☆松尾社長の夢の国☆
横浜ドリームランドオープン記念アルバム


昭和39年8月、横浜ドリームランドは華々しく開園しました
これは、そのオープンを記念して作成された記念冊子です

通常のリーフレットタイプの入園者向けのパンフレットとは違い、B5サイズ、36ページ(広告を含む)オールカラーの当時としては豪華なものです
巻頭の挨拶文で松尾社長自らが「ドリームランドの記念アルバム」と言っているように、まさしく夢の国ドリームランドを余すことなく紹介する素晴らしいもので
おそらくは、関係者に配布するために作成された限定品だと思われます
アトラクションや遊具、2階バスやドリームカーに至るまで、園内ほとんど全ての施設がカラーで掲載されています

作成されたのは、開園間もない昭和39年の秋頃と思われます
ですから、どのページの写真も、開園直後の賑やかな園内の風景を写し取っています
(昭和39年の11月にオープンした京王デパートの広告が掲載されていることから、時期を推定しました)

細かい部分までお見せしたいと思い、大きなサイズでスキャンしましたので、ダウンロードが重いかもしれませんが、どうかご了承ください
ひととき、開園当時の夢の国ドリームランドの景色をご堪能ください

表紙:凱旋門(正面ゲート)前の衛兵さんと家族連れの情景

グランドアベニュー(宮廷庭園)の紹介:美しいカラー写真が目に染みます…開園当時はこんなに広くて美しかったんですね
右ページ上に松尾社長の挨拶、左ページ上の凱旋門前の写真には、ランド坂下とここを結んでいた「ドリームカー」の姿が写っています


宮廷庭園の周囲に広がるショッピングアベニューの写真…なんて広くてきれいなんでしょう(右側の2棟のみ、今も園内に残っていますね)
右上は野外劇場の紹介写真です(ドリちゃんランちゃんショーはまだやってなかったみたいですネ)


園内中央の円形レストランの外部と内部の紹介:このあと改装を重ね、最後にはディスカウントストア「バンドール」になりました
数年後にプール(スケートリンク)に改装されてしまう前の「大噴水」の姿も美しいです


ここから4ページ分が「冒険の国」の紹介です:かなり広く、本格的で立派な施設でした
「冒険の国」全体がドリームハイツに売却されたため、残念ながら数年後には姿を消しました


遊覧船のみは、その後フリーウェイの跡地に新設された「ジャングル巡航船」に転用されたようです
一方精密な造りの古代の動物達…彼等はその後、何処に行ってしまったのでしょう


「子供の国」の紹介ページ:「おとぎ列車」「デイジイチェアー」「ピーターパン」などのカラー写真は珍しいです
「飛行塔」の無骨な造りも、時代を感じさせます

見開きの園内マップ:簡略化されていますが開園当時の各施設名称がわかります
ドリームハイツとなった部分まで含めて、現在の2倍くらいの広さでした


ここから6ページ分が「スポーツランド」の紹介です:開園から閉園までドリームランドを見守り続けた「ワンダーホイール」はここにあります
「ロープウェイ」や「砂漠」など、早々と姿を消した施設の姿もあります


潜水艦」「ボブスレー」なども多少の仕様変更はありましたが、閉園まで残った施設でした
フリーウェイは、その後「ジャングル巡航船」が造られたため、無くなってしまいました


「月世界探険館」!どんな映像を見せてくれたのでしょうか?「西部探険館」「忍法秘伝屋敷」も気になりますね
室内遊技場は3号館まであったようです

ドリーム文化公園:園外の「春日神社」「ヘリポート」「ボーリング・スケート場」「夢のホテル」などの施設を総称してこう呼んでいたようです
USS(→横浜市)に売却されなかったため、この地区はこれからも残り、ドリームランドの面影を伝えていくことでしょう


「ボーリング場」は今も健在ですが「プール」や「サパースクェア」は無くなりました(世界のお酒が飲みたーい!)
モノレールは、実車の設計が完了していなかったようで、奈良ドリームランドの車両をモチーフとしたようなイラストが掲載されています

「ホテルエンパイア」は、当初「ホテルドリーム」と呼ばれる予定だったようです
「夢のホテル」は今は取り壊されて、跡地は屋外映画館「MOVIX」を経て、現在は「青空ひろば」となって毎週フリーマーケットが開かれています…
「世界歴史博物館」もなかなかすごそうです(世界の偉人のロウ人形が飾ってあったらしいです)


…そして最後に特筆すべきは、このパンフレットに掲載されているデパートの広告です(縮小してありますが元は各1ページ大です)
見ていただくとわかりますが「日本橋三越」「上野松坂屋」「渋谷東横(後の東急)」「東京大丸」「銀座松屋」「新宿京王」など、当時の一流デパートがこぞって広告を寄せています
この時代、デパートは今とは比べ物にならないほど高級なショッピングセンターであり、これだけの広告が集まったということは松尾社長の力もさることながら、
デパート業界もただならぬ期待を寄せていたという証であり、やはり当時の遊園地の中でも横浜ドリームランドは別格扱いだったということが十分うかがえます
まさにその姿は「和製ディズニーランド」であったと言えるのではないでしょうか
新宿京王 銀座松屋 東京大丸 渋谷東横 上野松坂屋 日本橋三越