを否定しても
その流れを止める力にはなれなかったでしょうし、
そんな暇があるのだとしたら、僕は現役の
クリエーターなので、作品を作りたいです。
その辺は役割分担です。
そもそも僕が考えるかっこいいクリエーター像って、
何か大きな変革が起こったとして、
それに対してただ文句や否定を言うのではなくて、
その変化をどうやったら面白く利用できるかを
考える人たちな気がするんですよね。
例えその変化がネガティブなものであったとしても。
僕がAIについて『警戒(Abemaに出た時に
その辺は言及しました)』を口にすることはあっても
あえて強く『否定』をしないのは、そういう理由です。
だって、もうそこに実際にあるんですもん...。
今更無いかのごとく、もしくは無くせるかのごとく
ふるまえというのは、無理があるでしょう?
良い例えかどうかは分からないですが、
温暖化で水位が上昇して沈む場所に自分が住んで
いるとしたら、水が迫ってくる前に住める場所に
移住することを考えるでしょうし、なんなら
水位が変わって海岸線が移動するなら、逆にその
状況を利用して、変更後の海岸線に移住して海辺の
商売を始めることもついでに考えるのが現実的です。
沈みゆくその場に頑なに止まって、
『この温暖化の責任は誰にあるんだ!!』
『あいつのせいだ!あいつを吊し上げろ!』
と騒いでいても、ただただ沈没に巻き込まれて
死ぬだけです。
確かに今のAIは学習元の問題など、大きな問題を
抱えているので、手放しでその存在を肯定する
ものが少ないのは確かですが、
だからといって、今更、生成AIの普及自体が
無くなるのかといったら、それはないと
僕は思います。
無くすのではなく、みんなにとって利益のある
なっとくのできる利用法を考えることが必要ですが、
現段階は『AIはただのツールの一つ』といっただけで
肯定派だ!とバッシングを受けるような状況なので
おそらくほとんどのクリエーターは
『AI』という言葉すら発しないように注意しているのが
正直なところだと思います。
この状況でポジティブな議論は難しい気がします。
僕もできれば、そんな状況でこの問題について
言及して、あえて蜂の巣になりにいくようなことは
したく無いのが本音なのですが、
若者から『これからのことを教えてほしい!』と
言われて、ただただ無難なポジショントークに徹するのも
無責任だと思って正直にお伝えしています。
冒頭の動画では、
『温暖化の影響で水位が上昇し沈むかもしれない場所が
あるよ。』
『全部が沈むわけじゃないけど、こっちに来るなら
もしそうなったときの事を考えて、住む場所を選ぼうね』
という、今、膝下まで水が来ている場所に住んでいる者からの
未来ある若者に対する正直な肌感をお伝えしました。
言うまでもないですが、
特にAIをあえて強く肯定するような意図は
含まれていませんね🍀